249:神に造られし人
時間はわずかに遡る。
冷気の奔流が天を貫き、聳え立ったその瞬間、オルドはそれを半ば信じられない気分で見つめていた。
確かに炎を貸し与えはした。
もう一人の少年が黒雲で視界を遮ったその時に、明らかにこちらに見せつけるように、自身の首筋に火をつけてセインズの元へ向かっていく少女の姿を目の当たりにして、かろうじてその意図が理解できてしまったことによって。
わずかに迷いを覚えながらも、結局オルドは敵だった相手のその意図に乗って、炎の設定を本来部下に渡すための、潜入工作用のものへと切り替えた。
焼却の対象についてもこれは同じで、先ほどまで敵だった二人をその対象から外して、かわりにその狙いを【神造人】を名乗る者達や、その配下らしき【試練獣モドキ】、それを構成する黒い煙や赤い核を、ピンポイントで狙う形に変更した。
果たして、その判断がどこまでこの場において正解だったのか。
なんにせよ、結果オルドの前では先ほど見えた時には窮地に陥っていたはずのセインズが、今は聖剣を振るって、彼にしか使えない極大界法を発動させているのがこれ以上ないはっきりとした形で見えている。
それこそ、神敵であるはずの相手と手を結ぶというとんでもない選択をしたにしては、オルドにとってどこまでも都合のいいことに。
(――否、今はそれよりも――)
頭をもたげる罪悪感にも似た感情を首を振ってふり払いながら、オルドは立ち込める黒雲の中を観客席に向かってひた走る。
もう一人の神敵の少年がどこまでそれを意図していたかはわからないが、あのルーシェウスと言う男が少年に引き付けられている今はまたとないチャンスだ。
遠目に見た限りでも、先ほど観客席に現れた少女の姿をした敵にとって、オルドの炎が有効であることは他ならぬオルド自身が既に理解できている。
と言うよりも、そうと理解できたからオルドは自身の火を持って駆けつけるあのオハラの娘の共闘を受け入れた訳だが、しかしあの娘一人に任せる決断がオルドにとって最善と言えないのもまた事実だ。
(交代だ……。この身が有する手の内だけでは、あの不死身の存在が相手では対応できん……。
凍結封印と言う手段を持ったセインズでなければ、凌ぐことこそできてもそもそもの決定打がない……!!)
炎による火刑やメイスによる打撃と言った破壊・殺傷能力しかないオルドと違い、セインズならばまだしもあの男を凍結させて拘束するという勝ち筋が狙える。
加えて言えば、遠目に見たあの【試練獣モドキ】を生み出す少女とは、オルドの方がまだしも相性がいいはずだ。
いくら着衣や装備を敵方の配下に変えられたとしても、オルドならば身に纏った炎でその命を燃やしてただの装備に戻せてしまうし、よしんばあちらの首魁も不死身だったとしても、男の方でなければまだしも打てる手はある。
だから交代する。
セインズとは互いに受け持つ相手を入れ替えて、自身にとって有利な相手との戦いに持ち込むことで、かろうじてこの場においても目指せる勝ち筋を狙う。
そんな考えの元、オルドが雲の中を足音を殺して走って、もう一つの戦場、その真下へと到着しようとしていた、まさにその時――。
「――ッ!!」
背筋に感じた気配に、とっさにオルドは背後へと振り返って、斬りかかるその刃をすんでのところでその手のメイスで受け止める。
眼前、ぶつかり合うメイスと刀のその向こうで、先ほどまで神敵の少年と問答を行っていたはずのルーシェウスが表情を変えぬまま立っていた。
「――驚嘆したぞ。よもや状況が状況とは言え、噂に名高き火刑執行官が敵対していた相手と手を組むとはな」
「――っぅ、カァッ――!!」
背後から追いつき、斬りかかってきた男の姿に、即座にオルドは右手に空気の塊を生成して掌底と共に相手に撃ち込み、敵の体を強引に背後へと向かって吹き飛ばす。
常人ならばあばらの一本や二本折れていてもおかしくないそんな一撃。
だが、相手が破壊を受け付けぬ【神問官】とあっては負傷など望めるはずもなく、それどころか攻撃によって装備の一部が破損したことで、オルドへと向かって光の粒子が一斉になだれ込んで来る。
「――グ、オ――」
脳裏で複数の死が連続で再生される。
肉体そのものに致命的なダメージを与える類の攻撃ではないが、しかし精神に受ける衝撃と、なによりそれによって生じる隙は致命的だ。
案の定、オルドが我に返ったそのときには、すでに先ほど吹き飛ばしたはずのルーシェウスが再び刀を振り上げて目の前まで迫っていた。
「――お、のれ……、あの小僧、足止めも碌に出来んのか……!!」
悪態をつきながらどうにか斬撃への防御にメイスを間に合わせ、オルドは未だ死の瞬間の幻痛が抜けきらぬ体で、どうにか互いに武器を構えての鍔迫り合いへともつれ込む。
そうして初めて気づくのは、先ほどまではなかったはずの、雲の向こうに感じる複数の気配。
「――これは、増援か……!!」
「然り。あまり共闘の相手を悪く言うものではないな。あのプレイヤーの足止めには、こちらに回された増援を当ててある」
雲の向こうから聞こえる激しい戦闘音、そして時折黒雲を貫く閃光に、オルドも否応なくこの場に新たな敵が現れていることを推察する。
(――しかもこの数……、少なく見積もっても五体以上はいるか……。道理であの小僧が足止めに失敗するわけだ……)
こうなっては、やはり独力で対処するしかないとそう腹をくくって、そのうえで行うのは先ほどの反省を踏まえた渾身の反撃。
「火ァッ刑ィィィ――!!」
「――ヌォ」
敵の装備を対象から外し、肉体だけを対象に行ったその火刑に、たまらずルーシェウスがうめき声を漏らして後退する。
(――やはり、肉体を焼き滅ぼすには至らずとも熱や痛みは感じている……!!)
先ほど火にかけた時に見られた反応を思い出し、敵が見せたその反応にいよいよオルドは己の中でそんな確信を抱く。
【神問官】、あるいは【神造物】であるが故の不滅性を誇り、その性質故に一切の破壊を受け付けない厄介な相手ではあるが、しかし攻撃による痛みまで受け付けないという訳ではないのだ。
そしてそうであるならば、まだしもオルドの方にもこの相手に対して打てる手はある。
いかに炎によって焼き滅ぼすことが叶わなかったとしても、炎に焼かれる痛みというのは到底無視できるようなものではないのだから。
そう考えて、オルドが圧倒的不利なこの状況で活路を見出しかけた、次の瞬間――。
「――なッ」
突如、身を焼かれてよろめくルーシェウスの全身各所から光の粒子が発散し、それらが怒涛の如く目の前にいるオルドの脳裏に流れ込んで来る。
「――ぅ、ぉ、ァァァアアああああ――!!」
三度襲い来る死に際の苦痛に、今度はオルドの方がなす術もなく地面を転げまわる羽目になる。
いかに意志の力で抑え込もうとしてもこればかりはさすがにどうにもならない。
一瞬の間に、重複して流れ込んで来る死に際の記憶と言う毒のような情報に、たまらずオルドは自身の炎による攻撃を解除する。
「狙いは悪くない。だが生憎と、この身は試練を成立させるため、人々の死に際の記憶を収集していた身でな。致死の痛みにはそれなりになれて耐性があるのだよ」
「――ガ、グ、ゥ……。バカな……。貴様の装備は――、【思い出の品】は、焼却の対象から外していたのに……」
「そちらについても残念だったな。教会権力が自身の正当性の根拠としている関係上、【裁きの炎】の効果は、その本来の内容に至るまで世に知れ渡っている。
保有者の意図したものだけを焼き尽くす炎とは確かに驚異的な【神造物】だが、焼却の対象が持ち主の認識に依存しているのなら、それを誤魔化す手はいくらでもある」
そう言うと、オルドはその指先に光の粒子を集め、酷くか細い何かを生成し、それをつまんで見せる。
それは目を凝らさなければ見ることすら難しい、指先でつままれた一本の髪の毛。
「毛髪に限った話ではない。爪に皮膚、あるいは付け黒子程度のものでもいいかもしれない。
貴様がこの肉体のみを燃やすというのなら、こちらはその肉体を構成する部位を偽造し、肉体の各所につぎ足すだけでいい。
なにぶん不死身ゆえに欠損も代謝もないこの身ではあるから、真に肉体の一部と言えるものではないかもしれんが……。なにもDNA鑑定までして判別しているわけではないのだ。貴様の認識を騙すだけなら、この程度の出来のものでも事足りる」
「――、そんな……、方法で……」
途中意味不明の言語が混じって全てを理解したとまでは言えなかったが、自身の炎による火刑を逃れたそのおおよそのメカニズムを理解して、オルドは何ら打開策を見つけられずに唸り声を漏らす。
教会の司教、なにより火刑執行官と言う立場上、オルドとてオーリックの家に伝わる【神造界法・跡に残る思い出】の特性はその詳細に至るまで把握している。
確かに、人間の記憶情報を物体として現出させられるというかの【神造界法】は、作成する物品が必ず封入する記憶の中に登場していなければならないという制限こそあったものの、それすら記憶そのものを術者の脳内で編集することで解決できてしまうため、実質術者が知っているものならどんなものでも作成できるという破格の性能を誇る【神造物】だった。
(――かの【神造界法】で作られる【思い出の品】は、それを破壊した者の脳裏に内包した記憶を流し込む……。
故にこの場は、その【思い出の品】を焼却対象から外すことでこの記憶流入を免れればと思っていたというのに……)
まさか自身の肉体のパーツを偽造することで、わざわざオルドの焼却対象に紛れ込ませる者がいようとは予想だにしなかった。
と言うよりも、炎の焼却対象から外れようとするものならともかく、逆に焼却対象に含まれようと手を打ってきた相手など、代々続く火刑執行官の歴史の中でも他に類がないのだ。
当然、前代未聞である以上、長き歴史の積み重ねを武器にするオルドの中にもこんな事態への対応策などあろうはずもない
「――ふむ、やはり奇妙だな」
そうして、肩で息をするオルドに対して刀を構えながら、しかしルーシェウスはわずかに眉をひそめながらそんな言葉を漏らす。
直後に斬りかかりながら口にするのは、彼が覚えたらしい、本当に些細で無意味な違和感。
「――やはりそうだ。実際に貴様を見て感じる貴様の人間性、事前に得ていたオルド・ボールギスの情報とは随分とズレがある……」
「――グ、ォォオッ――!!」
振るわれる刃に、オルドもとっさにメイスを合わせて続く連撃をどうにか防御する。
一瞬でも気を抜けばその瞬間には首を落とされかねない状況で、しかし耳に届くのは訝しむような敵の呟き。
「――我らの知る貴様であれば、いかに共通の敵が現れたとしても、一度でも敵と見た相手と手を組むような真似はしなかっただろう」
「――そもそも、敬虔な教会の信奉者であれば、神の使徒と崇める【神問官】が敵として現れたこの状況を、容易に受け入れ対応できたことも少々おかしい」
「――仮にそれらに目を瞑るとしても、神の使徒と崇めたその相手に、ここまで躊躇なく攻撃を仕掛けることができるものか」
そうして呟き続けて、幾度かの武装の激突があった後、ルーシェウスの動きがピタリと止まる。
それは徐々に追い詰められてつつあったオルドにとっては都合のいい、しかし実際には決して歓迎できない奇妙な停滞。
「……よくない傾向だ。少なくとも、決して褒められたものではない……。
だが、ああ、しかし――」
と、そこでオルドはようやく気が付いた。
自身の肉体、刀がかすめたことによって付いた傷の各所から、血液と共にわずかながらも光の粒子が漏れ出して、それらがルーシェウスの手の中へと集まりつつあることに。
「貴様――」
「――ああ、まったく。人を見定めるために生み出されたこの身の、なんと恨めしきことか」
言葉と共に、ルーシェウスの空いた左手に光の粒子が集って一枚の札と化し、直後にそれを生み出した本人が即座に握りつぶして、あふれ出た光の粒子が一斉にルーシェウスの中へと吸い込まれて――。




