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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第49羽 絶対に忘れない

 

 もうこれで、知っていることは本当に全てだと言う少年に、リンディは再度礼を言った。


「……ところでお前、ここに一人で住んでいるのか?他に身寄りは?」


 老人の問いに、少年は水のお代わりを注ぎながら淡々と答える。


「いません。祖父が遺してくれた貯金もありますし、自分で何とかやっていけます。中等部を出たら働くつもりですし」

「そうか……」


 老人は鞄から、さっきの紙袋を取り出すと少年の前へ置く。


「お前、甘い物は好きか?」

「……はい、まあ割と好きですけど」

「これ、食べきれないからやる」


 いいだろ? という風な老人の視線を受け、リンディは嬉しそうに頷いた。

 少年は紙袋を覗くと、あっと声を上げ笑う。


「金平糖ですね。昔、母に祭りで買ってもらいました……懐かしいな」


 大人びた少年が見せるあどけない表情に、買ってよかった! と、リンディは心から思っていた。



 家の外へ出ると、少年はリンディへ念を押す。


「呪術のこと、誰にも言わないで」

「ええ、もちろん! 大切なことを教えてくれてありがとう。あっ、言うのが遅くなっちゃったけど、私の名前はリンディ・フローランスです。貴方は?」

「……ヨハネス・ウェン」

「ヨハネス! 素敵なお名前ね。私、貴方のこと絶対に忘れないわ」


 もう会うこともないだろうし、別に忘れてくれて構わないけどと思いながらも、彼はあえて口に出さない。


「じゃあまたね! どうもありがとう!」


 元気に手を振る少女に、ヨハネスも反射的に手を振り返す。


(またね……か。黙っていれば人形みたいなのに、不思議な子だな)


 ふわふわ揺れる金髪が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。




 丘の下に下りると、老人はうーんと背伸びをする。


「もう俺に用はないだろ。じゃあな」


 そう言い立ち去ろうとする老人の背中の布を、リンディはがしっと掴んだ。


「おじいさんは? おじいさんのお名前は何と言うの?」

「……名前か。そんなものはもう忘れたな」

「ええっ! 自分の名前なのに、忘れてしまうものなの?」

「ああ。歳を取ると色々忘れていくんだよ。……お前のこともな」


 皺のある大きな手を、リンディの金髪にぽんと乗せた。リンディはそれを小さな両手で掴むと、ぶんぶん振る。

 

「私は忘れないわ! おじいさんに名前がなくても、おじいさんが何度私を忘れても、私は絶対に忘れない!」


(忘れない……か)


 老人は少し目元を震わせながら、「今度は大人になってから来い」と言い捨て、荷車と共に背を向ける。


「またね~おじいさん! 本当にありがとう!」


 振り返らずにひらひらと手を振り、老人は眩しい日差しの中へ消えて行った。




 水を沢山飲み潤ったリンディとタクトは、また手を繋ぎ元気に帰り道を歩く。


「そういえばさ、リンディはあの砂時計のこと、前から知っていたの? この間一緒に使った時、全然驚かなかったからさ」

「うん、知っていたわ。一度目にタクトと会った時も、使わせてもらったのよ」

「へえ~」


 もうこんな話を聞いてもあまり驚かないタクト。リンディがそう言うならそうなんだろうと、納得していた。


「リンディ、あの砂時計が欲しいなら、僕が作ってあげようか? 沢山勉強して、将来は魔道具の研究者になるよ」


 一度目の人生と同じことを言ってくれるタクトに、リンディは胸が一杯になる。


「……ありがとう、タクト。でもね、砂時計はもう欲しくないの」

「そうなの?」

「うん。時を戻すのは素敵だけど、とても恐いことだって分かったから。それよりもね、ずっと欲しい魔道具が一つあるの」


 かかとを上げ、こそっと耳打ちすれば、タクトは赤くなりながら「わあ!」と叫ぶ。


「それは面白そうな魔道具だね! 僕も欲しいよ」

「でしょう!?」

「よーし、がんばって作るぞ!」

「タクトはどんな魔道具が欲しいの?」

「僕はね……」


 お喋りに夢中になっている間に、いつの間にか祭りで賑わう大通りが見えてきた。

 

「タクト! 私、魚のフライが食べたい!」

「僕も! あと、塩のアイスクリームに、貝の串焼きに……早くしないとなくなっちゃうかも!」

「大変!」


 走り出した二人の笑顔には、また汗がキラキラと輝いていた。




 その夜リンディは、老人とヨハネスの顔、そしてタクトとの豊漁祭の思い出を描いていた。

 白い隙間には、色鉛筆を何本も持ち替え、金平糖を星の様に降らせていく。

 リンディはその中からヨハネスの絵を手に取ると、今日の会話を振り返る。


『自分も一緒に死にたかったって』


(職人さんは、奥さんと一緒に死ぬ為にあの指輪を作ったの? 一緒に死ぬって……どういうことだろう)


 今度は、牢で告げられた兄の言葉を振り返る。


『『石の砂は相手を表す』というのは、恐らく相手の寿命のことだ。だから僕の指輪の砂は、君の寿命を表している』


(何の為に、相手の寿命が分かるようにしたんだろう)


 続けて、説明書の最後の文言が浮かぶ。


『尚、指輪に愛された者達に限り、互いの砂を分け合うことが出来る』


(互いの砂……砂が寿命であるなら、寿命を分け合えるってこと? 分け合って、もし残りが同じ量になったら……同じ時に、一緒に死ねるってこと!?)


 リンディは指輪の砂を見つめる。


(でも待って、この砂がお義兄様の寿命だとしたら、分けたら減ってしまうんじゃない? 私の砂は少ないから、きっとお義兄様から沢山奪ってしまう形になるわ。そんなの……嫌。お義兄様は、折角長生き出来るのに。

 指輪に愛されなければ、分け合わなくていいのかしら。そもそも、愛されるってどういうこと?


 待って……私の寿命は……湖で亡くなったあの日。19歳の誕生日を迎えたあの日ってことよね。二度目の人生も寿命が同じなら、私はあと九年しか生きられない。


 九年……!

 あとたったの九年で、お義兄様と出会って、好きになってもらえるの? もし好きになってもらって……結婚……出来たとしても、すぐ死んでしまうじゃない!

 でも、でも、お義兄様の寿命は絶対に奪いたくないし……)


 リンディの頭は激しく混乱する。プツリとショートし、絵が散らばる床に仰向けに倒れた。



(落ち着いて……落ち着いて、リンディ。

 忘れたの? あなたは頭がおかしいのよ。そもそもこの考えだって、単なる妄想に過ぎないかもしれない。

 落ち着いて……ああ、でも落ち着いて考えていたら、九年なんてあっという間じゃない)


 険しい顔で床をゴロゴロと転がる娘に、フローラはベルを鳴らす。そのキンと高い音に、リンディは動きをピタリと止め、母を見上げた。


「リンディ、お風呂に入っちゃいなさい。今日は暑かったから、汗をかいたでしょう?」

「……はい」


 フローラはしゃがむと、床の絵を一枚手に取り微笑んだ。


「お祭り、楽しかったのね」

「……ええ、とっても!」

「あら、この人達は誰?」

「卸売業者のおじいさんに、職人のお孫さん」

「そう。優しそうな人達ね」


 どこの誰かは知らないが、今日娘にとって、きっと素晴らしい出会いがあったのだろう。星に囲まれたこの美しい絵を見れば、それが分かる。


 5歳のある時から、あんなに好きだった絵を一切描かなくなった娘。心配していたが、数日前から急に昔のスケッチブックと色鉛筆を引っ張り出し、こうして絵を描くようになった。

 久しぶりだというのに、その画力は衰えるどころか、更に素晴らしく進化している。また、以前は描かなかった人物画がほとんどであり、これを描く為の充電期間だったのかと、そんな風にさえ思っていた。


 更に娘は自分の口から、母にしっかり進路も告げていた。


「……ねえ、リンディ。あなた、中等部はサレジア国のランネ学園で芸術を学びたいって言ってたじゃない? その意思に変わりはない?」


 ランネ学園……


 リンディはむくりと起き上がる。同時に、あることを思い出していた。



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