151:傷ついた強敵
「遅かったですかッ!!」
爆音が響き渡ったその瞬間、すぐさま静は、その音がした方向へと迷うことなく走り出していた。
レストランの隅、プール全体を一望できるテラスの、その柵の場所にまで飛びつくように駆けつけて、そこから身を乗り出して音の発生源を確認する。
音がしたのは及川愛菜と、彼女に付き合う馬車道瞳が遊んでいた海岸プールの中央付近。
魔法が炸裂したというよりも、相応の大きさのものが水面に叩き込まれた故に上がったようなその水しぶきの位置を確認し、静はすぐさまその場所へと急行することを決意する。
「――ッ、静さん、早くあっち、階段に――」
「――いいえ、それでは回り道になりすぎます」
同じくその場所へと向かおうと階段に向かおうとしていた詩織にそう言い返し、静は迷うことなく目の前にある、落下防止の柵の上へと身を乗り上げる。
そう、この緊急時に、いちいち階段を使っていては回り道になりすぎる。
なにより、上から下への移動なら、階段を駆け下りるよりも跳び落ちた方が断然早い。
「なので、ここから直接あちらに向かいます」
「ちょっ――!!」
驚く詩織に止める暇も与えることなく、柵の上から勢いすらつけて、静が真下目がけて一気に落下する。
幸い、落下による真下への移動なら一つ上の階層で経験済みだ。着地の方法に関しても、あの時と同じ方法で全く問題ない。
「【空中跳躍】――!!」
地面に叩きつけられるその寸前、静は真横に跳ぶように中空を蹴りつけて、己の体を真下ではなく真横へ目がけてかっ飛ばす。
床に足がつくその瞬間、勢いを足で受け止めることなく、目的地へ向かうためにそのまま利用するようにして、着地と同時に猛烈な勢いで海岸プール目がけて走り出す。
「また、無茶して、静さん――!!」
そんな静に対して、意外にも後方上空から詩織の声が追ってくる。
走りながら振り向けば、そこには装備した【天舞足】によって空中に足場を形成し、その上を駆け下りる形でこちらを追ってくる詩織の姿があった。
どうやら、真下に落下してから真横に跳ぶという最速の形を選択した静に対し、詩織の方は斜めに駆け下りるという最短距離を行く道を選んだらしい。
「絶対ズレてる……。今絶対静さんなにかズレたことで感心してる――!!」
「いえ、そんなことよりも詩織さん、追ってきたなら早めに高度を下げてください。敵に発見されれば撃ち落される危険がありますし、逆に発見されていなければ不意打ちが狙えますから」
「それは、わかるけども――!!」
言いながら、詩織は静の肩ほどの高さから一気に跳び下りて、そのまま静の隣を並走し始める。
彼女がここまで付き合ってくれたのは少々予想外だったが、それはそれで静としてもありがたい展開だ。
最悪自分一人で戦う可能性すら考えていた静だが、最初から彼女が参加してくれるというのならそれだけでも随分と戦闘は楽になるし、なにより彼女の感覚による探知能力は静ではまねのできないものがある。
とは言え、いかに広いと言えど、今回の舞台は同じプールエリアの中である。
この施設の中で、プールエリアは恐らく一番広い作りに放っているが、それでも人のいないプールを駆け抜けるのに、それが例え端から端までの距離だったとしてもそれほど時間はかからない。
「――詩織さん、ストップです」
詩織の近くに頼るまでもなく、ほどなくしてそれを見つけて、静はすぐさま横を走る詩織の手を掴んで、付近にあった観葉植物の植え込みの影へと飛び込み、身を隠した。
恐らく詩織の方も手を引かれた次の瞬間には静の意図を理解できたのだろう。その証拠に、身を隠した次の瞬間には気配を殺して、囁くように静に対して問いかけてくる。
「いたの?」
「一瞬でしたが姿が見えました。ここから先はできるだけ隠れていきましょう」
身を隠すその寸前、一瞬見えた人影を警戒し、静は詩織に対して声を潜めてそう提案する。
幸い、このウォーターパークのプールエリアは南国をイメージして作られた関係上、海岸プールの周囲やそこにつながる流れるプールの周辺各所にヤシの木や観葉植物、南国風の花などの植え込みが多数存在している。
近づいてみてみるとどうやら造花の類のようだったが、しかし生花だろうが造花だろうが身を隠すうえでは大した違いはないのだ。
身を低くして物陰から物影へと移動し、先ほど見えた人影のいる方向へと徐々に距離を詰めながら、同時に静は今のうちにできるだけ相手の情報を得ようと背後の詩織に質問を投げかける。
「詩織さん、現在戦っているのは誰ですか? 戦況は?」
「それなんだけど、あそこで戦ってるのは中崎君たちじゃないみたい。というか人間じゃないみたいで、金属の音がひっきりなしに聞こえるから、たぶん中崎君の使う召喚獣だと思う」
「召喚獣……。例の【召喚スキル・剣獣】という奴ですか?」
先に水中捜索のために使用するのを見せられた【剣角儒艮】の存在を思い出して静が問いかけると、静の背後に付き従う形で物陰を移動する詩織がそっと頷いた。
「使用されてるのは中崎君がよく使ってる【猟剣】って言う召喚獣だと思う。
数は、最初は三体だったけど今は二体に減ってる。さっきの爆発みたいなのは相手からの攻撃を受けた一体が水面に叩きつけられた音だったみたい……。
たぶん他の皆は一度ホテルに避難したんじゃないかな」
「なるほど、まずは自分たちの安全を確保して、それから偵察と相手の戦力分析のために、探知用の護符で位置を割り出して召喚獣を向かわせた、と言ったところですか……」
流石の戦況分析に内心で感心しながら、ならばと静はいったん己の方針を転換することにする。
できることなら交戦が始まる前に問題の人物を確保し、相手がこちらを敵と認識するのを防ぎたかったところだが、しかしもう交戦が始まってしまったというのならばもうそれは諦めるしかない。
ならば次に静がするべきは、恐らくこれから一戦交えざるを得なくなるだろうこの相手の、その戦闘スタイルと戦力の大きさを測ることだ。
そしてその方針に乗っとるなら、敗北が直接人死にと直結しない召喚獣が戦っているというこの状況は、敵の戦力を分析するうえで非常に好都合であると言える。
「こちらの誰かが戦っているのでないのなら、ひとまずはこのまま隠れて様子を見ましょう。詩織さん、相手の戦闘スタイル、あるいは得物が何かは分かりますか?」
「え、と……。それが、ちょっと信じられないんだけど……」
「信じられない?」
「うん、素手みたいなの」
「素手?」
その証言に、思わず静が問い返そうになったまさにその瞬間、遠くで金属の塊をブッ叩くような重い音がして、同時に宙へと何かが勢い良く舞い上がる。
唖然としながら見上げる静達の、その頭上を飛行する何かが飛び越えて、飛んできた物体が静達の少し先へとけたたましい音を立てて墜落した。
(あれは、金属でできた犬……、ですか?)
大型の犬か狼のような形をして、尾の先や鼻先から鋭い剣を伸ばした凶悪な形をした四足歩行の召喚獣が、しかし全身の各所を破壊された状態で床に叩きつけられ、そのまま光の粒子に変わって魔力に返って消えていく。
後に残されるのは、どこか見覚えのある一本の短剣。
「これは……、詩織さん――!?」
「大丈夫。こっちに気付いてて飛ばしてきたわけじゃないみたい……。けど戦況は召喚獣の方が圧倒的に不利、っていうより、もう一体しか残ってないから――」
その言葉に、静はすぐさまその決定的な瞬間を見逃すまいと、自身が隠れ潜む花壇の影から身を覗かせる。
案の定、視線の先、人口の波打ち際付近で繰り広げられていたその戦いは、今まさに決着がつこうというタイミングだった。
刀剣状の鼻先を振りかぶり、自身へと飛び掛かって来る金属犬からの攻撃に対し、写真で見たアパゴというらしいその男が一瞬で懐へと潜り込み、突き出した拳によってそのどてっぱらをあっさりと砕き、貫いて風穴を開ける。
腹を砕かれた金属犬が破片をまき散らしながら高々と上空に打ち上げられて、そのまま海を模したプールの中へと落下してそのまま魔力の光を散らして消えていく。
(なんとまあ力任せな……)
目の前で繰り広げられたその光景に、静は内心で呆れともつかないそんな感覚に襲われる。
これまでの二人、ハイツとフジンは、どちらも習得した魔法などの特殊な能力を主軸とした戦い方を基本戦術にしている節があったが、それらと比べればあのアパゴという男の戦闘スタイルは随分とシンプルだ。
恐らく城司の【迫撃スキル】のように、魔力運用と武術を組み合わせたれっきとした技なのだろうが、それにしたとて今回は随分とわかりやすい。この距離からでも感じ取れる、アパゴの全身を覆う魔力のオーラの存在を鑑みれば、先ほどアパゴの放った一撃が、城司の【迫撃】以上に魔力による強化に頼った一撃だったことは何となくだが読み取れる。
あるいは、相手が人間ではなく召喚獣であったがゆえに、本来の戦闘スタイルを隠しているのかとそんなことを考えて、ふと静はそれとは少し違う、別の可能性にも思い至った。
(――いえ、というよりも、もはや徒手空拳で戦うしかない、という状態なのでしょうか……?)
写真に写っていた、そしてここからでも見える男のボロボロの姿に、ふと静はそんなことを考える。
このアパゴという男が、何者かに敗走したはてにこの階層にたどり着いた可能性というのは、他ならぬ静自身が先ほどバックヤードの中で考えていた可能性だ。
そしてもしもその敗北に際して、アパゴが自身の戦闘スタイルを形成していた装備、武器や防具などの大半を失ってしまったのだとしたら、武器らしい武器を持たずに徒手空拳で誠司の召喚獣とやり合っていた、その理由にも納得がいく。
(もしそうだとすれば、今の状況はひょっとするとチャンスかもしれませんね)
ボロボロの相手の様子を鑑みて、冷徹な思考で静はひそかにそう判断する。
二度の戦いで嫌というほど実感させられたが、【決戦二十七士】は一人でも相当な強さを誇る強敵だ。
フジンの時のような相性的優位があったとしても、恐らく静を含め、パーティーのメンバーの中で一対一の真っ向勝負で【決戦二十七士】に勝てる人間は現在のところ存在していないだろう。実際、これまでの二度の戦いにおいても静達は必ず複数人で戦いを挑んでいたし、それ以外にも既に他の誰かと戦った後だったり、相手の能力に対して一定の対応ができるメンバーがいたりと、自分たちにとって有利となる条件が重なったことで、初めて勝利することができたくらいである。
そうした事情を考えるなら、敵が負傷し、装備の大半を失っているのかもしれない現在の状況はまさしく好機と言える状況である。
特に、動けるメンバーが限られていて、なおかつ連携面での不安もある現状、このアドバンテージはできうる限り逃したくない。
そう静が考えて、隣の詩織に仕掛けるための相談を持ち掛けようと、そう考えていた、まさにその時。
「どッ、りゃアアアアアッッッ!!」
(――!?)
バカのような雄叫びが、不意打ちのアドバンテージなど何も考えていないかのような巨大な声が、戦闘を終えたばかりのアパゴの元へと急速勢いで降って来る。
声質に反して明らかに少女のものとは思えない、元の倍以上の太にまでその体を膨らませて、同じく少女が扱うには明らかに大きすぎる巨大な刃を展開した、一振りのバルディッシュと呼ばれる大斧を振り上げて。
「チェェェェッッ、ストォォォオオオオッッッ!!」
次の瞬間、あらん限りの力を込めた一撃と共に、上空からアパゴ・ジョルイーニの脳天を目がけて馬車道瞳が襲来する。
まるで静の思惑ごとブチ壊してしまうかの如く、模造の砂浜の一画を、斧の一撃が粉砕する。




