227:異端者の片鱗
『――だからねぇ、要するにここは病院なんだよ。そこかしこから臭う薬の臭いに大量のベット、こんなものをそろえる施設なんて他にはない』
最初に聞こえてきたのは、やけに饒舌にしゃべる老婆のものと思しきそんな声だった。
取り込んだ記憶によって夢に見た、あの『魔女』と呼ばれていた老婆の声と同じものである。
手枷のものと思しき金属音をちゃらちゃらと鳴らして、声自体も老婆のしゃがれた声でありながら、実に生き生きとした口調で声が己の予想を他の二人に対して語っている。
否、正確に言うならば、老婆のその言葉に耳を貸しているのは、二人のうちの一人だけであると見るべきか。
『病院、ですか……。けど、僕らの知る病院とは、ここは随分と違いますよね』
『ああ、そりゃそうさ。ここに限った話じゃない、他の階層にしたって、建物のつくりから調度品、そこらの小物に至るまで、この塔の中で見られるものはアタシらが知る者とは段違いだ。質もそうだし、そもそもの数も違う。あたしらがたまにしか見ないような高価な品が、ここじゃ恐ろしい数でならんでたりするからね』
途中でアマンダとの会話に応じたのは、声の質からして酷くわかりやすい、まだ声変わりすらしていない少年の声。
まるで祖母と孫か何かのように、手枷をはめられた老婆とそれを護送する立場にあるはずの少年が、気味が悪いくらいに朗らかに会話を交わしてこの階層のつくりについての考察を語り合っている。
『恐らくだが、ここにある物品や内装はアタシらんとこのものよりはるかに使われている技術のレベルが高いんだ。言っちまえば、アタシらは今、遥かに進んだ未来の技術を見てるんだよ』
『なるほど……。道理で途中から見たこともないものばかりの階層になっていると思いました。流石は神の御力の働く塔の中です。そんな未来の技術に至るまで作り上げて見せるなんて』
『ヒッヒ……。ところが、そう話は単純なもんじゃない。よく見て見な。前の階層もそうだったが、この建物の中からはどこからも法力の気配を感じない。つまりはこの建物を作る技術は、【界法】の技術を一切用いずに作られているってことさ』
『――それは、当たり前の話では? 法力を操り超常の力を操る【界法】はどこもその技術を秘匿しているのが普通です。例外があるとすれば僕の家やオーリック家などがあるでしょうが、【法具】の類を建物の内装などに使用していたらせっかくの技術が流出してしまいます』
『ヒッヒ……。確かにそうさね、坊や。けど少し世間知らずだ。――いや、坊やの歳、生まれた時代であればそれも当たり前かね。けどその予想はやっぱり違うと思うよ。もしあたしらの文明がこのまま発展していけば、各流派や一族の奥義とまではいかなくとも、誰でも使える簡単な【界法】くらいなら技術が普及して誰でも使うようになっていたはずさ。そうなれば、【界法】の技術を組み込んだ物品がもっと生活の中に普及していたとしてもおかしくはない』
『そんなもの、でしょうか?』
『そんなものだよ。と言うより、坊やが生まれる前にはもうそんな流れがあったんだ。一部の商人たちや、さっき話に出たオーリックの家柄なんかで、危険の少ない【界法】を一般にも普及させたり、それらの技術を組み込んだ物品を売り出して金を稼ごうって動きがね。そんな流れが順調に発展していたら、将来的に生まれる文明は、こんな建物のあちこちから【法力】を感じられるようになっていたはずさ』
まるで祖母が孫に対して語り掛けるように、鎖の音が混じる老婆の声が興味深そうな声色の少年に対してそう語る。
実際声だけを聴くのであれば、その様子は年長の老婆が年若い少年に知識や経験を語るだけのものとそう思えただろう。
彼らの声の中に混じる、物々しい武装の立てる音や、両手を戒める手枷の音が要所要所に混じってこなければ。
『まあ、いろいろ言いはしたが、つまりだね。この建物を形作っているものは、そもそもアタシらの築いてる文明とは根本から異なる文明体系の技術ってことになるわけさ。少なくともアタシらの文明を単純に発展させただけなら、ここまで法力と無縁の文明ができるとは思えない。
ヒッヒ……。一度そこらのものを分解して、どういう理で動いているのか調べてみたいもんだよ。アタシらの知らない、まったく別の理で動くものなのか、それともまさか、単純に法力も界法も抜きに、これほどの文明を築き上げたのか……。そんな文明と、アタシらが崇める神様とはいったいどんな繋がりがあったのか――』
そう老婆が語った次の瞬間、床を杖で叩くガツンと言う音があたりに響いて、それまで会話に参加してこなかった男の声が新たに響く。
『いい加減にしろ。下種な魔女が神の奇跡たる【神杖塔】の内部をいたずらに推し量って、それを人の手によるものだと侮り、挙句分解などと……。法力の気配が感じられないなら神の奇跡なのだと、おまえはなぜそう素直に感じられないのだ……!!』
『ヒッヒ……。そりゃアンタ、俗人的すぎるからさ。この階層もそうだが、アタシらがよくわからないと考えた内装の構造は、明らかに多数の人間の使用を想定したもんだ。
たった一人の神様が自分で使うためのもんじゃない。
この建物の中にあるものは、明らかに人間が人間の体で使いやすいように考えて設計されている。例外なく。ひとつ残らずね……。
となればほれ、この建物の内装は神が自身の考えで作ったものではなく、どこかにあったアタシらとは別世界の人間が、そいつらの思考と工夫で作り上げたもんと考えたほうが自然じゃないさね』
『貴、様……!!』
老婆に理路整然と論破されたそのせいか、オルドの声に明らかに苛立ちと言うレベルを超えた殺意の色がこもる。
会話の内容から予想はしていたが、どうやら彼にとってこの老婆の言を認めるというのは相当に腹に据えかねるものであるらしい。
とは言え、老婆に手を出す訳にはいかないと考えたのか、あるいは無駄だと悟ったのか、オルドは荒い鼻息の後にその矛先を老婆から少年の方へと差し向ける。
『セインズ殿、貴殿もだ。貴殿とてこんな魔女の言う世迷いごとを、素直におとなしく聞き流してくれるな。この魔女がかつてどんな、神をも恐れぬ大罪を働いたかは、さしもの貴殿らとて耳には入っているはずだろう
まさかそんな人間の言うことを真に受け、感化された訳でもあるまいに……』
『ヒッヒ、世迷いごとじゃなく【神問学】なんだけどね』
『黙れキサマッ!! 貴様のような魔女が学問を語るなど――』
『――ご心配なさらずとも、オルドさん。僕だってアマンダさんに対して、そこまで深く肩入れするつもりはありませんよ』
そうして苛立つオルドに対して、しかし当のセインズはと言えば朗らかな口調のままで妙にあっさりとそう言って見せる
――否、それはあっさりしているというよりも、もっとはっきりと冷淡であるというべきか。
『確かに興味深い話ではありましたが、生憎と僕も単に興味深いというだけで、そこまで深入りするつもりはありませんよ。確かに知的好奇心は刺激される話ではありましたが、究極的には僕にとって、この塔の内装が神の御業でも人の文明でもどちらであっても構わない』
『――ヒッヒ……。それを語って聞かせた学者の前で、ずいぶんとはっきり言うじゃないか』
オルドは絶句するそんな中、相変わらず軽い口調を崩さないアマンダの方も『やれやれ、さすが、教えがいがないねぇ……』と、幾分残念そうにそう続けて、ただそれだけの言葉で老婆は先ほどまで親しげに話していた少年の無関心を聞き流す。
それはまるで、少年のそんなありかたが、さも当然であるかのように。
『同様に、アマンダさん個人に関しても僕はそこまで深入りするつもりもありません。もちろん、相当にお強い方なのは知っていますので、そちらについての興味はないでもないのですが……。なにぶん、僕とアマンダさんではあまりにも年が離れすぎていますから』
『おやおや、振られちまったかい。ヒッヒ、こりゃあアタシも、あと五十年くらい若くないとだめだったかね……?』
『――……ふん、まったく、どいつもこいつも……』
妙なところで年齢差を気にする不可解な発言にも誰一人として言及することなく、結局声の向こうにいる二人はセインズの発言をそれぞれの形で聞き流す。
それはまるで、すでに何を言っても無駄だと悟り切っているかのようで。
あるいはセインズと言う少年のことを、そう言う生き物なのだと割り切っているかのようで。
ゾクリと、不意に背中に悪寒が走る。
離れた位置にいるその会話を聞いて、どこまでも冷淡な少年の、その言葉を口にするときの無邪気な笑みさえ頭に浮かぶような、そんな気がして。
(――なん、だ……、こいつ……)
漠然と、酷く嫌な感覚と、同時に奇妙な既視感が脳裏をよぎる。
そう、この相手、セインズと言う少年のことを竜昇はどこか知っている。
送られてきた写真でしか知らない、アパゴの記憶にすらいなかった相手のはずなのに、ただ漠然とこの相手に対する奇妙な覚えがそこにある。
――否。あるいはそれは、もしかしたらセインズ自身に対するものではなかったのかもしれない。
セインズとは別の,けれどどこか似通ったなにかと、どこかで会ったことがあるかのような、そんな感覚。
それがいったいどこだったのかと、竜昇が耳を澄ませながら必死に思い出そうとしていた、まさにその時――。
『――なんでしょう、なにかおかしいですね』
――不意に、そんな思考にまるで冷や水でも浴びせかけるかのように、音の向こうからそんな危険な声が竜昇達の耳へと飛び込んで来た。
『――なにか、だと? 具体的にはなんだ?』
『……なんでしょう、音、匂い、それとも温度……? はっきりとはわからないんですけど、以前に、お二人を迎えに行くその前にここを通った時と、なにかが違うような気がしまして――』
(――!?)
その言葉が何を意味しているかを理解して、思わず竜昇はこの少年に心の底からゾッとさせられる。
少年の言葉が口にしているのは、言ってしまえば直感の理由付けだ。
周囲の環境の微妙な変化。
人間の感覚でははっきりとわからないほどの、あまりに些細で本来なら見逃してしまうだろう竜昇達のいた痕跡を、このセインズと言う少年は敏感に察知して、言語化できない漠然とした感覚としてはっきりと感じ取っているのだ。
そして、この異質な少年の言葉であれば、それだけで理屈に依らない、説得力と言う名の意味を持つ。
『――ふん。要するに、この近辺、あるいはこの階層に何かがあると言うことだな?
ならば問題ない。何かがあるというならそんなもの、全て火にかけてしまえばそれで済む話だ』
その言葉に、竜昇が詩織と二人でギョッとした次の瞬間。
階下から巨大な魔力の感覚が押し寄せて、物陰に隠れる竜昇達からも見えるほどに巨大な竜巻が、階下から天井を目がけて吹き上がる。
否、それはただの竜巻などではない。
その渦の中に恐ろしいまでに眩い、輝きすぎる炎を大量に巻き込んだ、まるで巨大な炎の柱のようにそびえる恐るべき火災旋風だ。
(――ッ、これは、まさか――!!)
『さあ、曲者がいるなら炙りだせ、神より賜りし【裁きの炎】よ――!!』
次の瞬間、まるで解けるように火災旋風がはじけ飛び、内部で勢いを増していたそれらの炎を一気に周囲一帯へとまき散らす。
【裁きの炎】などと言う、あまりにも単純明快な名前を冠する神造の炎が、隠れ潜む竜昇達をこのフロアごと焼き尽くすべく四散する。




