238:三者三様の隠し玉
一度は取り逃がした敵と再度接敵できたものの、オルドの内心は決して晴れやかとは言えない状態だった。
理由はいろいろとあるが、最大の理由はやはり目の前にいる魔女の存在だ。
ありあわせの物品のみで法具を作成し、それらを駆使してここまでの時間を稼いで見せた【魔女】アマンダ・リド。
もとより危険人物であることは認識していたが、やむを得ず力を借りたことで目の当たりにしたその力量の一端は、オルドの想像を遥かに超えたものだった。
特に恐ろしいのは、これだけの力を振るっておきながら、アマンダと言うこの女は有する法力を限界の半分も使用していないという点だ。
彼女に施されている手枷、これは言わばアマンダの法力使用を制限するもので、これがあるが故にアマンダの使用できる法力は本来の三分の一程度にまで制限されている。
これは、本来この【魔女】が得意とする邪属性の界法、その中でも特に大規模なものの使用を制限するためのもので、彼女に施された幾つもの保険の一つである訳だが、しかしそんな制限を受けてなおこの魔女は大量の紙片を配下として操り、遠隔操作でここまで時間を稼いで見せた。
どれだけ能力で勝ろうとも相性の問題でこちらに分がある。
同じく相性で勝るセインズの存在がある。
オルド自身、その気になれば一息でこんな老婆の命など奪ってしまえる。
そんな風に、自身が保有するいくつものアドバンテージは理解しているオルドだったが、しかしここまで想定していた以上の能力を見せつけられてしまえば考えないわけにはいかなかった。
やはりこの老婆は、どうあっても表に出すべきではなかったのではないかと。
自分達は大事の前の小事と油断して、手に負えない怪物の封印を解いてしまったのではないかと。
とは言え、そんな思考が頭をよぎったのも、実際のところはほんの一瞬。
「さて、ここまで働いたんだ。もとより戦うのが得意って訳でもない。悪いがアタシはここまでで少し休ませてもらうよ」
「ええ、僕は構いませんよ。どちらにせよアマンダさんが使っていたあの紙は、残っていたものも僕の界法で扉諸共氷漬けにしてしまいましたし……」
「……ふん、むしろ逆だ。ここまでの働きは認めるが、生憎とこれ以上貴様に力を使うことを許可するつもりはない」
心中を満たす恐れを悟られぬようにそう言って、オルドは改めて眼前の敵、この老婆に比べれば可愛げすらある異端者の元へと飛び下りる。
自身の背後、そこに控える老婆に対して、決して油断をしないように。
仮にも味方であるはずのこの相手に、真の意味で背中を向けることが無いように。
「――来た!!」
こちらへと向かって跳び下りてくるセインズとオルド、二人の姿を目の当たりにして、すぐさま竜昇はあらかじめ生成しておいた六つの雷球と、身に纏っておいた雷の衣へ意識を差し向けていた。
狙うのは二人のうちかろうじて魔法が通じることがわかっている、なにより本命であるオルドの方。
「充電開放――、【六亡電導雷撃】――!!」
身に纏う電力を雷球一発一発に流し込み、通常のものより太くなった直線に走る雷撃を六発同時にオルド目がけて叩き込む。
威力では【六芒迅雷撃】に劣るまでも、相応の破壊力を宿したそんな一撃は、しかし――。
「『曲がれ』――」
直後にはオルドに続いて飛び下りたセインズのたった一言の命令と、放たれた魔力の波動によってその全てが曲線に捻じ曲げられて、狙った場所とは全く別の場所へと着弾していた。
他の魔力に影響を与え、既に形を得た魔法でさえ後出しの魔力投射によってその性質を捻じ曲げられる、あのセインズと言う少年が持つ【聖属性】による後発干渉。
「――界法の利かない僕ではなくオルドさんを狙う。その判断自体は悪くなかったんですけどね」
空中でそう呟きながら、セインズは腰の後ろから新たな延長柄を取り出して自身の剣の柄へと接続する。
使用するのは相手が使ったのと同じ雷属性。
注がれた法力によって剣を軸に雷光の刀身が展開されて、セインズの伸長の十倍近くにまで拡大したそれを何の躊躇もなく、返礼とばかりに振り下ろす。
「――ッ」
「散開――!!」
直後、振り下ろされた雷剣によって、直前まで竜昇達がいた地面が吹っ飛んだ。
吹き荒れる爆風に体重を軽量化していた竜昇達の体が必要以上に飛ばされて、舞い上がった土砂が焦げ臭いにおいと共に周囲一帯に降り注ぐ。
(しかもコイツ――!!)
そんな破壊の向こう、竜昇が目撃するのは、地面に着地したセインズと彼が振り上げたその剣に再び雷の刀身が展開されるそんな光景。
(――あのレベルを連射できるのか――!!)
竜昇が戦慄したその直後、ビル程の長さを誇る刃の形をした雷が横一文字に振り抜かれ、再び地面を蹴って跳ぶ竜昇の真下を破壊の奔流が通り抜けていく。
否、ただで通り抜けた訳ではない。
刀身の形に収まり切らなかったのか、それともあえてそうなるよう設定しているのかは不明だが、巨大剣から放たれる電撃の一筋が竜昇の身をかすめて強烈な電撃が一瞬にして全身を駆け巡る。
「――ぐ、ぅ――!!」
纏っていた【電導師】の誘電力場が電力の大半を吸収するが、しかし竜昇の魔力でない関係上ダメージの全てまでは軽減しきれない。
「――ッ……!!」
直前の横一文字の電撃によって芝の焼かれた地面になす術もなく落下して、そんな竜昇の隙を狙うように、セインズが今度は刺突の構えで、三度電撃の大剣をその刀身の延長上へと顕現させる。
「【天雷剣】――!!」
「【電導迅雷撃】――!!」
とっさに魔本に溜め込んでいた魔力を開放し、直前に吸収した電力を注ぎ込んでぶち込まれる雷の刺突をどうにか相殺する。
逆に言えば、それだけのリソースを注ぎ込んでなお、竜昇の魔法ではセインズの雷剣を相殺することしかできなかった。
竜昇が持つ手札の中でも、かろうじてノータイムで放てる魔法を手持ちのリソース全てを注ぎ込む形で放っているというのに、対するセインズはと言えばそれと同レベルの魔法を三回連続で、それもさして無理をした様子もなく行使している。
(さっきから感じ取れる魔力量と実際に発動してる魔法の規模がワンランク以上違う……。こっちが込める半分以下の魔力量で【迅雷撃】以上の魔法をバンバンぶち込んできやがる……)
恐らくそれこそがセインズの持つ【聖属性】なる魔力の持つ特性、その一端なのだろう。
他者の魔法の効果を後出しの魔力で捻じ曲げられる後発干渉能力に加え、使用する魔法の規模や効果をワンランク以上底上げする火力強化特性。
(こっちの魔法は好きなように無力化されちまうってのに、あっちは通常より少ない魔力量で大規模魔法を撃ち放題って訳か……。
ホンットに、どこまでも術者泣かせな能力だな……!!)
こうなってくると、先ほどの狭い病院内から広いドーム球場に出てしまったことが思いのほか痛い。
恐らくこれほどの手札を持ちながら先ほどの病院では使ってこなかったのは、あまりにも規模が大きくなりすぎるが故に閉所で使うと自分や味方を巻き込んでしまう恐れがあったからだろう。
実際竜昇とて、あの病院では大規模な魔法の使用にはある程度注意を払っていたし、最後に竜昇達を追って襲ってきた、あのやけに神々しい光を帯びた極大の竜巻に至っては、逆にほとんど建物の下半分を消し飛ばすつもりで放っていたに違いない。
(さっきからのあの武器の使い方を見るに、あの延長の柄みたいなものがそれぞれの属性に対応した初級相当の魔法を使うための杖……。
それを剣に接続することで、その属性の中・上級相当の魔法を行使して――。
そして恐らくあの竜巻も、それにプラスもう一つなにかを加えることで成立していたってところか……)
現在確認できている属性は【雷】と【氷】、そして病院を破壊するのに用いられた、これについては恐らく【風】系統。
加えて静とやり合っていた際、同じような柄から魔力の刀身を伸ばして短剣として使っていたことを考えると、あれが【地】属性に相当する柄だったと見るべきか。
だとすれば、残る属性は【炎】か【水】、柄が全部で何本あるかまでは確認できなかったから、最悪その両方や、それ以外にも更なる属性すらあるかもしれない。
そんな風に、竜昇が相手の手の内について思考していた、次の瞬間。
(――なる、ほど……!! 炎を使わなかったのはそれが理由か……!!)
セインズの背後、彼に守られる形で着地を決めたオルドが巨大な火災旋風を巻き起こし、直後に炎の柱のようだったそれがほどけてあたり一帯に大量の炎を雨アラレとばかりにまき散らす。
(――ッ、こっちもこっちで、戦術につくづくぶれがない……!!)
降り注ぐ炎に、体重を軽減して飛び退き、その範囲から必死に離脱しながら、竜昇は頭の中でもう一人の厄介な敵についても考える。
オルド・ボールギスの持つ【神造物・裁きの炎】。その最適な運用を考えた場合、答えとなるのは実にシンプルな陣取りゲームだ。
周囲一帯を自身の炎で塗りつぶし、相手の動ける範囲をどんどん狭めて、そして最後には逃げ場のなくなった標的に火をつけてその相手を焼き殺す。
無論、直接相手に火をつけて一気に勝利を狙う手もあるが、実のところたとえ当たらなくとも、消えない炎の範囲を広げるだけで充分この敵には戦略上の意味があるのだ。
で、あるならば、命中精度などある程度無視して、周囲一帯にとにかく炎をばら撒いてしまえば、多少の手間はかかれど最終的な勝利には間違いなく近づけることになる。
(なにより、これじゃそもそも近づくことさえできない……!!)
オルド達と竜昇の間に着弾し、燃え広がる炎の壁を前にして、竜昇はこの状況のまずさに顔をしかめる。
こうまで炎の壁が広がっているとなると迂闊に近づくこともままならない。
かと言って、魔法による攻撃は実質無効化されてしまうし、投擲や拳銃による攻撃もこの炎に巻き込まれないようにと考えると有効範囲の外だ。
このままでは、こちらには反撃の手段がないまま相手の魔法攻撃を一方的に受ける羽目になりかねないと、そう竜昇が予想していた、次の瞬間――。
「――ッ、オルドさんッ!!」
炎の壁を突き破り、オルド達の背後からシールドを展開した状態で現れた静が、手にした弓による落下飛行の速度そのままにセインズに激突し、そのまま少年の体を高々と空中へと向けて跳ね飛ばしていた。
「な――」
恐らくは直前にセインズに庇われたのだろう。
突き飛ばされたオルドがようやくそれに気づいて声をあげ、同時に静がセインズを跳ね飛ばした勢いそのままに、まるでひき逃げでも働いた直後のように落下方向を変えて、涼しい顔のまま炎の壁を飛び越して竜昇のいる方へと舞い戻って来る。
――否、表情においてはともかく、少なくとも実際の心中においては静の方もそれほど平然としていたわけではなかったらしい。
「静……!!」
「竜昇さん、すいません、しくじりました」
「――え?」
言われて視線を向ければ、静に依るシールドアタックを受けて空中へと跳ね飛ばされたセインズが、しかし直後には何事もなかったかのように空中で身を翻し、ダメージを感じさせない動きでものの見事に足から地上へと着地していた。
(……!!)
自身はシールドを展開し、【天を狙う地弓】による落下飛行によって体ごとぶつかる落下衝突。
恐らくは【加重域】による威力の底上げすら行われたそれを身に受けながら、しかしセインズ本人に差して負傷した様子は見られなかった。
恐らくは彼が纏うオーラによって耐久力の底上げがなされた結果なのだろう。
先に見せられた、魔法的効果の増幅が可能になる【聖属性】の性質を鑑みれば、【甲纏】のような自己強化系の技でもその効果は底上げされると見て間違いない。
あるいは他にも、激突の瞬間になんらかの形で衝撃を殺して、自身へのダメージを最小限に止める工夫もしていたのかもしれない。
なんにせよ、着地したセインズには何の被害も見られず、――否。
しいて言うなら、ただ一点。
『どうやら、僕にも炎が燃え移ってしまったようですね』
自身の衣服、その右半身の各所に着火し、そして燃え広がって良く明るすぎる炎に、セインズが傍に駆け寄るオルドに軽く肩をすくめて見せる。
炎の壁を突破するその段階で、静の展開するシールドにはしっかりと炎が燃え移っていた。
静自身は、シールドで身を守っていた上にそのシールド自体燃やされる前に解除してしまったため何ら影響を受けなかったわけだが、どうやらセインズの方には激突した際、シールド表面で燃えていた炎が燃え移ってしまったらしい。
とは言え、一度付いたら消えない、持ち主の意思一つで焼き殺されかねない炎とは言っても、それがついているのが味方であるというなら話の前提は大きく変わる。
「――そんなわけです。もうこの際ですから例のプランを早めに実行に移すとしましょう」
「――ふん。まあ、貴様自身が望むのであれば是非もない」
(……まさか――!?)
距離を放して躱される二人の会話に、竜昇が不穏なものを感じた次の瞬間、セインズの体で燃えていた炎が一気にその全身へと燃え広がり、小柄な少年の体が瞬く間に輝きすぎる炎に包まれる。
それは炎の性質を考えるなら当然な、しかし実際にやるとなればどうしてもためらいの生まれる、自身の生死を他人にゆだねられて初めて成立する集団戦における最適解。
(――あいつ、味方の体に火をつけやがった……!!)
思うさなか、続けて自身の体にさえも炎を放つオルドの姿に、否応なく竜昇はその戦術の有効性を理解させられる。
消すことが出来ず、オルドの意図したものを猛烈な火力で焼き尽くすなど、どうしても攻撃的な側面にばかり目が生きがちなオルドの【神造物】だが、
その最大の特性は意図したもの以外を燃やさないことができるという点だ。
これが通常の炎であれば、自身や味方に火をつけるなど自滅や同士討ちの一種でしかない訳だが、ことこの炎に関して言えば、その行為はこれ以上ない、最悪の戦術として機能する。
(相手の体が武器や装備ごと燃えている以上、こっちが直接触れる近接攻撃の類は全部不可……。
それどころか相手の攻撃を受け止めたり、武器による鍔迫り合いが発生するだけでこっちに火が燃え移るリスクを伴う……)
これでは実質、こちらは接近戦を封じられたと言っても過言ではない。
ただでさえ乏しい勝ち筋がさらに減少するその実感に、竜昇は背筋にはっきりと冷たいものが走るのを感じ取る。
特にこの場合、近接戦闘を主体とする静などその影響は絶大だ。
無論彼女とて、距離をとって戦う手段が全くないわけではないが、ここまで使える手段が制限されてしまった以上、およそ静の側による勝ち筋はほぼなくなってしまったと見ていいだろう。
「静……」
「――こうなっては仕方がありません。あまりお役に立てなくなってしまうのは業腹ですが、私の方であのセインズさんの方を引きつけます」
竜昇と静がそう言葉を交わすそのさなか、視線の先で炎を纏った二人がそれぞれ狙う獲物を見据えて動き出す。
あらゆる手札、勝ち筋を制限されたその状態で、圧倒的な実力差を持つ敵との絶望的な戦いが幕を開ける。
そうして、動き出した戦況、生まれ出でる窮地を上から眺めて、一人の老婆が愉快気な様子で笑いを漏らす。
「ヒッヒ……。まったく、派手にやるねぇ……」
天井付近の細い通路に腰かけて、一つ前の階層で手に入れたのか、ペットボトルのお茶を蓋を開けるのではなく首を落とす形で開けて口へと運びながら、観戦する老婆がその内心で密かに計算を組み立てる。
(――これで司祭殿もいよいよ本気になった。坊やの方も、さっきからずっとあのお嬢ちゃんにご執心……。あとは――)
そう内心で独り言ちながら、視線を向けるのは先ほどセインズの界法によって氷漬けになった天井付近の壁面。
正確には、その表面で巻き込まれる形で氷漬けになっている、先ほどまで操っていた魔刻チラシの、その残りだ。
(――あとはそのとき、アタシは果たしてどうするか……)
笑いながらも目を細め、老婆は一人事の成り行きを見下ろし笑みを深める。
いったいこの先、状況が自分にとってどう動くのか、それを直近の特等席で見極めるために。




