155:二件目
本日二話目、一話を二つに分けたので少し短めです。
もはやアパゴの生け捕りは諦めるよりほかにないと、わずかな逡巡の末に静はそう腹をくくった。
この状況での精神干渉魔力の使用が、いったい何をどこまで狙ってのものなのかは判然としないが、しかし状況から最悪の可能性を想定した場合、この階層のボスの存在によって、愛菜や城司と言った精神干渉に耐性を持たないメンバーが危機に曝される可能性は十分にある。
加えて、あそこまで本人たちの判断力を左右できる能力なのだ。愛菜や城司の抵抗力を奪うというだけでなく、彼女らを操ってその護衛についている理香や竜昇を襲わせるという使い方もなされる危険すら存在している。
そしてその場合、護衛の二人は護衛対象とボスという、極めて厄介な相手に同時に対処しなくてはならないという特大の危険に直面することになるのだ。
むろんそうならない可能性もあるが、少なくともボスが動き出した以上、城司と愛菜、およびその護衛についている二人の元へ、増援を送る必要があるのは明らかだ。
そしてそうなったとき、現状の静達にアパゴの生け捕りのために割ける人員的な余裕はない。
こうなってしまうと、いよいよこのウォーターパーク中に人数をばらけさせてしまったことが悔やまれるが、それはもはや今言っても仕方のないことである。
ひとまずボスの行動を【魔聴】によって察知できる詩織をホテルに向かわせて、静の方は瞳たちの後を追う形でロッカールームや浴場スペースへと続く通路に走り込む。
一応静も途中で瞳たちに追いつくことがあれば、事態を知らせてホテルへ向かうか、あるいはアパゴの殺害ではなく生け捕りを要請してみるつもりだったが、しかしもはや静には瞳の暴走を止めるために時間を使うつもりは毛頭なかった。
むろんあの敵を生け捕りにすることの重要性は理解しているが、味方に犠牲が出ることを考えればその優先順位は比べるべくもない。
もとより今回なにかができていたわけではないが、これ以上アパゴを捕縛するために何かをするのは諦めて、最悪アパゴが静達の合流の邪魔をするようなら静自身の手で殺害することすら選択肢に入れておく。
そんな風に、本来ならば未練を残しそうなところをあっさりと割り切り、決意と共に通路を走っていた静だったが、しかしそんな静の決意をあざ笑うかのように、思いのほかあっさりと事態の推移は結末へと行き着いた。
「これは……」
浴場エリアに向かう途中で通りがかったロッカールームの前で気配を感じ、思わずその中を覗いた静は、そこにあったあまりにもあっけない光景に声を漏らした。
見れば、室内にはすでにアパゴと瞳、そして誠司という三人の人物が到着しており、そのうちの一人であるアパゴだけが、ロッカーにもたれかかるような形で床へと座り込んでいる。
背後にあるロッカー、その扉の凹み方から見て、どうやら殴り飛ばされて直後にロッカーへと激突したらしい。
ただし、少なくとも静が見た限りでは、動かぬアパゴの身は五体満足で、首などもしっかりとつながったまま、大きな怪我などもしていないように見えていた。
「……殺して、しまわれたのですか?」
「いや、生きてるよ。殴って気絶させただけさ」
念のためにと静が確認の問いを投げかけると、瞳がアパゴを手錠で拘束するのを眺めながら、あっさりとした口調で誠司がそう返答する。
どうやらその様子から見るに、先に瞳に追いつき、合流していた誠司が、彼女によるアパゴの殺害に待ったをかけたということらしい。
この件に関して静が固めていた決意を思えば、それは拍子抜けするほどにあっけない結末ではあったが、しかしことが丸く収まったのであれば、静自身にこれ以上この件に拘泥するような理由はない。
むしろ好都合とそう思考を切り替えて、ひとまず今は他の優先するべきことへと手を付けることにする。
「助かりました。そしてちょうどよかった。できればお二人にはすぐにでもホテルに戻っていただきたいところだったので。実は先ほど詩織さんが――」
と、静が竜昇達の元へ向かう前に、二人にも事情を説明しておこうと誠司の元へと一歩を踏み出したその瞬間、強烈な殺気と思しき感覚が、一切の容赦なく静の全身へと叩き付けられる。
否、叩きつけられたのは殺気などという形のない曖昧なものだけではなかった。
ほとんど反射的に、静が頭を下げたその瞬間、静の頭上を何かが鋭く通過して、真横にあった金属製のロッカーが何かに殴られたようなけたたましい音を響かせた。
(――!!)
頭上を通過した金属棍、そしてそれを振るう瞳の存在を確認し、しかし直後に見えたものに静は内心で首をかしげる。
瞳から攻撃されること、それ自体には残念ながら疑問はない。
なにしろ先ほど、あれだけ理性を失った彼女のありさまを目の当たりにしているのだ。詩織は敵味方の区別がつかなくなることはないと言っていたが、元からクラスメイトだったという彼女達ならばいざ知らず、この階層に来て出会ったばかりの静では、もしかすると瞳もこちらを味方と認識できないのではないかと、そのくらいのことは静も事前に危惧していた。
だがそんな瞳の様子を目の当たりにしておきながら、その後ろに控える誠司の表情に一切の動揺が見えないというのは一体どういうことなのか。
(――いえ、問うのは後ですね――!!)
考えかけて、しかし静はその思考を後に回して、ひとまず瞳から距離をとる。
幸い、不本意ながら瞳による攻撃は予想できていたことだ。何かがあってもいいように、いざという時に距離をとれるよう退路の確保を心がける形で動いている。
対して瞳の方は避けられたこと自体が予想外だったのか、その表情に明白な驚きの色を浮かべて追撃してこなかった。
そのおかげで思いのほかあっさりと間合いを確保でき、改めて静は瞳と誠司、相対する二人の様子を観察するべくその全身に素早く視線を走らせる。
「……やれやれ、避けられてしまったか。まったく、瞳ももう少し待ってくれれば、会話で隙を作ることもできたかもしれないのに」
「ご、ごメん……。でも、ソいつがセイジに近づイタから、つい……」
「……どういう、おつもりですか?」
二人の会話に、いよいよ本気で相手がこちらと敵対するつもりなのだと察して、静は冷静な口調のままで、警戒の色を強めつつそう問いかける。
よもや先ほどの精神干渉の影響かとも思ったが、しかしこの二人も静達同じように、精神干渉系の魔力への耐性は一定レベルで保有していたはずだ。
自身のそうした予想が間違っているとも思えないし、だとすればなぜ攻撃されるのか、その理由に心当たりがなくいよいよ静の胸中は彼女にしては珍しい混乱に満たされる。
対して、当の本人たちはと言えば、まるで静のその反応を不可解なものとでも思っているかのように怪訝そうな顔をして、直後にセイジの方がその理由を察したようにその表情を変えて見せた。
「ああ、なるほど。随分と気軽に接触してきたと思ったら、君はそもそもバレていることにまだ気づいていなかったのか」
「バレて、いる……?」
困惑する静に、誠司は着ているマントの内側へと手を突っ込んで、直後に何かを取り出して静に対して提示する。
誠司がこの局面で取り出した、彼に静への攻撃を決断させたもの。静にまるで心当たりのない、彼らの敵対のその根拠。それは――。
「おいおい、なにもそんなに急ぐことないだろ。こちとらのぼせて倒れたばっかだってのに」
「――ッ、そんなことッ……!! ――いえ、……そうですね」
状況に反して呑気な城司の言動に思わず反論しそうになって、竜昇は寸でのところでそれを思いとどまり、その言葉を腹の底へと押しとどめる。
実際、今の彼に対して反論したところでなんの意味もないのだ。
外部からその認識に干渉されている以上、なにを言ったところで意見が合う訳がないし、そうなってしまっていることは決して城司本人の責任ではない。
それに何より、そこまで急ぐ必要がないというのもある意味では事実なのだ。
少なくとも今起きているこの事態は、先のことはともかく今すぐなにかがどうなるような類の問題ではない。
その、はずだ。
だが理性的な部分でそう思う一方で、竜昇自身の中ではどうしてもつきまとう嫌な予感がぬぐえない。
(信じるわけがない、いくらなんでも、こんなもの……)
そう自分に言い聞かせつつ、それでも予感に駆られるように、竜昇は自身の手の中にあるスマートフォン、そこに先ほど同時に届いた二件のクエストメッセージの、そのうちの一件へと視線を向ける。
そこに書かれているのは、本来鵜呑みにする人間など誰もいないはずの不穏な文面。
それは、すなわち――。
「『プレイヤー、小原静を【決戦二十七士】への内通者としてここに告発する』」
「――……はい?」
告げられた文言、誠司の元へ送られてきたというそのクエストメッセージを読み上げられて、しかしその内容に得心がいかず思わず静はそんな怪訝な声を漏らして聞き返す。
当り前だ。いくらなんでも内通者などとそんなデタラメ、言いがかりとしてもあまりに出来が悪すぎる。
だがそう思う静に対して、そのメッセージを実際に受け取った誠司達はそう思ってはくれなかったらしい。
瞳と誠司、二人から向けられる種類の違う敵意をその身に浴びて、否応なく静は、事態が酷く厄介な方に転がり出していたのだと理解させられた。
同時に、あくまでも穏やかな態度のままで、しかしその視線に明白な敵意を秘めた誠司が、変わらぬ口調のままで静に対して問いかける。
「さて、僕たちはこのクエストを受けて、君という人間に対してどう対処するべきなんだろうか?」




