233:異端者の視点
病院全体を揺るがす爆発音が廊下を一直線に駆け抜ける。
同時に、白い蒸気のような靄が爆風と共に吹き抜けて、衝撃波によって滅茶苦茶になったその中に、一つの人影が転がるようにして現れ、すぐさま飛び起きて走り出す。
(く、そ――、やってくれる……!!)
あちこち痛みを訴える体に、反射的に心中で悪態を叫ぶ。
シールドを展開し、体重が軽くなっていたことで爆風に逆らわずに吹き飛ばされていたから大きなダメージまでは負わずに済んだが、今の竜昇は体の各所を打ち付けて酷い状態だった。
骨まで折れて行動不能の負傷までしていなかったのが唯一の幸いと言うべきか。
初めは若干ふらつきながら、それでもどうにか走る中でバランス感覚を取り戻して、竜昇は痛みに呻きながらもどうにか真っ直ぐ目的の方向へと走り出す。
電撃を放つその瞬間、竜昇に襲い掛かったのは、相対するオルドが自身の周囲の水分を一気に蒸発させたことによる水蒸気爆発の如き破壊力の炸裂だった。
あるいはそれは、竜昇自身が放った極大の電撃や、それによる水の電気分解などの現象が同時に起こったことも関係していたのかもしれないが、流石に竜昇もにわか知識程度でしか知らない現象のどれがどう関与していたのかなど流石に推察しきれない。
なんにせよ、攻撃の瞬間、竜昇自身もまた想定以上の爆発に巻き込まれ、そんな状況下からどうにか脱出して、今竜昇は命からがら、味方を残してきたあの面会エリアまで走り続けていた。
(もしかしたら、もう少しこの場に残って足止めを続けるべきなのかもしれないが……)
踏みしめた足で足跡地雷を、振るう杖から黒雲の煙幕をあたりにまき散らしながら、竜昇は内心密かに、自身の立ち回りについてそう思う。
先の爆発でダメージを受けたのは相手も同じ、それどころか、竜昇の電撃すらも受けたはずのオルドの方が恐らくはダメージは大きいはずだが、しかしそれでも竜昇はあの男が追ってこないとは到底思えない。
それどころか、直前に垣間見たあのオルドと言う男の火災と言うモノへの理解の深さ、そのオルドが攻撃を受ける直前にあの爆発を起こしていたことなどを考えると、ある程度結果を計算尽くであの爆発を起こしていた可能性も考えられるのだ。
単ににわか知識しか持たない竜昇が、それなりに知識を持っているらしきオルドを過大評価しているという可能性もないわけではないが、足止めのために残している仕掛けの数々がすでにオルドにとって既知のものであることも考慮すると、あの敵が追って来るまでの時間はそう多くないと見た方がいい。
そう思いながら、それでも竜昇がこの場で足を止められないその理由は、自身が向かうその先、そこで戦っているだろう静達の方にも懸念事項があるからだ。
別に竜昇自身、決して静達の実力を信用していない訳ではないのだが。
どうにもあの場にいた二人については、その静達の存在をもってしてもなお安心できない、そんな予感めいた感覚がずっとつきまとっていた。
そんな漠然とした根拠の元、竜昇が体重を軽減し、足止めの工作をばら撒きながら廊下を走り続けて、いよいよ先ほどセインズ達に遭遇した場所、その近くにまでその足を踏み入れて。
(――ッ、やっぱりか――!!)
次の瞬間、自身の予感が当たっていたことを剣戟の音で察して、竜昇は迷うことなく杖を構えてその先の空間へと走り込む。
飛び込んだその先、剣を交える静を容易に退けたその人影の姿を視界にとらえて選ぶのは、自身が習得する魔法の中でも間違いなく最速と言える攻撃。
「【雷撃】――!!」
状況を目にした次の瞬間、間髪入れずに放たれたその攻撃を、しかし当のセインズはと言えばどこか面白そうな様子で受け止めていた。
自身に向けて突きつけられる杖、その先端から放たれる電撃に、しかしセインズはたった一言呟いて、輝く魔力をその身から放つことで対処する。
『――『回れ』』
言葉を口にした次の瞬間迫る電撃がまるで渦に巻き込まれるかのようにセインズの周りを一周し、彼の体に触れることなく、言葉の通りに彼の周囲で渦を巻く。
『――『奔れ』』
続く一言、まばゆく輝く魔力と共にそう言い放って、それによって少年を襲うはずだった電撃が、今度は逆に竜昇に対して襲い掛かる。
「ぐ――!!」
逃れる間もなく、奔った電撃が竜昇の体に直撃し、しかしこちらもその身にダメージを与えることなく竜昇の体の周りに衣服のようにまとわりついた。
(――こいつ、こっちの魔法を撃ち返して――)
オルドとの戦いの中で全ての電力を使い切っていようとも、竜昇が身に纏う【電導師】の魔力は健在だ。
電力を制御化に置き、ため込み、雷の衣とするこの魔法は、実体としては電力を操る魔力の力場であるが故に、電力そのものは使い切っても不可視の状態で竜昇の身を守り続けている。
今回の場合、その特性があったが故に電撃を撃ち返されても竜昇もノーダメージでいられたわけだが、逆に言えばそれが無ければ今の攻撃だけで、竜昇は自身の攻撃をまともに喰らう形で返り討ちにされていた。
そんな状況、垣間見た敵の能力の一端に竜昇が瞠目するそんな中で、すでにその能力を把握していた静が竜昇に向かって得ていた情報を投げつける。
「竜昇さん――!! その方は光る魔力でこちらの魔法に干渉してきます……!! それも撃ち返すだけじゃない、無効化や自滅、単純な追加命令なら何でもありで――!!」
「追加命令なら、何でも……!?」
告げられた言葉に竜昇が反応したその瞬間、生じた隙を突くように、セインズが容赦なく距離を詰めてくる。
とっさに、手の中に隠していた雷球から光条を放射。
身に纏う電力を供給することで長大なリーチを持つ剣として扱い、迫る少年に対して下から容赦なく斬り上げる。
だがそんなやり方で倒せるなら、そもそも静達がここまで苦戦などしていない。
案の定、少年は半歩横にずれることで下からの斬撃をあっけなくも躱して、ほとんど速度を緩めることなく竜昇の元へと迫って来る。
「――ッ、シールド――!!」
『『散れ』』
竜昇の体から放出され、壁へと変化しようとした魔力がその直後に光を浴びて霧散する。
時間稼ぎの意味すらなさない。触れれば感電する雷の衣すら輝く魔力の放出ひとつで無効化し、まだ十代初めだろう年端もいかない少年が、その手の剣で容赦なく竜昇の首を跳ねに来る。
「――ッ、ォォッ――、【増幅思考】――!!」
迫る刃に、もはや竜昇には最後の切り札しか残されていなかった。
敵の剣の軌道を加速させた思考でギリギリ見切り、それにどうにか手にした杖を構え合わせて、かろうじて相手の攻撃を受け止める。
「――ふむ、判断は悪くない。ですが――」
直後に体重を消し、剣の衝撃に加えて地を蹴ることで飛び退く竜昇に対し、セインズはそんな言葉をつぶやいてから即座に輝く波動を周囲に放つ。
「――!!」
即座に空中にいる竜昇の体に体重が戻り、同時に魔本の力で底上げされていた竜昇の思考能力すらも本来のレベルにまで低下する。
「――ッ、ぅ――!!」
「ああ、やっぱり魔本頼りですか」
空中でバランスを崩し、着地に失敗して倒れ込む竜昇に対し、再び距離を詰めながらセインズがそう言って微かに笑う。
反撃はおろか逃げることすら許さない、竜昇の打つあらゆる手段を無効化する一方的な攻勢。
「竜昇さん――!!」
止めの一撃を見舞おうとするセインズに対して静が横から乱入し、それによってセインズが剣を防御へと使ったことでかろうじて竜昇が難を逃れる。
否、難を逃れてなどいなかった。
剣による防御を行うために身を回したセインズがまるでついでのように竜昇の腹部を蹴り飛ばし、小柄な体から放たれたとは思えない衝撃が炸裂してその身を後方へと容赦なくふっ飛ばす。
「――グぼッ――!!」
まるで静のついでとでも言わんばかりの気軽さで。
せっかく詰めた距離など、またすぐに取り戻せると、そんな油断ではない判断が垣間見える、それほどの動きを容赦なく見せつけて。
「――く、【黒、雲】……!!」
床の上を跳ねながらなんとか杖の先より黒雲を噴出させて、竜昇は周囲の視界を奪ってどうにか敵の追撃を阻害する。
とは言え、この敵を相手にこの程度のかく乱がどこまで意味を成すかははっきり言って未知数だ。
と言うよりも、静から伝えられた敵の能力が真実とあれば、竜昇の打つ手は軒並み役に立たなくなる。
(【意識接続】、再開……、領域、展開――、くそ、どの手もあの魔力を受けたら軒並み無効化されちまうぞ……!!)
敵の強さもさることながら、この相手、純粋に術師タイプである竜昇との相性が悪すぎる。
ある程度近接戦闘が行えるほかの三人と違い、竜昇の戦闘スタイルはその戦闘能力のほとんどを魔法的手段に依存している術師タイプだ。
通常であれば、準備する時間があればあっただけ状況を打開する手段を用意することができたのだが、この敵を相手にするとなるとどんな準備も意味を成さない可能性すら出てくる。
(一定の手順がいる大規模な魔法は恐らく発動前に潰される……。かと言って、弱い魔法だったら効果があるって訳でもない……。クソ、これじゃ本格的に――)
『――うーん、やっぱりわからないな……。どうしてあなたは、あの程度の人をそんなに必死に守るのか』
そんな自分たちの不利を突きつけられるような思考のさなか、ふと黒雲の壁の向こうから、静と斬り結ぶ剣戟のさなかに呟くようなセインズの声が確かに響く。
それは竜昇に向けられたものではない、けれど竜昇の胸を確かに抉る鋭利な言葉。
『今の人も、決して弱いというわけじゃない……。決定的に才能が欠けているとか、なにかの問題を抱えているという訳でも決してない。
――けど、やっぱり凡庸だ。突出して悪いわけではない。けれど、かと言ってあなたが執着するほど特別な存在とは思えない』
「――ッ」
思わず、竜昇の口から感情の混じった吐息が漏れたその瞬間、まるで竜昇の心情を代弁するかのように一際甲高い剣戟の音があたりに響く。
まるで荒れ狂う竜昇の内心を現すかのように、激しさを増した攻防の音が、加速するように。
(――ッ、そぉぉッ!! わかってんだよぉ、そんなことは……!!)
そうして次の瞬間、竜昇はうつぶせの状態から床へと拳を叩き付け、意図して荒々しい言葉を胸の内で叫んでいた。
杖で体を支え、それに体重を預けてよろめく足でどうにか立ち上がる。
(――知ってるわ、そのくらい……!! 俺が、静みたいな特別な奴じゃないってことくらい……!!)
その程度のことならずいぶん前から自覚していた。
あの最初の博物館で、自分などとは明らかに異なる、異常な少女のありようを目の当たりにしたそのときから。
自覚して、それでも意地を張って、竜昇はそんな静にここまで張り合ってきたのだ。
故にこそ、今この時、竜昇の不足を突きつけるその言葉は、折れかけた心に火をつける魔法のように竜昇の心に作用する。
(――クソ、考えろ……。感情的になるな、突破口を探せ……!!
今重視すべきはこいつをどう倒すかじゃない。俺達が、今この場をどう切り抜けるかだ……。四人まとめて生き残るのが最低ラインにして最重点……それさえ果たせるなら、別に俺達はこいつらを倒せなくたって構わない……!!)
とは言え、それでもやはり逃げ延びるためには目の前に立ちはだかるセインズを無視することは不可能だ。
上の階層へと続く屋上扉、そこに続く道はセインズがばっちり塞いでいて、彼を倒さずに先に進もうとしても必ず対応されて返り討ちに合う。
ならばどうすればいいのか。
そんな考えの元、竜昇は周囲の壁に寄り掛かりながらその糸口を必死に探して、黒雲の立ち込めるその切れ目、その先にあるモノへとふと視線を向けて――。
セインズと斬り結び、必死になってこの敵の技量に喰らいつくその中で、静は一つ、先ほどは気付かなかった重要な点に気付かされることになっていた。
戦っていてわかった。この少年は静以外の他の三人に興味がない。
この少年にとって重要なのは、同じ【オハラの血族】であるとみなした静だけで、他の竜昇達三人は、あくまでも静と言う人間にくっついていたどうでもいい存在だ。
それこそ感覚としては、服のタグや商品を包むパッケージあたりに喩えても大差のないレベルかも知れない。
あるいは、静が申し出れば自ら手を下すような真似はしないかもしれないが、他の誰かが三人の殺害を強固に主張したらそれを止めようとすら思わない、その程度の意識。
こうなって来ると、先ほど求婚された際にわずかに頭をよぎった、セインズの求婚を受けることで相手と対話できる状況を作り上げ、同時に竜昇達三人の命を保証してもらうという手も通じるかどうかは相当怪しい。
と言うのもこの少年、思考がシビアすぎて、その手の約束が最後まで意味を成すとは到底思えないのだ。
ともすれば、一度は静が求婚を受ける条件で戦いを回避できたとしても、例えば先ほどのオルドと言う男のような、少年の仲間である【決戦二十七士】が強硬に殺害を主張すれば、静一人を残して他の三人を躊躇なく殺しにかかりそうな危うさがこの少年にはある。
約束を守ること自体に意味を見出さず、メリットとデメリットを天秤にかけて、メリットが勝ると見れば躊躇なく約束破りを敢行しそうな、合理と効率に偏った人間性。
加えてもう一つ業腹なのは、そんな透けて見えたこの少年の思考に対して、静自身どこか共感できてしまう部分が多いという点だ。
(本当に、つくづく嫌になる……。以前はあれほど求めていた自分の同類が、実際に出会ってみるとここまで厄介でしかない存在だったなんて……!!)
他人からしてみればこれは同族嫌悪とでも呼ぶべき感情なのかもしれないが、静にしてみればこの相手は、自らがこれまで避けて来た自らの危険性を突き詰めたような相手だ。
言ってしまえば、静と言う少女はこれまで、こういう人間にならないためにずっと意識して振る舞ってきたと言ってもいい。
『――あなたはその生き方で、息苦しくはないですか?』
(――仮にそうだったとしても、今この場所で、私のすべきことは変わらない)
脳裏に居座るそんな声を振り払うように、静は休むことなくセインズへと向かって剣を振るい続ける。
すでに右手の石刃はその形態を幾度も変えて、武器の伸縮による間合いのかく乱や武器を振るう速度の最短化も織り交ぜている。
無駄とは知りつつも自己強化や魔技を戦闘の随所に盛り込んで、瞬間的な効果を期待した【瞬纏】や【爆道】による加速など、効果が見込めそうなものを選んで相手の処理能力に積極的に負荷もかけている。
だが当たらない。かすめる様子もない。
すでに時間もほとんどないというのに、敵はこちらの攻撃を躱すばかりで反撃する様子もなく、ただこちらを翻弄でもするかのように、静自身の本性を暴くそんなセリフばかりを投げかけてくる。
そんなどうにもならない戦いの中で、静にしては珍しい乱れた精神状態で、それでもよどみない動きで目の前の少年を切り伏せようと動き続けて――。
「――!?」
その瞬間、『ポーン』という酷く軽快な電子音が響いて、同時に薄暗かった病院の一画にまばゆくも敵意なき光が差し込んで、機械が動く音と共に周囲一帯へと広がった。




