231:オハラの血族
【オハラの血族】。
ハンナと交戦した際、突如として降って湧いたその言葉については、当然のように静達も情報の共有と考察を行っていた。
当然というべきか、静自身にまつわることであり、それを口にしたハンナの反応が激烈であったことから、他のメンバーの関心のこの問題に関してはことのほか高かった。
だがその一方で、この言葉から推察できたことと言うのはあまりにも少ない。
それはそうだろう。なにしろ静自身この言葉自体に心当たりと言えるものはまるでなく、『ただの人違い』や『同姓の別家系』と言われた方がよっぽど納得できたくらいなのだから。
にもかかわらず、この話がハンナの勘違いで収まらなかったのは、その場にいた誰もが、他ならぬ静本人でさえも、そう考えればどこか納得がいくと、内心でそう思ってしまっていたからだ。
そう、ここに至れば誰もが内心で感じ、察している。
小原静と言う少女の、他の人間とは一線を画したその異常性について。
それは早くからそれを自覚していた静本人のみならず、このビルで最初から彼女と共に戦ってきた竜昇が散々思い知っていたことであったし、彼女のその戦闘に際しての異常なまでの才能を、武術の心得があるからと誤魔化す形で伝えられていた詩織や理香ですら、本人たちとは別の形で彼女の異質さを薄々感じとっていた。
だから、【オハラの血族】と言うそれらしい背景の存在が明らかになったことそれ自体には、静達も納得に近い感情をもっていた。
むしろ問題だったのは、発覚したその背景と実際の静の家庭環境が、少なくとも静の思い出せる限りまったく繋がってこなかったということだ。
オハラの『血族』と言うからには、恐らくことは静一人ではなく、静の生家である小原の家系全体が関わる話なのだろうが、他ならぬ静自身はこれまで家族や親戚にそれらしい異世界との関わりなど、そんな片鱗はひとつたりとも感じとったことがない。
静の生家である小原の家系は、確かに一般家庭を自称するには少々古い歴史や経済力を持った家柄ではあるが、それでも一般的な家に比べればと言うだけの話で、そう言った部分以外ではむしろ普通に常識的と言える家系だったのだ。
と言うよりも、そんな家柄だったからこそ、静は自分自身の異質さに長く思い悩む羽目になっていたというべきか。
なんにせよ、自身の異質さを自覚して、だからこそ自身の周囲に他に異質な存在がいないかと探し求めていたような静である。
今になって自身の家系に何か異常な点がなかったかと問われても、それについては十分な根拠をもって否と言うことができてしまう。
静の異常性に何らかの背景があると言われれば納得できるのに、その背景として名指しされた家系については、それらしい異常性が一切見られないというその矛盾。
一応竜昇などは、静の家の異世界とのつながりが何代も前に途絶えている可能性など、つじつまの合う筋書きをいくつか考え、提示してくれてはいたのだが。
結局のところ、それらの真偽を確かめる術はなく、ひとまずその【オハラの血族】なる言葉への暫定的な方針として、新たに加わった理香も静を名字ではなく名前で呼ぶことで、静の持つ『小原』の姓は隠されることに落ち着いたのだ。
そう決まっていた、はずだった。
けれど今、その呼び名になれていなかった理香が思わず口を滑らせたことにより、ただでさえ混沌としていた状況は思わぬ形に推移する。
静が【小原】の姓を持つ人間であることが露見したその直後に、対するセインズもまた【オハラの血族】の一人であることを自らあかし、その上さらに親戚筋に当たるという静に対して唐突に結婚を申し込むという、そんな意味不明な行動に出たことで。
「――どうにも、よく分かりませんね。貴方が私の親戚筋であるという話の信憑性は、まあ脇に置いておくにしても……。どうしてそれで結婚を申し込むことになるのです?」
混沌とした状況の中で、それでも変わらず冷静さを保った静が、油断なく身構えたまま目の前の少年に対してそう問いかける。
よもやこちらの隙を引き出すための話術か何かかと警戒もしつつ、同時に話す中で相手が隙を見せるようならその隙を突けるように。
無論、この相手がこの期に及んでそんなケチな真似をするとはそこまで思っていなかったが、しかし意図そのものはなくとも仮に隙を晒そうものなら容赦なく攻め込んで来る、そんな目的を見失わず、空気を読まない危険性を、どこかこの相手からは明確に感じ取っていた。
奇しくもそれは、他ならぬ静がそう言う性格であるように。
まるで静とセインズ、その二人が親戚筋であるというその証言の信憑性を、性格の類似と言う事実が外側から補強しようとしているかのように。
「最初に訂正しておきますが、別に親戚筋とわかったから結婚を申し込んだわけではありませんよ。そもそもあまり血筋が近いようでは流石にまずいことくらい僕も理解していますし」
――と、そんな静に対して、言外にそこまで子供ではないと可愛らしいことを言いながら、その実可愛げとは程遠い実力を持つ少年は無邪気に笑う。
その表情に悪意のような意図は感じられず、同時にこちらを煙に巻いているような、そんな意地の悪い様子も見られない。
「なら、どうして……?」
「どうしてって、そんなのあなたが僕の好みの方だからに決まってるじゃないですか」
半ば『当然でしょう』と、そう言いたげなそんな態度で、セインズは静に対してそう断言する。
確かに相手が自分好みの異性だったから求婚したというのは、話がシンプルすぎることを除けば理由としては真っ当かもしれない。
少なくとも、この異質すぎる少年が語る理由としては、その理由はあまりにも一般的で、ありきたりなものと見ることも可能だ。
ただし、その一方で。
少年が語るその理由が字面の上では一般的なものだったとしても、本質的な部分でまでそれと一致しているとは限らない。
「正直少し困っていたのですよ。なにぶん僕は次期党首候補筆頭ですから、速いうちに伴侶の候補は見つけておけといろいろな人から言われていまして……。
――ええ、その点、確かに同じオハラの人間であるというのは問題と言えば問題ですが、その点については過去にもあったことですし、許容範囲内でしょう。
そんなことより僕の好みと合致するかの方が大切です。その点、お姉さんはそう言ったあたりは申し分ない。間違いなくあなたは僕の好みに合致するはずです」
(合致する、はず……?)
語られる言葉、その中に潜む奇妙なニュアンスに、静は表に出さぬよう内心で密かに眉を顰める
先ほどから会話していて、どうにもこの相手からはどこかちぐはぐな、噛み合っていない感覚がぬぐえない。
しかも、どうにもその感覚の原因が、この相手が何かをはぐらかしているからではないようなのだ。
まるで、そう。お互いに、そもそもの前提からして食い違っているかのような。
まるで重要な何かを知らぬまま、それを知っていることを前提とした会話を続けているような、そんな感覚。
「なんだか奇妙ですね」
同じことを、相対するこの少年の方も思ったらしい。
「――ええ、そうです。どうにも奇妙だ。そもそもさっきの質問だって、同じオハラの人間ならそもそも疑問になんて思わない。
だって、僕たちはそう言う生き物なんですから」
「そう言う、生き物……?」
静がその言葉を反芻した次の瞬間、不意にセインズの姿が輝きを纏って掻き消えて、武器を構える静の、そのすぐ目の前に現れる。
(――ッ!!)
とっさに構えた小太刀にセインズの剣が激突し、金属同士がぶつかり火花を散らすその中で、酷く純粋な疑問の瞳が至近距離から静を見据えて向けられる。
「――ええ、反射神経は悪くないんですよね……。戦う中でのセンスも……。
けどなんでしょう、オハラにしては何かが足りないんですよね……。
鍛え方が足りない――、いえ、鍛えているのに戦うための体じゃないとでも言えばいいのでしょうか……。けど、オハラの人間に限ってそんなことってあるんでしょうか……?」
(……!!)
その言葉に、静は表情には出さぬまま内心その勘の鋭さに驚愕させられる。
実際、静は体こそ鍛えてはいたものの、それはあくまでも嗜んでいたテニスのためであって、こんな命のやり取りを想定して訓練を積んでいたわけではなかった。
そこまで読み取っていて、セインズがなぜスポーツ目的で体を鍛えている可能性に思い至らないのかは疑問だが、あるいは彼にとって、スポーツのような娯楽のために体を鍛えるという発想自体が理解の外なのかもしれない。
「それにおかしいというなら、こっちも――」
「――ッ!!」
そこまで言うと、不意にセインズがその矛先を静からそらして、脇で様子を見えていた詩織と理香に向かって容赦なく斬りかかる。
とっさに両者の間に割り込み、振り下ろされる剣を十手で受け止めた静だったが、それが無ければ不意を撃たれた二人がセインズの剣によってあっけなく真っ二つにされていた。
そんな凶行に唐突に及んで置いて、しかしセインズはと言えばそれを特に気にした様子もなく、眼の前の静の様子を興味深げに観察して、語る。
「――ああ、やっぱり。やっぱり庇うんですよね……、その二人のこと。
さっきから見ていてもさして役に立っているようには思えない、完全に足手まといになっているような二人なのに」
「――、ずいぶんな、言い草ですね」
「実際不思議なんですよ。なんであなたは自分と肩を並べられるわけじゃないそんな二人を、そんなに必死になって庇ってるんです?」
「……!!」
邪気など欠片もなく、どこまでも純粋な疑問としてぶつけられるその質問に、普段から感情を表に出さずに律することができるはずの静が表情を固めて絶句する。
目の前の少年の物言いがあまりにも冷徹で常軌を逸していたから、ではない。
セインズの語るその言葉に、他ならぬ静自身が、心のどこかで『もっともだ』と感じてしまっていたが故に。
「――なんと言うか、貴方の戦い方は随分と不自然です。こう言ってはなんですが、はっきり言ってオハラらしくない」
「――オハラ、らしく……?」
「――ええ。
ねぇ、シズカさん。どうしてあなたは、そんな風に不自由に生きようとしているんです? あなたはその生き方で、息苦しくはないですか?」
投げかけられた問いかけに、静が内心で悪寒を感じて総毛立つ。
息苦しい、などと、そんなことこれまで静は考えたこともなかった。
ただしそれは、そんな感覚を覚えたこともない、と言う意味ではない。
むしろその逆、まるでずっと静の中に横たわっていた感覚に、ようやくふさわしい名前が付いたかのような、妙にしっくりくる感じが静自身の胸の中に湧き上がる。
まるで自分と言う人間の、社会で生きるためにかぶってきたメッキのような薄皮を、一枚一枚剥ぎ取られているかのようなそんな感覚。
「――おや?」
と、静が総毛立っていた次の瞬間、セインズが何かに気付いたように視線を逸らして、同時にここからそう遠くないどこかから、鈍い爆発のような音が建物全体に響き渡る。
直後にこちらに向かって近づいてくる足音は他でもない。
静達が与えられた時間をあえなく使い切ってしまった、何もできないままその瞬間を迎えてしまった、そのなによりの証だった。




