166:システムの外にあるもの
第五層、ウォーターパークにおける精神干渉について考える。
現在のところ及川愛菜と入淵城司、そしてアパゴ・ジョルイーニの三名が術中にはまってしまっているこの精神干渉の魔法だが、その術中にはまってしまう人間の条件のようなものが判明してきたことも相まって、そんな魔法が使用されたその理由についてはある程度の仮説が立てられるようになってきていた。
その仮説として真っ先に考えられるのは、恐らく誠司達も真っ先にその可能性を疑っただろう、精神干渉によって骨抜きにした相手を襲撃することで、こちらを苦も無く壊滅に追い込むという使用方法だ。
実際、この仮説自体は恐らくそう間違ってはいないだろう。
雑魚が一切登場せず、表向き平穏そのものと言えるこの階層の構造は、恐らくこちらの油断を誘ったうえでこちらを殺害していくという、そんなコンセプトに沿って設定された代物だ。
その上昨日の城司の様子から、精神干渉の影響下に落ちた人間は自身に危機が迫ってもそれを危険と認識することすらできないということがすでに判明している。
そのことから考えても、この階層のコンセプトが精神干渉と階層の構造を使ってこちらの油断を誘い、そのうえで隙をついてこちらを殺害するという、どちらかと言えば罠的な要素の強い作りになっていることは恐らく間違いないだろう。
だがそこまで考えたところで、一つの真実を知る者は決定的な疑問にぶち当たる。
その真実とは、愛菜や城司といった、別の誰かにこのビルへと連れてこられてしまった例外のようなパターンを除いて、竜昇達通常のプレイヤーは精神干渉系魔法に対する強固な耐性を最初から備えているという点だ。
これに関しても、精神干渉の影響を受けた二人がビルの存在を疑問視できていなかったらしいこと、そしてスキルシステムという、別の精神干渉の影響をもろに受けてしまっていたことから見ても恐らく間違いない。
だがだとするならば、プレイヤーというそもそも精神干渉が効かない人間を相手に、精神干渉を戦術の中心に据えた階層を用意しているというのは一体どういうことなのだろうか?
誠司曰く、各階層にはゲームマスターなりのなんらかの狙いがあるのではないかということだったが、ではこの階層の狙いとはいったいどういったものなのだろうか?
一応、竜昇達が備えていると思しき精神干渉への耐性を突破することが目的だとすれば話は分かる。
なにしろ、竜昇達の持つ精神干渉への耐性は、その存在こそ明るみに出たものの、それが一体いかなる性質のものなのかは依然不透明だ。
実際、【スキルシステム】という耐性を突破して竜昇達の内面に干渉している実例も存在しているし、あるいは何らかの手段、それこそ、同じ精神干渉も何度も重ねて仕掛けるような、そんな方法を使えばプレイヤーが持つ耐性というのは突破できる類いのものなのかもしれない。
そういった性質のものだった場合、こうして竜昇達を精神干渉を何度も仕掛ける階層内に閉じ込めるというのは、無駄な行為であるとは必ずしも言い切れなくなって来る
ただしその場合、わざわざ精神干渉の効きにくい人間を集めてそれを育てるような真似をしておきながら、ここまできてその大前提とも言える性質を無力化しようというのは、少々ゲームマスターの姿勢として矛盾を感じる。
もちろん、ゲームマスター側の事情などもあるのかもしれないが、しかし単純に竜昇達を精神干渉の影響下に置こうとしていると考えるには、少々不自然と言える要素が多すぎるように思えるのだ。
では他にどんな目的があるのかと考えると、次に浮かび上がってくるのは、逆に竜昇達通常のプレイヤーとは違う、愛菜や城司のような精神干渉が効いてしまうプレイヤーを、ゲームマスターが排除しようとしているという可能性だ。
スキルを最初から万全な形で習得できる、精神干渉によって自分たちの支配下に置くことすらできるなど、このビルの中で戦わせることを考えた場合、精神干渉に耐性のない人間の方が何かと便利に思えるわけだが、しかし実際にゲームマスターが集めているのは、そうした精神干渉に耐性を持った人間だ。
理由はわからないが、しかし現に耐性を持った人間が集まるような仕組みが用意されている以上、ゲームマスターの目的のためには精神干渉が効かない人間の方が都合がよかったのだと考えるべきなのだろう。
だとすれば、逆に耐性を持たないにもかかわらず、このビルのゲームへと紛れ込んでしまった人間をゲームマスターが排除しようとしているという可能性は十分に考えられる。
加えてもう一つ。耐性を持たない人間を標的としているというのなら、その標的はプレイヤーである城司たちではなく、アパゴ達【決戦二十七士】のメンバーであるという可能性としては十分にありうる話だ。
というよりも、実際にアパゴが精神干渉の術中に落ちてしまっているのが確認されたことで、むしろその可能性は他のものよりも一段と濃厚になってきたとさえいえるくらいだ。
――ただ、もしもそうだとするならば、では精神干渉によって骨抜きになった彼らに、実際に手を下す役には、いったい誰が想定されていたのだろうか?
普通に考えるなら、【決戦二十七士】を仕留める役目もこの階層に潜むボスに割り当てられていると考えるべきなのだろうが、しかし竜昇達の目があるためなのか、今のところボスはそれらしい、アパゴを仕留めに行くような動きを見せる様子はない。
――もしもこの階層の仕掛けが、竜昇達プレイヤーをサポートして【決戦二十七士】を倒させるためのものだったとしたならば――。
――もしもそれがゲームマスターの狙いだとするならば、果たして竜昇達はこの階層で、どのような行動を選択するべきなのか。
「なんだか、ずいぶんとぼんやりしているみたいですね……?」
目を覚ましたアパゴの様子を観察して、竜昇が最初に覚えた感想がおよそそんなものだった。
竜昇自身は、こうなってしまう前のアパゴと遭遇したことがなかったため正常な状態の彼がどんな人物だったかは静達から聞いての情報しかなかった訳だが、しかしそうして聞き知っていた情報と比較しても、現在のアパゴの様子ははっきりと異常なものだった。
目つきがどこか虚ろで、どこか意識の焦点が現実に合っていない。
話しかければ一応竜昇達に対して注意が向くのだが、しかし口調や様子がやたらとのんびりしていて、明らかに彼の本来の性格とは乖離した、そんな様子をはっきりと感じさせる様子だった。
一応、竜昇が知るものの中で似たような状態をあげるなら、寝ぼけてまだ半分寝ているような状態というのが近くはあるが、しかしほとんど偏見に近い、見たことの無いものに例えることが許されるなら、その様子は寝ぼけているというよりもどこか薬物中毒を連想させるありさまであった。
少なくともその様子は、とても正常な、健康的なものには思えない。
「この人、最初からこうだったんですか? いくらなんでも、城司さん達と比べると、その……」
「……ああ、流石に最初は普通に会話できていたよ。そのあたりは恐らくそちらの入淵さんや、こちらの愛菜と状態は同じだ。……ただ、この相手についてはそれじゃ困るからね。なんとか精神干渉を解除できないかと、いろいろと試していったらいつのころからかこうなって、その後は何を言っても答えはするけれど、どこか鈍い反応を返すばかりの状態になってしまった」
「いろいろ、ですか……」
アパゴの体に残るいくつかの痣へと視線をやって、竜昇は何となくその誠司の語る『いろいろ』の内容を予想する。
スキルによって【決戦二十七士】への敵意を植え付けられている誠司達の中に、アパゴに対して遠慮しなければならないような理由はない。
恐らく誠司は相手が敵であるのをいいことに、仲間相手であればできないような方法を試す形で精神干渉の解除を試みたのだろう。
とは言え、流石にそれであっさりと解除できるほど、精神干渉の力は甘い設定にはなっていなかったのだと見るべきなのか。
「恐らくは植え付けられた認識と、自分を取り巻く現実の状況があまりにも乖離しすぎると、それを無視するために思考能力そのものに制限がかかる形になっているんだろう。一定以上の齟齬やストレスがかかっても、標的が正気に戻らないように」
「なるほど、ある種の安全装置、という訳ですか……」
誠司の予想を意識の端に留めながら、ひとまず竜昇は先ほど言っていた通り、まずはアパゴから直接話を聞いてみることにする。
慎重に内容を吟味しながら、竜昇はまず簡単なものから選んで、ぼんやりとこちらを見上げるアパゴに対して質問を投げかける。
「……まず、最初にお尋ねします。あなたのお名前は何ですか?」
「――ム、名前、名前か? 名前……、某の名は……アパゴ、そうアパゴ・ジョルイーニだ」
「……!!」
予想通りの答えに、しかし予想通りであったがゆえに竜昇は内心少なく無い衝撃を胸中に受ける。
敵の名前がアパゴであることは、一応クエストメッセージの存在もあってある程度予想できていた。
この相手が日本語を解しているということだとて、事前に誠司から聞いていたことで知識としては知っていた。
だが頭ではわかっていても、やはり言葉は通じないはずと思っていた【決戦二十七士】の口から日本語が飛び出してきては、やはり驚きは禁じえない。
予想外の形で巨大な問題が解決してしまったという感動と、そしてそれとは相反する、こんなに簡単でいいのだろうかという疑念が胸の内でないまぜになって、竜昇の精神を予想以上の力でぐちゃぐちゃにかき乱す。
(――いや、落ち着け……。今は感動している場合でもなければ驚いている場合でもない)
我に返って自身にそう言い聞かせ、竜昇は一度意識的に呼吸してから次なる質問をアパゴへと投げかけることにする。
「ではアパゴさん。お聞きしたいのですが、今俺達がいるこの場所、この建物がなんの施設かわかりますか?」
「なんの……? なんの施設と言われれば、それは……、そう、ウォーターパーク、であろう? 各種温水プールと入浴施設、ホテル等の宿泊施設まで兼ね備えた、親子連れから疲れた社会人まで楽しめるのが売りの巨大レジャー施設、であったか……」
まるでコマーシャルの内容をそのまま暗唱したようなことを言いながら、見当違いの部分で記憶を探るアパゴの姿に、竜昇は内心で語られた言葉のその意味を思案する。
実のところ、アパゴが語った内容は昨日のうちに城司に尋ねて聞き出したものと同一のものだ。
そう、同一である。もちろん言い回しに多少の差異はあるものの、竜昇がコマーシャルのように感じたこのウォーターパークの謳い文句のような文面は、城司が語っていたものとまったく同じものだった。
それが何を意味しているのか、その裏にある何かに思考を巡らせながら、竜昇は続けて半ば答えの予想できた質問をアパゴに対して投げかける。
「ではアパゴさん。あなたは一体、ここに何をしに来たんですか?」
「なに、と言われてもな……。流石に某の歳で、一人プールに遊びにという訳もあるまい……。日ごろの仕事での疲れを癒しに来たのだよ……。実は、時々来ていてな……。密かな、楽しみのひとつなのだ……」
「お仕事は何をされているのですか?」
「なに……、と言われてもな。普通の、会社員で、あるよ……」
「ご自宅はどこにあるのですか?」
「ここから来るまで、一時間ほどのところだな……。今日も、ここまでは車で来ている……」
「ここから車で……、となるともしかして結構都会の方ですか?」
「……いや、言うほど、都会という訳ではないよ。よくある住宅地、というのが適切だろう……」
「……なるほど」
そう言って、ひとまず質問を切り上げた竜昇に対して、背後に控えていた誠司が檻を見て言葉をかけてくる。
「万事こんな調子だよ。自分の名前くらいは言えるようだけど、どこから来たのか、どんな人間だったのかはまるで分っていない。まるで自分はどこにでもいる普通の人間ですと言わんばかりの返事が返って来るだけだ。あまりにもあんまりな回答ばかりなんで、惚けてシラを切ってるだけなんじゃないかとも疑ったんだけど――」
「――【観察スキル】で見た限りではそんなことはなかった、というところですか」
「……そういうことだね。もっとも、これに関してはこのアパゴという男が【観察スキル】を掻い潜る技能を持っているという可能性もある訳だけど」
言葉を先取りしたかのような竜昇の物言いに、誠司もどこか嫌みのようにそう言い返す。
とは言え、そんな可能性は論じ始めたらそれこそ切りがない。
そもそも、彼の言う【観察スキル】を誤魔化す技能自体、別に静が習得しているわけでもない、完全に架空のものと言っていいような技能なのだ。
彼らが【観察スキル】によって静の内面を見通せなかったのは、単に彼女が人とはズレた感覚の持ち主であり、しかもその内面が表情に現れにくいものだったが故の、言ってしまえばただの偶然と個性の産物である。
そんなものの存在をこの場の議論に持ち込むというのは、流石に無駄とまではいわないものの、正直に言ってあまり意味があるとは竜昇には思えない。
「質問を続けましょう。アパゴさん、あなたは魔法についてどの程度ご存知ですか?」
「まほう? はは……、それは良いな、魔法か……。そんなものがあるというなら、仕事も少しは楽になるのだが……」
「では魔技については?」
「マギ? まぎ……、まぎ……。それは一体、どういう字を書くのだね? すまないが、心当たりがないのだが……」
「【決戦二十七士】という言葉に覚えは?【影人】、いえ、赤い核に黒い影のようなものがまとわりついた、そんな存在に襲われたことはありませんか?」
「なんだねそれは……? 幽霊の、目撃情報か何かを、聞いているのかね……? 生憎と、それらしいものには覚えがないが……」
「――無駄だよ。そのあたりのことは全て聞いた」
立て続けに質問をぶつけてみる竜昇に対して、背後からどこか諦めたような口調がそう告げてくる。
実際、背後の誠司の、振り向いて見えたその表情は、どこか脱力したような、諦めてしまったようなそんな表情だった。
「僕達だってバカじゃない。そのあたりの、僕たちがこの【不問ビル】を攻略する過程でぶつかった用語は片っ端から問いかけてみたさ。魔法に関しては、実際に目の前で発動させて見せてもみた。けどダメなんだ。この人の態度は一貫して魔法も超常現象も否定的、実際に魔法を見せても手品の類と思い込む始末さ」
「そう、ですか……」
誠司が告げるその事実に、竜昇は酷く口惜しい気分になって思わずその歯を食いしばる。
元々、アパゴの取り調べに関しては竜昇達もそれほど期待をしていたわけではない。
今回のこの取り調べは、あくまでも誠司たちと一対一で会談を行うためのいわば口実で、本当の意味でアパゴから話を聞き出すのは、眼の前の誠司達との問題が片付いた、その後にするつもりだった。
だが、それでも……。
こうして思わぬ形で話が進んで、それでもなお答えにたどり着けないという状況に置かれてしまえば、いかに期待していなかったとしてもこの状況を口惜しく感じてしまう。
あと少しで答えにたどり着けそうなのに、その少しが足りずに手が届かないというそんな感覚。
(クソ、なにかないのか……、なにか……!!)
ひどくもどかしいその状況に歯ぎしりして、竜昇は往生際悪くも何かないかと記憶を探る。
誠司達は自分たちが攻略してきた中で出会った要素については一通り問いただしてみたとそう言っていた。
それこそ、魔法も魔技も、【決戦二十七士】や【影人】といった、このビルの中のゲームを構成する要素全てについて、全て。
だとすれば、もう打てる手はないということなのだろうか。
ゲームにまつわる用語すべてについて、確認が済んでいるというのなら、もう――。
「――ゲームに、まつわる……?」
――と、そこまで考えたその時、竜昇の脳裏に一つだけ考えが頭をよぎる。
「中崎、さん……。さっき不問ビル攻略にまつわる用語は全部確認したと言っていましたけど、それは【神造物】もですか?」
「――え?」
――ゲームシステムに含まれる用語すべてを試してダメだというなら、ゲームシステムから外れた物品の名はどうなのだろうかと。
そして、その疑問への答えは誠司が答えるよりも先に思わぬ形で現れる。
「しん、ぞうぶつ……?」
その瞬間、竜昇の言葉に反応するかのように、アパゴが自らその言葉を聞き返すように反芻する。
反射的に二人が視線をアパゴに向ける中、思い出したかのように誠司が口にするのは、先に竜昇が投げかけた問いの、その答え。
「……考えてみれば、確かに【神造物】については確認したことがなかったな……。そもそもマジックアイテムの類に何の反応しなかったその時点で、その中でもさらに特別なアイテムの名前なんて、確認する意味がないと思っていたから……」
動揺の色がにじむ誠司の声に、竜昇は密かに目の前の光景に唾をのむ。
先ほどまで虚ろだったアパゴの視線は、しかし今はどこか迷うようにさ迷って、まるで精神に仕掛けた安全装置の向こう側がのぞいたかのように、意思と感情の色が見え隠れしていた。




