247:模造心魂
「【黒雲】――!!」
石刃から変じた杖の先から黒雲を噴出させてまき散らす。
あたり一面の視界を雲によって封じながら、静自身はさらに走って付近の座席の影へと滑り込む。
弓の力による落下飛行で駆けつけるまでのその途上、静は遠目にではあるが、この相手とセインズとの攻防は一通り観察していた。
セインズの全身から漏れる黒い煙に、装備の各所にダブるようにうっすらと見えた赤い核の存在、そして静がこの場に飛び込むその寸前、二人の会話の中に出て来た【鏡の目】と言うその言葉。
その上に、さらにここに来るまで静がさんざん見てきたものを思い出せば、この相手の能力についてはだいたい見当が付けられる。
(間違いないですね。物品を【影人】に変える、恐らくはそれが、あの【神問官】と思しき彼女の持つ、能力……)
そう考えれば、先ほどセインズが一方的に組み伏せられていた、そのカラクリもおおよそ見当がつく。
恐らくは着ていた衣服や身に付けていた装備、そして手にしていた武器の数々が一瞬にして【影人】へと変化して、あの少女の配下と化したことでセインズは自らの装備に裏切られる形で組み伏せられてしまったのだ。
恐るべきは、その力の発動条件。
先ほど見ていた限り、このアーシアと名乗る少女はセインズに触れることはおろか近づくことすらしていなかった。
それに加えて【鏡の目】と言う目への言及を聞けば否応なく理解できる。
恐らくこの能力の発動条件は対象を視認すること。
言ってしまえばこの相手は、ただ見るだけで相手の装備を自身の配下に変えることができるのだ。
(まったく、人間である以上ハンデを背負っているとはよく言ったものです……。確かに戦いに丸腰で挑む人間なんてそうはいないし、服すら着ていない人間はもっといない……)
丸腰の裸一漢で戦えてしまいそうな人間としてアパゴの存在が思い浮かぶが、あれとて恐らくは本来の装備を失ってしまったが故の緊急手段であったはずなのだ。
それを踏まえて考えても、そもそも武器や道具に頼れなくなるというその時点で、この敵は確かに人間と言う生物そのものの天敵と言えるかもしれない。
そんな風に、静が敵の脅威度を分析していた、まさにその時――。
(――!!)
背後に気配を感じて、静はすぐさま振り返ってその場所にいた【影人】の顔面へと左手の十手を突き立てる。
顔面にあった核が破壊され、黒い影でできた人影があっけなく崩れて溶けるように消えていく。
後に何やら指輪のようなものが残されるが、生憎と静自身にはそれにかかずらっていられるだけの余裕はないらしい。
(――なるほど、そう来ますか……!!)
静自身がまき散らした黒雲の向こうから、その雲の色に紛れてしまいそうな色の【影人】達が次々と現れ、静に向かって掴みかかる。
武器の一つも装備していない、それどころか動きに武術的な心得の気配すら見られない。
まるで命じられたシンプルな行動原理に従って動く、ゾンビのような足取りの影の群れ。
(適当な物品を【影人】化して、人海戦術でこちらを――!!)
思いながら、とっさに静はこの敵を迎え撃つのではなく、座席を飛び越え逃げの一手を選び取る。
いかに黒雲で視界が効かないとは言っても、これだけの人数が一方向を目指して押し寄せてくれば、直後に起きる事態は明白だ。
案の定、【影人】達の動きでこちらの位置が露見したらしく、直後に静がいたその周辺を狙って、暴風が吹きつけて黒雲の壁を吹き散らす。
「――あら、勘がいいのね。つくづく、これだからオハラの血族は面倒で仕方ないわ」
未だ立ち込めたままの雲の向こうから先ほどの少女の声が聞こえて、同時に静は先ほどのその少女の姿を改めて思い出す。
考えてみれば、可憐な容姿に反して随分と派手で悪っぽいファッションをしていた彼女は、そのファッションの一環なのか、服のあちこちに金属のパーツやアクセサリを大量に付けていた。
(なるほど、持ち込んだアクセサリを、問題の【鏡の目】とやらで【影人】化して即席の配下として使っている……。最初に見た時は随分と私たちの世界のものに近いファッションだなとしか思いませんでしたが……。一応あの格好にもそれなりの意味はあったということですか……)
とは言え、このままこの戦術を続けられてしまうのは静にとってもうまくない。
この場に飛び込んで来るにあたり、一応それなりの備えと言うか、対策の一つくらいは用意してきた静だったが、そもそもこの敵が相手ではそうした対策が最善の形ではまりでもしない限り勝ち目がないのだ。
故に――。
(仕方がありません。もとよりそのつもりでは来たのです。せいぜい危険を冒して動き回ると致しましょう)
意を決し、すぐさま静は声のしたその方向目がけ、自身のポケットから取り出したそれを【投擲スキル】の技を用いて勢いよく投げつける。
使用するのは、投げつけた物体の打撃力を底上げする技、【弾投】。
ここに来るまでほぼ刃物しか投げる機会が無かった故に使う機会の少なかったそんな技を使用して、しかしなにが理由だったのかそれは察知されたらしく、雲の向こうから魔力同士がぶつかる気配と、投げた物品が砕け散る音がする。
とは言え、静にしてみればそれもまた想定内のことだ。そもそもそれを投げたのは攻撃が目的だったわけではない。
「――、これは――」
「気付かれましたか? それが何かは、貴方には今さら説明する必要もないかと思いますが」
黒雲の中に身を隠しながら、あえて静はその雲の壁の向こうにいる少女へと自ら声をかける。
「先ほど倒した敵からドロップしたのですよ。何かに使えるかとも思ったのですが、生憎と投げて使うくらいしか思いつかなかったもので」
「――ヘェ、今時これを使いこなせない娘なんてそうはいないと思ってたのだけど……。そんなにあっさりと手放してしまってよかったのかしら? 私が知る限り、これってあなた達にとって、いろんな意味で生命線になるくらい必要不可欠なものだったはずなのだけど」
「――ええ、かまいませんよ」
そう言った次の瞬間、再び魔力の風が吹き抜けて、静のいる周囲の黒雲を吹き散らして少女との間の視界が開ける。
否、開けるはずだった。
静が球体状のシールドを展開し、その内部を黒雲によって満たしていなければ。
「――なに!?」
暴風の魔法を発動させたメイドが思わず反応した次の瞬間、内部を黒雲で満たされたシールドが勢いよく飛行して、それに対してとっさにそばにいた執事が反応し、同じくシールドが展開されて二つの障壁同士が激突する。
「ぐ……!!」
(――流石に、【神造人】本人を狙うのは無理がありますか……!!)
激突の衝撃で空中へと跳ね飛ばされながら、静は即座にシールドを解除して内部の黒雲を周囲に広げ、同時に手にした杖から追加の黒雲を噴出させて再びあたり一帯の視界を塞ぐ。
それと同時に、雲の切れ間からチラリと視認したのは、アーシアと名乗る少女の姿をした【神造人】の姿。そしてその手に握られる、本来静のものであるはずが【影人】のドロップアイテムとして出て来た、一台の壊れたスマートフォンの存在だった。
「――完全に予想外でしたよ。まさか私たちのスマートフォンが
いつの間にか【影人】になっていたなんて」
座席と座席の間に着地して、流れるような動きで即座に物陰へと飛び込みながら、しかしその一方で静は雲の向こうの相手に対して滔々とそう語りかける。
自分達のスマートフォンが【影人】に変えられている。
その事実に静が気付いたのは、生憎と全てが終わった後のつい先ほどのことだった。
静と竜昇、二人のすぐそばに突如として現れて、そしてアマンダが殺害される、その決定的な隙を作り出す原因となった二体の【影人】。
動きも攻撃手段も静達によく似たその二体が、なにゆえ、そしてどうやって静達のすぐそばに現れたのかすぐには分からなかった静だったが、【影人】を倒した後にドロップアイテムとして静達のスマートフォンが残されたこと、そしてこのアーシアと言う少女が、眼の前で【影人】を生み出す様子を実際に見せたことでようやく真相に気付くことができた。
「本当に迂闊でした……。考えてみればスマートフォンを利用した盗聴や盗み見なんて、私たちの世界にすらある手口だったのに……。
どうりで私たちの言動があなた方に筒抜けになっているわけです。状況的に見ても、恐らく【影人】に変わったのはついさっきという訳ではなかったのでしょう……?」
予てから疑問には思っていたのだ。
【影人】の存在もさることながら、その【影人】を倒した際に後に残される【ドロップアイテム】とは、いったいどういう存在なのかと。
だが実際に【影人】が生み出される瞬間を目の当たりにしたことでその疑問は氷解した。
要するに、静たちがドロップアイテムと呼んでいたものは、少女がその【鏡の目】とやらを使って【影人】を生み出した際、その素体となっていた物品なのだ。
だから十手を素体にして生み出した【影人】を倒せば後には十手が残り、小太刀を素体にした個体を倒せば小太刀が残っていた。
それこそが、長らく静達の命を脅かしてきた【影人】と、その命をかろうじてつないできたドロップアイテムの、その真相。
物品を【影人】に変えることでプレイヤーと戦わせる敵を作り出し、それらは倒されることで元となった物品をドロップアイテムとしてプレイヤーに明け渡す。
この【不問ビル】におけるゲームシステムの【敵】作成担当にしてドロップアイテムの担当。
そして何より、プレイヤーの誰もが持っているだろうスマートフォンを【影人】に変えての監視こそが、この【神造人】でありゲームマスターであるアーシアと言う少女が、このビルの中において担っていた役割の、その全貌だった。
(――問題は、その【影人】に変えた瞬間と言うのがいったいいつのことだったのかと言うことなのですが……、――!!)
静がそこまで考えたまさにその時、黒雲の先から何かが輝くのがかすかに見えて、静が隠れ潜む座席の影の、そのすぐ上空を一直線に通り過ぎていく。
静の目が捉えることができたそれは、その金属の表面が鏡のようになるまで磨き上げられた奇妙な手裏剣。
そしてその表面に写り込んだ、明らかにそこに写っていてはいけないはずの、こちらを覗き込む少女の姿だった。
(――しまっ――!!)
思った次の瞬間、静が上に着ていた長袖のジャージと、右手に装着した籠手が突如として動き出し、右腕を引っ張るような形で地面へと無理やりに引き倒す。
「――か、は――」
着用していたジャージに上半身を締め上げられて、静の灰から空気が漏れる。
床にぶつかる衝撃がその全身を駆け抜けて、それでも静が直後にはなんとか身をよじって、そのまま全身を拘束される事態を回避しようとして――。
「――物品に生命を注ぎ込む。
魂を偽造し、精神を捏造して、命なき物品を一個の生命へと変化させる。
それこそが私、【神造人】アーシアが持つ【神造物】、【模造心魂】に設定された権能。わたしのこの鏡の目が持つ能力」
「――!!」
突如として、声のする前方からではなく背後から強風が吹き抜けて、それによって吹き散らされた黒雲の向こうから、今まさにアーシアと名乗った少女が姿を現す。
当然、黒雲が吹き散らされて晴れてしまえば、少女の鏡の目が写す視界を遮るものは何もない。
「――ッ、――グ……!!」
アーシアの目に見据えられたことで身に纏う衣服や装備に次々と命を吹き込まれ、全身から一斉に黒い煙が噴き出して静の体を地面に抑え込む。
唯一、右手に握っていた【始祖の石刃】だけはなに故かその被害を免れたようだったが、それが慰めになるほど状況は甘いものにはならなかった。
あるいは、着るものに難儀して水着で活動していたころなら衣服を犠牲に拘束を抜け出せたのかもしれないが、今の静は全身キッチリと装備を固めてしまって支配下に置かれた衣服を脱ぐことすら難しい。
(抜け出すのは――、不可能ですか……)
否応なくそう理解させられながら、それでも静はなんとか首を動かして自身を制圧した少女へと視線を向ける。
そうして見えたのは、変わらずこちらを見つめる少女と、その背後に鎮座する、この場にあるモノとしては酷く奇妙な物品。
「それは……?」
「――ああ、この娘ね。もう戻って良いわよミラーナ」
思わず漏らした疑問の声に、少女が口元に笑みを湛えながら背後のそれへと呼びかける。
そこにあったのは、明らかにこの場に置くには不釣り合いな、少女の背丈より大きな一枚の姿見鏡。
そんな物品が、少女に声をかけられた次の瞬間には赤い核を表出させて、直後に鏡そのものが核の中へと飲み込まれて、かわりに黒い煙のような魔力が噴き出し見覚えのある姿を形成していく。
現れるのは、先ほどから少女に付き従って護衛を果たしていたメイドの姿。
「……!!」
「――対象に命を吹き込む【神造物・模造心魂】。
けどこの権能には最初からそう設定されているのか、それとも作った神様にとっても想定外のものなのか、ひとつ面白い副次効果があってね……」
同時にメイドの傍に立つ少女が自身の手の内を明かして、続けてどこか自慢するかのように己の配下について語り出す。
「この娘はもともと、対になるもう一つの鏡との間で、鏡に映る映像をやり取りすることができる【会わせ鏡】と呼ばれる通信法具。――まあ、あなた達でいうところのテレビ電話みたいなものだったんだけど、肝心の対になるもう一つの鏡が失われたことでその機能が使えなくなって、長らくただの鏡として使われていたような物品でね……。
けど、そんな来歴がどんな影響を及ぼしたのか、魂を得て、【擬人】となった彼女には、他のいかなる鏡との間でも映像のやり取りができる、そんな権能に限りなく近い力が芽生え、備わっていた」
(……!!)
告げられたその言葉に、静は即座に先ほど飛来し、静のいるすぐそばを通り過ぎて行った手裏剣の存在を思い出す。
恐らくはその表面を磨き上げることで鏡の代わりとしていたのだろう。
【影人】化させることで獲得した他の鏡面と映像を繋ぐ能力と自身の【神造物】の力との組み合わせ。
そしてそんなことができるというなら、その使用手段は戦闘中だけには限られない。
この敵二人が鏡を用いることで距離や位置を無視してその権能を行使できるというのなら、静にも一つ、自分達のスマートフォンが【影人】に変えられたタイミングに心当たりがあった。
「……どうりで、覚えがないわけです……。わたし達のスマートフォンに、貴方が細工をしたタイミングについて……。
あなたは、あのエレベーターに私たちが乗ったタイミングで、その鏡越しに私たちのスマートフォンに細工をしていたのですね……!!」
鏡と言われて初めて思い出す。
静達が訪れた【不問ビル】その一階で最初に乗り込んだあのエレベーターの内部には、今思い返してみれば確かに扉の正面にあたる位置に一枚の鏡が存在していたことを。
恐らくはあれこそが、【不問ビル】に乗り込んだ人間に最初に仕込みを行うための仕掛けだったのだろう。
考えてみれば、もともとエレベーターの中と言うのは鏡が設置されているところが多く、それなりのサイズの鏡があったとしても違和感がない場所だ。
加えてエレベーターに乗る時、人間は大抵扉の方に向かっていて、鏡には背を向けているため隙を晒しやすい傾向がある。
鏡を設置するうえでも隙の突きやすさと言う点でも、これ以上好条件な場所は他に無い。
「――あっは、察しがよくて助かるわ。おかげで種明かしの手間が省けたかしら」
「でしたらお嬢様。そろそろこちら、片づけてしまってよろしいですか?」
笑う少女に対して静の背後から、恐らくは先ほど静の黒雲を吹き飛ばした魔法の術者なのだろう、鏡から変じたメイドとは違う、眼鏡をかけた別のメイドが現れて判断を求める。
こちらについても、【影人】達が物品と人型の使い分けが可能と知った今ならその正体について推測することはそう難しくない。
恐らくこのメイド、先ほど飛来して静のすぐそばを通り過ぎて行った、あの鏡代わりに使われた手裏剣の【影人】なのだろう。
先ほどまでは武器の形で誰かが保有していて、仲間の手を離れたことで人の形をとって動き、今こうして参戦してきているのだ。
(応用の幅が広いなんてものではない……。
しかもこうなって来ると、三人組と見なしていた相手の人数も相当に怪しくなって来る……)
なにしろ、【影人】達が物品と人間の形態を使い分けられるということは、同じように武器の形態に化けて他の誰かに装備されているという可能性が常につきまとってくるのだ。
これまで戦ってきた個体と比べても上位に位置するだろう実力を誇り、これまでになかった高い知能と、そして【神造物】由来の特殊能力まで併せ持つ上級の【影人】に、この上さらに追加戦力がいるという可能性。
否、それ以前に。
そもそもこのアーシア一人がいるだけで、静達は装備を彼女の配下に変えられて、そして低位の【影人】を無尽蔵に投入されることになってしまうのだ。
人海戦術と言う意味では、以前戦ったハンナ・オーリックのそれが思い出されるが、恐らく少女のそれは魔力量による制限がない分はるかに始末が悪い。
否応なく確信させられる。
こんな相手、現状の静達の手札では到底対応しきれない、と。
目の前のこの相手は、静一人の力では倒し得ぬ怪物であるのだと。
「――そうね。そろそろ大まかな種明かしは終わったかしら……。
人間は嫌いだけど恨みはないから、それなりにメイドの土産? と言うのは持たせてあげたつもりなのだけど」
そうして、やがて少女は少し考えこむようにしてからそう言って、彼女のそんな言葉に静の背後で眼鏡のメイドが魔法発動の構えを見せる。
「――く――」
危機の到来に、なんとか身動きをとるべく静が自身を抑え込む全身の装備へと力を籠める。
だが本来静のものであるはずの装備は、主であるは静にほとんど身動きを許さない。
ただもがく静の体が僅かに揺れて、そんな静を抑え込もうと装備の各所から黒い煙状の魔力が僅かにその勢いを増して――。
直後、背中側から漏れていたその煙の端に、ほんのわずかに、まばゆく輝く火が付いた。
「――へ?」
「――む?」
「お嬢様――!!」
執事が叫んだその瞬間、静の衣服から漏れだす黒い煙を伝って、装備と静の全体へと一気に炎が駆け巡る。
「――なッ!?」
驚く少女の声が耳へと届くが、もはや火の勢いは一切止まらなかった。
炎が煙から煙へと燃え移り、それを発する赤い核が、そして静自身がなす術もなく炎に飲み込まれていく。
「――嘘、なんで――」
思わぬ光景に、眼の前の少女が執事に抱えられて後退しながらそう叫ぶ。
「なんであんたが、【裁きの炎】の恩恵を受けてるのよ……!?」
そうして炎に全身を飲み込まれながら、しかし静自身は火傷一つ負うことなく、【影人】を形成する核と煙が焼き尽くされたことで自由を取り戻して立ち上がる。
そのうえで口にするのは、先ほど相手が行った種明かしに対する返礼のような言葉。
「さっきこの場に飛び込んでくるとき、ついででしたのであの炎を見えにくい位置に付けてきたのですよ。ちょうど髪の毛に隠れる襟元あたりに……」
自身の首の後ろを指し示しながら、静は何でもないことのようにあっさりと自身の仕込みを明らかにして見せる。
とは言え、それが口で言うほど軽い話でないことはこの炎について知るモノならば誰の目から見ても明らかだ。
「そんな、馬鹿な話……。あなた達、さっきまで敵対していたはずなのに……!! 自分自身が、その炎で焼き殺されるとは思わなかったの……!!」
「ええ、ですからその部分が最大の賭けでした。なにぶん話し合いの時間はありませんでしたから、半ば押し売りのように共闘の申し込みをしなくてはいけませんでしたし」
この場に駆け付けると決めた次の瞬間、静はほとんど迷うことなく石刃から変じた杖先で付近に燃えていた炎を拾って、静の動きに気付いたオルドに見せつけるように襟元へと点火して、その行動だけをメッセージの代わりにして、自身に火をつけるという命のかかる賭けに挑んできていた。
一歩間違えば自身が燃やされる。
否、それどころか、ほんのわずかに意思の疎通がかみ合わなかっただけで命に係わる。
そうとわかったうえで静はこの場に炎を持ち込むべく勝負を挑んで、その掛け金として躊躇なく自分の命を賭けた。
幸いにして、現在のところ静は焼き殺されるようなこともなく、どうやら静のその意図はオルドにある程度正確に伝わっていたらしい。
唯一、襟元に付けていた炎がオルドと戦っていた時に比べてほとんど燃え広がらなかったことについては計算外だったが、これについては炎を隠し玉にしたいという静の意図を読んでくれたということなのだろう。
あるいは寸前まで敵だった静があちこちに炎をばら撒くことを警戒したのかもしれないが。
いずれにせよ、直前までの静達とオルドの関係を考えれば十分すぎる共闘体制と言えるだろう。
「ふふ……、流石に組み伏せられても【影人】に火が燃え移らなかった時には慌てました。恐らく核や煙が火にうまく接触してくれなかったのでしょうが、なかなか、実際にはうまくいかないものです」
言葉とは裏腹に慌てた様子など微塵も見せぬまま、どこまでも軽い調子であっさりと静は自身の手品の種を明らかにする。
とは言え、どれだけ軽く語られてもその選択の異常性は語るまでもなく明らかだ。
「――ホンっと、これだからオハラは嫌なのよ……。
命がかかった局面で、平気でその命を捨てにかかるような、イカレた決断を下して放り込んで来る……」
「おやおや、どうやら相当に嫌われてしまったようですが……。
――ところで、のんきにそんなことを言っていてよろしいのですか?」
と、問いかけたその瞬間。
静と相対する少女の背後、今だ黒雲が残留し、立ち込めるその中央から純白の柱が勢い良く伸びてそびえ立つ。
「な……!!」
同時に周囲、立ち込めていた黒雲が生じた風圧によって雪へと変わりながら吹き飛ばされて、瞬間的に生じた吹雪のその中央で、冷気の奔流を掲げた小柄な人影が炎に包まれて姿を見せる。
「すでに私がこの場に炎を持ち込んでいるのです。あなた達への対抗手段になりうる人物に、私がその火を移していない訳がないでしょう」
「ッ――、お嬢様――」
「送りなさい、今すぐ――!!」
その瞬間、ここに来てすぐ移した炎によって自由を取り戻たセインズが、その剣から発する純白の奔流をまっすぐにこちらへと振り下ろし、巨大な冷気の一撃が静達のいる観客席の一画をまとめて飲み込み、埋め尽くす。
殺せるものも殺せぬものも、その全てを凍結の中へと閉じ込めるために。




