218:地にありて天を狙う
重力の変転により縦に直立したショッピングモールの頂上で、店舗入り口のロビーを二つの人影が飛び回る。
一人が壁を走り、宙を跳ぶ形でロビー内部を縦横無尽に飛び回って追いすがり、もう一人がそんな相手から距離を稼ぎながらその手の弓で次々に矢を放って、追ってくる獲物を狙い撃つ。
『なかなか達者な足を持った獲物だ。だがよもや我が矢が躱した程度で終わるモノと思っているわけではあるまいな?』
空中から壁面へと跳んで逃れた静に対して、ヘンドルがそう言いながら、放った後の矢に追加の魔力と指示を送り込む。
ミサイルが如き威力を込められ、直撃すればそれだけで命を奪われていただろう矢がその形状を変化させる。
撃ち出すために展開されていたシャフト部分が縮小し、かわりに羽の部分から翼が伸びるように鳥の胴体が展開されて、鏃の部分を嘴にした猛禽の召喚獣へと姿を変える。
そうして姿と性能を変えて、背後から静を強襲しようとしたその瞬間、旋回しようとしたそのタイミングで、猛禽の召喚獣は苦無の弾幕の数々にその身を貫かれて撃墜される。
壁面の凹凸、本来ならば人が着地することなど想定していないだろうその場所に着地して、召喚獣の速度が最も鈍る旋回のタイミングを狙っての的確な投擲。
(なるほど、技量判断力、共に申し分ないか……。とは言え――)
再び壁面を走り出し、空中へと飛び出す獲物の強さの性質を心中で分析、賞賛しながら、同時にヘンドルはこの敵を追い詰め狩るための算段を頭の中で組み立てる。
(奴が重力に逆らい続けられる時間はそれほど長くない……。現に奴は義体を攻撃する際などに適当な足場に着地して空中を走り続けなければならない展開を回避している……。
義体越しに見たところ重量軽減系の界法も使うようだが、あの手の力は強風の影響を受けやすい欠点がある……)
対して、そんなヘンドルを追う静の方も相手の手の内の分析を怠らない。
特に静が着目していたのは、逃げ回る相手の、その移動のメカニズムについてだった。
(この方、移動の速度が思っていたよりも速い……。いえ、これは移動と言うより、ほとんど落下していると見た方がいいのでしょうか……?)
先ほどから見ていても、この相手は移動する際、ほどんどその足で地を蹴る様子を見せていなかった。
その移動の様子は、静のように跳躍しているとか飛んでいるというよりも何かの力に引っ張られていると言った方が近く、むしろ最初に静達が重力方向の変更に巻き込まれた際の、無防備に落下する様子と似た印象がある。
(恐らくこの方本人には、周囲の重力方向の変化の影響が及んでいない……。かと言って、天井などに平然と立っている点から考えて、本来の重力の影響下にいるという様子でもない……。
となればあの方自身に対しては、あの矢によって生まれる重力とは別の重力が働いていると見るべきでしょうか……)
周囲一帯に働く重力の方向を設定できる、狙った場所を天にするというのが【神造物】の名にある『天を狙う』部分なのだとしたら、自身に働く重力の方向を自由に設定することで、常に所有者を大地に置くというのが名前の後半の『地弓』の部分なのだろう。
そしてそうであるならば、単純に重力環境を操れるだけの場合よりもさらに輪をかけて厄介だ。
(やはり、こちらが重力に逆らってこの方を追わなければならないのに対して、この方自身は重力に従って落下するだけで移動できてしまっている……。
これでは、どれだけこちらが必死になって追いかけたところでいつまでたっても追いつけない……。
ならば――)
先に行動を起こしたのは、敵を追い、矢から逃れて建物の天井部分に到達した静の方だった。
「変遷――【苦も無き繁栄】――!!」
戦う内に立ち位置が入れ替わり、ヘンドルの方が本来の床上へと着地したその瞬間、静が両手に苦無を構えて、振るうと同時に分裂させることで本来の地上へと向けて次々と苦無を投げつける。
さらに――。
「【螺旋】――、【回斬】――!!」
手元から分裂する苦無に加えて【投擲スキル】の技を使用する。
敵へと向かって真っすぐに飛んでいく苦無に加えて、旋回しながら逃げ道を塞ぐように迫るものと、高速で飛来して防御を突き破るものを的確に織り交ぜ、叩き込む。
迫る三種類の投擲からなる苦無の弾幕に、しかしそれに晒されるヘンドルはと言えば――。
『くだらん。闇雲な攻撃だな。そんなものでこの私に牙を届かせられると、本当に思っているなら流石に落胆ものだぞ?』
迫る攻撃を前にしながら、ヘンドルはそう嘲笑の言葉を漏らしつつ、弓を握るのとは逆の手に三本の携行矢を構えていた。
直後、携行しそれぞれに魔力が注がれて、触媒としての機能を作動させたそれらがヘンドルの手から投げ放たれてそれぞれ鳥の肉体を形作る。
矢として放たれ、変化する、その工程を丸ごと省略されて、通常の召喚獣として作成された三羽の鳥が、即座に風を纏いながら迫る苦無の雨の中へと飛翔する。
当然、投げ放たれて空中にあった苦無の弾幕など、そんな暴風の中ではひとたまりもない。
【螺旋】や【回斬】など、特殊な技の影響下にあったもの以外は暴風に吹き散らされて四散して、残っていた苦無も吹き散らされた別の苦無とぶつかったり、暴風そのものの影響を受けて軌道を逸らされたりして片っ端から無力化されて、ヘンドルまで届くことなく下になった大通りの穴へと落ちていく。
(なかなかの獲物だったが、そろそろ手が無くなって自棄になり始めてしまったか?)
思うさなか、ヘンドルのその予想を裏付けるように、静が天井を蹴りつけて真っ直ぐにヘンドルの元へ向かって跳躍する。
いかに空中機動力があるとはいえ、天井にいた静と床の上にいるヘンドルとの間にはそれなりの距離がある。
通常の重力下であれば落下するだけでたどり着けるかもしれないが、今は重力の方向が変転して横向きに飛行でもしなければたどり着けない距離なのだ。
そんな道なき道のりを、何の策も備えもなく飛び込み踏破しようとは、流石にヘンドルも落胆を禁じ得ない。
(自身の重量を軽減して、強引にこちらへと迫るつもりか? 我が義体が生み出す嵐の中で、それに吹き飛ばされずにたどり着けるとでも……?)
白けた思考でそう考え、ならば義体の内の一体による風圧で元の天井にでもたたきつけ、無様に抵抗の手段を奪われた敵を一息に射抜いてやろうと、そんな思考がヘンドルの中を満たして――。
直後、遠方から立て続けに響いてくる、なにかが崩れ、落下するような音によってヘンドルはようやく己の油断を自覚した。
(この音、崩落音……? なぜ今になって――。いや、まさか――!!)
気付いたその瞬間、静が空中で足裏を爆発させて加速して、重力を味方につけた速さでヘンドルの元へと降って来る。
それとほぼ同時に床に落ちてくるのは、先ほどヘンドルが建物入り口の上の壁面に撃ち込んだはずの、天を決める神造の矢だ。
『攻撃に紛れさせた投擲で、壁に刺さった矢を叩き落としたか――!!』
重力環境が元に戻っているとそう察して、即座にヘンドルは飛翔させていた猛禽の召喚獣たちを静の迎撃へと差し向ける。
とは言え、急な対応を迫られたが故にそれで間に合うのは三羽の内一羽がせいぜいだ。
そしてたった一羽の召喚獣程度で、勢いをつけて落下して来る静を止められる道理もない。
「変遷――!!」
手の中の武器を【応法の断罪剣】へと変化させて割り込んで来た猛禽の召喚獣へと叩き付け、魔力そのものを吸収することでその仮初の体を跡形もなく消滅させる。
自身の前に立ちはだかる障害を剣の一振りで無力化し、そのまま静は真下にいるヘンドルの元へと迷うことなく落下する。
静とて馬鹿ではない。ビルの側から送られてきた写真を見れば、なによりこの空間に飛び込んだ瞬間、ヘンドルが壁に矢を撃ち込んで重力の方向を変えるのを見れば、矢の持つ効果やそのだいたいの発動条件くらいあたりはつく。
ほぼ間違いなく、矢の持つ効果は矢の先端が指し示す方角を『天地』における『天』の方向に設定すること。
発動条件については、大方矢の鏃が壁や床、天井などのどこかしらに刺さっていること、と言ったところだろうか。
仮にその手の条件がない、常時発動型の効果であればたとえ効果範囲などに制限があったとしても到底危なくて持ち歩けないし、特に条件がなく、それこそ持ち主の意思一つで発動するような効果であればわざわざ壁面に撃ち込んだ意味がない。
そう看破して、しかし静は今このときまでずっとタイミングを待っていた。
ヘンドルの意識が、矢の存在ではなく静一人に向けられるその瞬間を。
そして何より、重力が元に戻った際、一直線に相手へ斬りかかれるこの位置関係の成立を。
『――チィッ――!!』
(逃がしません――!!)
静の落下軌道から逃れるべく、重力方向を操作して真横に向かって落下するヘンドルに対して、静も【空中跳躍】を発動させて落下軌道をまげて追いすがる。
落下し始めたばかりで勢いの足りないヘンドルに背後から、一切速度を緩めずに、全体重を込めて体ごとぶつかる形で。
「シールド」
次の瞬間、左手の籠手が使用されてシールドが展開されたことで、静の体が一発の巨大な砲弾と化してとっさに展開されたヘンドルのシールドに激突する。
強烈すぎる激突の衝撃で両者の防壁が粉々に砕け散り、砕けて散り行く破片の中で静が床へと着地する。
(――近づいた……!!)
衝撃によろめくヘンドルを射程に収め、【爆道】による爆発加速でさらに間合いを詰めながら、内心で静はそう声をあげる。
敵の武装は近接戦には向かない弓矢のみ。
無論、こんなビルで戦う相手が素手でも十分に脅威になることは静も知っているし、武器に限らなければこの相手は体の各所に何やら様々な装備を備えているようだが、それでもこと近接戦において武器の差は決して無視できない条件だ。
小太刀を振りかぶり、間合いへと踏み込み振り下ろす。
躊躇もなければ容赦もない、人一人を文字通りの意味で斬って捨て、命を奪いうる全霊の一撃。
だがそんな一太刀は、あろうことか酷く弾力のある感触によって受け止められ、そのまま真横へと受け流された。
「――!?」
驚いたことに、受け止めたのは魔法による盾でもなければ剣でもない。
握っていた神造の弓、あろうことかこの敵は、その弓の中でも本来ただの糸でしかない弦の部分で静の斬撃を受け流して見せたのだ。
(――ッ、神造物は破壊できない……。それはつまり、どれだけ鋭い刃物を受け止めたところで、細い弦一本斬ることができないということ……!!)
『距離を詰めれば勝てる、などと、思っていたか……?』
そう言った次の瞬間、ヘンドルが逆の右手を突き出して、その手から鋭い何かが静の心臓を貫くべく勢い良く伸びる。
とっさに真横にずれて攻撃を回避した静が見るのは、傘を閉じたような円錐状の長大な突撃槍だ。
よく見れば半透明で、先端には先ほどまで撃ち込んできていた携行矢の鏃が内包されたそんな槍が、逃れた静を貫くべく二度三度と続けて突き出される。
侮っていたつもりはなかったが、それでも想定していたよりもさらに鋭いと言える巧みな槍の一撃。
(――、ですが)
放たれる突撃槍の刺突を回避して、静はそのまま流れるような動きで相手の懐へと滑り込む。
長大な間合いを持ち、先端がとがった円錐状の槍である突撃槍ならば、一度懐に入られると対処はしづらい。
そう考えての静の行動だったが、しかしそんな思惑は直後に敵の武器が細長い片手剣へと変わったことで否応なく考え直すことを余儀なくされた。
真横へと切り払う斬撃を十手で受け止めて、返礼として見舞った小太刀の斬撃を弓によって止められる。
『接近戦には対応できないと、本当にそう思っていたのか――!?』
声をあげながらヘンドルが静を目がけて蹴りを叩き込む。
とっさに飛び退いてそれを回避した静だったが、そもそもこの敵を相手に距離を放すこと自体が悪手だ。
そう考えて、即座に体勢を立て直して再度距離を詰めに行こうとした静だったが、しかし視線を戻したその瞬間、あろうことかそのヘンドル自身が静の方へと飛び込んできていた。
重力に引かれ、先ほどの突撃槍をまっすぐに構えた、そんな体制で――。
(――そう言う、ことですか――!!)
接近戦で使いやすいとは言えない突撃槍などなぜ使っているのかと思っていたがなんのことはない。
要するに落下による突撃すらも、この相手は自分の選択肢として戦術に加えていたというそれだけの話だ。
シールドを展開し、わずかにその表面を貫き内部へと侵入してきた槍の切っ先を二本の十手を交差して四角い格子を作るようにして受け止めながら、静はこの敵の引き出しの多さに否応なく歯噛みさせられる。
静とヘンドルの距離が開く。
そしてこの敵を相手に、この状況で距離を放されるというのは静にとって致命的だ。
案の定、天井へと落下していくヘンドルの両脇を通り過ぎるようにして、先ほど放たれた猛禽の召喚獣たちが風を纏って突進してくる。
「変遷――【螺旋】――!!」
間髪入れずにどうにか苦無を投じ、自身に向かってくる猛禽の召喚獣を嵐を突き破る貫通の投擲で撃ち落とす。
とは言え、それで完全に無力化できるわけではないというのがこの相手の嫌らしいところだ。
案の定、静に近い位置にいた召喚獣は触媒を破壊されると同時に斬撃の暴風をまき散らしてその範囲を拡大し、静自身は球体状に広がる斬撃空間に飲み込まれまいと余計に敵との距離を取らされる。
ご丁寧に自身が攻撃に巻き込まれることが無いよう、自分に近い位置で撃墜された召喚獣は自爆させていない辺り実に芸が細かい。
おかげで静は重力の元に戻った床に転がるように着地する羽目になり、そして天井付近ではすでに、軽やかに着地したヘンドルがその弓に新たな矢を番えている。
(また、距離を――)
『さあ、逃げ回れ――!!』
飛来する矢によって床が爆散する。
すぐさま飛び起き、【爆道】を発動させたことでどうにか爆破範囲から逃れられはしたが、いよいよもってこの敵の能力は最悪だ。
重力方向を変更させる、対象の違う二つの能力を駆使することで常に相手との距離を確保でき、そのうえで相手を仕留める効果的な手段を幾つも持っている。
(やはり、【決戦二十七士】の一人として名を連ねているだけのことはある……。この敵を相手に、一対一での真っ向勝負では分が悪いですか……)
思ったその瞬間、突如として静の体が重力に引かれて浮き上がる。
それは紛れもない、重力の方向が変わる危険な感覚――。
(――なにが、まだ矢はあの敵の手元には――)
反射的に先ほど叩き落とした矢があった床上、そして天井からこちらを狙うヘンドルへと視線を巡らして、そして否応なく静は気付く羽目になる。
先ほどまで床に落ちて転がっていたはずの問題の矢が、今は瞬間移動でもしたのかヘンドルの手元で弓へと番えられていることに。
そして何より、その矢の先端に、まるでキャップのように何かがかぶせられて、否、刺さっていることに。
(――まさか、なにかに刺さっていることで発動する効果を、小道具で発動させながら使用して――!!)
『鼠のように逃げ回るのがうまいようだが、これでもなお逃れ続けることができるかな?』
静の体が落下する。
床を離れて、天井にいるヘンドルの方へ。
自身を狙うその矢に自ら落下し、飛び込むように。
(【空中跳躍】を――、いえ、これは――)
鏃の先端に突き刺されたキャップ、その両側に、あの召喚獣にも見られた翼が広がるその様子を目の当たりにして、もはやこの攻撃が回避できる類のものではないのだと、否応なくそう理解させられて――。
「【迅雷撃】――!!」
矢が放たれるその寸前、巨大な魔力の感覚と共に二人しかいなかった空間に巨大な電撃が割り込んで、今まさに矢を放とうとしていたヘンドルの姿を飲み込み、その閃光で塗りつぶす。
「フゥ……、助かりました」
「本来ならばもう少し自身に注意を引き付けて、余裕を持って参戦させたかった」と、そんなことを考えながら、静は電撃の発生源、自身も駆け落ちて来た大通りの方へと視線を向ける。
案の定、そこには静よりも到着は遅れながらも、迎撃を受けずに済んだが故に密かに駆けつけることのできた互情竜昇が、一人杖を構えて参戦の意思を見せていた。




