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難攻不落の不問ビル ~チートな彼女とダンジョン攻略~  作者: 数札霜月
第六■  炎上到達のシンソウ域
243/327

242:火中の本音

 誰もいないドーム球場の中を二人の少女が駆けている。

 客席から裏手へ入り、入り口や売店などが並ぶ広い通路に出て周囲の様子をうかがいながら。


 必死になって走り、足を止めては目的の場所を探しながら、それでもなおその場所を見つけられずに、焦りを帯びた表情でさ迷い駆ける。


「――ハァ、――ハァ、――ハァ、ぁ――」


 走るその中で足をもつれさせ、後ろを走っていた理香があえなく前へと倒れ込む。

 とっさに突いた手、ついた膝から床へと炎が燃え移り、熱のない炎がその範囲を広げて、広いはずのドーム球場の一画から理香たちの逃げ場を今また微かに食いつぶす。


「――ハァ――、ハァ――、ハァ――ッ!!」


 走った距離と勢い以上に呼吸が荒くなる。

 いくら熱を感じず、火傷をはじめとした一切のダメージはないと言っても、全身を炎に包まれて、他者に命を握られているというプレッシャーは相当なものだ。


 なにしろ今こうしている瞬間にも、理香を包む炎がその本来の熱を発して、人間一人を焼き殺す残虐な火刑となって理香自身に牙をむくかもしれないのだ。


 その想像を絶する、苦悶の果ての最後のイメージが、それがいつ来るかわからないという恐怖が、実体のない重圧となって理香の精神をじわじわと炙って追い詰める。


「リカさん――」


「来ないでください――!!」


 とっさに駆け寄ろうとする詩織に、理香は反射的にそう鋭い言葉を投げつける。

 炎に包まれているにもかかわらず、まるで内蔵全てを氷と取り換えられてしまったかのような冷たい感覚を抱えながら、それでも理香が口にするのは精いっぱいの虚勢の言葉。


「迂闊に、近づかないで、ください……。あなたにまで、この炎が燃え移ってしまったら、それこそ本末転倒ですから……」


 一度点いたら消すことができない以上、ここで最悪なのは理香の体で燃える炎が他の誰か、この場合は一番近くにいる詩織にまで燃え移ってしまう展開だ。


 それだけは、例えなにがあったとしてもそれだけは避けなければならない。


 仮にこのまま焼き殺されることになったとしても、どれだけの苦痛の果てに最後を迎えることになるとしても、それだけは――。


 ――否。真に合理性を突き詰め、最善の判断を行うなら、そもそも近づく近づかない以前に、詩織には求めるべき決断があるのではないのか。

 もしこれ以上の被害を食い止めようと思うなら――。

――今理香が言うべきことがあるとすれば、それは――。


「――……もう、行ってください」


「――え?」


「――行ってください、詩織さん……!!」


 声が震えないように押し殺し、理香は必死の思いでその言葉を紡ぎ出す。


「ここに置いて行ってくださいと、そう言ってるんです。……いくらなんでも、この状況で私は連れて動くのはっ、リスクが、高すぎますから……。

 ――だいたいっ、竜昇さんや、静さん達にだって、私一人を救うために、あんな危険な三人との交戦を余儀なくさせているんですよ……。もはや私は、私の足手まといぶりは、私自身が目に余るとさえ思う、レベルです……!!」


 いい加減、他ならぬ理香自身がうんざりするほどだった。

 特にウォーターパークを後にしてからの理香の足手まといぶりは、もはや酷いという言葉ですら物足りない。


 誠司と瞳の死を引きずって、常に戦うことに対しては消極姿勢。

 無理やりにでも戦いに参加しようとすれば返り討ちに遭いかけて足を引っ張り、挙句相手を刺激しないよう秘匿しておくはずだった静の名字すらも、他ならぬ理香自身が口を滑らせて漏らしてしまう始末だ。


 二人の死の影響など言い訳にもならない。

 いったいここに来るまでのわずかな間に、他の三人にどれだけ迷惑と負担をかけてきたことか。


 けれどダメなのだ。

 わかっていても体が、なにより心がもう動かないのだ。


 少しでもなんとかしなければと思う度に胸を貫かれる瞳の姿が、あとになって目の当たりにした誠司の遺体が頭をよぎって、酷い無力感が、諦めの感情が泥のように胸を満たして何もできなくなってしまう。

焦燥も、使命感も、理香の中の全ての感情を汚泥のような絶望が飲み込んで、動かなければ、何とかしなければという理香の衝動を暗い絶望の内へと引き戻す。


 いくらなんでも、足手まといにもほどがある。

 正直言ってこんな自分を今まで見捨てようとしなかった竜昇達の寛容さが理香には信じられないくらいだ。


 こんな人間、もしも理香なら迷うことなく置いていく。

 そしてそんな判断こそが、今この場では間違いなく正解であるはずなのだ。


「――だから、行ってください。私のことは、もう、見捨てていただいて結構です……正直、もうすっかり生きる気力もわかない身の上です。この上足手まといになるくらいなら、ひと思いに切り捨ててもらった方がお互いの――」


 そう言って、なんとか頭を回して詩織を説得しに用途考えていたそんな時。

 唐突に乾いた音がして、理香の頬に炎とは違う熱が灯される。


「――ぁ、ぇ……?」


 そうして、呆然と理解する。

 いつの間にか自身の元まで近づいてきていた詩織が、その掌で容赦なく、それこそ自身に炎が燃え移るのもいとわずに理香の頬を張りとばしたのだということに。


「――嘘、つかないでよ……」


「――あ、火が――」


「さっきから足が震えてるくせに――」


「詩織さん、火が――」


「本当は怖くて仕方ない癖に……!!」


 決して消えない炎が燃え移る。

絶対に避けなくてはならなかったその事態に顔色を青くする理香に対して、詩織は自身の掌で燃える炎にわずかに眉をしかめただけで、半ば割り切ったかのように己の言葉を叩きつけてくる。


 まるで悔やんではいても、それでもこちらに比べれば優先順位は低いとでも言わんばかりに。


「見捨てて結構なんて……、生きる気力がわかないなんてそんなの嘘だよ……!! 本当は死ぬかもしれないっていうこの状況が怖くて仕方ない癖に……!! 焼き殺されるかもしれないっていうそんな未来におびえてるくせに……!! 嘘ついて、自分を騙してまで、私たちに見捨てて行かせようとして――!!」


「――じゃあッ、じゃあ、どうしろって言うんですか……!!」


 自身の中の最後の思惑が脆くも崩れ去り、燃え盛る身の内からせきを切ったように抑えていた感情があふれ出す。

 なんで台無しにするのだと、そんな覚悟を台無しにされた苛立ちが、噴火するように。


「これ以上、足手まといになんてなりたくなかったのに……。せっかく一人で、終わる、覚悟を、決めたのに……!! なんで、貴方はそうやって……、いっつも、思い通りに動いてくれない……!!」


 せっかく火が燃え移らないよう気を付けていたというのに、それを自ら台無しにしてしまった詩織の行いに、もはや理香の中の打算も合理性もまともに機能しなくなっていた。

 そうして最後に残ったのは、最良どころか次善とすらとても呼べない、どこまでも最低な本音の感情。


「――ええ、そうですよ。わかってますよそんな私の体たらくくらい……!! 

知ってますよ……。さっきから私の足が震えて、手足の先が冷たくなってッ――!! 自分がっ、恐怖で――、ますます役立たずの足手まといになっているってことくらい……!!」


 感情に任せて目の前の詩織に掴みかかろうとして、しかし寸でのところで理香のその手は拳へと形を変えて、眼の前の床へと振り下ろされる。

 ただしそれは、なにも詩織にこれ以上火が燃え移ることを恐れたからではない。


「――なん、て、ずうずうしい……!! 情けない……!! みっともない……!!

 瞳さんが目の前で死んだのにッ……、誠司さんはもう、いないのに……!!

 好きになった人も、守ると決めた相手も、死んだのに……。それなのにまだ私は、性懲りもなく自分の命に、他人の足を引っぱってまでこうしてしがみ付こうとしてる……!!」


 自らの浅ましさの話をするのであれば、理香には過去のも一度そんな自分の性根の卑しさを自覚させられたことがあった。


 それはまだ理香達が満足に戦うことすら満足にできずにいたころ、利用しようとして近づいた誠司に受け入れられて、そのとき初めて理香は、自分の中にある他人を犠牲にしてでも生き残ろうという、そんな醜い衝動を自覚したのだ。


 自覚して、だからこそ理香はその時にそれを改めることにした。


 自身を受け入れてくれた誠司へのせめてもの礼儀として。

 自身の命だけでなく、共に行動する瞳たち他のメンバーの命でさえも、自分の命と同等に扱い、守り抜いて、全員で生き残る道を模索しようとそう決めた。


 そう、決めたはずだったのだ。


 けれど今、誠司と瞳を失い、愛菜と引き離されたその状態で、理香は詩織達の足を引っ張りながらまだ自信の命に執着し続けている。


 まるであの時の誓いを、理香自身の性根がないがしろにするかのように。

 己の中での誠司達の価値など、その程度のものだったのだと言わんばかりに。


 そのことが、自身の弱さが誠司達の存在を、まるでその価値を貶めているようなそんな気がして、だからこそ理香は今自身の弱さが、その情けなさが心の底から悔しくて仕方がない。


 そうして蹲る理香を前にして、詩織の胸の中に去来するのはどこか懐かしいような、かつて歩んだ道のりを見るかのようなそんな感覚。


「――ねぇ、理香さん。 私も、このビルの中で死ぬかもしれないって怖くなったことは何度もあったけど、それでも私は今の理香さんみたいに、その怖さを悪いものだと思ったことはなかったよ……。

 だってその感情は、きっと誰だって同じ、当たり前のものだと思うから」


 なにしろ場所がこんなビルの中なのだ。詩織とてここにたどり着くまでに、自身の命の危機に瀕したことは、死の危険を感じたことは何度もあった。


 その中でも最たるものは、恐らく竜昇達と出会う直前までの、監獄の中で一人孤立し、囚われの身となってただ死を待つだけの状況に陥っていたときのことだろう。

 だがその一方で、他ならぬ詩織自身はその時に感じた死の恐怖を、その裏にある生への執着を、今の理香のように恥ずべきものだったとまでは思っていない。


 だってそれは、生物であれば当り前の、避けて通ることなどできないものだと思っているから。


「当り前のことなんだよ。死ぬかもしれない時に怯えて、生きたいって思うことなんて」


 これに関しては常人とは一線を画した精神性を持つ静ですらも、詩織は例外とは思わない。

 と言うよりも、彼女の場合キチンと死を忌避しているが故に、どれだけ危険に身を晒してもきちんとこちら側に(・・・・・)戻って来られるのだと、詩織はそう見ているくらいだ。


 無論例外が無いとまでは思わないが、一方でこの手の恐怖が本人の意志や心がけ、行動程度のもので、どうにかなるとも思っていない。


 そして経験上、自分の意志ではどうにもならないもののことで自己嫌悪に陥るなど、実際には不毛以外の何者でもないのだ。


「――きっとこれはあの静さんだって変わらない。竜昇君や私だって……。

 ――それにきっと、中崎君や瞳だって」


「……!!」


 告げられたその言葉に、ここに来て初めて理香は何かに気付いたように顔をあげる。


 恐らく、彼女は思い至れていなかったのだろう。

 今彼女自身が感じている感情と同じものを、最後の瞬間に、恐らくは誠司や理香も感じていただろうという、そんな当たり前の話でさえ。


「――だから私は、詩織さんにその感情のことを悪いものみたいに言って欲しくない。

 ――だってその感情は、きっと瞳が、中崎君が……、あの二人が最後に感じていたものだから……」


「――でも、だったらどうしたらいいんですか……?

 誠司さんがいない今、誓ったことすら果たせない私は、これから一体、どうしたら……」


 死という安易な選択肢すらも取り上げられて、進む先を見失った理香が縋るように詩織にそう問いを投げかける。


 とは言え、これも経験上わかるが、その問いはいくら詩織に投げかっけたとて意味のないものなのだ。

 なぜなら――。


「――悪いけど、いくら聞かれても私にその答えは出せないよ。

 その答えはきっと、理香さんの中から自分で探し出すしかない」


 かつて、同じようなことは詩織にもあった。

 どうにもならない自分の性質を嫌悪して、無理やりそれをまげて、けれど結局失敗して、どうしていいかわからなくなった、そんなことが。


 だから、そのときしてもらった、かけてもらったのと同じ言葉(こと)を、今詩織は理香にかけよう(しよう)


 この年齢を偽っていただけの年下の少女に、せめて年上の詩織が少しでも、年上の先輩らしくあれるように。


「だから考えて。理香さん自身がどうしたいのか。答えが出るまできちんと、ちゃんと……!!

 生きたいと思う理香さんと、中崎君たちのことを大切に思う理香さんのその両方が、きちんと納得して、先に進むことができるように」


「両方の、私……」


 そうして問いと共に投げられた、彼女が彼女であることを許容するそんな言葉に、取り乱し、追いつめられていた理香がかろうじてその落ち着きと冷静さを取り戻す。


 とは言え、今の詩織達に許されるのはここまでが限度だろう。


 なにしろ、今の詩織達は次の階層に進むための階段を一刻も早く見つけなければならない状況にあるのだ。

 本来であれば、理香にはゆっくりと時間をとって考えてほしいところではあるのだが、生憎と今はそれができるだけの時間も無ければ猶予もない。


(――ひとまず、まずはなにより下の階層に続く扉を見つけ出さないと……。この広いドーム球場で、下の方って言う以外手掛かりがない状態じゃどれだけ時間がかかるかわからないし……)


 そう思考を切り替えて、改めて詩織が聞こえてくる風の音などから下の階層への扉の位置を探せないかと、そんな考えの元周囲の状況を探るべく耳を澄ませて――。


「――え?」


 その瞬間、遠方の複数の箇所から、ほとんど同時に詩織の耳へとそれらの音が飛び込んで来た。


 状況の変化を告げる、明らかに何が起きていると感じ取れる、どこまでも不穏な音が。


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