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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第16羽 これで最後にしよう

 

「……どうだろう」


 ルーファスは面倒臭いと言わんばかりに、ふいとそっぽを向く。


「母さんがフローラ先生から聞いたらしくて……リンディが来年から、サレジア国のランネ学園に転校するって!」


 三年前、あの豊漁祭の日の少し前だったか。転んで服を汚したリンディが世話になったと聞いたフローラは、菓子折りを持ってタクトの家を訪れた。

 突然やって来た公爵夫人に、タクトの家族は慌てたが、気さくなフローラと陽気なタクトの母はすっかり意気投合し、今では身分を超えた大親友となっていた。


 勿論リンディとタクトも母親達に負けぬ大親友となり、タクトは『いつか僕が、リンディの為にあの砂時計を作ってあげたい!』と猛勉強を始めたほどだ。


 元々算術や物理は得意なタクトであったが、苦手な語学を克服する為に、家庭教師を買って出たのがフローラ先生。

 タクトの努力とフローラの手腕により、見事特待生として、ルーファスと同じ難関王律学園に入学したのだ。



 入学する少し前から急激に背が伸び始めたタクトは、もう少しで二つ上のルーファスに並ぶ。

『リンディを守るんだ!』と剣を習い始めたこともあり、あのぽっちゃりした丸顔はどこへやら。リンディの言葉を借りるなら、まるで馬のようにしゅっと面長になっていた。


 細かった茶色い目は、涼しげな目元と言われるようになり、にこにこと人当たりも良い。

 今やルーファスの次に女生徒の人気を集めていた。


 昔からタクトとリンディがベタベタ引っ付くのが嫌だったルーファスだが、タクトの見た目が変わり出してからはその比ではない。

 リンディがタクトを、タクトがリンディを。互いにその名を楽しそうに口にするだけで、内心発狂しそうだった。



「だったら何だ? お前には関係ないだろう」


 ルーファスの冷たい物言いにも、タクトは怯まない。


「関係ありますよ! リンディと何日も何ヵ月も何年も離れるなんて、僕には考えられない!」


 自分が口に出せないことを、簡単に叫ぶタクトが腹立たしい。ルーファスの声は、一層低く、冷たくなる。


「……じゃあどうするんだ? リンディの背にぶら下がって付いて行くとでも言うのか?」


 すると、さっきまでの切羽詰まった顔は一変し、ぱっと明るく輝いた。


「そうですね……うん! やっぱりそうしよう! ああ、こうしちゃいられない!」


 タクトはくるりと背を向け玄関へ走って行くが、途中でルーファスを振り返り、大声で叫ぶ。


「ありがとう!お義兄様~!」


 クスクスと笑う周りの生徒に、ルーファスは額を押さえた。




 その後のタクトの行動力は凄まじく、滑り込みでランネ学園魔術科の入学願書を提出した。

 リンディと離れたくないというのが一番の理由であったが、魔道具の開発者になりたいという彼の夢を叶えるには、ランネ学園魔術科の技術コースが最も適しているのでは? というフローラの後押しもあったからだ。


「タクトも一緒なんて、嬉しいわ!」


 二人とも無事に合格し喜び合う光景に、ルーファスはやるせない思いを抱えていた。


(……こんなことなら僕もランネ学園の高等部を受験すれば良かっただろうか。だが自分は、いずれ父の跡を継ぎ爵位を譲り受ける身。自国のことを学ぶには、自国の学校でなければならない)


 重い責任がのし掛かり、ルーファスは自分の合格通知をくしゃりと握り潰していた。



 ◇


 数ヶ月後────

 明日はいよいよ、リンディがサレジア国へ発つ日だ。

 ルーファスよりも一足早くこの屋敷を出ることとなり、何となくしんみりした空気が屋敷中を包んでいた。


 今日は特別に、リンディの世話をしてくれたモリーや、大の仲良しの庭師のサム爺も夕食に同席している。二人とも一口食べてはハンカチで目を拭い、リンディとの別れを惜しんでくれた。


 リンディの皿には、山盛りのブロッコリーのソテー。げっと顔をしかめるルーファスに、八年前の誕生日会の思い出がフローラの口から飛び出し、食卓は温かな笑いに包まれた。




 食事が終わり部屋に向かう途中、ルーファスはリンディへ言った。


「……カラスの絵を描いてくれないか?」



 リンディの部屋で、二人は向かい合う。

 ソファーに腰掛けこちらを見つめるルーファスに、リンディはスケッチブックを構える。暫く色鉛筆をサラサラと動かしていたが、突如パタリとスケッチブックを閉じた。


「リンディ?」

「描けないわ……カラスの絵は、もう描けない」


 リンディは荷造りした鞄から別のスケッチブックを取り出すと、一枚切り取ってルーファスへ渡した。


「これは……」


 それは以前、海で描いたルーファスだった。


 初めて見るリンディの人物画。それが自分だなんてと、ルーファスの胸が熱くなる。


「勝手に描いてごめんなさい。気付いたら描きたくなって……描いてたの」

「ごめんだなんて……嬉しいよ。すごく嬉しい。これ、僕にくれるの?」


 頬を赤らめながら、コクリと頷くリンディ。

 ルーファスの顔も、赤く染まっていった。


「ありがとう……僕もお礼をしないとな。何かして欲しいことはある? ブロッコリー以外で」


 クスクスと笑い合う二人。


「うーん……じゃあ、手を繋いでくれる!?」


 軽く跳ねる声とは反対に、リンディの青い瞳は、深い底で揺らいでいるように見えた。



 月明かりの下、手を繋ぎながら中庭を散歩する。

 幼い頃から変わらない互いの温もり。だが、リンディの手は華奢で柔らかく、ルーファスの手は大きく骨張っていて……二人は男女であることを改めて思い知らされていた。


 ゆっくり……ゆっくり……


 時よ止まれとルーファスは願うが、無情にも時計の針は進んでいく。


(……もう、部屋に戻らないと)


 ぎゅっと手に力を込める。


(いつも自分がリンディを支えているつもりでいたけど、本当は自分がリンディに支えられていたんだ。彼女が傍に居てくれたから……僕は歩くことが出来た)


「リンディ」


 ルーファスは、手を繋いだまま彼女に向かい合うと、ぐっと引き寄せ抱き締めた。


「お義兄様」

「少しだけ……もう、最後だから」


 数えきれないくらい撫でた金髪に顔を寄せる。


「最後じゃないよ? 次は長期休みの時に会えるから」

「違うよ……そうじゃないんだよ、リンディ」


(僕らはどんどん大人になる。会えない日を重ねていく内に、君はあっという間に大人の女性になってしまう。そうしたらもう……二度とこうして抱き締めることなんて出来ないんだよ。

 もう……これで最後にしよう)


 ルーファスは微笑みながら、リンディの手をそっと離した。


「手紙を書くよ、リンディ」

「私も……私も書く! 絵も送るね!」

「うん。楽しみにしてる」



 淡い想いが何なのかを、ルーファスがはっきりと自覚したその夜────

 二つの指輪は、月に呼応するように光っていた。



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