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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第51羽 辛い試練

 

(どけ……ドケ……どけ…………退け?)


 たった二文字の言葉に混乱するリンディには目もくれず、彼は横をすり抜ける。

 その背中が廊下の角を曲がるまで、リンディはぼんやりと見つめていた。


(今のは……本当にお義兄様だったかしら。うん、確かにお義兄様よ! 大好きなお義兄様を、私が見間違う訳ないもの!

 でも……どこか違う気がしたのは何故? 艶々の黒髪も、高い鼻も、アーモンド形のルビー色の瞳も……確かにお義兄様の顔だったのだけど)


『退け』


 さっきの言葉が何度も頭に響く。


(声も確かにお義兄様だったけれど……前はもっと甘くて優しかったわ。やっぱり別人? それとも幻覚?

 ああ、私ったら! 自己紹介して、ちゃんと本物か名前を訊けば良かった! 『私達二度目なの』なんて……何であんな馬鹿なこと!)


 頭を掻きむしり悶絶するリンディの横を、なるべく見ないようにしながら王宮の職員達がすり抜けていく。

 そうこうしている内に時計の針は進み、ゴーンと重い音が廊下に響いた。頭から手を下ろしたリンディは、その音が九時を知らせる鐘であることに気付き、さっと青ざめる。


「たっ……大変!」




(リンディ・フローランス。10歳からあらゆる絵画コンクールの賞を総なめにし、僅か12歳で国王陛下より勲章と奨学金を賜る。サレジア国ランネ学園の芸術科を飛び級で卒業し、採用試験はトップで合格。だけど……)


「遅くなってすみません!!」


 作業室へ飛び込んできたのは、金の毛に覆われたもじゃもじゃの物体だった。


「初日から遅刻なんて、いいご身分ね。それに此処は王宮よ。余裕を持って、身だしなみもきっちり整えてきてちょうだい」

「はい! すみません!」


 リンディは慌てて鞄をひっくり返すも、紙くずやハンカチ、画材が散らばるだけで、肝心の櫛が見つからない。


(まだ自己紹介もしていないのに……この調子じゃ先が思いやられるわ)


 ロッテはやれやれと首を振ると、自分の荷物から櫛を取り出し、リンディの髪をいてやる。


(あら、私……何でこんなことをしているのかしら。櫛を渡して自分でやらせればいいのに)


 綺麗に整ったくるくるの金髪にリボンを結び直せば、お人形みたいなお嬢ちゃんが現れた。涙ぐんだ青い瞳は、ロッテを見つめ、にこりと微笑みながら言う。


「リンディ・フローランスです。ロッテさん、二度目もよろしくお願い致します!」




 一度目と同じく、広間の壁画を模写する適正試験を無事に終えたリンディは、一人夕暮れの道を歩いて帰る。


 王宮から徒歩十分の好立地にあるこのアパートは、以前義兄と住んでいた高級アパートとは比べ物にならない、築ウン十年のオンボロだった。

 もちろんセキュリティなど何もないが、一階には明るく親切な大家夫妻が住んでおり、家賃も格安の為リンディは気に入っていた。


 それに……

 部屋の窓からは、赤い夕陽に佇む王宮を一望出来る。義兄を想い出しては沈む心を、この美しい景色が慰めてくれる気がしていた。


 古びた出窓に腰掛けながら、リンディは今朝の『彼』について考える。考えれば考えるほど、やはりあれは義兄ルーファスだったのだと、そう確信していた。

 何故なら、彼が放つ違和感と、在学中にワイアット教授と話した内容がピタリと重なったからだ。



 ──あれは高等部の一年生の頃だった。久しぶりに学園の本堂で講演会を行うというワイアット教授を、リンディは逃がすものかと出待ちしていた。

 それは彼女だけに留まらず、憧れの教授と一言だけでも話したい、教えを乞いたいと待つ生徒達が外に押し寄せていた。


 90歳間近とは思えぬ貫禄の教授が出てくるなり、わっと群がる生徒達。その勢いに押された小柄なリンディは、後ろの方でピョンピョン飛び跳ねるしかなかった。


 だが……何故か教授の方からリンディの元へ近付き、話がしたいと言われたのだ。


『君が纏っている魔力と呪力が、あまりに強力で気になったものでね。君自身の力ではなさそうなところを見ると、誰かにかけられたものか……もしくは魔道具か?』


 話を訊く前にズバリと言い当てた教授に、リンディは興奮しながら皺々の手を握る。


『そうなんです! 魔道具なんです! ここ……この薬指に、他の人には見えないけど、指輪があるんです!』


 左手を教授の前にずいっと突き出しながら、右手でメモを取り出す。そこには、頭に残っている指輪の説明文と、リアルな指輪のイラストが描き添えられていた。



『この指輪は、夫婦めおとの契りを交わす男女に適している。互いの薬指に嵌めると同時に、石の砂は相手を表す。

 それぞれ一度だけ、相手への想いで石を潤した時にのみ、願った時に戻ることが出来る。それまでの記憶は願った方にしか残らないが、指輪は互いの指に残る。

 尚、指輪に愛された者達に限り、互いの砂を分け合うことが出来る』



 教授はそれを読み終えると、リンディの薬指に手を触れたり、角度を変えては何回も眺めた。


『あの……信じていただけないかもしれないですが、私、今が二度目の人生なんです。19歳で一度死んだんですけど、死ぬ間際に5歳に戻して欲しいって、指輪にお願いしたんです。そうしたら本当に……』


 教授は、ばっとリンディの顔を見る。


『5歳に戻ったというのか?』

『はい』

『……すごいな。時を戻す魔術もさることながら、呪術もすごい。いや、むしろこの魔道具に関しては、呪術の威力の方が上回っているな。これを作った職人の、“ 念 ” と言うべきか』

『念……』


 興奮のあまり曇った眼鏡を拭き、かけ直す教授。リンディの不安を汲み取ったのか、落ち着かせるように言った。


『念と言っても、黒魔術のように悪魔と契約する危険なものではないよ。……まあ呪術自体、危険と隣り合わせと言っても過言ではないが』

『良いことと悪いことが表裏一体……なんですよね?』

『おお、勉強したのか』

『はい……少しだけですが』


 呪術には偏見が多い為、堂々と書物を手に入れたり調べることは難しい。リンディも、寂れた古本屋で、呪術の基礎知識なる入門書を手に入れるのがやっとであった。


『その通り、良い効果をもたらす呪術にも、必ず悪い効果を組み込まなくてはならない。良い効果をもたらす為の、試練と言い換えた方がいいかな』


 “ 試練 ”

 まさしくこの二度目の人生そのものである気がして、リンディの中で何かがすとんと落ちた。


『指輪を作った職人さんは、奥さんと一緒に死にたかったと言っていたみたいです。石の砂は寿命で、夫婦で分け合えば同じ時に一緒に死ねる。これが職人さんの考えた良い効果かなって……違うかもしれないけど、私はそう思うんです』


 教授は深く頷き、口を開く。


『だとしたら試練は……時戻りと、記憶が願った一方にしか残らないということかな』


 ……そう。時戻りは良い効果ではないと、リンディは思う。

 人生をやり直すのは、非常に苦しい。何か一つを選択する度に、前の人生と比べては、これで良いのか間違っていないかと大きな不安や葛藤に襲われるからだ。

 そしてこの指輪は、時戻りに加え更に辛い試練を男女に課している。


『一方が記憶を失っても、もう一度愛し合えるか。この試練をクリアすれば、指輪に愛され寿命を分け合えるということだろう。

 自分の指輪に相手の寿命を映したのは、職人の問いかけかもしれん。自分の寿命を相手に分けてでも一緒に死にたいか、また分けてもらってまで一緒に死ぬことを望むか……と』


 教授は最後に、歳だから思うようには動けないが、何かあればいつでもと連絡先を教えてくれた。



 ワイアット教授との会話を思い出している内に、王宮はすっかり月光の中に溶けていた。


(辛い……なんて辛いの……。今朝のあのお義兄様が、もう一度私を愛してくれるかどうかが試練なんて。

 というか、もし運良く愛されてしまったら、寿命を分け合うことになってしまうの? ……それは絶対に嫌。愛する人と一緒に死ねたら幸せなことかもしれないけど、お義兄様と私じゃ寿命に差があり過ぎる。

 一度目のお義兄様がこれを知ったら、喜んで私に寿命を差し出してしまいそうだけど……二度目の今はどうかしら)


 残り僅か一年半という短い寿命で、自分はこれから義兄とどう接していけば良いのか。

 ──接しても良いのか。


 ロッテがくれたパンと、ジョセフ絵師長のキャンディを口に転がしつつ、夜は更けていった。



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