表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/61

第60羽 幸せじゃないお義父様

 

 大好きな義兄と同じ、ルビー色の瞳。まだ少しも白髪の混じらない豊かな金髪。そして何より……自分を見つめる優しい瞳。それは間違いなく、かつての義父デュークだった。


(……二度目の人生が始まった時、馬車に座る姿を見かけて以来だわ)


 挨拶もせず、一国の宰相をジロジロと見上げる非礼な令嬢に対し、デュークは優しい笑みを向け続ける。

 とうとう涙を溢れさせてしまったリンディに、国王は心配そうに問いかけた。


「どうした? 具合でも悪いのか?」

「もっ……申し訳ありません!」


 リンディは慌てて、二人へ向かい正式な礼をする。だが頭を下げた途端、余計に涙が溢れ、自分の意思では止めることが出来ない。身体を震わせ赤い絨毯に染みを作り続ける彼女に、国王とデュークはどうしたものかと顔を見合わせていた。



「仕事中に急に一人で呼び出した上に、宰相と二人で待ち構えていたんだ。緊張させてしまったのも無理はない」


 リンディの涙を緊張から出たものと捉えた国王は、給仕にハーブティーを運ばせ、彼女へ勧める。ひたすら謝罪しながらカップに口を付けると、温かい湯気と清涼感を含んだ香りが、心を落ち着かせてくれた。

 国王は彼女の涙が引いたのを見計らい、優しい声音で話を切り出す。


「リンディ・フローランス嬢。そなたを今日呼んだのは、此処にいるセドラー宰相の肖像画を描いてもらう為だ。歴代の宰相は、就任後すぐに肖像画を描かせるというのに、彼はずっとそれを拒んでいてね。……全く頑固者なんだよ」


 仕方ないなと言った調子でデュークを見る王の目は、主従関係ではなく親友に対するくだけたものだった。


「もうじき宰相に就任してから十周年を迎えるというのに、彼の肖像画を飾る予定の壁は空いたままでね。このまま退任するつもりかと思っていたんだが、突然、そなたになら肖像画を描いてもらいたいと言い出したんだ」


(私に……?)


 リンディの視線を受け、デュークは深く頷き話し出した。


「リンディ嬢、君が描いた人物画を幾つか見させてもらったよ。どれも表面だけでなく、その人の内面までもが伝わるようで、大変胸を打たれた。私は自分の顔が嫌いで、肖像画には抵抗があったのだが……君になら自分を遺してもらいたいと思ったんだ」


(一度目の人生で自分の絵を愛してくれたお義父様が、二度目の人生でも……もう家族ではないのに)


 また溢れそうになる涙を、リンディは鼻水と一緒にズッと啜る。そんな彼女に、王はあえて明るく、軽い調子で言った。


「彼の気が変わらない内に、早速描いてもらおうと思ってね。画材は持ってきてくれたかい?」

「……はい!」



 国王が退室し、応接室にはかつての父娘おやこ二人きりになった。

 リンディは目を瞑り両手に問いかけると、選んだ右手に鉛筆を持ち、輪郭からサラサラと描いていく。


「じっとしているのは、なかなか難しいものだな」

「動いても大丈夫です。おと……セドラー宰相様のお顔は、もう頭に入っていますので」

「そうか! それは助かる。早速、欠伸をしても構わないかい?」



『欠伸したいんだけど……動いてもいい?』



 リンディは義父にルーファスを重ね、くすりと笑う。同時に込み上げるものを飲み込み、誤魔化すように明るく答えた。


「はい! 欠伸でもくしゃみでも何でも! 本をお読みになったり、窓の景色をご覧になっても大丈夫ですよ」

「ありがとう。では空を見ていようかな。雲が風に流れていくのを、ぼんやり追うのが好きなんだ」


 デュークは少し姿勢を崩すと、ふわあと欠伸をし、穏やかな目で窓の外を眺め出した。


 鉛筆を動かしながら、リンディは思う。

 記憶の中の……病気になる前のデュークは、もっと若々しかった気がすると。目元の微かな笑い皺しかなかったあの頃に比べ、今は頬が痩け、クマで黒ずんだ目元には深い皺が刻まれている。


(まだこの時期はお元気だったと思うけど……二度目は違うのかしら。まさかもう、ご病気に……!)


 リンディは目を瞑り、必死に不安を振り払う。両手に問い掛けると、今度は左手に鉛筆を持ち、別の紙に瞳から描いていった。



「……出来ました!」

「もう描けたのか?」

「はい! 彩色はまだですが、下書きは終わりです。こっちは右手、こっちは左手で描いてみました。どちらがお好きですか?」


 デュークは差し出された二枚の絵を見比べる。右手で描かれた方は、鏡で見る自分とほぼ同じだ。その顔は、どこまでも滑稽で哀しい。

 左手で描かれた方は、全く見知らぬ自分だ。目元に笑い皺をたたえたその顔は、幸福に満ちている。


 どちらも表情は同じなのに、こんなに違うものなのか……


「君にはどちらが本当の私に見える?」

「右手の方は、おとう……セドラー宰相様の現在のお姿で、左手の方は、宰相様の過去と未来のお姿である気がします。どちらも本当の宰相様に見えます」

「そうか……」


 デュークは首を振り笑う。


「私には、右手の方が真実の自分。左手の方は理想の自分である気がするよ。……こんな顔で生きられたら、どんなに幸せだっただろうな」


 理想の自分を手に取り、しばらく眺めた後、真実の自分に持ち変えた。


「王宮に飾る物は偽りの姿であってはいけない。……こちらの右手で描いた方に色を塗り、仕上げてくれないか? 左手の方は、このまま記念にもらっておくよ」


 あまりにも哀しいデュークの顔に、リンディの胸が苦しくなる。


「おとうさ……セドラー宰相様は、幸せではないのですか?」

「……家族を苦しめて、不幸にしてしまったからね。たった一人の息子が幸せになってくれない限り、私は永遠に幸せにはなれないよ」


 吐露される苦しみに、リンディの瞳は涙でゆらゆらと潤み始めた。


 さっき見た青空よりも澄んだ瞳に、デュークは思う。自分は何故、今日会ったばかりの少女に、こんな情けない話をしているのかと。

 涙がほろりと彼女の頬から落ちる前に、自分のハンカチで受け止めた。だが……彼女は一層肩を震わせ、後から後からハンカチを濡らしていく。


「お義父様……セドラー宰相様は、どこかお身体の具合は悪くありませんか? 痛い所や苦しい所はありませんか? 大丈夫だと思っても、必ず毎日お医者様に診てもらって、何か見つかったら早く治してもらってくださいね。長生きしてくださらないと哀しいです。おにい……ルーファス様も……私も」


 懇願するように言う彼女に、ルビー色の瞳が見開く。このは、自分の寿命を、セドラー家の男子の宿命を知っているとでもいうのだろうかと。

 何とも奇妙な、それでいてどこか懐かしく愛しい感覚に、胸の奥がじんと震えた。


 彼女の頬を拭い続けながら、デュークはさっきから気になっていたことを尋ねてみる。


「君は何故、私のことを “ おとうさま ” と呼ぼうとするんだ?」


(……気付かれちゃった!)


 リンディは眉間に皺を寄せたり、目をキョロキョロ動かしたりと、百面相を繰り出す。それを見て、デュークは声を上げて笑い出した。


(私の知っているお義父様だ……。私を見て、話を聴いて、こうしてよく楽しそうに笑ってくれた……あのお義父様だ)


 ふっと心が和らいだリンディは、難しい問いに自然に答える。


「亡くなった義父を思い出したからです」

「父上を?」

「はい……もう一度会いたいと。元気な義父に会いたいと。ずっとそう思っていました」


 デュークはハンカチとは逆の手で、リンディの頭を優しく撫でる。


「私は、お父上に似ているのか?」

「はい、とても」

「そうか……そういえば私も、君のような可愛い娘が居た気がするよ」


 また、不思議な縁に手繰り寄せられた二人。かつての義父と娘は、心を通わせ微笑み合った。




 その二日後、彩色を終えた宰相の肖像画を見て、国王は叫んだ。


「素晴らしい! 歴代の宰相の中で、最も凛々しく威厳があるのではないか?」


 手放しで褒め称える国王に、デュークは苦笑する。


「実物より立派になってしまいましたね」

「肖像画なんてそんな物だ。私の絵なんて、実物を見ても本人だと気付かれないだろう」

「ああ……そう言われればそうですね。シミや皺がないどころか、鼻の高さまで忖度されていましたし」

「国王に向かってそんなことを言うのはお前くらいだ。今度こそ極刑にしてやろうか」

「私を刑に処したら、気難しい陛下のお相手を出来る者が誰も居なくなってしまいますよ。お寂しいでしょう?」

「それもそうだな。では刑の執行はもう少し延期しよう」


 軽口を叩き合いながら笑う中睦まじい二人に、リンディは微笑む。


「それにしても……睫毛の一本一本まで繊細で、今にも瞬きをしそうだ。瞳の色も美しいな、リンディ嬢」

「宰相様の美しいルビー色を出すのが難しくて……少し違う色味になってしまいました」

「いや、深味があって良い色だ。彼の内面が出ている。……よし、ではこの絵に合う額を、この中から選んでくれないか?」


 ズラリと並ぶ高価な額に、リンディは興奮する。ランネ学園の芸術科でも見たことのない、貴重な素材や美しい細工のものばかりだ。

 一つずつ触れては感嘆のため息を吐く彼女に、国王は言う。


「アリエッタ王女の肖像画もそなたに描いてもらえば良かったな……嫁ぐ前に」


 “ 王女 ”

 その言葉に、リンディは珍しくさっと意識を戻し、国王を見た。


「王女様……ご結婚されたのですか?」

「いや、来月成人したら、嫁ぐ予定なんだがね。既にヘイル国で暮らしていて、此処へはもう帰って来ないんだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ