167:神のつくりし芸術
【神造物】と呼ばれる物品について考える。
最初に誠司たちと会談を行った際に、当然竜昇は自分たちが持つ【神造物・始祖の石刃】の存在についても伝えていた訳だが、しかし今にして思えばこの時、竜昇達は【神造物】について予想するその特殊性についてほとんど伝えられていなかった。
【始祖の石刃】について、竜昇達はその特殊な出現状況や解析アプリでほとんど情報を読み取れなかったことなどから、この【神造物】なる物品がこのビルのゲームシステムの外にある存在なのではないかと考えていた。
だがどうやら、竜昇達から話を聞いただけだった誠司たちは、【神造物】のことをあくまでもマジックアイテムの延長、通常のゲームで言うところのレアアイテムやユニークアイテムの類だと考えていたらしい。
だからこそ、アパゴの取り調べを行った際にも通常のマジックアイテムに反応しなかったその時点で、あえて【神造物】についてまで確認しようとはしなかった。
【神造物】という存在の異質さを、なにより、精神干渉を行った【影人】がその存在を想定していない可能性を、思いつくことができなかった、それゆえに。
「アパゴさん。あなた……、【神造物】という言葉に心当たりがあるんですか?」
「――ん、む、ああ……。ある、ような、ないような……」
「思い出してください。【神造物】です。神が造りし物と書いて【神造物】――!!」
「神が、造りし物……」
竜昇が放ったその言葉に、それまでヘラヘラとしていたアパゴの表情がどんどん虚ろなものに変わっていく。
だがそれは、恐らくアパゴが彼本来の記憶を思い出そうとしているが故の反応だ。思えば先ほど、アパゴが彼のものと思われる名前を名乗ったそのときにも、彼の反応は若干虚ろな、不自然なものがあった。
そうして、やがて竜昇の見込み通り、虚ろな表情のままアパゴが決定的な言葉を口にする。
「――ああ、そうだ、【神造物】……、神よりもたらされる、神が造りし、芸術品……」
「――!!」
「――知っているのか。その言葉だけは」
うわ言のような声でありながら、どこか確信に満ちたその言葉に、思わず竜昇とその背後の誠司がそれぞれで反応を見せる。
対して、アパゴの言葉と声は変わらず虚ろで、まるで途切れそうな記憶をたどるために、自身の中から脳と声以外の機能を捨ててしまったかのようだった。
「教えてください、アパゴさん。【神造物】とは、あれはいったい何なのですか? 誰が何の目的で作って、どんな理由でもたらされるものなんですか?」
「……言葉、通りだ……。【神造物】……。それは名の通り、神が自ら作りし奇跡の芸術……。武具や道具に始まり、場合によっては詩歌や術理といった人の世に存在するあらゆる物品の形をとり、その全てが人のみでは至れぬ奇跡を宿す。一説には、それらの物品は世界と同じだけの強度を持つとされ、いかなる方法を用いても決して損なわれることがない……」
「決して損なわれない……? それは壊れないという意味ですか?」
「物品という形をとっているならそのとおりだ……。なにぶん、物としての形を持たない場合もある故に、その性質はものにより一定していないことが多いが……」
立て続けに竜昇が投げかける質問に対して、アパゴが虚ろな表情のまま、口元だけはどこか誇らしげな笑みを浮かべて、先ほどまでよりよほどはっきりとした口調でそう言葉を並べていく。
否、その様子の変化は、もはや竜昇がわざわざ質問を投げかけるまでもないようだった。
「かのものは神よりの恩寵だ……。古来より、【神造物】は数多の人間の手にゆだねられ、その時々で世の変革にも大きくかかわり、多くの人を、導いてきた……」
「……なんとも、まさしく神話や宗教って感じの話になってきたね……」
話が胡散臭くなってきたと感じたのか、誠司が半ば疑ってかかることを促すかのように、背後から竜昇に対してそんな言葉をかけてくる。
確かに、神が人を導くための行いというのは、往々にして宗教の話の中では頻繁に出てくる話である。
それが真実であるならばそれでもいいが、しかしこの手の話というのはたいていの場合、現実を都合よく受け止めるために人間側が都合よく解釈している場合も多い傾向がある。
そういう意味では、アパゴの語る【神】なる存在についても、その実在については不確かな部分があるというべきなのだが……。
そう思う一方で、竜昇はアパゴの語る【神】たる存在について、その実在に関してはほとんど疑っていなかった。
なにしろ、【神】と呼ぶべき相手かどうかはともかく、少なくとも【始祖の石刃】や【苦も無き繁栄】といった【神造物】を作った何者かがいるのは確かなのである。
そしてその【神】が造ったとされる物品は、他のマジックアイテムと比べてもなお隔絶した性能を持っていた。
その存在を神と呼ぶことが正しいのかどうかは定かではないが、少なくとも【神造物】と呼ばれる規格外の物品を作ることができる何者かは、間違いなくこの世のどこかに実在していることになる。
そして、そうなって来ると次に気がかりなのは、その【神】たる存在が、このビルの件にどのように関わっているのかというその点だ。
「アパゴさん、その【神造物】というのは、通常どのような形で手に入るものなのですか……? ある日突然、その神様から誰かの元へ送られてきたりするものなのでしょうか?」
「……いいや。通常であれば、神が直接人の手に、【神造物】を賜わすようなことはない。【神造物】は神よりの使いである【神問官】の手により、その試練を突破することのできた適格者の手へとゆだねられる」
「【神問官】……?」
新たに出現したその単語に、竜昇は思わず背後を振り返り、そこにいる誠司と顔を見合わせる。
互いに初めて聞く単語だったようだが、しかし【神造物】を授ける試練と聞けば竜昇達の中にも心当たりのようなものがあった。
「確か君たちの、あの石器の【神造物】がドロップしたのは――」
「――ええ、第一層のボス戦直後、マンモスの骨格標本のような【影人】を倒したその直後です」
誠司からの確認の問いかけに、竜昇はほとんど迷う様子を見せずに正直にそう回答する。
仮にアパゴの言う通り【神造物】が【神問官】なる存在の試練を突破することで手に入るのだとすれば、その試練として思い当たるものは直前のあの半骨のマンモスとのボス戦しかない。
だとすれば、あのマンモスこそが、アパゴが言うところの【神問官】だったということなのだろうか?
彼が言うところの【神問官】とは、竜昇達が呼ぶところの【影人】と、同じものを指しての呼称なのだろうか?
「けど、だとしたら少しおかしな話になってくるね。仮に【影人】がコイツの言うところの【神問官】なのだとするなら、なぜその一度きりしか【神造物】がドロップしなかったんだろうか? 自慢じゃないけど、僕らだって【影人】なら、それこそ数え切れないくらいの数をここに来るまでに倒しているのに……」
「俺達が倒したのがボスだったから、と考えても妙な話ですね……。倒した【影人】というなら、ボスにしたところでここにくる間に何体も倒してますし……。
アパゴさん、その【神問官】の試練というのは、具体的にどのようなものなのですか?」
「……【神問官】の試練に、決まった形というものは存在しない……。名のある武芸者が、【神問官】との腕比べの果てにその技量を認められて【神造武装】を与えられたこともあるし、辺境の街の酒場の娘が、その歌声を見初められて【神造曲】を賜った話もある……。旅の途中で出会った男が、旅の途中で突如として【神問官】としての正体を明かして、旅人に相応しき【神造物】を与えた逸話すらあるほどだ」
「戦って勝つことだけが試練の形とは限らない……。下手をすると試練が何だったのかも分からない、あるいは試練を突破するのと同等の功績を築いた人物に、それをもって合格と認めて【神造物】を与えた事例もある、ということなんだろうか……?」
「でもそれだと、いよいよもって静が【神造物】を与えられた理由の特定ができなくなってきますね……」
話を聞けば聞くほど、もっとも気がかりな点についてだけが曖昧になっていくその状況に、竜昇は一度考えをまとめなおして別の切り口からアパゴに対して問いを投げかけてみることにする。
「では【神造物】というのは、その【神問官】から渡される形でしか手に入らないものなのですか?」
それは先ほどアパゴが【神造物】の入手方法について語った時、わざわざ『通常であれば』という言葉を使っていたがゆえに気になっていた質問だった。
竜昇としては、ただの言葉の綾である可能性も一応考えていたのだが、しかし竜昇のその質問に対して、予想外にもアパゴはその声色に何かを誇るような、そんな色合いを強くする。
「いいや、厳密な意味で言うなら、人が【神造物】を手にする例は他にも二つある。一つは、持ち主と認められたものが死したとき、その持主が後継と認めていた相手へと【神造物】が継承される場合だ……」
「死んだときに、継承……? 待ってください、それってもしかして、元の持ち主が死んだときに、次の人間の元に勝手に送られたりもするんですか? それこそ、【神造物】がテレポートでもするみたいに……?」
「……ああ、そうだ。自分以外に【神造物】を扱うにふさわしい相手、あるいは自身の血族や立場を継ぐもの、取り決めがない場合でも、持ち主に後継と認める意志さえあれば、【神造物】はおのずとその後継の手の中へと前任の死と共に自ら馳せ参じる」
「……なるほど、あのフジンの【苦も無き繁栄】が見つからなかったのはそういうことか……」
フジンの死後、彼の持っていた【神造物】の苦無を回収できないかと探して、しかし見つけることができなかったその理由がようやくわかった。
要するに竜昇達が探したそのときには、もはやあの苦無はどこにいるかもわからないフジンの後継者の元へとテレポートしてしまった後だったのだ。
そしてそのことは、同時に深刻な問題を竜昇達へともたらす事実でもある。
なにしろ、フジンの持っていた【神造物】が手元に現れるということは、それはすなわちフジンが死んだというその事実がその後継者に伝えられてしまうということだ。
フジンの後継者が【決戦二十七士】のメンバーなのか、他のメンバーにその死を伝えられる状況にあるのかは定かではないが、しかしもはやフジンの死亡は相手側にも伝わり、広まっていると考えた方がいい。
そのフジンを殺したものが何者であるのか、それを相手が知っているかどうかはさすがに断定できないものではあるが。
「それで、もう一つの入手方法というのはなんなのですか? 先ほどあなたは他にも二つ入手法があると言っていましたよね?」
そんな風に、事態の深刻さに思い悩む竜昇をよそに、誠司がアパゴに話の先を促すようにそう問いを投げかける。
誠司からのそんな質問に対して、先ほどからどこか誇らしげな笑みをその虚ろな表情に浮かべていたアパゴが、いよいよその感情を隠しきれなくなったかのように誇らしげな様子でそのもう一つを語り出した。
「もう一つの、【神造物】を手にする状況は単純だ……。【神問官】を介さず、神より直接【神造物】を賜る。無論滅多にあることではないが、歴史上でも何度かそのような例は確認されている」
「え――」
「神様から直接、賜る、ですか……?」
アパゴの答えに、【神造物】の創作者とされる【神】なる存在をどこか怪しい人物とみなしていた竜昇達が、それぞれ反応に困ったかのように困惑した様子を見せる。
だがそんな二人の様子などアパゴは頓着せず、むしろひたすらに誇らしげな様子でその話の続きを語り出した。
「そうだ……。そしてだからこそ大戦士ラガサは偉大なのだ。かの戦士は神よりその行いを認められ、故に直接、その奇跡を宿した両腕を賜った」
「大戦士……? 奇跡の、両腕……?」
話が奇妙な方向にそれ始めたとそう感じながら、しかし同時に竜昇は先ほどからアパゴがどこか誇らしげな様子だった理由が何となくわかった気がした。
恐らく彼にとって、【神造物】の話とはその大戦士の話と同義なのだ。
まるで年長者が幼い子供におとぎ話の英雄の話を語って聞かせるかのように、穏やかでありながら力に満ちたそんな口調で、アパゴは恐らくは彼にとっての誇りなのだろう、竜昇達が知る由もない未知の英雄の話を語り続ける。
「そう……、奇跡の両腕だ。部族のために命をとして戦い、その果てに両の腕を失った大戦士ラガサは、それでも折れぬことなき意思を神へと示して、神はラガサのその気高き意思を認めて神造の腕をお造りになった。
その腕を用いることでラガサは異種族の侵攻を跳ね除けて、そのときの戦いがあったがゆえに我らジョルイーニ族は今日に至るまで存続することができている……」
ぼんやりとした男の口から語られるそれは、もはやまごうことなき人々の歴史そのものだった。
ジョルイーニ族というらしい、彼の名字にもなっているその一族が、いったいどのような規模の民族だったのかはわからないが、しかしどうやら彼らの部族は、他ならぬ【神造物】とそれを手にした一人の戦士のおかげで滅亡を免れた歴史があるらしい。
語られるその物語を、竜昇はもはやどう受け止めていいのかもわからなかった。
【決戦二十七士】は異世界人なのかもしれないという話こそ出ていたが、結局のところそれで正しいのかもよくわかっていなかったその段階で、今竜昇達はその異世界人らしい男から異世界の歴史と思われる物語を聞いている。
この話を、竜昇は果たしていったいどこまで信じればいいというのか。
人間とは到底呼べない【影人】が人へと近づき、人間の記憶や認識すら操れてしまうこのビルの中で、竜昇はどこまでこの話を信じて彼らという存在を理解するべきなのか。
「今日において、我らジョルイーニの戦士たちがラガサを偉大な戦士として目標とするのはそれが理由だ。皆が憧れ、目指す、戦士としての頂――。……む、戦士……?」
と、そこまで誇らしげに語っていたアパゴの口調に、ふいに何やら疑問を抱いたような、怪訝そうな声音がはっきりとした形で入り混じる。
「――そう、だ、俺は……、戦士だ……。部族を代表し、この場に疲れを癒しに――、いや……、違う……ッ!! ――なにが違う? 違うのか? いったい何がぁ、ぁあ、ぁあああああッッッ――!!」
「――なッ!? いったい何が――」
「どいてくれッ!!」
驚く竜昇の肩を背後から誠司が強引に掴んで、その身を脇へと押しのけるようにして、代わりにその誠司自身が叫ぶアパゴの前に出る。
まるで容体の急変した患者に駆け寄る医師のような動きだったが、しかし今の彼は医師でもなければアパゴの味方でもなかった。
「【初雷】――!!」
「――ッ!?」
構えられた誠司の杖の先から閃光がほとばしり、錯乱するアパゴの拘束された体に一切の容赦なく直撃する。
使用されているのは竜昇の持つものと同じ電撃属性。威力こそ竜昇が使用する【雷撃】のものに劣るようだったが、しかしそんな電撃を誠司は途絶えさせることなく痙攣するアパゴに容赦なく浴びせ続ける。
「――く、やっぱりこの魔法じゃ、直接攻撃には威力が足りないか――」
「ちょッ、中崎さんッ!! なにをやってるんだあんたは――!!」
混乱しつつも声をあげてどうにか竜昇が止めに入ると、ようやく誠司は放電をやめて、同時に意識を失ったのかアパゴの体ががっくりと脱力してその場に崩れ落ちる。
呼吸している様子はあるため死んでしまったわけではないようだったが、どうやら完全に意識を失ってしまったらしい。
「――なにを、するんですか……!! せっかく今、この人から重要な話を聞き出せるところだったのに……!!」
「なにをって、そんなもの決まっているじゃないか……。 今のその男の様子は、明らかに本来の自身の記憶を取り戻そうとしていただろう?
確かにそれ自体はこちらとしても願ってもないことだけどね、今この場でというのはさすがに困るんだよ。今この男に暴れ出されたら、僕らだけで押さえられるかどうかもわからないんだから」
「……!!」
それは確かに、竜昇でも反論のしようがない、誠司がアパゴを攻撃するには十分な理由だった。
静を拘束した際にも話に出たが、魔法を使える相手に対して、今行っているような拘束など実のところなんの意味もない。
一応時間稼ぎくらいにはなるかもしれないが、問題のアパゴの手の内もハッキリとはわからない現状ではどの程度の時間を稼げるかも未知数だ。
彼が正気に戻るというのなら、暴れ出した時に抑え込めるだけの万全の戦力と準備がいる。
そのこと自体は、竜昇でも十分すぎるほどに理解できる。
けれどそれでも、この時竜昇は、誠司の今しがたのやり口に一言言わねば気が済まなかった。
「あなたは――、今の自分のやり方に何の疑問も持っていないんですか? いくらこんなビルの中だからって、外で普通に生活していたら眉をひそめるようなこんなやり方にッ、なんの躊躇いも覚えないって言うんですかッ!?」
その言葉は、竜昇の中で特に目的をもって放たれたものではなかった。
自分たちの考え方に疑問を抱かせるという、竜昇達の当初の目的を考えるならばうってつてけともいえるその言葉を、しかし竜昇はそうと意識せずに、半ば感情のままに誠司にぶつけてしまっていた。
とは言え、たとえそうした当初の目的を意識しての発言だったとしても、次の瞬間に竜昇自身が受ける衝撃は変わらなかっただろう。
「――ああ、覚えないとも」
――ほとんど間を置かずに誠司が口にした、あまりにもきっぱりとしたその返答を耳にしてしまったならば。
驚きに目を見張る竜昇に対して、誠司はどこか冷ややかな口調で淡々と問いへの答えを口にする。
「……ふむ、いい機会だからはっきりと言っておこうか。僕は今のこのやり方を、恥じるつもりもなければ改めるつもりもない。
むしろこう言う判断ができる自分を、誇らしく思っているくらいさ」
「誇らしくって……!!」
「だってそうだろう? このビルの中で、良識や倫理に縛られることが、いったいなんの役に立つ? ただでさえ命がかかっていて、余裕なんてない僕らの状況で、どうしてそんな選択肢を捨てるような、余計な縛りをかける理由がある?」
『逆に聞こうか』と、誠司はどこか冷気をはらんだ声で竜昇に対してそう問いかける。
それはおよそ、竜昇とは真逆の場所に位置する者の、軽蔑すらはらんだ糾弾の言葉。
「君の方こそ、いつまでも外の常識に囚われたままでいるつもりなんだ?
ここは外みたいな、平和である程度の安全が保障されている社会なんかじゃない。
隙あらば僕達を殺そうとしている【影人】やら人間がうろつきまわってて、現にコイツにしたところで遠慮容赦なくこちらに攻撃してきている。そんなことは、むしろ僕達よりこの【決戦二十七士】とかいう連中とやり合ってきている君たちの方が、よっぽどわかっていると思ってたんだけどね……」
「……だからあなたは、人間相手にどんな真似をしたとしても、そういう自分を許せるって、そう言うんですか?」
「むしろ遠慮する理由がどこにある? こいつらは間違いなく、僕たちのことを殺しに来ているんだぞ? しかもことは僕達だけの問題じゃない。僕が判断を誤れば、理香や愛菜、瞳や渡瀬さん、あとは入淵さんだったか? 他の皆の命も危険にさらされることになるんだ。……まあ彼女、そちらの小原さんだけはどうなるのか、少しわからない所があるけどね?」
「……!!」
誠司の物言いに反論しかけて、しかしその寸前で竜昇はその言葉をどうにか堪え飲みこんだ。
今ここでそのことについて議論しても、不毛な水掛け論にしかならないのはもはや目に見えている。
そうしてどうにか感情を押さえて、落ち着きを取り戻そうとする竜昇に対して、続けて誠司はたびたび見せる、どこか言い聞かせるような調子で語り掛けてくる。
「いい加減、君もこのビルの中の環境に適応しなよ。ここはもはや外の世界とは違うんだ。これまでは君も、どうにか運良く生き残ってこられたのかもしれないけど、そんな甘い考えじゃ、そのうち他の人間まで巻き込んで、自分の甘さを悔やみながら死ぬことになるぞ……!!」
今の自分を誇らしく思っているという、誠司のその言葉の意味がようやく分かった。
要するに誠司は、今の自分のものの考え方を、過酷な周囲の状況に適応した結果だと考えているのだ。
だからこそそうして適応できた自分自身に、敵に対して冷酷になれる自分の思考に、彼は一切の端や躊躇を覚えることなく、むしろそれを望ましいとさえ思っている。
否応なく、これは説得は難しいかもしれないと、そう思わされる。
元より竜昇自身、誠司をはじめとする相手パーティーのメンバーの説得が容易に済むとは欠片も思っていなかったわけだが、それでもこうした誠司の考え方を知ると余計に事態の厄介さを認識させられる。
なにしろ誠司自身は自身に起きた精神性の変化をこの【不問ビル】という環境に適応した結果だと考えているのだ。
そんな相手に真実を突きつけたところで、恐らく誠司はそれを素直には受け取るまい。
単純に愚かな妄想と斬り捨てられるくらいならばまだいいが、難癖をつけて人格否定に走っているとでも思われてしまえば、もはや状況は話し合いどころではなくなってしまう。
厄介に過ぎる問題に竜昇が頭を悩ます一方で、対する誠司の方は一通り言いたいことを言って満足したのか、吐息一つで話題を元に戻してきた。
「フゥ……。まあ、なにはともあれこれで当初の予定とは違ったけどいくつか判明したこともあった。なにより、精神干渉が解ける寸前のところまで持って行けたというのがやはり大きい。ここから先のことは、あとで信頼できるメンバーを集めて、こいつが暴れ出しても対処できる万全の態勢を整えたうえで聞き出すことにしよう」
「……その信頼できるメンバーというのは、自分たちのパーティーという意味ですか? それとも、静以外という意味ですか?」
「……さあ、それがどちらになるかはまだ分からないかな。ちょうど今理香が彼女のことを調べているところだし……」
「……」
「あまり殺気立たないでもらいたいな。ああ、そうだ。代わりと言ってはなんだけど、この後はアパゴから取り上げた荷物を君にも見てもらおうかな。彼の精神干渉を破る糸口を見つけた君なら、なにかしらの発見があるかもしれない」
「……その間この人は、アパゴさんの方はこの後どうするつもりなんですか?」
「ああ、その辺は心配しなくてもいいよ。見張りはいなくとも、脱走防止のために幾つか仕掛けは施してあるからね。まあ、そもそも気絶させたからしばらくは起きないだろうし、あとで話をするときまで寝ていてもらうさ」
「――ッ、…………いいでしょう」
胸のうちの様々な感情を飲み込んで、竜昇はひとまず誠司に言われる通り部屋を出ていくことにする。
部屋の中にアパゴ一人を残しておくその判断に、一抹の不安を覚えながら。
後ろ髪を引かれるような、そんな感傷とも胸騒ぎともつかないざわついた気分を、一人密かに押し殺して。




