220:真なる強敵
矢が指し示す方角を『上』にする。
矢を何かに突き刺すことでその先端が指し示す方向を『上』として設定し、そうして決めた上下関係を周囲一帯の人やモノへと適用し、その影響下にあるもの達はその法則に従って、矢が指し示す方とは逆の『下』の方へと落ちていく。
それこそが、【決戦二十七士】が一人、ヘンドル・ゲントールが操る弓と矢からなる二対一体の【神造物】、【天を狙う地弓】の、矢の側が持つ最大の能力だ。
矢の先端が何かに刺さっていれば効果が発動する、持ち主の意思一つで手元に移動するなど、特筆すべき要素は他にもあるが、それでもやはりこの矢の最大の特性は、この『矢の先端が指し示す方角を「上」として設定する能力』にあると言っていい。
ではここで問題。
もしもそんな【天決矢】でもって宙に投げたリンゴを射抜いたら――。
否、もっと言うならリンゴでなくてもなんでもいい。矢の先端に何かが刺さった状態で、その矢が空中へと投じられたならば、いったいどんな事態が起こるのか?
通常、物体と言うモノは重心に偏りがあるとき重い方を下にして落下する。
今回の場合、矢の先端には重いリンゴが刺さっているため、矢の重心は先端側に偏り、矢は先端側を下にして落下する形となる訳だが、ここで問題なのはその『矢』が向けられた先を『上』として指定する【天決矢】であるという点だ。
結果、空中に投じられた矢は落下する途中で重心の傾きによって下を向き、けれどそうなることで今度はそれまで下だった方角が『上』として再設定されて、矢は再び重力に引かれて下を向いて、それによってふたたび上下関係が変化する、と言うそんなサイクルを延々と繰り返すことになる。
それこそ、自身の尾を追って走る小動物にも似た動きで。
周囲にあるものすべてを巻き込んで、止まることなく、半永久的に――。
「――ぅ、ぉ――、ぁ――、なんだとォォォォオオオッッッ――!!」
重力の方向が連続で切り替わる。
突如として重力に引っ張られて壁から引きはがされそうになり、慌ててしがみ付こうとした瞬間その壁面へと竜昇の体が落下する。
そうしてその次の瞬間にはまた別の方向に竜昇を壁から引きはがそうとする力が働いて、そのことに理解が追いつく前に再び竜昇の体が壁面へと墜落して空へと落ちる。
比喩や誇張を抜きに世界が回る。
重力の働く方向が滅茶苦茶に変転を繰り返し、それに付き合わされる竜昇の体が、本来ならば床であったはずのその場所へと何度もたたきつけられては引きはがされてを繰り返す。
(ヤバい、これは――、この状況はやばい――!!)
自身の体重を軽減する術を得て、空中移動こそできないものの、それなりに重力の変転に対応できるつもりになっていたが、この状況はそんな竜昇の勘違いを吹き飛ばすには十分すぎるほどの窮状だ。
なにしろこれでは、いかに体重を消せても姿勢が制御できない。
常に上下の方向が変転している関係上走り回ることはもちろんのこと、たとえ体重を消して跳躍したとしても落下方向がこうもころころ変わるのでは、空中で瞬く間にバランスを崩してあの空中で回り続ける矢と同じような状態になってしまう。
現状竜昇にできることがあるとすれば、かろうじて体重を消して、眼の前の床に張り付き耐え忍ぶことただそれのみ。
それとて、今の竜昇には変転する重力によって引っぺがされそうになる、一瞬の油断も許されない巨大な試練だ。
足元に点字ブロックの凹凸があったからどうにかそこに指をかけて維持できているものの、それが無ければ瞬く間に投げ出されて空中で回る滑稽なデブリになっていた。
「――ッ、ぅ――、【迅雷撃】――!!」
平衡感覚の喪失によるこみ上げるような吐き気をどうにか押し殺し、竜昇は右手を掲げてそこから空中へと向けて電撃を撃ち放つ。
狙いはヘンドル、ではなく彼が放った矢、その先端に突き刺さるリンゴの方だ。
ただ一個の果実程度軽々と焼き尽くせる大魔法を撃ち放ち、しかしそうして放った魔法は狙った果実をかすめることすらなく、見当違いの方向へ向かってその先にある壁面を粉砕する。
(――ク、ぉ――、ダメ、だ……。まともに狙いをつけることもできない……)
防がれた、外されたというよりも、自身の照準がまともに合わなくなっているのだとそう悟る。
けれどそれならば、範囲攻撃に訴えれば当てられるかもしれないとそう考えて、しかしそれを実行する前に竜昇の頭に強烈な蹴りが叩き込まれた。
『これ以上無粋(無粋)な真似(行為)はやめてもらうぞ、小僧――!!』
「が――、ぉ――」
弓の力で変転する重力をものともせずに着地して、ヘンドルが余計な抵抗を見せた竜昇を容赦なく蹴り上げる。
脳が揺れる。目が回る。
空中に投げ出された体が変転する重力の影響にどうしようもなく囚われて、竜昇の体が空中で回る矢と同じように、際限のない落下で空中をグルグルと回り出す。
『――本音を言おう。正直に言えば私も、貴様らをこのような形で葬りたくはなかったよ』
そんな竜昇に弓を突きつけて、ヘンドルは本当に残念そうにそう言って、腰のケースから携行矢を引き抜き、矢を番える。
『このやり方は便利ではあるが、これでは貴様らはただの的だ。狩りの獲物として、最後に命を輝かす瞬間すら、今の貴様らには与えてやれない。
本音を言えば流儀には反するんだ……。余計な横槍さえ入れなければ、一匹ずつきちんと狩ってやったものを――』
(――ク、ぉ――)
耳に届く言葉のほとんどを理解できぬ状況で、しかし何やら勝手なことを言われているらしいことだけは何とか感じ取って、しかし竜昇はこの状況下で何もできずに宙で回る。
そんな滑稽な状態の竜昇を、言葉とは裏腹にヘンドルが微かに鼻で笑って、同時に込められるだけの法力を込めたその矢を放って、今度こそ不快な横槍を入れてくれたこの小僧を、木っ端みじんのバラバラに粉砕してしまおうとそう考えて――。
――その瞬間、狙いをつけるヘンドルの背中を強烈な悪寒が駆け抜ける。
『――!?』
反射的に振り向いたその瞬間、背後からヘンドルの喉元目がけて鋭い刺突が突き入れられる。
先端がとがっているわけではない、けれど勢いからして間違いなく命にも届きうる十手の刺突。
『――ぅ、ォオッ――!!』
吠え声と共に身を逸らし、ヘンドルの首を突き込まれる刺突がかすめて通る。
ヘンドルの視線が自身を殺めかけた十手からその持主の手へと瞬時に移り、そのままたおやかなその手指の主の姿へと一瞬のうちに視線がシフトして――。
『ゴァッ――!?』
直後、魔力の爆ぜる炸裂音と共に、その攻撃の主である静の肘がヘンドルの喉元へと激突し、強引なタックルをくらったヘンドルの態勢が大きく崩れて転倒する。
『――ノレェッ――!!』
喉元に受けた一撃に絶息しながらも、しかしヘンドルは即座に重力方向を変更し、倒れ込む姿勢のまま床と平行に落下して敵の間合いから逃れ出る。
否、逃れ出ようとした。
敵である静が、あろうことかヘンドルとまったく同じ動きで、その後を追ってこなければ。
『なんだと――!?』
驚きながらも矢を放つ。
威力よりも早さを意識した、迫る敵を正面から撃ち抜く最速の一射。
だがあろうことか、迫る静は再び足裏で爆発を起こして斜め上へと跳んで回避すると、そのままヘンドルへと向かってまさしく落ちるような速度で十手を振り下ろしてきた。
手にした十手に、暴風の魔力をこれでもかと漲らせて。
「【突風斬】――!!」
『ブゥッ――!!』
重力の方向を正常な状態に戻し、地に足を付けてヘンドルがその一撃を受け止めたその瞬間、強烈は暴風が激突した武器から発生してヘンドルの体を勢いよく背後にぶっ飛ばす。
普通に考えれば、距離を空けての戦闘を得意とするヘンドルに対してわざわざ相手との距離を空ける技を使うなど愚策の極みだが、生憎と今、この状況においてはその選択こそが正解だった。
『が――、ぅ――』
直後に背後から強烈な衝撃が襲い掛かり、壁面へと叩き付けられたヘンドルの肺から再び空気が叩き出される。
(――ッ、こやつ、なぜだ――!?)
壁際に追い詰められた、と言う以上に、ヘンドルの心中を占めるのはもっと根本的でシンプルな一念。
『貴様――、なぜだ――!! この重力下で、なぜそこまで自由に動ける――!!』
半ば怒りを込めてヘンドルが叫んだその瞬間、壁際へと追い込んだヘンドルを追いかけて視線の先から静が足裏で爆発を起こして猛然と十手を構えて突きかかって来る。
そして見た。距離が離れたことでようやく、静が自身の体の後ろに隠していたのだろう、それでもこうしてみれば隠しようもないほどに分かりやすい、ヘンドルの疑問の答えとなるあまりにもわかりやすいカラクリが。
次の瞬間、容赦のない勢いで静の十手が突き出され、それをヘンドルの弓が受け止めたことでようやく両者が至近距離で睨み合う。
『――驚きだ。次々と姿を変える妙な武器だとは思っていたが、まさかこちらの、【神造物】の姿や特性まで、そのまま写し取って見せるとはな……』
十手を突き出す静の右手とは逆の左手、そこには、先ほどから静に重力の変転に囚われぬ動きを可能とさせていた、ヘンドルが握るのとまったく同じ【天を狙う地弓】がしっかりと握られていた。
『まさかとは思っていたが、神敵である貴様が使うそれは『神造物』か……?
――いや待て、先ほどの石刃、武器を写し取るその特性――、まさか貴様のそれは、噂に名高い『英傑殺し』の――」
(――!?)
静が【始祖の石刃】をこの相手が持つ弓へと変化させられた理由は簡単だ。
先ほど接近戦を仕掛けた時、形態変化を駆使する中でほんの一瞬、石刃の形態で相手の弓に接触する機会があったというだけである。
静としても狙ってコピーしたわけではない、たまたま条件を満たしていたことが思わぬ形で役に立ったというだけの話だったのだが、より予想外だったのはその時に見せた石刃の形態から、眼の前のヘンドルと言う男の中に何か察するものがあったということだ。
だが、いまのこの対立する状況の中で、そんな相手の反応について追及できるはずもない。
なによりも、今のヘンドルは静に対して、完全に本気になってしまっている。
『――く、ハハ、ハハハハハ、ハァッ――!!』
突如として笑い出し、直後にヘンドルが気合いの声と共に受け止めた武装ごと静の体を正面から押し返す。
否、違う。
単純に押し返しているのではない。ヘンドルもまた、正面の、静のいる方向へと重力の方向を変更し、彼自身もまた静の方向に向かって落ちてきているのだ。
(――ああ、そうです……!! 互いに相手のいる方向に落ちているなら、当然押し勝つのは体重で勝る方と言うことに……!!)
設定した重力方向の関係で下から突き上げられるように押し返されながら、静は即座にそのからくりを頭の中で理解する。
だが、理解できたところでこればかりはどうしようもない。
もとより、静とヘンドルではそもそもの体格からして違うのだ。
一般的な少女の平均から大きく外れていない静と、極端に大柄ではないにしろ成人男性であり、鍛え上げた肉体を持つヘンドルでは根本的な体格差と体重差が大きすぎる。
それはつまり、弓の力によって互いに相手に向かって落下した場合、押し負けるのは体重の軽い静の方であるということだ。
さらに――。
『――フ、ハハハハッ――!! 【英傑殺し】……!! まさかかの石刃を持つ相手と、こんなところでまみえることになろうとは……!!』
興奮した様子で叫びながら、ヘンドルが弓を持つのとは逆の手で容赦なく突撃槍を静に向かって突き出してくる。
(――ッ)
不意を討ち、なんとか壁際にまで追い込んだ静だったが、こうなってはもはやこの相手を逃げ場のない空間に留めおくことは不可能だ。
自身に働く重力方向を変化させ、直前までとは別の方向に落下することで槍による一撃を回避して、直後にそんな静を追って多数の矢がヘンドルの元から撃ち込まれてくる。
『侮りを詫びよう、神敵の娘よ……!! 貴様はただの獲物ではない、この命を脅かす恐るべき敵だ――!!』
つい先ほどまで、ヘンドルの中にはわずかながら、けれど確かに静達に対する侮りがあった。
それは恐らく、自身が狩る側の人間であるのだという自負と経験によるものだったのだろう。
彼にとって戦いとは、【神造物】をはじめとする各種武装や技能を用いて相手を一方的に追い詰める『狩り』に近いモノで、自身の命を脅かす対等の相手との戦いと言うモノとはついぞ彼は縁がなかった。
けれど今、ここまで食い下がられて静の【始祖の石刃】の正体を知ったことで、今の彼は静のことを自分を脅かしうる危険な敵と認識してしまっている。
故に、今のヘンドルは油断をしない、流儀にもこだわらない。
すでに彼の中にあった、ある種の禁じ手に訴えていたことも相まって、容赦も遠慮もなく、あらゆる手段で静の命を取りに来る。
(……ッ!!)
ヘンドルの元から矢が放たれて、ミサイルの如き威力を持った矢が静の行く手を爆砕する。
直前で落下方向を変えて、半ば飛行するような形でどうにか攻撃を回避した静だったが、そもそも遠距離攻撃が可能な間合いになってしまったというだけでも深刻だ。
(魔本を奪っていたおかげで、追尾攻撃になりうるあの鳥の召喚獣は使ってこないようですが――)
直前までの戦闘で相手の戦力を削げていたのは幸運だったが、しかし戦力を削がれているという点では静も同じだ。
今の静は、この変転し続ける重力環境下で動き続けるために石刃の変化形態を相手と同じ弓に固定されていて、下手にそれ以外のものを使おうとすれば重力の変転に囚われてまともな行動などできなくなってしまう。
かと言って、そうして半ば使用を強制されている弓が使い物になるかと言えばそれは全くの否だ。
さしもの静も弓術の心得まではさすがに持っていないし、そもそも静の手元に弓はあったとしてもそこから飛ばす矢がない。
先ほど弓の形態に変えた直後に、あの空中で回り続ける矢を手元に取り寄せられないかと試してみたが、どうやら持ち主の元に現れる機能は弓ではなく矢そのものに搭載されている機能らしく、弓を持っただけでは問題の矢を回収し、この状況を打破することは不可能だった。
こうなると、静の手元にある武器でまともに使えるのは普段サブウェポンとして使っている十手のみ。これでは距離を空けての遠距離戦はもちろんのこと、接近戦でも武器の優位で敵の勢いに押し切られてしまう。
離れても近づいてもダメ、と言うよりも、そもそも近づくことそのものが困難な状態だ。
かと言って、下手に距離を放しすぎれば今度は別の危険がつきまとうことになる。
(かくなる上は――!!)
再び撃ち込まれる矢の爆散をギリギリで回避して、静はその粉塵に紛れるように再度落下する方向を変えて壁際から中空へと向かって飛翔する。
かくなる上はこの落下状態のまま空中で回る竜昇と合流するより他に無い。
竜昇ならば静と違い遠距離攻撃の手段を豊富に持っているし、最悪の場合この場からの撤退と言う手段も選択肢の中に入って来る。
その場合、そもそもどこに逃げるのかなど別の問題が巨大な壁として静達の前に立ちはだかることになる訳だが、この場で二人まとめてやられてしまうことを考えれば、たとえじり貧であってもまだしも生存の目が残ると言うモノである。
そう考えていた静だったが、しかしそんな思惑は直後に強烈な衝撃と共にあえなく阻まれることと成った。
飛翔する静の真横から。突撃槍を構えたヘンドルが自ら突撃してきたことによって。
『仲間の元へは行かさん――!!』
「――ぐ、ぅ――!!」
とっさに展開したシールドの表面を突き破り、内部へと侵入してきた突撃槍の切っ先をどうにか弓と十手を交差させることで受け止めて、しかし静は落下してきたヘンドルの勢いに押されて目指す竜昇の元から引き離される。
否、引き離されるだけではない。
静達が落下する先には、本来の重力下においても落ちてたどり着くべき床面が待ち受けている。
「――ぅ、く――!!」
『落ちる方向を変えようとも、それもッ、無駄だぁぁぁあっ――!!』
迫る床から離れるように落下方向を変えようとする静だったが、既に勢いがつき、体重でも勝るヘンドルを相手にそれだけでは対抗できない。
やむなく落下のベクトルを縦から横に変更して、それによって静とヘンドル、二つの落下ベクトルがかみ合って垂直での落下が斜めに落ちる形へとかろうじて変更される。
だが、それでも――。
『落ちて死ぬのが嫌だというならッ、摩り下ろすまでだぁァァァアアッ――!!』
落下する静の背後を高速で通り過ぎていく床面へと向けて、ヘンドルが自身に働く重力を操作することでその場所へと静を押し付けにかかる。
ヘンドルの突撃槍によって貫かれ、しかしその場所以外はかろうじて形を保っていた静のシールドが背後でガリガリと音を立てる。
なにが起きているのかは見るまでもない。
落下する途中で壁面へと押し付けられたシールドがその表面を削られて、その破壊がシールド全体に広がって内部の静を守り切れなくなりかけているのだ。
このままでは、ほどなくしてヘンドルの言う通り、静の五体は落下の勢いのままに壁へと押し付けられて、そのまま見るも無残な肉片へと摩り下ろされることになる。
(――流石にそれは、ごめん被ります――!!)
心中でそう叫び、即座に静は自らシールドを解除して、背中から壁へと突っ込むより一瞬早く、右足裏を爆発させて体を無理やり回転させる。
自身に向けて突き込まれる槍の穂先を背後の壁へと逸らして逃がし、同時に勢い良く回る、その推進力を生み出した右足をそのまま振り回して目の前の敵へと回し蹴りを叩き込む。
『――ぬ、ぐ――』
とっさに腕で顔を守ったヘンドルだったが、それでも互いの位置関係を変えるにはそれだけでも十分なものだった。
すかさず静が弓の力によって重力方向を操作して、生み出した回転の力で錐もみ回転しながらどうにか床とヘンドルから距離をとる。
(――やはり、この方、本来の持ち主だけあって重力の使い方が圧倒的にうまい……)
ある程度予想していたことだが、石刃の力でコピーを手にしたばかりの静と違って、本来の持ち主であるヘンドルの練度は相当なものだ。
静自身、弓の持つ力の使い方について、ある程度『こういう使い方もできる』という発想ができない訳ではないが、そうした発想を普段から積み重ねているヘンドルが相手ではやはりそうした戦術、戦法の引き出しに圧倒的な差異がある。
(これが油断してくれていた先ほどまでであれば、まだしも付け入る隙もあったのでしょうが――)
厄介なことに、もはやこのヘンドルと言う敵は静に対して全く油断していない。
それどころか静の取りうる行動を的確に予想して、それにどう対処するかキッチリシミュレートしながら動いている。
「――今度はそちらか、行かせる気はないぞ――!!」
案の定、ヘンドルは静が少しでも動きを見せると、そこからこちらの動きを看破して先回りするように次々と矢を射かけ、彼自身も静の方へと飛行し猛然と追いすがって来る。
静にしてみれば、空中で回り続ける問題の矢をどうにかすることでこの状況を打破できないかと考えていたのだが、先ほどからそうした目論見を思いついた傍から潰されてしまっているような状態だ。
ここまで先んじて勝機を潰されてしまうと、流石の静もこれ以上探し出せる勝機がない。
(さあどうだ、この期に及んでまだ打てる手はあるか、神の試練たる娘よ……!! 打てる手があるというなら好きなだけ持ち出してくるがいい……!! いかなる手で来ようとも、全てこの手で打ち破ってくれるぞ……!!)
――そう、実際この時、ヘンドル・ゲントールは静に対してもはや微塵も油断していなかった。
自身と同じく【神造物】を擁する静のことを自身に匹敵する強敵と、そう判断して、己の全能力を静と言う敵を倒すことに注ぎ込んでいた。
けれどそれ故に、この時ヘンドルは完全に失念してしまっていた。
一度は無力化したが故に。
今自身が相手にしているのが静一人ではないことを。
この場に残るもう一人である、互情竜昇の存在を。
『――む!?』
ヘンドルが静に対して再び突撃をかけようとしていたそのとき、突如として明後日の方向から閃光が放たれて、静とヘンドル、二人の元からかなり離れた場所へと一筋の光条が突き立てられる。
その閃光の発生源にいるのは、先ほどから無様に空中を回っているだけの、一人の少年。
(――ッ、また貴様か小僧……!! あたりもしない破れかぶれの攻撃で、この神聖な戦いの邪魔をするなど――、――!?)
と、思ったその瞬間、遠方の壁面に突き刺さっていた雷の光条が、その出力を維持したまま横一文字に振り抜かれ、静とヘンドル、彼我の間を分断するようにまるで剣の一閃のように空を裂く。
『――ッ、小僧――!!』
さしものヘンドルも、これには一度落下方向を変更し、進路を無理やりに変えざるを得なかった。
そんな状況と思わぬ敵の一手に苛立つ様子を見せたヘンドルだったが、しかしこの相手の行動はそれだけでは終わらない。
直後、宙で回り続ける竜昇の元から周囲一帯へと向けて、法力の波動が立て続けに放たれる。
恐らくは周囲に潜むものを洗い出すためのものだろう。ヘンドルも憶えがある、周囲の法力をかき乱す探査の波動。
(こんなものをなぜ連続で――、いや、そうか……!!)
一瞬遅れてヘンドルが視線をやれば、先ほどまで追っていた静が今はわき目も振らずに建物の中央通路に向かって一目散に飛んでいく。
恐らく仲間である彼女には、先ほどの波動の連続と言う形で伝えられた指示がはっきりと理解できていたのだろう。
(――おのれあの小僧、自らを犠牲に娘の方を逃がすつもりか……!!)
自らが殿として残って時間を稼ぎ、その隙に味方であるあの少女を撤退させる。
普段のヘンドルであれば賞賛の言葉の一つも送ったかもしれない、自己の犠牲を前提としたそんな決断を相手の動きの中に読み取って、しかし今のヘンドルは己の試練に水を差されたことへの不快感しか覚えない。
これまで何度となく水を差されてきたという経験と実感が、今、このとき、敵を見下ろすヘンドルの眼を曇らせる。
(――そうだ、逃げろ、静――!!)
回転する視界、感じる魔力の感覚で周囲の様子をどうにか把握しながら、竜昇は胸の内で自身が送った符丁の意味を静が理解してくれたことに感謝する。
なにしろ今の竜昇ではまともに戦うことはおろか、まともに相手のいる方向へと向けて魔法を放つことすら不可能だ。
変転し続ける重力によって世界が回り、宙へと蹴り上げられたことでしがみ付く場所すら失った今の竜昇では、重力に振り回される体を止めることすらできず、窮地に陥る静に対して加勢することもできない。
――故に、竜昇は諦めた。
(急げ、逃げてくれ、静――!!)
自身の生存を、ではなく――。
この状況で、この敵に、キチンと狙いをつけることを諦めた。
――故に。
(――これから放つ攻撃に、絶対に巻き込まれないように……!!)
その瞬間、自身の周囲に展開していた領域、魔力でできたそれを電気へと変えて、既に発動させていた【電導師】の魔法によって竜昇の体に黄金の衣となってまとわりつく。
同時に、新たに放たれた魔力によって大通りの奥から、竜昇がここに来る途中で仕掛けて来た【静雷撃】の電力が一斉に竜昇の元へと集まって、回転する竜昇の背中に大きな翼かマントのように雷の衣が伸びていく。
『――むぅっ―!?』
突如として引き起こされた光景に、竜昇を無視して静を追おうと飛行していたヘンドルが目を剥くがもう遅い。
すでに電力の確保は十二分。空中で放置されているその間に、魔本や杖にもたっぷりと時間をかけて魔力を溜め込んだ。
後はもう、続けて放つこの一撃に己の全てをかけるのみ。
「【光芒雷撃】――装填、――【六芒迅雷撃】――!!」
突き出すように構えた杖の先端に六つの雷球を配置して、そこに巨大な電力をぶち込むことで範囲攻撃として宙を跳ぶヘンドル目がけて撃ち放つ。
杖の先端の雷球の配置によって、扇状に広がる形で放たれる高威力の電撃。
だが――。
『無駄だ、小僧――、この場は貴様の出る幕ではない……!!』
広範囲でありながら、しかし狙いの甘いその電撃を、宙を飛ぶヘンドルはあっさりと回避して、そのまま安全圏へと離脱する。
もとよりまともに狙いなど付けられない以上、いかに広範囲を狙えるとは言ってもこうなることは分かり切っていた。
重力に逆らえない竜昇の、言ってしまえばこれは当然の帰結。
だからこそ――。
「まだまだァッ――!!」
電力を放出し続ける。
先ほどの光条を刀剣のごとく振るった時と同様に、放出される大火力の魔法に対して、さらに身に纏う電力の全てを注ぎ込んで。
「振り抜け――」
『なんだと、まさか――!?』
それは、ため込んだ電力量にものを言わせた特大の暴挙。
自身を振り回す重力すらも逆に利用して、本来一瞬で終息するはずの大火力魔法を、出力を維持しながらそれを放つ杖ごと振り回すという想像だにしない暴力。
「――【六芒迅雷奔流撃】――!!」
その瞬間、扇形に広がる雷がその術者ごと力任せに振り回されて、広い入り口ホール一帯、その内部を閃光ですべて飲み込み埋め尽くす。
人も、物も、ただ一つの例外もなく徹底的に。
眩いばかりの雷光が、狩人の作った狩り庭の全てをその熱量によって焼き払う。




