第58羽 分け合う重荷
──リンディの長い話を聴いたヨハネスは、複雑な表情で黙り込んでいた。
(そうよね……こんな話、とても信じられる訳ないもの。『貴方のお祖父様が作った魔道具の力で、今私達は二度目の人生を送っています』だなんて。最後まで話を聞いてくれただけでも、ありがたいと思わなきゃ。……ヨハン兄様は優しいから、私の頭を心配してくれているに違いないわ。うーん、どうしよう)
ヨハネスはオロオロするリンディの左手を取ると、薬指にそっと触れた。
「不思議だな……何も見えないし感触もないのに、ここに指輪があるのか。確かに少し魔力は感じる気はするけど……全然気付かなかった」
リンディは青い目を瞠る。
「信じて……くれるの?」
「うん、もちろん。祖父が祖母を想って作った魔道具が何だったのか……話を聴いて、しっくりきたよ」
「ヨハン兄様……」
“ もちろん ”
その言葉に、リンディの胸はじわりと熱くなる。
「時を戻し、記憶を失くした相手と再び愛し合う試練を乗り越えたら、寿命を分け合い共に死ぬことが出来る……いかにも祖父が考えそうなことだ。愛する祖母に先立たれた辛さを、この魔道具にぶつけたんだろうな」
ヨハネスはすっと立ち上がると、リンディへ向かい頭を下げた。
「ごめん……祖父のせいで君やルーファス様に迷惑をかけて」
リンディも慌てて立ち上がる。
「そんな、迷惑だなんて! それは……確かに二度目の人生は、色々辛くて試練だなって思うけど……でも指輪のおかげで、私は31歳になれたんだもの。本当は19年間しか生きられなかったのに」
はっと上げたヨハネスの顔は、リンディを見て哀しみに歪む。
「さっきお義兄様の指輪を見たらね、やっぱり砂があと少ししかなかったの。だからきっと、二度目の寿命も19歳までなんだわ。後もう一年半もないけど……これからお義兄様とはどうなるか分からないけど……こうしてヨハン兄様と仲良くなれたし、幸せなこともあったのよ。それより……」
今度はリンディが頭を下げる。
「私の方こそごめんなさい。あの日私が会いに行ったせいで、ヨハン兄様の人生を変えてしまったわ。もし一度目の人生の方が幸せだったとしたら、私がそれを奪ってしまったことになるの」
ヨハネスは少し考えると、下を向く金色の頭を撫でた。その手のあまりの優しさに、リンディはそっと目線を上げ彼を窺う。
「一度目の人生がどうだったか、僕は全く思い出せないけど……きっと今よりずっと寂しかったんじゃないかと思う。何となく、心がそう言っている気がして。君と出逢って、こうして家族みたいに過ごせて、僕は今が本当に幸せだよ」
微笑むヨハネスに、リンディの目から涙が溢れる。
「あの日、僕に会いに来てくれてありがとう、リンディ」
ついにうわあんと声を上げて泣き出したリンディを、ヨハネスは優しく抱き締めた。……昔、妹にそうしてやりたかったように。
リンディの涙が引くと、二人は再び芝生に腰を下ろした。彼女の指輪に気付いてしまったルーファスと、これからどう接していくべきかを改めて考えていく。
「君の言う通り、本当のことは話さない方がいいと思う。信じてもらえずに、君も僕も怪しまれて処罰される可能性が高い。“ 5歳の時から、気付いたら指に嵌まっていた。 何だか分からない ” ルーファス様にはこの嘘を貫き通して」
リンディは真剣な顔で頷く。
「きっと君との関係を尋ねられるだろうから、僕もフォローしておくよ。そうだな……こう答えるから、君も話を合わせて」
ヨハン兄様に話して良かったと、リンディはまた泣きそうになる。二度目の人生が始まってから、ずっと一人で抱えていた重荷を、彼が半分背負ってくれたような気がするからだ。
念入りに打ち合わせをした二人は、ふうとひと息吐く。
「よし、これで指輪のことは何とか切り抜けられると思うけど……君はこれから、ルーファス様とどうなりたいの?」
改めて問われ、リンディは戸惑う。
「どうなりたいんだろう……お義兄様のことは今でもすごく好き、大好き。もう一度愛してもらって、結婚したいなって思う」
彼女の想いが、ヨハネスの胸に真っ直ぐ響く。
「だけど愛してもらっても、私はあと少しで死んでしまう。そうしたらお義兄様を哀しませてしまうでしょう? それでもし寿命を分けてもらったりしたら、今度は私が哀しいわ。それなら愛されずに、いっそこのまま死んでしまいたいと思うの」
(……なんと哀しいのだろう)
ヨハネスは、過酷な運命を彼女に背負わせた祖父を恨んだ。
「でもね……本当はそんなの綺麗事かもしれない。本当の本当は、お義兄様にもう一度愛されて、寿命を分けてもらいたい。そう思う自分も何処かに居て……堪らなく怖くなるの。こんな風に思ってしまうなんて、本当はお義兄様を愛していないんじゃないかって」
何度も繰り返し向き合っては、葛藤したであろう彼女。ヨハネスはただ耳を傾け、労るように背中を擦ることしか出来ない。
「それでね、いつももやもやして苦しくなってしまうのだけど……結局自分はどうしたいの? どうしたら二度目の人生を後悔しないで終えられるの? って。そう心に尋ねたら、お義兄様が幸せになることって返って来たわ」
「幸せに……」
「うん。一度目も二度目も、どの人生も、お義兄様には世界で一番幸せになって欲しい。それが私の幸せだって、そう気付いたの。どうしたらお義兄様は幸せになれるかな。それが分かったらいいんだけど。……ねえ、ヨハン兄様は知ってる?」
込み上げた涙が、ヨハネスの頬を濡らしていく。首を振ると、リンディの左手を両手で包み、静かにこう言った。
「ルーファス様のことはよく分からない……でも僕は、君に長生きして欲しいって、幸せになって欲しいって、ただそう思う」
「……ヨハン兄様?」
彼の潤んだ瞳の奥には、強い何かが宿っていた。
◇
リンディと別れアパートに帰ったヨハネスを、予想通り、主が険しい顔で待ち構えていた。
「訊きたいことがある」
椅子に座るルーファスの前に、背筋を伸ばし立つヨハネス。二人の間には、ピリッと緊張が走る。
「あの女とはどういう関係だ」
「知り合いです。子供の頃に彼女が一度家に訪ねて来たことがありまして。王宮で再会してから、何度か休日に会っています」
「何故女はお前の家を訪ねたんだ」
「魔道具について、私に訊きたいことがあったそうです」
「……魔道具だと!?」
語気荒く詰め寄られるも、ヨハネスは落ち着いて答えていく。
「はい。雇っていただく際の身上書にもあったと思いますが、私の祖父は王都学園の元教授で、退職後は魔道具の研究と製作をしていたのです。それで、ある魔道具について、何か知っていたら教えて欲しいと彼女から相談を受けました」
「その魔道具は何だ!」
「決して外れず、自分以外には見えないという指輪です。5歳の時から薬指に嵌まっていたと。あいにく既に祖父は亡くなっていましたし、私は魔道具には詳しくありません。子供同士でしたので、適当に話してその時は別れました」
ルーファスは、自分の左手とヨハネスを交互に見つめる。
「……再会してから、女は指輪について何か言っていたか」
「はい、相変わらず薬指に嵌まっていると。あれから自分でも色々調べたそうですが、結局正体は分からないと言っていました」
おもむろに立ち上がると、ルーファスはヨハネスへ近付き、彼の首筋に短剣を当てた。
「お前はセドラー家に忠誠を誓い、雇われている身だ。嘘偽りを言った時点で、主である俺にはお前を殺す権利がある。……違うか?」
「いいえ。仰る通りです。私を信用出来ないと判断されたなら、如何様にもご処分を」
この状況にも全く動じず、淡々と答えるヨハネス。ルーファスは剣を下ろすと、一呼吸置き口を開いた。
「……いや。お前には新しい仕事を任せる」
“ 仕事 ”
ヨハネスはゴクリと息を呑む。
「あの女を監視しながら、指輪について徹底的に探れ。少しでもセドラー家へ害をもたらすようなら、捕らえて俺の前へ連れて来い。もし命に背いたら……お前も女と共に処分する。お前の監視も居ることを忘れるな」




