245:神問官
――鋭い槍の切っ先が次々と全身を突き破る。
全身の各所に奔る激痛。いっそ心臓を一突きにしてくれれば楽だったのに、闇雲に突き出されたそれ等は何の因果か狙いを外して、致命的なのにすぐには死ねない、地獄のような瞬間を押し付けてくる。
下手くそめ殺すならせめて一息に殺せなぜこんなわざわざ肩だの腹だのすぐに死ねない場所ばかり狙うのだ貴様ら五人も雁首揃えて無能ぞろいめこの上はその首を落として冥途の土産に――。
――空が遠い。
ガボガボと、空気を求める口の中に空気とは違う別のものが流れ込む。
なぜこんな男と命を絶つ道など選んでしまったか、上に行かなければ、それも一刻も早く。
だが遠い、どうしてこうも空が遠いのか、本来ならもっと近くにあの空があったはずなのに。
――嫌、嫌、と口を動かすたびに胸の内に突き刺さるように周りの水が流れ込む。
――空が遠い、光が遠い、まわりが暗い。
――暗くなって、――暗くなって、――暗くなって、――暗くなって、さっきまですぐそばにあったはずの空と太陽が、どんなに手を伸ばしても届かない、遥か彼方へと遠ざかって――。
――やだ、やだ、やだ……。
おかあさん、たすけて、お父さん、たすけて……。
あしになにかがかみついて、かおからじめんにたたきつけられる。
どろりとはなぢがでて、なきながらうしろをふりかえったら、するどいはであしにかみついたいぬと、それとはべつのいぬがおおきくくちをひらいてあたしののどにむかってくるのがみえて――。
――なんでだ、なんでオラを見捨てた。
働けなくなったからか、流行り病にかかったからか……?
だからってなんで見捨てた……。お前らの時、オラは見捨てなかったのに……。
嫌だ……、誰か、水を、水をくれ……。
なんで一人で置いていった、誰か、誰でもいい、誰かいないのか……!!
戻ってきてくれ――、誰か、誰か一人くらい……、一人――。
死の記憶が再演される。
裂かれた喉から血が噴き出す。
驚きの声の代わりに血の泡が、何の前触れもなく、あまりにも唐突に意識が落ちていく。
抵抗も、遺言も、名にも残せないままに、なす術もなく――。
死の瞬間の記憶が、その人間の死に際の思いと共に。
巨大な岩石が降って来る。
逃げ場はない。周りには自分と同じ、鎧で身を固めた兵士たちがひしめき合っていて到底逃げられそうにない。
ただなす術もなく見ている間に。迫る岩石が目前まで迫って、上等とは言えない兜の耐久性を上回る重量が、それを見る俺の顔を――。
再生される。
――男に首を絞められてこと切れる女の記憶が。
――毒を盛られて悶絶し、果てる貴公子の記憶が。
――飢えに苦しみ、緩やかな地獄の果てに終わった少年の記憶が。
そして何より、火にかけられて壮絶な苦痛の果てに焼死する、異端とされた誰かの記お――。
『がァァァぁああああああッッッッ―――!!』
なだれ込む苦痛の記憶に耐え兼ねて、気付けばオルドは神造の炎による焼却を無我夢中で中止していた。
同時になだれ込む記憶の奔流が停止して、自分が今どこにいるのか、なにをしていたのかと言う自覚がようやくオルドの中に戻って来る。
「――……バッ、カな……!! 【思い出の品】による【記憶反撃】、それも死の記憶で、だと……!?」
思い出されるのは【跡に遺る思い出】を扱うオーリック家の者達が開発した【神造界法】の応用手法。
破壊されることによってそれを成した相手に込められた記憶が流れ込むという【思い出の品】の特性を活用し、事前に装備の品にそれらを混ぜておくことで攻撃を受けた際、破壊を引き金に自動的に相手に記憶が流れ込むという、そんな反撃手法の存在だった。
だが一方で、こんな使用法はさすがにオルドにとっても想定外だ。
そもそも【記憶反撃】と言う手法自体、相手に大量の情報を流し込むことで気を逸らして隙を生み出すか、相手の感情に訴えるような記憶を見せることで殺しをためらわせるといったやり口に使われることがほとんどで、流し込まれる記憶がそのまま精神攻撃になるような、常人では耐えられない死の記憶を大量に見せるようなやり方ではそもそも使われていなかったはずだ。
なにしろそんなもの、そもそも記憶を取り込み編集し、【思い出の品】として形成するオーリックの術者たちの方が堪えられないのだから。
だというのにこの男は、そんな死の記憶を無数に取り込み、それらをも込めた装備で全身を固めて、今まさにオルドに対して反撃して来た。
否、そもそも今オルドが驚くべきはその程度のことではない。
「思いのほか音を上げるのが早かったな。元より死の苦痛への我慢比べにはそれなりの自信があったが、己で自覚するより常人との差は大きかったらしい」
そうして膝を付き、荒い息を漏らすオルドとは対照的に、やけに平坦で冷静な声が、先ほどと変わらない調子でそう呟きを漏らす。
炎に焼かれ、その身に纏う装備のほぼすべてを燃やされながら、しかし当の本人は火傷一つ負っていないという、ありえない状態のままのその男が。
「な、ぜ……。なぜ貴様……、我が炎に焼かれて無事なままでいるッ!! いったいっ、どんなイカサマで我が火刑を免れた……!?」
目の前にいた男のその様子に、オルドは消耗した精神でどうにかそんなセリフを絞り出す。
装備が焼かれたことでオルドが反撃を受けたというのは、前提こそ受け入れ難いもののまだ許容範囲内だ。
だが肝心の、火刑を受けたはずの男がいまだ生存し、それどころか火傷一つ負っていないというのはその火刑の炎を操る【火刑執行官】たるオルド・ボールギスには到底許容できない異常事態である。
なにしろ、もしそんな事態が成立しうる余地があるとすれば、その真相はたった一つしか思いつかないのだから。
「なにも難しい話ではない。この程度のこと、貴様たちとて常識として知っているはずだ」
そんなオルドに対して、対する男は炎に包まれたまま、光の粒子で自身の装備を再度生成して身に纏いつつそう語り掛ける。
「【神造物】は破壊できない。これは他でもない、貴様たちが奉ずる神が定めた理だ。そしてその理は、同じく神に造られた存在である【神問官】にも当てはまる……」
「ありえないッ!! 貴様……、言うに事欠いて自身を【神問官】だと宣うのか……!! よりによって、世界に仇なす神敵の身で、神の使徒たる【神問官】を騙るなど……!!」
敬虔なる神の信徒にとって、【神問官】と言う存在は造物主たる神に次ぐ信仰の対象だ。
そしてだからこそ、こんな場所に【神問官】がいるなどあってはならない。
こんな、神と世界に仇なした、その張本人として神の使徒たる【神問官】が現れるなど。
だがその事実を拒絶するオルドに対して、しかし当の男は淡々と、自身の正体をそんな『敬虔なる教徒』へと突きつける。
「――生憎と。……思うところはないではないが、それでも事実は変わらない。確かにこの身はかつて、貴様たちが奉ずる【神問官】であった者だ。
もっとも、今は個人的信条により、あえて【神造人】と名乗っているが」
そう言って、誇るというよりは主張するように、自らを【神造人】と定義したその男は続けて厳かに名乗りを上げる。
淡々とした口調のまま、けれど違えることは許さないと言わんばかりの、そんな口調で。
「――【神造人】ルーシェウス。それこそが、この私が己に付けた、己に課した我が身の名だ。
たとえ神に造られた我が身であろうとも、すでに私は確たる一個の人である」
(――なん、だ、それは……!!)
戦闘の渦中から距離を取り、それでもそれ以上逃げるでもなくその場にとどまっていた竜昇は、オルドと現れた男、ルーシェウスの間で交わされるその会話の内容に言い知れぬ衝撃を受けていた。
突如として現れてアマンダを殺害した男の正体が【神問官】だったこと、それ自体は実のところたいしたことではない。
オルドなど信仰上の理由故かその部分を重要視しているようではあったが、彼らの宗教についてほとんど知らない竜昇達にとって重要な部分はそこではないのだ。
それどころか、アパゴから【神問官】なるその存在について聞きだしたその時点で、神共々その存在が敵として現れる可能性は想定していたくらいである。
信仰心はおろか教義すらろくに知らない竜昇達にとって、【神問官】が敵として現れるというそのこと自体はたいした問題ではなかったと言っていい。
むしろ問題なのは、同時に語られたもう一つの事実の方だ。
(【神造物】の破壊できない理……。そんな理に守られた存在なんてそんなもの……、いくらなんでも、反則が、過ぎるだろ……!!)
攻撃を受けても傷一つつかないというのはある種の絶対防御に近いモノなのだろうが、その防御性能の根底にあるのが、『ただそう決まっているから』と言う理によるものであるというのはいくらなんでも反則的だ。
なにしろその場合、このルーシェウスと言う相手は本当にいかなる手段を用いても、倒すことはおろか傷一つ付けられないということになってしまうのだから。
これがなんらかの特殊能力の作用によって絶対防御が成り立っているのなら、まだしもその能力の穴を突くことで勝利できる可能性もある訳だが、そもそも『破壊』と言う結果にたどり着けない、傷一つ付けられないとなってしまうと本気で竜昇達にはなんの打つ手もなくなってしまう。
(どう、すればいいんだ……。せめて傷を負っても再生するって言うならまだしも……。完全に、そもそも傷つけることができないなんて、そんな奴……!!)
そうして、竜昇が現れた敵の脅威度に戦慄するのをよそに、炎の中心で繰り広げられる事態が新たな展開を見せ始める。
最初に生まれた変化は、意外にも現状相手を圧倒しているはずのルーシェウスが、わずかに眉を顰めると言うそんな反応。
「――どうにも、奇妙な反応だな。
先ほどからの貴様の反応、まるで敵が【神問官】であることを微塵も予想していなかったような物言いだ。
だが、そんなはずがない……。
少なくもあの魔女を牢獄の奥から引っぱり出してきた以上、おまえたちの中にこの事態を予想していたものはいたはずなのだから」
「なに……? なにを言っているのだ、貴様――」
「――いかに破壊できない、不死不滅の存在とは言っても、実のところ我ら【神問官】を滅ぼす方法は簡単だ。
我ら一人一人に課された【神問】、【神造物】の所有者を選ぶためのその試練を突破してしまえばいい。
さすればその者は【神造物】の所有者と認められ、【神問官】はその使命を完遂することで、理に従い勝手に消滅することになる」
(……!!)
あっさりと語られる、無敵と思しき敵を滅ぼすその方法に、竜昇は声をあげそうになるのを必死にこらえて瞠目する。
【神造物】とそれをもたらす【神問官】の存在、それにつてはアパゴから聞き出す形で知っていたが、しかし【神造物】の持ち主を選ぶことで【神問官】が消滅してしまうというのは初めて知る情報だった。
それが何を意味するのかについて、竜昇自身頭をよぎる感情がないでもなかったが、しかし今はルーシェウスが語る言葉の方が情報としての価値が高い。
「無論これは狙ってできるものではない。
【神造物】の持ち主として選ばれるにはそれ相応の適性が必要になる上、あらかじめ試練の内容が判明していなければそれを突破できる存在を用意することなど不可能だ。
仮に【神問官】を意図的に葬ろうと思うなら、相手の試練の内容について知り、その試練を突破できる人員を用意する必要がある訳だが……。
だがそうした前提についても、ことあの魔女がいるとなれば少々事情が変わって来る」
そう言って、ルーシェウスはチラリと、先ほど自身が殺めた老婆の死体へと視線を向ける。
表情を変えぬまま、けれど彼女を殺害できたことに心のどこかで安堵しているかのように。
「魔女・アマンダ・リド。この世で唯一、【神造物】に相応しい適性を示すのではなく、精神干渉によって【神問官】に錯覚させることで【神造物】をだまし取った外法の魔女。
およそ褒められた手法ではないが、かの魔女であればいかなる【神問官】であれ滅ぼしうる切り札たりうる。
そんな魔女を牢獄の奥から引き出しておいて、火刑執行官たる貴様がその狙いに気付かぬはずがない。
となれば、貴様が見せるその態度は――」
「――ああ、そうだとも……!!」
その瞬間、直前まで追及を受けるばかりだったオルドが胴間声をあげて立ち上がり、暴風の魔力と合わせてその手のメイスを力任せに振り下ろす。
とっさにその一撃を回避したルーシェウスに、あろうことかオルドはメイスを手放すと、そのままメイスが地面に直撃してまき散らされる土砂とともにルーシェウスの体に掴みかかる。
「――知っていたさッ!! 信じたくはなかったが、この件に神の使徒が関わっている可能性くらいは……!!」
掴みかかって、そのまま柔術じみた動きでルーシェウスを地面に引き倒す。
まるで相手を倒すというよりも、その動きを自身の体で封じるように。
「――そして侮るなよ。あんな魔女に頼らずとも、不死足るその身に対抗する術くらい用意している……!!」
そう言うのとほぼ同時に、離れた客席付近で巨大な魔力の気配が膨れ上がり、同時に純白の光が柱のように天井目がけてそびえ立つ。
「侮りが過ぎたな【神問官】……!! その身が滅ぼせぬ不滅のものであるというのなら、動きを封じて滅ぼす手段の用意を待つだけの話……!!」
それは氷属性の延長柄を接続され、鞘へと納められた聖剣が放つ規格外の輝き。
刃を封じる代わりに、接続された術式を最大化して放つ、【聖属性】を持つ小原の少年だけに許された規格外の極大術式。
「――ッ、竜昇さん――!!」
竜昇の傍で静が声をあげた次の瞬間、観客席から氷の閃光が振り下ろされて、範囲内の全てを凍てつかせる氷結の奔流が視界の全てを白く染め上げる。
およそ敵も味方も関係なく、範囲内にいる者すべてを巻き込む、そんななりふり構わぬ最大の規模で。




