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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第42羽 優しい魔道具

 

「リンディ……」


 しゃがみながらリンディを見下ろすルーファス。

 そのルビー色の瞳は大きく見開かれ、今にも泣き出しそうだ。


(お義兄様……どうしてそんな顔をするの?

 今、私は、お義兄様の目にどんな風に映っているのかしら)


 頭に手をやれば、くるくるの金髪がボサボサに絡み合い、ズキズキ脈打つ額に触れれば血が滲んでいる。

 その手や腕にも紫色の痣があることに、リンディは初めて気付いた。


「リンディ……リン……」


 とうとう泣き出してしまったルーファスに、リンディは身体の痛みも忘れ、慌てて近付く。鉄格子の隙間から手を伸ばすと、震える彼の手に触れ明るく言った。


「大丈夫! 私は大丈夫! きっと見た目は痛そうだけど、きっと見た目より全然痛くないの!」


 更に声を上げてしゃくり上げるルーファスに、リンディはどうすることも出来ない。


(私は昔から落ち着かなくて……特に子供の頃は、しょっちゅう転んだり、ぶつけたりして怪我が絶えなかった。少し血が出るだけでもお義兄様は心配して、その度に丁寧に手当てをしてくれた。なのに今、私はこんな酷い姿なんだもの……泣いてしまうのも当然だわ)


「お義兄様は大丈夫? 私のせいで酷い目に遭っていない?」

「……どうだろう。心が……潰れそうだ」

「ごめんなさい……私、どうしてこんなことになったか全く分からないの。でも、私は王様に絵の具を飲ませたりしていないわ。絶対に。だってルビー色は家に置いてあるもの」

「……そうなのか?」

「ええ。ほら、この間のお休みに、お義兄様の絵を描いたでしょ? 多分イーゼルの上に置いてあると思うわ」

「そうか……」


 ルーファスは鼻を啜りながら、何かを考える。そして、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。


「リンディ……僕は君に謝らなければいけない」

「どうして?」

「安易に離縁届を出してしまったこと。もし妹のままだったら……公爵令嬢のままだったら、君を守ることが……少なくともこんな風に痛めつけられることなどなかったのに」

「ああ」


 何だ、そんなことと言った調子で、リンディはにこりと笑う。


「ううん! 逆に良かったわ! もし私が罰を受けても、お義兄様とお母様は無事でいられるもの。さっきも一人でね、良かったなって考えていたの」


 何を……と叫びそうになるのを、ルーファスはぐっと堪える。


(リンディは何を言っているんだ? 罰なんて、そんな生易しいものじゃない。死刑になるかも……殺されてしまうかもしれないのに!!)


 一層震え出すルーファスの手を、リンディは優しく撫でる。その温もりにぶわっと溢れる涙を、ルーファスは垂れ流したまま床に崩れ落ちた。


「離縁して……結婚すれば、君を指輪から守れるんじゃないかと……それが裏目に出てしまった」

「指輪……?」


 リンディはすっと手をずらし、ルーファスの左手を見つめる。長い薬指にはあの指輪が、一粒の砂を大事そうに抱え、すがるように光っていた。


「説明書の文、覚えているだろ?『石の砂は相手を表す』というのは、恐らく相手の寿命のことだ。だから僕の指輪の砂は、君の寿命を表している。それがいつなのかは分からないけど……でも……でも……」


 自分の左手に、悲痛な視線を這わせるルーファス。傍に置かれたリンディの手を握ると、掠れた声を振り絞った。


「君を怖がらせてしまうと思って……ずっと言えなかった。ごめん……ごめんね。ちゃんと言っていたら……何かが変わっていたかな」


 思いもよらないルーファスの言葉に、リンディは自分の左手を見る。


(じゃあ……こっちがお義兄様の寿命?)


 細い薬指にはあの指輪が、まだたっぷりと砂を抱え、キラキラと光っている。それに呼応するようにリンディの顔も輝き、ふわりと微笑んだ。


「そっかあ……じゃあ、お義兄様はやっぱり長生きなのね。嬉しい……すごく嬉しい! 黒髪のお蔭ね」


 ルーファスは言葉を失う。もう震えることしか出来ず、ぼんやりとリンディを見つめていた。そんな彼とは反対に、リンディはしっかりした口調で続ける。


「寿命なら仕方ないわ。神様が決めたことには逆らえないもの。この指輪は、人生の残り時間を教えてくれる、優しい魔道具だったのね」


「やさ……しい?」


 ルーファスの手に、徐々に力が込められていく。ピリッと痛みを感じたリンディが、顔をしかめたと同時に、鋭い叫び声が響いた。


「優しいものか! これは呪いの指輪だ! 呪術で作られた、呪いの魔道具なんだよ !あの日祭りに行かなければ……あんな怪しい老人に会わなければ……君が指輪を嵌めるのを止めていれば……!」


 悲鳴に似た泣き声が地下牢に反響し、リンディの胸をえぐる。


(私のせいだ……私が指輪を嵌めてしまったせいで、こんなにお義兄様を悲しませてしまったんだ……)



「時間です」


 兵に呼び掛けられると、ルーファスは涙を啜る。

 リンディの手を頬に寄せ、痛々しい痣に唇を落とすと、昏い声で言った。


「……こんな指輪に従ってたまるか。神にも……悪魔にだって逆らってやる」


 自分を通して何処か遠くを見る、虚ろなルビー色。初めて見る瞳の色に、リンディはゾクリとしながら呟いた。


「お義兄様……」

「必ず、君を守る。一人でなんか……逝かせたりしない」


 ルーファスは彼女に焦点を合わせると、幼い頃から変わらぬ、優しい笑みを向けた。



 ◇


『結婚よ。私と結婚するならリンディを助けてあげる』


『……正気か?』


『冗談でこんなこと言う訳ないでしょう。貴方さえ手に入れば、あのなんてどうでもいいわ』


『自分をここまで嫌っている男と、よく結婚なんて出来るな。……こっちは考えるだけで反吐が出そうだというのに』


 射るような目で睨むルーファスに対し、さも愉快そうに笑う王女。

 

『ふふっ……だからいいのよ。私を嫌っている間は、私に誠実でいてくれるもの。王女だからと、腫れ物扱いされるつまらない結婚よりずっとマシ。それに、私は次期宰相の妻という立場も欲しいの。玉座に就けなかった、私の無念を晴らしてくれるでしょう』


『玉座に就くのは王太子殿下で、宰相はあくまでも補佐をするだけだ。あんたに玉座を狙う野心がある限り、例え結婚しても、自分は宰相にはならない。いいや、宰相どころか大臣だって辞めてやるよ』


『……まあいいわ。まだ先の話ですから。それにクリステン公爵夫人という立場だけでも、充分魅力的だもの。セドラー家は王女が降嫁するのに最高の家柄ですしね』


 王女はフォークを手に取ると、フルーツを刺し口に運ぶ。ごくりと飲み込み、赤い舌を覗かせた。


『今此処で、私との結婚を了承するなら、リンディはすぐにでも釈放してあげる。でも断るなら……明後日には国に布令を出し、処刑するわ。貴方の答え一つで、可愛い元妹の首が城壁に曝されることになるかもしれないわね』


 思わず飛び掛かりそうになるのを、ルーファスは歯を食い縛り必死に堪える。


(堪えろ……ここで感情的になったら、王女の思うつぼだ……

 この女は自分の父親すら手にかけた非道な人間だ。リンディの命なんて、虫けらも同然だろう。

 約束なんてまともに守る訳がない。結婚を了承したところで、書面にサインさせてから、裏でリンディを処分するのがオチじゃないか。拷問で力尽きたとか、適当な理由を後付けして。だったら……)


 ルーファスはふうと長い息を吐くと、紳士の仮面を被った。そう、最初に王女に会った時のように。


『……王女殿下。いくら殿下とはいえ、女性から結婚の申し込みをするなど、淑女として恥ずべき行為です。ましてやすぐにお返事を求められるのも、マナー違反です』


 突如ガラリと変わったルーファスの態度に、王女は目を輝かせる。


(そう……だから私は、貴方を欲するのよ)


『構わないわ。私にはこれ以上、恥ずべきことなんて何もないもの。貴方には全てさらけ出してしまったしね』


『貴女はそうかもしれません。ただ私の方は……まだ、貴女にお見せしてない部分が沢山あるのですよ』


 官能的な笑みを浮かべると、長い指で王女の首をつっとなぞる。

 それは王女の奥深くの欲望を刺激し、急激に熱を帯びた身体をぞくぞくと震え上がらせた。


『まずはリンディに会わせてください。彼女の身の安全を保障してくださると、確信を持てたらお返事を致します。……結婚には、信頼関係が何より大切ですから』


 首から顎へと上る長い指は、真っ赤な唇の窪みでピタリと止められる。強すぎず、弱すぎず、絶妙な力加減で。

 艶やかな睫毛が縁どるルビー色に映るのは、玉座を狙う野心家でも、国王を暗殺した重罪人でもない。ただの滑稽な『女』の顔だった。



 ◇


 兵と共に地下牢から上がると、王女が欠伸をしながら退屈そうに待っていた。


「どう? まだ生きてたでしょ。話は済んだ?」


 胸に殺意が込み上げるが、ルーファスは今ではないと必死に押し殺す。


「……リンディの傷の状態は確認しました。私の返事が欲しいなら、これ以彼女を痛めつけないでください」

「分かったわ、約束します。でも私はせっかちだから、いつまでも待てる訳ではないわ。お返事は明日中に必ず下さいね」

「ええ。……必ず、お約束致します」

「信頼関係、大切にしましょうね。お互いに」


 王女は満足気に頷くと、ドレスを翻した。




 ルーファスは王宮を出ると、転がるようにアパートへ向かう。馬車も使わず、気付けばただ、一心不乱に駆けていた。


 髪を振り乱しながらリンディの部屋を開けると、灯りを点け、イーゼルが置かれた奥の部屋へと進んでいく。絵の具と、彼女の甘い香りが残る、その奥へ。


 白いキャンバスで笑うのは、幸せに微睡む自分の顔。この数日後に何が起こるかも知らない、愚かな……


 リンディの言う通り、ルビー色のチューブは確かにぽつりとそこに置かれている。

 震える手でそれを取ると、祈りを捧げ、再び暗い街へと飛び出して行った。



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