ベビー・ポニー
アンネリアの家に、子どもが生まれたらしい。
後継ぎとなる男児だそうだ。
「月日が経つのは早いわねぇ……」
シャルロッテはまるで大人のような感想をもらした。
その話を聞いて、更に数か月過ぎた頃。
『うちの可愛いベビーは、もうハイハイできるの!ぜひ会いに来て』と、アンネリアから招待を受けたシャルロッテ。見た瞬間に「絶対行く!」と、喜びの悲鳴を上げる。義姉の部屋でくつろぐクリストフに、グイグイとその手紙を押し付けるように見せた。
「私…、お友達のお家にお呼ばれしたの初めてだわ…!ねえクリス、『ぜひクリストフ様もどうぞ』って書いてあるでしょ、一緒に来てくれる?」
「お姉さまが行くなら、どこでもついて行きますけど」
クリストフの指示で、すぐさまメイドが執務室へとお伺いに向かう。「子ども同士で決めていい内容ではないですね」と、冷静な判断をしたクリストフにより、シラーに相談することになった。
すぐに時間を取ってくれたシラーは、一通り話を聞いて頷いた。
「贈り物だけで済ませるつもりだったが、シャルロッテが行くならば私も祝いに行こう。どうせクリストフも行くのだろう」
「はい」
何当たり前のことを聞くんですか?と顔に書いてあるクリストフ。
クリストフがアンネリアに誘われたって絶対に行かないだろうが、シャルロッテが行くならば彼は確実に付いてくる。『もしかして、こっちが狙いだろうか』と、少しだけシラーは考えた。
『まあ、あのアホっぽさでそんな計算はできないか』と、泣きながら走り去るアンネリアの残念な姿を思い浮かべ、その考えはすぐに打ち消すのだが。
「いいんですか?お義父様はお忙しいのでは…」
「良い。あの家は近いからな、そう時間もかからない」
そして、シラーが行くとなると当然、向こうの家としても色々と準備が必要となる。後の日程調整は大人に任せて、シャルロッテは手土産を選ぶことに専念した。
「よだれかけも良いけれど、オモチャもいいわよね。お洋服は趣味があるからご迷惑かしら!」
浮かれ気味に「あれはどうかしら」「これはどうかしら」と、プレゼントを選ぶために商人を呼びつけるシャルロッテ。ローズの実家も巻き込み仔馬のデザインでよだれ掛けをオーダーし、ひとしきり騒いだ後に「あ!アンネリア様にも何か、お姉さまになった記念にプレゼントをしたいわ!」と、再度商人を呼びつけてふた騒ぎをした。
そうして迎えた、マルカス侯爵家への訪問日。
「きゃー!かわいい!!」
ふわふわの床に膝をついてシャルロッテが悲鳴を上げれば、よちよちと寄ってくるベビーは…まるでミニ・アンネリア。父と姉によく似て目がきゅるんと大きなその赤子は、いまだ丸っこい顔ではあるが、どことなく馬っぽさもある。睫毛がフサフサとしていて、目が可愛いのだ。
「あ、ちょっとお待ちなさい…!」
制止するアンネリアをまるっと無視。ふわふわとした栗毛をなびかせて、シャルロッテを認識するやいなや高速ハイハイで突進して来る。
クリストフはそれにスッと手を伸ばし、ベビーの胸あたりに手を差し込んでガード。
「うーっ、あうあう!あう!」
「く、クリス、そっとよ、そっと」
両手を広げて抱きしめる気満々だったシャルロッテは少し残念そうな顔をしたが、クリストフと赤ちゃんという“可愛い者同士”の共演に、すぐに笑顔を取り戻す。
ベビーはしばらく手足をバタバタとした後、方向転換して斜めからシャルロッテへ突撃。再度クリストフがブロック。
「ううう~!うきゃぁぁああ!!」
突撃、ブロック、突進、ブロック…それを何度か繰り返す内に、楽しくなったらしいベビー。
きゃっきゃと笑い声を上げながら、クリストフに直接突進するようになった。今度はクリストフの膝によじ登ろうとし、その度にガードされて何度も笑い声を上げている。
「どうぞ、そのまま抱っこしてやってくれ」
「クリストフ様、赤ちゃんにまで好かれるなんてさすがですわ~!」
ファージとアンネリアの好意からの言葉をスルーしようとしたクリストフだが、シャルロッテの「クリス、良いパパになりそうね」という笑顔に即座ベビーを抱き上げてみせた。「きゃぁ~!」と、歓声を上げて喜ぶベビー・ポニー。
(何この光景…癒されるぅ…)
クリストフが恐る恐るといった様子で、トン、トン、と赤子の背中を叩く様子に、胸がきゅぅんと締め付けられるシャルロッテ。ほわほわの栗毛が、クリストフの頬に当たるたびにふよんふよんと揺れている。
「うちの弟、きっと魔力が多いのですわ。ハイハイがとっても早いし、たぶん立つのもすぐだろうって言われてますの。髪の毛もどんどん伸びてますのよ~」
そう言ってふわふわのベビーの毛を手櫛で梳かしてやるアンネリアの顔は、すっかりお姉さんだ。そんなアンネリアに、クリストフは即座に距離を取るが…腕の中にベビーがいるため、いつものようにはいかない。
「ほらほら、クリストフ様を見て笑いましたわぁ~!お姉ちゃまと同じ人が好きですのね!きゃっ!」
グイグイと迫り来るアンネリアは、赤子を触るついでとばかりにクリストフの腕を掴んだ。シャルロッテはニコニコとして「クリス、赤ちゃん抱っこできてよかったね~」とその様子を微笑まし気に見ている。
流石にこの場で何かを言うわけにもいかず、クリストフは静かにファージへとベビーを返却。即座にシャルロッテの横へと戻り、ぎゅぅっと義姉の腕にしがみついて深く息を吸っていた。
「ハッハッハッ、ちょっと緊張したか」
「もう、シャルロッテ様ばっかりぃ…」
マルカス父娘のコメントに、クリストフは無言のまま愛想笑いを返した。
シラーが「ファージによく似ているな」と話を濁せば、腕にべビーを抱えたファージはデレッとして「そうだろ~」と、嬉しそうに語り出す。
「夫人も、早く良くなると良いな」
母であるマルカス夫人は、産後から体調が思わしくなく、療養をしているそうだ。シラーの言葉に母が恋しくなったのか、アンネリアの表情が陰る。
「シラーからのプレゼントもあるし、きっとすぐに良くなるさ」
レンゲフェルト公爵家からの祝いの品として、滋養強壮に効くという東の国の食べ物などを含む目録を贈っていた。そしてその一覧には、シャルロッテが大騒ぎしながら選んだよだれ掛けなども含まれている。
「そうだ、シャルロッテもありがとう。わざわざデザインを考えてくれたんだろう?さっそく付けさせてみようじゃないか!」
暗い話題を吹き飛ばすようにファージが笑い、メイドへ指示してベビーの首元によだれ掛けが装着される。仔馬の刺繍が可愛らしい、特注品だ。ベビーも嫌がるそぶりはなく、おとなしく着けてくれた。ベビーを取り囲む大人たちが口々にほめそやすも、アンネリアの表情はどこか晴れないまま。
(そうだ、今よね…!)
シャルロッテはついて来ていたリリーに目くばせし、細長く大きな箱を受け取る。そしてアンネリアにそっと近づいて「ねえ」と声をかけた。
「な、なんですの…」
周囲と一緒に喜んでいないせいだろう、ちょっと気まずそうなアンネリアはむっとした顔をするが、差し出されている箱にすぐ気が付いた。視線を一度、二度、三度、と、シャルロッテの顔と箱の間に行き来させる。
「……これ、私に?」
「ええ!お姉さまになったアンネリア様に“お姉ちゃん記念”よ」
こわごわと手を伸ばし、いつになく丁寧なしぐさでその箱を受け取るアンネリア。リボンを解けば、仔馬の刺繍が入ったハンカチと、もう一つ。
「日傘…?」
くるくるとデザインを見れば、レースのあしらわれた上品な一品だ。バサッと傘を開いてみれば、内側にワンポイントで仔馬の刺繍があるのに気が付くアンネリア。
「わっ!かわいい~!」
「世界に一つだけの、アンネリア様だけのデザインですわ」
アンネリアはぶるぶると感激に身を震わせて、感情の高ぶりのまま「私にプレゼントなんて、シャルロッテ様だけよ!!もう、私、嬉しいですわー!!」と、シャルロッテに抱き着こうとした。傘を持ったまま突進するものだから、リリーがサッと前に出てその小さな体を片腕で抱き止め、ついでにふわっと飛んだ傘もキャッチする。
「お体に触れてしまい、申し訳ありません。レディ・アンネリア」
サラサラの金髪をなびかせて、膝をつくリリー。そっとアンネリアの体を離し、騎士が剣を捧げるようにして畳んだ日傘を差し出す。
「…そ、そんな…私こそ、ごめんなさぁい…」
「素敵なレディに、よくお似合いです」
その女騎士の麗しい姿は、アンネリアの何かに刺さったらしい。ボンッと音がしそうなほど真っ赤になり、ギクシャクと両手両足を同時に出しながらアンネリアは傘を受け取った。
そこからアンネリアはシャルロッテの背後に立つリリーを気にしてか、一日中レディらしく、大変上品であった。無理矢理迫ってこないアンネリアに、クリストフも安心した様子でもてなしの食事を共にし、シャルロッテも楽しく過ごした。
「アンネリア、今日はなんだか大人しいな!」
「い、いつもこうですわっ!お父様、余計なことおっしゃらないで!」
ファージは愛娘の様子に不思議そうではあったが、鈍感ゆえ何も気づかない。こうして、アンネリアもちょっぴり成長して、この日の訪問は無事に終了したのだった。




