246:ゲームマスター
オルドがそうであったように、セインズもまた我に返ったその時には、今この場でなにが起きているのか、その状況を詳細に把握していた。
壁一面に術式を刻み込み、それをセインズ達の意識と接続することで幻の世界に閉じ込め、そして死に際に重大情報を投げてよこした、どこまでも奇妙な老婆のおきみやげ。
それが自身を殺した相手への嫌がらせだったのか、それともそれ以外の、この場にいる誰かへのなんらかの思い入れから来る行動だったかは定かではなかったが。
少なくともアマンダが直前まで戦っていたあの二人とは別の敵に殺されたこと、そしてその敵が【神問官】と言う、事前に予想されていた中でも最悪の相手である可能性についても、セインズはそもそも我に返ったその瞬間からすでに把握できていたのだ。
故にセインズは、現実へと回帰したその直後、直接的な戦闘はオルドに任せて、自身は身を潜めたまま奇襲の準備を整えた。
そのうえで、オルドが相手の動きを封じるその瞬間を待ち構え、実際にその瞬間が訪れたのを皮切りに整えていた準備を一気に相手へと目がけて叩き込んだ。
「【神の氷寵】――!!」
選択したのは、単純な破壊ではなく相手の動きを封じる意図での氷属性。
剣と柄、そして鞘を合わせた最大出力でもってして、味方であるオルドや目を付けていた静ごと氷漬けにする覚悟でその極大の界法を発動させて、剣を軸にして発生したその純白の閃光を容赦なく狙う男の元へと振り下ろして――。
――否、実際にはそれは、振り下ろそうとした、と言うべきだろうか。
(――? なんだ――!?)
準備した界法を叩き込むその瞬間、振り下ろす剣の切っ先が何かに引っ張られるように大きくずれて、全てを凍結させる白い閃光が見当違いの方向へと放たれる。
「――ッ」
それは準備を万端に整えていたセインズにとって、完全に予想外と言っていい最悪の事態。
「――!? なんだ、なにをしている、セインズ――!!」
決め手となる攻撃が狙いを外し、見当違いの客席に向けて放たれたその状況に、彼方のオルドが流石に慌てたように声をあげる。
だが、生憎と当のセインズの方は、はっきり言ってそんな声に応じられるような余裕は微塵もなかった。
莫大な冷気の奔流を放出しながら、剣がまるでセインズの手から逃れようとするかのように暴れ出す。
まるでその切先と冷気の奔流を上に向けようとするかのように、――否。
まるでその攻撃の矛先を、術者であるセインズ自身に向けようとしているかのように。
(これは――、一体、何をされているんだ……!?)
最初こそ何かに引っ張られているような感覚だったがどうにも剣の動きはそれとも違う。
だからと言って、なにかの力をぶつけられて剣先を逸らされているのとも決定的に異なる、まるで剣自体がセインズに逆らおうとしているかのような奇妙な動き。
(とにかくこれ以上は――。仕方がありません)
決定的な攻撃のチャンスをフイにしてしまうことを自覚しながら、しかしこれ以上は危険と見て、セインズは自身から放つ【聖属性】の法力で冷気の放出を解除する。
同時に、剣を手放してすぐさま背後へと飛び退くと、腰の後ろに手をやって、そこに吊るした延長柄を二本同時に掴み取る。
「――そこです」
自身に逆らい、迫る愛剣を左手に握った【鉄属性】の柄、その先端から伸びる刀身で受け止めて、同時に右手の【炎属性】の柄を後ろに向けて立て続けに炎弾を発射する。
碌に相手の姿を確認すらしないままの、ただ直感に任せただけの闇雲な射撃。
案の定そんな攻撃は、現れていた人影の一つが前に出て、シールドを展開したことで難なく受け止められてしまった。
ただし――。
(――敵は、三人……!!)
そうして、炎弾の弾幕を敵が防御する間にもセインズは止まらない。
生じた僅かな隙を突いて、セインズは持ち主もないまま闇雲に斬りかかって来る剣を片手でさばいて弾き飛ばすと、即座に踵を返して炎弾の爆炎に紛れるようにしながらシールドを展開したその敵へと斬りかかる。
【聖属性】の法力で敵のシールドを解除して、無防備になった盾役を一人、まずは斬り捨ててしまおうと、容赦なく爆煙を突き破って距離を詰めて――。
(――!?)
だがその寸前、そんなセインズの動きを読んでいたのか、同じように爆炎を突き破ってきた男がその間に割って入って、手にした武骨な鉈でセインズの法力剣を正面から受け止める。
「……!!」
現れたのは、鋭い目つきにメガネをかけて、そのうえで燕尾服を纏った執事のような恰好をした男だった。
見れば、その後ろに立つのは侍女らしき格好をした女で、その背後に一際背の低い、この場にいるのが不釣り合いな少女がこちらを睥睨するように立っている。
(この二人が執事と侍女と言うことは、この方が二人の主人なのでしょうか……?)
そこにいたのは、年齢と容姿に反して酷く派手な格好をした一人の少女。
年齢的には恐らくセインズと同程度。
令嬢と言うには酷く露出が多い派手な服装で、その全身にまるで鎧のように大小さまざまな金属製のアクセサリを飾り付けている。
とは言え、見た目の年齢は恐らくそうあてにはならない。
なにしろ、敵には不死不滅にして不変の性質を持つ【神問官】が存在しているのだ。
そしてセインズの直感が正しければ、眼の前の三人もまた恐らく尋常な人間ではない。
「まったく、あっさりと居所を探し当てたかと思えば問答無用で斬りかかって来るなんて……。これだからオハラの血族は可愛げがないわ」
「――あなたも、あそこにいる方と同じ【神問官】ですか?」
「【神造人】か、と問うならその通りよ。名前はアーシア。長い付き合いにするつもりは毛頭ないけど、ひとまずよろしくと言っておくわ」
「長い付き合にする気はない、ですか。なるほどそれは奇遇です、ね――!!」
そう言った次の瞬間、執事に鉈とばぜり合いを繰り広げていたセインズの剣、その魔力でできた刀身がセインズの【聖属性】の法力を浴びて粉々に砕け散る。
「――ッ!?」
鋭く尖った、細かい破片へと変じた刀身の破片が執事の男の全身へと浴びせかけられ、それらを正面から浴びた男の全身を切り裂いて、男の右目を含めた体の各所に容赦なく突き刺さる。
常人ならば間違いなく血塗れになり重傷を負う、下手に殺傷能力自体は低い分むしろ残虐な攻撃。
だがそんな攻撃をもろに浴びて、執事の男が空中に散らすのは赤い鮮血とはまるで別のものだった。
「――ッ」
(黒い煙、やはりこの相手は――!?)
傷口から漏れるその煙のような何かにセインズが相手の正体を理解した次の瞬間、しかし突如としてセインズの全身に何かがまとわりつき、そのまま引っ張られるような感覚が襲い掛かる。
半端な攻撃ならば初動で察知し、易々と対処できてしまうはずのそんなセインズが、しかし今はなす術もなく転倒して、そのまま地面に引き倒される。
体にまとわりつく者など、傍から見ればどこにもいないにもかかわらず。
その全身、もっと言うならその装備の各所から、黒い煙のようなものをわずかに漏らして。
(――この、感覚……。さっき剣を奪われた時と同じ――)
地面にたたきつけられる衝撃をわずかな身じろぎだけで緩和して、同時に全身から立て続けに【聖属性】の法力を放ちながら、しかしセインズを引き倒したその力は一向に弱まる気配が見られない。
それはつまり、セインズを地面に取り押さえているその力が法力、もっと言えば界法によるものではないということであり、それが意味するのは、つまり――。
「――無駄よ。貴方の力がどれだけ【界法】に対して相性が良かったとしても、【界法】よりも上位の、法則そのものである【神造物】の権能までは無力化できない」
「――これは、貴方の仕業ですか」
投げかける言葉に、セインズは動かせる視線だけをその声の主である少女に向けて、この相手から少しでも情報を引き出そうと会話と観察を試みる。
そうして姿を視界にとらえて、まず気付いたのは外見上の些細な変化。
(この人、目の色が――)
こちらを見据える少女の瞳、先ほどまで何の変哲もない黒に近い茶色だったその瞳の色が、しかし今はあまり見られない奇妙な色に変わっている。
それは強いていうなら銀に近い、しかし銀と呼ぶにはあまりにもセインズの姿を映しすぎる奇妙な色合い。
まるで鏡のような、通常の瞳よりもはるかにはっきりとこちらの姿が映り込んでいるのがわかる奇妙な瞳に、少女の目ははっきりそうとわかるほど明確な変化を遂げていた。
(――義眼、それも生身の眼球と区別のつかない、生体義眼の【神造物】でしょうか……?)
分析しながらも拘束から脱しようともがくセインズだったが、しかしそこに誰かがいる訳でもないにもかかわらず、セインズはその組み伏せられたような状態から動けない。
かわりに、まるでそれこそがセインズを抑え込む力を発揮しているかのように抑え込まれた体の周囲で黒い煙が湧き出して、それらが奇妙なまでにまんべんなく、少年の体全体に圧力をかけてくる。
「動こうとしても無駄よ。私の【鏡の目】を前にすれば、例えオハラの血族であっても絶対に私には敵わない。そもそも人間であるというその時点で、あなた達の大半は私に対して覆し難いハンデを背負っているのだから」
そう語る少女の目の前で、先ほどの執事の男が負傷した肉体を再生させつつ、手にした鉈をセインズ目がけて振りかぶる。
正しく身動き一つ取れないそんな中で、恐怖の表情一つ見せないオハラの少年が、それでもなすすべなくその命を断ち切られようとして――。
「――おや、ずいぶんと興味深いお話をしていますね?」
突如、背後のグラウンドからそんな声が割り込んで、同時に一人の少女が横から激突するようにシールドを展開しながら|落ちて(飛んで)来た。
直後シールドを解除した少女が手の中の武器を弓から杖へと変えて、その煙管のようになった先端からどす黒い雲をまき散らす。
「――ッ、もう一人のオハラ――!!」
周囲の視界が黒雲に遮られる中、少女の声が忌々し気に響いて、同時に組み伏せられたセインズのすぐ横に覚えのある気配が着地する。
「とても面白そうなお話です。よろしければ私にもその続き。聞かせていただけますか……?」
「――少々、意外な行動だ。まさかこの局面で、わざわざお前たちが参戦してこようとはな」
セインズの元へ静が参戦していたのと同じころ、ルーシェウスの目の前にも別の人間が割り込み、参戦を果たしていた。
自身の周囲に雷球を展開し、右手で握る杖先から黒雲を噴出させた互情竜昇が。
「退く意思はないのか? 今ならばまだ、あえて命までは奪う気はないぞ」
「――生憎と。お前にはまだ、この場で聞いておかなくちゃいけないことがある」
最後通牒のようなその言葉に、意を決してそう言い返す。
未だ不死身のこの相手に対抗する手段など、何一つ持ち合わせていないそのままで。
それでもここで退くわけにはいかないと、そんな意思だけを胸に抱いて。
「――ずっと、疑問に思っていたことがある。俺達プレイヤーに精神干渉への耐性があるとして、なぜそんな操りにくい存在を、わざわざ【決戦二十七士】にぶつけるようにして使うのか」
予てからそれが竜昇の中でずっと疑問だった。
そもそも、【決戦二十七士】を排除する道具のように使うなら、竜昇達のような耐性持ちの人間よりも、耐性を持たない普通の人間の方が使いやすいはずなのだ。
精神干渉によっていくらでも洗脳でき、竜昇達にしたような、悪印象を植え付けて戦わざるを得ない状況に追い込むと言った、遠回りで手間のかかる方法など使わずに済む。
耐性に邪魔されずにスキルの知識を取り込める関係上、耐性持ちの人間よりもスキルの習熟がはるかに速く、また相手に逆らう意思を封殺できる関係上、よりよいスキルの組み合わせをすんなり与えて、習得させられる。
人数として見ても、明らかに数の少ない耐性持ちよりも、耐性を持たない普通の人間の方が該当者は圧倒的に多く、数を確保するのも容易いはずなのだ。
にもかかわらず、そうしたメリットをかなぐり捨てて、わざわざ耐性のある竜昇達を対抗戦力として差し向けるような真似をしているのはなぜなのか。
「――その答えが、さっきアンタたちの会話を聞いててようやくわかったよ。
なんてことはない。アンタたちがわざわざ耐性を持ちを選んでいたその理由は、アンタ達が本当に殺したいその相手が並外れた精神干渉の使い手だったからだ。逆に言えば、その相手を殺そうと思うなら、最低限精神干渉への対抗策が必要不可欠だった」
理に保証された絶対防御を肉体の性能として備え持ち、尋常な方法では傷つけることすら敵わない【神問官】。
だがそんな存在を、恐らくは唯一安定して消滅させられる人物が【決戦二十七士】の中に存在していた。
それこそがあの魔女と呼ばれていた老婆、アマンダ・リド。
限りなく不死身に近い、無敵と言ってもいいルーシェウス達すら無視できなかった、恐らくは唯一と言っていい天敵。
だから画策した。魔女の殺害を。唯一にして最大と言える不安要素の、その排除を。
とは言え、殺害・排除すると言ったところで事はそう簡単ではない。
なにしろ相手は技術レベルにおいて圧倒的に抜きんでた精神干渉の使い手だ。
半端な人間や【影人】を送り込んだところで返り討ちに合うのが関の山。どうかするとその精神を支配されて、あるいは施した精神干渉を解除されて、逆に自分達に対する戦力として取り込まれてしまう恐れすらある。
最終的に、結局は【神問官】であるルーシェウス本人が出向いてアマンダ殺害を実行することになった訳だが、それとて一歩間違えば自分が滅ぼされる恐れのあるリスキーな手段だったのは間違いないはずなのだ。
逆に言えば、ここまでアマンダに近づき、その隙を作ることができた竜昇達の存在が無ければ、あの魔女の暗殺はこの【神造人】達をもってしても困難だったと見ることもできる。
なんにせよ、ここまでくれば導き出される答えはただ一つ。
「――要するに、俺達は【決戦二十七士】に対抗するための戦力じゃなくて、アンタ達にとって天敵となりうるただ一人、あのアマンダって婆さんを殺すための刺客だったてことなんじゃないのか……!?
たった一人の人間を殺すためだけに、お前達はこんなたいそうなゲームシステムを創って、大勢の人間をこんないつ死ぬとも分からない戦場に送り込んだ……!!」
「――なるほど、報告にあった通り勘がいい」
問い詰める竜昇に、しかしルーシェウスの方は眉一つ動かすことなく、ただ淡々と竜昇と言う人間の能力だけを図るようにそんなつぶやきを漏らす。
その姿、行いはどこまでも合理的で、そしてそれ故に無性に腹が立った。
「――答えろ。アンタが――。アンタ達が俺達をこのビルの戦いに放り込んだ、この【不問ビル】のゲームマスターで合ってるな?」
「――然り。不問ビル、ゲームマスターと言った用語は特にこちらで設定したものではないが……。ああ、おまえたちをこの場に送り込んだのは私たちだとも」
そうして、この時初めて竜昇は己にとって真の意味での敵へと向かい合う。
自らの命を脅かし、踏みにじることを厭わないそんな敵へと。
そんな相手を打ち破るその手段すら、今だ持ち合わせていないそのままで。




