141:彼らとの齟齬
「……どうにも、しっくりこないのですよね」
そう静がこぼしたのは二人で歩きだしてから十分ほどたったころのことだった。
竜昇と二人で通風孔を探してプールエリアから廊下に出て、見つけたいくつ目かの通風孔のそばに、渡されていた金属製の護符をガムテープで張り付けた直後の発言である。
「しっくりこないって……、それはボスの居場所の話?」
「……いえ、それもそうなんですけれど、何というか、いろいろなことに常に違和感が付きまとっていると言いますか……」
要領を得ない静の言葉に、竜昇は彼女の中にはっきりしないまま存在している違和感の、その理由に頭を巡らせる。
実のところ、様々な場面でどうにも違和感を覚えているのは、竜昇自身も同じだった。
「例えばの話、静は先口さんの、敵が地下の排水パイプや通気口を移動経路にして、隠れているって言う考えはどう思う? 静はその答えが間違っていると、そう感じているのか?」
「そうですね……。いえ、答えとしてはありうる部類だとは思っています。というよりも、この階層の通常の施設に敵がいなかった以上、そうした場所は疑ってしかるべきだろうと。……ただ、何というか回答としてはどうにも納得できないと申しますか……」
手探りのように紡がれる静の言葉に、不意に竜昇は彼女が何を言いたいのか、その答えが感覚的に理解できた。
「ああ、なるほど。もしかして静は、先口さんの出したその答えじゃ、問題の解答としてフェアじゃない、と感じているんじゃないか?」
「フェアじゃない、ですか?」
「ああ。だってあの回答じゃ、むこうのパーティーみたいに召喚スキルや、あるいは水中で活動できる何らかの手段を持っていないとボスを見つけられないから、事実上この階層の攻略が不可能になってしまう。初めからこちらにクリアさせる気が無かったならまだしも、クリアされるための、ゲームとしてのダンジョンとして考えた場合、そんな構造じゃ失格だ」
これがもしも、初めから竜昇達を殺すつもりで、攻略不能なダンジョンとして造られていたというのならば話は分かる。
こちらが手出しできない場所に隠れて、そこから一方的に攻撃を仕掛けるというのは戦術としては単純だが完璧なやり口だ。もしもこの相手、この場合はこの階層を設計したであろうゲームマスターが、最初から竜昇達に攻略させないつもりでこの階層を設計していたというのならばそれは最適な選択だっただろう。
しかしもしもこの階層がこれまでと同じように、ある種ゲーム的なクリアされるためのステージとして設計されていたのだとすれば、確実に満たせるとも限らない、ここに来るまでに特定のスキルを手に入れていなければクリアできなくなってしまうステージなど、いっそ失敗作と呼んでしまっても過言ではない代物である。
もちろん、これはあくまでもゲームとして考えた場合の問題点だ。
実際にはこれはゲームではなく、それどころか命すらかかった現実である以上、そうそうどこまでもゲームと同じようには作られていないだろうことは、常に念頭に置いておかなければいけない事柄である。
だがそう思う一方で、竜昇がこうしたゲーム的思考を馬鹿にできないと感じる理由は、あるいは昨晩、誠司からあんな話を聞いていたからかもしれない。
この【不問ビル】の各階層が、竜昇達プレイヤーを【決戦二十七士】と戦える戦力として育てることを目的に設計されている可能性。
もしそれが誠司の予想通りなのだとしたら、なおのことこの場でクリア不可能なステージに突き当たるというのは少々おかしな事態だ。
一応昨晩の段階でも、このビルのゲームマスターが竜昇達プレイヤーをふるいにかけている可能性は示唆されていたが、しかし今回想定されるクリア不可能な理由はそう言ったふるいとも事情が異なる。
単純な力量不足、実力不足でふるいにかけているというのならばまだ目的に見合っている分理解できるが、特定のスキルを習得できていなければ斬り捨てるというのはあまりにも運に頼りすぎている。まさかどのスキルでもレベルが上がれば水中呼吸能力が身につくという訳でもあるまいし、仮に特定のスキルがこの先必須だというのならば、それこそプレイヤー全員にそのスキルを配布すればいいだけの話である。ここまで育てて来た竜昇達プレイヤーをバッサリと斬り捨てる理由が、水中での活動能力の有無だとは到底思えない。
「そう考えると、やっぱり敵が潜んでいるのは排水口じゃない、それこそ今俺達が探しているような通風孔の中とかになるのか? 他に隠れられそうな場所も現状見つかっていないしな……」
「まあ、排水口の方も敵が向こうから出てきてくれる可能性を考えれば接触も不可能ではないので、可能性は残っているとは思うのですが……」
「……ああ、そうか。確かに例の魔力の効果がこちらを骨抜きにするだけのものだったら、確かにトドメは自分で刺しに来る可能性はあるのか……」
朝方の魔力の効果が直接的な殺傷能力を持たない、ある種の精神干渉の様なものであったことを思い出し、竜昇はこちらを骨抜きにした後相手が取ってくるかもしれない行動にようやく思い至る。
とは言え、この予想が正しければやはりこの敵はこちらの全員が骨抜きになるまで決して安全地帯から出ては来るまい。
あるいは、敵がこちらを骨抜きにする、その条件がわかりさえすれば、相手の術中にはまったと見せかけて、とどめを刺しに来るだろうボスをおびき出すということもできるのかもしれないが、その肝心の条件がわからない以上、今は現在行っている捜索に敵が引っ掛かるのを待つよりほかなさそうだった。
そうして、結局は今は敵を探すしかないという、そんな結論に至ってしまったそのタイミングで、ふと静が思い出したように新たな疑問を投げかけて来た。
「――そう言えば、先ほど中崎さんの【召喚スキル】の話が出たことで思い至ったのですが、竜昇さんは中崎さんたちが自分達の手の内を隠していることをどう思いますか?」
「どう、と言われてもな……。まあ、不満が無いと言えば嘘になるけど……」
不意に振られた話題に、竜昇はしばし答えあぐねて黙り込む。
静が言っているのは、恐らく誠司たちがこちらに対してその手の内をさらすことに消極的な態度をとっていることだろう。
とは言え、こればかりは仕方がないのではないかというのが竜昇の意見だ。詩織にも似たようなことを言ったが、まさか出会ったばかりの他人である竜昇達に、ある種の生命線であるスキルや武器の性能など、手の内の全てをさらせなどと言えるはずもない。これに関してはある程度互いに信頼関係を構築して、そのうえで相手が明かしてもいいと、そう思ってくれるのを待つしかないのだ。
「勘違いなさらないでください。私とて手の内を隠すことの有効性、そして迂闊に手の内をさらすことの危険性はわかっているつもりです。ただ、私はどうにも誠司さんたちが手の内を隠しているその理由に違和感を覚えているのです」
「理由?」
「はい。そもそもの話、竜昇さんは誠司さんたちがいったい何を危惧してスキルの情報を秘匿しているのだと思いますか?」
「そりゃあ……、あまり気持ちのいい話じゃないけど、人間同士の争い、もっと言えば俺達との間で仲間割れが起きることを警戒しているんじゃないか?」
あくまでフィクションの中の話ではあるが、こうした状況の中で利害の対立や些細な誤解などから同じ立場の人間同士の争いが起きるというのは割とよくある展開だ。
もちろん、竜昇とてフィクションの中の出来事が現実でも確実に起きるなどと信じているわけではないが、しかしそこで警戒を怠れるほど竜昇は人間という生き物を甘く見てもいない。
そして恐らく、誠司達とて同じことは考えているだろう。実際竜昇も他にプレイヤーがいるとわかった瞬間、まず仲間割れが起きる可能性が頭をよぎったし、だからこそ竜昇自身、そうなる可能性をできるだけ排除するべく先手を打って対処するよう心掛けて来た。
そんな立場の竜昇にしてみれば、未だ自分達の手の内すらあかせていない現状は、そうした先手を打ち損ね形であるため不本意ではあるのだが、しかし相手の危惧するところもわからないわけではないのだ。
「確かに仲間割れを警戒するのならば手の内を隠しておくというのは当然の警戒でしょう。手の内を知られてしまうことで対策を打たれてしまう危険があるのはもちろん、手の内を知らないがゆえに迂闊に仕掛けられないという、いわば抑止力の効果も期待できますから。
――ですがもっと根本的な問題として、竜昇さんは今の現状が、そこまで仲間割れを警戒しなくてはならないような切羽詰まった状況だと思いますか?」
「それは……」
言われて、ようやく竜昇は『確かに』と納得と理解をさせられる。
確かに言われてみれば、現状竜昇達と誠司たちの二つのパーティーの間にはさほど火種がくすぶっているわけではないのだ。
しいて言うならば詩織が前の階層で行方不明になった際、彼女一人を置いて誠司たちが次の階層に進んでしまった件はあるが、それにしたとて詩織と他のメンバーとの関係がギクシャクしているだけで深刻な対立にまで発展しているわけではない。
そのほかの理由、例えば単純な利害の対立で言うなら、食料を初めとする生存に必要な物資、あるいはスキルや武器と言った重要な戦略物資などの奪い合いなどは警戒しなければならない展開だが、しかし現状食料などはそれほど不足している訳ではない。
それどころか昨日誠司たちに教えられた保管場所を覗いた限りでは、四人が八人に増えたところで暫くは困らないくらいの食糧がこの階層には備蓄されていた。そのためか誠司たち自身も食糧問題には関してはそれほど心配している様子がなく、むしろ竜昇達に積極的にそれらを提供してくれたくらいである。
スキルや武器などのドロップアイテムの奪い合いに関してはこの階層ではまだ敵、もとい【影人】と遭遇していないため何とも言えないが、少なくとも竜昇達が奪い合いを予見させるような態度をとった覚えもない。
「私には現状が、それほど仲間割れを警戒しなければいけないような切迫した状況には思えません。むしろ全てではなくともスキルの情報を開示して、一定の共闘体制を早期に確立した方が生存率は上がるように思います。そもそもこちらとの仲間割れを警戒しているのなら、自分達のスキルを開示しないだけならまだしも、私達にまでスキルを開示させない理由がわかりません」
「それは……、俺達が先に情報を開示してしまうことで、自分達も開示しなくちゃならなくなる展開を警戒している、とか?」
「だとすれば、そこまでして自分達の手の内を隠したい理由というのは何なのでしょう? それにそこまで警戒しているのに、今回や地図の時など、あっさりと手の内をさらすような真似をしているのもよくわかりません。……他にも退路を断たれても平然としていて、最初から後退するという選択肢が眼中にないようだったり……。どうにもあの方々の思考にはちぐはぐというか、よく分からない部分を多く感じます」
話しているうちに漠然としていた違和感が形を持ってきたのか、静の声が話し始めた当初の探るような話し方から、徐々に確信を伴ったものへと変わりだす。
こうして言われてみると、確かに誠司たちの判断にはどこかちぐはぐな、奇妙に感じられる点が多い。
むろん相手も人間である以上、彼らがそうした考えにまで思い至っていないという可能性も無いとは言い切れない訳だが、一方で竜昇にはどうにも誠司たちの判断が、そうした至らなさゆえのものとは違うような、そんな気がした。
だとすれば、現状在りうる理由として考えられるのは、例えば――。
「……例えば、誠司さんたちが実は本音では『ずっとこの階層にずっととどまっていたい』と思っている、とか……?」




