236:隔てられた階層
目前で一人の少女の体が燃え上がる。
比喩や幻影の類ではなく、輝きすぎる、【神造物】由来の炎によって。
燃えている当人、先口理香本人には、一切の火傷も、炎による熱や苦痛すらも与えることなく。
とは言え、火をつけられた理香本人が何の被害も被っていないというのは、この場合なんの安心材料にもなり得ない。
なにしろ、火がついているにもかかわらず火傷一つ負わせていないというその時点で、この炎の正体が先ほどまで竜昇達を追っていた相手、【決戦二十七士】の一人であるオルド・ボールギスの【神造物】によるものであることが確定的になってしまうのだ。
【裁きの炎】と言う、あまりにもそのままな名前を持つその【神造物】の生み出す炎は、持ち主であるオルドの意に従い、彼が望んだモノだけを選んで焼き払い、そして同時に一度着火してしまえば消すことができないという絶望的な特性を持っている。
故に、一度火を付けられてしまったその時点でもはや手遅れ。
後はオルドが望んだその瞬間、火に包まれた理香はなす術もなく焼き殺されると、そうその場にいた誰もが瞬時に理解して――。
「――まだだ。まだ――、諦めるにはまだ早い」
「――え?」
次の瞬間、半ば内から湧き上がる絶望を振り払うように、意図して竜昇はそう言葉を発していた。
同時に、今すべきことを即座に頭の中で整理して、間髪入れずにまとめた指示を周囲に飛ばし始める。
「――詩織さん、大至急俺達がこの階層に出た、さっきの扉を探し出して、可能であればそのまま閉めてきてください」
「――ッ、わ、わかった――!!」
下された指示に、頷いた詩織が即座に装備する【天舞足】を用いて真上へと向かって駆け上がる。
階層間の移動をかなり強引に行ったせいで、自分達がこの階層に出現した扉がどこにあったのか正確に確認したわけではなかったが、これまでのパターンや竜昇達がかなり上から落下したことを考えても扉があるのは実際相当な高所であるはずだ。
無論、先の階層でそうだったように扉そのものが閉じないよう、なんらかの細工がなされている可能性も高いわけだが、ひとまず位置を捜索するだけなら空中での小回りが利く詩織に任せるのが一番いい。
「――どうする、つもりなんですか……? いえ、そもそもまだあきらめるには早いって、なんで――?」
「すでに致命的なまでに火が燃え映っているにもかかわらず、まだその炎が理香さんに火傷一つ負わせていない理由、それは恐らくあのオルドと言う男が、まだ炎が理香さんの体に燃え移っていることを認識していないからです」
本人は罪あるモノを燃やすなどとうそぶいていたが、恐らくオルドの保有する【神造物・裁きの炎】の真の性質は、持ち主であるオルド自身が望んだモノを焼き尽くす選択式焼却能力だ。
逆に言えば、この炎はオルド自身が望まないもの、あるいはそれ以前に燃やそうと意図できない、例えば火がついていると知らないものは燃やせない。
あるいは火がついていること自体は知らなくとも、火がついていると仮定して標的を燃やそうと意図することはできるかもしれないが、そもそも直接対面してしまった竜昇や詩織と違い、静と理香はあのオルドと直接顔を合わせてはいないのだ。
無論仲間のセインズ達と合流していれば伝聞情報として残り二人の存在くらいは知っているかもしれないが、顔すらろくに把握できていない、個人の特定が不可能な相手を焼却対象として指定できるかには大いに疑問だ。
今の理香の状態は、火こそついているが相手に知られていないがためにオルドには燃やせないという微妙な状況にあると考えていい。
「だからまずは、予定通り階層間をつなぐ扉を閉じて、あの三人の追撃を封じてオルドが理香さんの存在を認識できなくします。場合によっては、これだけでそれ以上に事態が好転する可能性もあるのですが……。それについて話す前に――、静」
そうして理香の問いかけに応えながら、竜昇はもっとも重要な部分について聞くべく静の方へと話を振る。
「――同じ【神造物】を持つ静に質問したい。【神造物】の持つ効果って言うのは具体的にどういう方法を使えば解除できると思う? 時間経過で解除されたり、あるいは時間的猶予があればなんとかできる類のものだと思うか?」
「そうですね……」
投げかけられた問いに、静はわずかに考え込みながら先ほどまでの弓から十手の形態へと変えていた己の武器を石刃へと戻して提示する。
「――あくまで【始祖の石刃】を参考にしての話ですが、まず時間経過での解除はあまり望めないと考えた方がいいでしょう。以前から石刃を装備する際、十手の形で腰に差していく形をとっているのですが、かなり長時間そのままの状態で行動していても、意図せぬ形で元に戻ることはありませんでしたから」
静とて己の武器に対して無関心だったわけではない。
ここに来るまでのその道中、特に自身のメインウェポンに当たる【始祖の石刃】については、休息の際に一人番をする時など、暇を見つけては積極的にその性質や性能を検証してきていた。
そんな検証を根拠に、静はいよいよ理香の全身を飲み込み、変わらず燃え盛る炎の、その性質、解除条件を片っ端から推測して見せる。
「対して解除の条件ですが、まず真っ先に思いつくものとして、【神造物】の持ち主が火を消すことを意図した場合。
次に、【神造物】が持ち主の手から離れた場合と言うのも解除条件としては有力です。実際私の石刃も、手から離れると一定時間で元の形状に戻る性質があるようでしたから。
また、持ち主の就寝、あるいは気絶などの意識を失った場合。私の場合も、寝て起きたら十手から元の石刃に戻っていたことが何度かありました。
――そして当然、意識を失えば効果が解除されるということは、持ち主が死んでも……」
「――ま、待ってください……!! 死亡って、まだ、もう一度あの方たちと戦うつもりなのですか――!?」
静が並べ上げた突破口の不穏な部分に、理香がたまりかねたようにそう声をあげる。
とは言え、その懸念は竜昇とて理解していたことだ。
「もちろん、流石に俺もあえてあの連中ともう一度戦おうとは思っていません。
ただ、仮に追跡を振り切れなかった場合、相手の攻撃手段を無効化する意味でも炎を消す手段にあたりを付けておきたい。
仮にこのまま扉を閉めて逃げ切れるなら、この場は間違いなくその方がいい」
「そう、ですね――」
聞きようによってはあえて火を消すために動く真似をしないという、いっそ残酷ともいえる宣告に、当の理香は若干ホッとしたような、けれどどこか感情を押し殺したような、そんな相反する思いが入り混じったような反応を見せる。
とは言え、現状それが竜昇のとれるベストな選択だ。
それに、希望的観測も入り混じるためあえて口にはしなかったが、扉を閉めて追跡を封じるだけで全ての事態が片付いてしまうという可能性もあるのだ。
いくら炎自体に時間制限等による自然消滅が期待できないとは言っても、当の【神造物】の持ち主であるオルド自身がそのように運用するとは限らない。
特にこの炎の場合、オルドが火をつけたその後も勝手に燃え広がって際限なくその範囲を広げて行ってしまうのだ。
その性質は、特定の建物内で逃げる敵を追い詰める上では有用かもしれないが、なにかの拍子にオルド自身が知らない場所にまで炎が広がり、そこで味方に炎が燃え移ってしまえば非常に厄介なことになる。
尋常な手段では決して消えない炎が燃え移るということは、行ってしまえばあのオルドと言う男に生殺与奪の権利を握られるのと同じことだ。
そんな事態が味方に起きてしまえば、関係性に亀裂が入ったり、ことと次第によっては敵対行為や脅迫とみなされて対立に発展する恐れすらある。
あるいはそれは単純な対立と言うより政治的対立の類かも知れないが。
なんにせよ、後々予想されるいくつもの問題を考えれば、少なくとも竜昇であればこの炎をそう簡単に野放しにはしておかない。
戦闘のさなかにどれほど炎をまき散らしていたとしても、否、まき散らしていたからこそ、その炎が思わぬ相手に燃え移ることが無いように、戦闘終了と共に広げた炎を必ずや収束、鎮火させる。
つまるところ、竜昇の見立てでは扉を閉ざすことに成功したその時点で、理香の炎がほどなく鎮火する可能性もそれなりに高いのだ。
故にこそ、この場において最大の問題はオルド達【決戦二十七士】のメンバーが到着する前に扉を閉められるか、その部分が重要になってくるわけだが――。
「――ぅッ、きゃぁァァアアッ――!!」
思い、上空を見上げた次の瞬間、詩織が叫びと共に、何やら大量に発生した鳥のようなものの奔流から逃れるように姿を見せる。
否、それは鳥ではない。
ドーム球場を埋め尽くすそれは、酷く薄くて色鮮やかな、なにかの紙の数々。
「詩織さん――!!」
「――竜昇君、見つけた――!! あそこに、扉が――」
空中で離脱を図る詩織がそう言って指さして、その先に視線をやった竜昇がようやくその扉をようやく見つけてその位置を把握する。
恐らくはドーム球場の管理用なのだろう、壁面の酷く高い位置、普通の観客であれば決して立ち入らないような高所の壁際に細い通路と共に造られたそんな扉。
その扉から、今まさに大量の紙があふれ出して、扉に近づこうとしていた詩織へと次々に狙って襲い掛かっていた。
「なんだあの紙――、あれも【影人】なのか……!?」
「――いいえ。詩織さんを覆っている紙が多いようですが、一部が扉の周囲にとどまって扉を守るような動きを見せています。あれは恐らく先ほどの【決戦二十七士】の攻撃です」
そう分析して言葉を交わす最中、空中の詩織がその手の青龍刀で襲い来る紙のいくつかを切り裂いて、それによって斬られた紙の何枚かが竜昇達の元へと降って来る。
急いでそれを拾い上げ、それによって理解するのはあまりにも予想外なその紙の正体。
「――なんだよこれ……。呪符とかだって言うならともかく……」
拾い上げたそれは、『寝たままできるストレッチ』などというタイトルの書かれた、まるで病院の待合室にでもありそうなただのチラシ。
否、ただの、と言うのは正確ではないだろう。見れば、イラストを交えてストレッチの方法が書かれたその紙面の上に、まるで焼き付けたように何かの術式がびっしりと書き込まれているのだから。
「――【魔刻スキル】……。まさか、そこらのチラシに術式を刻んで、それを遠隔操作する魔法武器として使っているのか……!!」
「そんな、こと……」
竜昇の導き出したその答えに、そばでそれを聞く理香があり得ないと言わんばかりに絶句する。
物品に自身の知る術式を刻むことでマジックアイテムを作成する【魔刻スキル】。その習得者だった誠司と近しかった彼女は、間違いなく【魔刻スキル】の技術について、この場にいる他の誰よりも詳しく知っている。
そんな彼女がこの反応を見せているという時点で、今手元にあるこのチラシがどれだけ破格なものなのかはわかろうと言うモノだろう。
あるいはそれを成したその術者が、いったいどれだけ卓越した技量の持ち主であるのかも。
「アマンダ・リド……。これがあの、魔女と呼ばれていた婆さんの力か……!!」
「貴様……、これは問題だぞ……!! 囚人の分際で、勝手にあたりのものに術式を刻むなど――」
「おやおや、許可なら坊やの方にとったんだがね。生憎とあんたの方はあの子たちを追いかけて飛び出して行っちまっていたから」
囚人である老婆の脱走を警戒したのか、次の階層へ向けて追撃を放ったと告白するアマンダに対してオルドがそう噛みついてくる。
とは言え、オルドが見せるそうした反応についてはアマンダの方も想定済みだった。
「あの時あたしらが警戒しなくちゃいけなかったのは、あの子らを取り逃がすこと以上に下へと向かう階段を閉ざされることだった。
なにしろ、それをやられたらアタシら自身が、拠点に戻ってそこにいる連中と合流する道を失う訳だからね……」
敵の計略によって一度は味方と分断されていたアマンダ達にとって、他の【決戦二七士】との合流は速やかに達成しなくてはならない至上命題だ。
幸い今は拠点からアマンダ達の捜索にセインズが派遣されて合流出来ているが、それでも拠点へと戻る道が封鎖されてしまえば、アマンダたちはそのセインズと三人、拠点につながる道を探して再びこの塔の中の未開放領域を探索しなくてはならない。
「――だからあんたが追いかけて行っちまったあと、坊やに階段の位置を聞いて、手近なものに術式を刻んでいざと言う時の保険にしておいたのさ。
ま、術式を刻んだとは言っても時間稼ぎ以上のことが出来る訳じゃない。
正規の義体生成術式を刻んで作れば、むこうの様子ももっと詳細にわかったんだろうけど、そこまでの手間はかけられなかったから、本の代わりもこれだしね」
そう言うと、アマンダは【教典】の代わりとなるその物品を示すように、手の中にあったやけに太い巻物をオルドに向かって示して見せる。
否、オルドは知る由もなかったが、アマンダのその手の中にあるそれは巻物ですらない。
オルドの知るそれと違い、やけに紙質が脆くて薄いそれは、見るものが見れば一目でそうとわかってしまう、アマンダがそのあたりで見つけたただのトイレットペーパーだ。
そんなものに術式を刻み、思考補助機能を持たせることで竜昇達が【魔本】などと呼んでいる【教典】へと変えたアマンダは、その機能によって思考能力を底上げし、同時に搭載した遠隔操作用の術式を用いることで遠方にある武装化したチラシを操作し続けていた。
そんな老婆の底知れない実力に、オルドは表に出さず悟られぬようにしながら、その内心で確かに戦慄する。
本人はなんてことの無いように語っているが、界法についての広範な知識を持ち、近くにあるものに片っ端から術式を刻んで己の武器へと変えてしまえるアマンダの能力は、それと相性がいいはずのオルドにとっても脅威の一言だ。
特にアマンダの場合、そうして作った即席の【法具】を足掛かりにして使える厄介な手の内があるのだからなおさらである。
だからこそ、オルドはこの老婆に、できうる限り法力そのものを使わせたくなかったというのに。
「まったく、あのオハラの小僧も小僧だ。こんな危険な女に、自由に力を使わせるなど――」
「――いいではありませんか、過去がどうあれ、今のこの人は間違いなく僕達の味方なんですから」
そうして階段を下りながらいきり立つオルドの元へ、先にエレベーターシャフトを跳び下りて竜昇達の追撃に向かっていたセインズが大して悔やんだ様子もない声でそう返答して来る。
どうやら今の会話も聞こえていたようだが、セインズ本人はそれについて、特に悪びれる様子もないらしい。
「そもそも、今の僕達はこの方の技術を当てにしてここに連れてきているんですから。あまり力を使わせないようにしていては本末転倒ですよ」
「――ふん、そもそも私はこんな異端のペテン師の力を借りること自体反対なのだ。なにしろこ奴が本気になれば――」
「――たとえこの人が本気になったとしても、それが界法である以上僕を騙し続けることはできません。ましてや交戦のさなかに何かをしたとしても、僕の力であれば敵の攻撃諸共、どんな小細工でも無効化できてしまいます」
自身の能力を前提に、セインズは自分ならばアマンダがどんな手を使っても負けることはないと、年長のオルドに対してそうハッキリと断言する。
そして実際、その見立ては恐らく正しい。
教会の歴史の中でも数えるほどしか確認できていない、【聖属性】と言う選ばれた人間の法力を持つセインズは、オルド以上にこの老婆にとっての天敵なのだから。
それでも、もしもその発言が幼さゆえの油断や傲慢から来ているのであればオルドもたしなめたのであろうが、生憎とオハラに名を連ねるこの少年にそんな可愛げがあるはずもない。
「……そんなことよりも、今はあの四人の追撃に向かうべきではありませんか? いかにアマンダさんの技量が高くとも、あの程度の紙に術式を刻んだだけの代物では大した時間稼ぎもできないと思いますよ」
「――ああ、そうだな」
いくつかの言葉を飲み込んで、仕方なくオルドはセインズの言う通り、逃げた敵を追撃するべく案内を促し、歩き出す。
目の前にいる年端もいかない少年の姿をした、しかし自分たち人間とは決定的に違う、まるで別の生き物のようなその相手に、胸の奥底で言い知れぬ不気味な感覚を覚えながら。
ただ異端であるだけの人間を火刑の火にくべるべく、意識して身に纏う炎をより大きく燃え上がらせて。




