44.ベヒモス攻略戦 その5
昏い水の底に沈んでいくような感覚だった。
どこまでも深く沈んでゆく。
水面はどんどん遠ざかり、手を伸ばしても届かない。
――ああ、このまま死ぬのかなぁ……。
一瞬の油断で、私は全てを不意にしてしまった。
ハルさんは、先輩は、ボルさんたちは無事だろうか……?
――体が動かない……。
皆の事を想えば想うほど、それを覆い尽くすように真っ黒な闇が広がってゆく。
あの化け物――ベヒモスに与えられた圧倒的な恐怖が全てを塗りつぶす。
やっぱり私には無理だったんだ。
ボルさんたちの手助けがしたいとか、学校に居た皆を助けたいとか、犠牲になった人たちの敵を取りたいとか、そんな正義のヒーローのような真似、私には荷が勝ち過ぎた。
――でももう、どうでもいいか……。
このまま沈んでしまえば、多分死ぬんだろう。
確信はないけど、そんな気がする。
『――諦めるな』
……誰?
真っ暗な闇に、一筋の光が差し込んだ。
『あの程度でもう諦めるのか? 敵はまだ生きている。早く起きろ』
無理だよ。
それにどうせ私が起きたところで、役には立たない。
『そんな事はない。現にボルやベレはお前が立ち上がる事を信じて必死に時間を稼いでいる。その想いを無駄にする気か?』
無駄になんてしたくない。
でも苦しいの。
痛いのも、怖いのも、傷つけられるのも、もう嫌なの。
もう一度、あの化け物に立ち向かうなんて……私には出来ないよ。
『でも目覚めなきゃ、お前は死ぬぞ? それでいいのか? 未練はないのか?』
未練……。
『会いたい人はいないのか? 生きて、また会いたい人たちが居るんじゃないか?』
会いたい人……。
そう言われて、たくさんの人たちの顔が脳裏をよぎる。
お父さんに、お母さんに、妹に、ハルさんに、カズト君。
先輩に、ボルさんに、ベレさん。
他にも色んな人たちの顔が浮かび上がっては消える。
――会いたいよ……。
みんなに、会いたい。
会って、話がしたい。
『だったら早く目覚めろ。こんなところでうだうだしてないで、早くアイツらの所に行くんだ』
……うん、そうだね。
でも、どうすればいいの?
『そんな事も分からねぇのか。ほら、こっちだ』
一筋の光は、より強くなる。
その光に手を伸ばすと、その先には剣があった。
剣を掴むと、一瞬、それは誰かの手の形に変わった気がした。
真っ白で骨と皮だけの、でも陽だまりのように温かい騎士の手に。
『ったく、新しい所有者さんは世話が焼けるなぁ……』
……アナタは誰なの?
『――ボルとベレに伝えてくれ。まだ当分、こっちには来るなってな』
光が闇を覆い尽くす。
沈んでいたはずの私は、少しずつ水面に近づき、そこで意識は暗転した。
「ッ――!?」
意識が覚醒する。
「みゃー♪」
「ハル、さん……?」
目を開くと、すぐ目の前にハルさんの姿があった。
嬉しそうに私の顔を舐めてくる。
ハルさんってばくすぐったいよ。
「あれ? 傷が……それに手も……?」
左手がある。
それに足も折れてない。
体の痛みも消えてる。
「もしかしてハルさんが治してくれたの?」
「みゃぅ」
ハルさんは頷く。
ハルさんの固有スキルは『変換』。
それを使って、私の体を元の状態に戻してくれたのだろう。
『変換』の効果は、一つの対象に付き一回だけ。
つまり私に対して変換を使う事はもうできない。
たった一度の奇跡を、ほんの少しの油断で消費してしまった。
「……ごめんね、ハルさん」
「みゃぁー?」
ハルさんを抱きしめる。
温かくふわふわな毛がとても心地よい。
「みゃぅー?」
ハルさんは大丈夫?と心配そうに見つめてくる。
「……もう大丈夫だよ、ハルさん」
「みゃぅ?」
私はなるべく安心させるように優しくハルさんの首を撫でる。
うん、もう大丈夫だよ。今度は絶対に油断しない。
「お願い、ソウルイーター」
私の声に応じて、剣と盾が具現化する。
「ハルさん、私が合図したらベヒモスに『変換』を使って」
「みゃっ」
了解とハルさんは頷く。
意識を集中させる。
魔剣が私の意思に応えるように光り輝く。
「――もう、逃げない」
さあ、作戦開始だ。




