この生活って1
しかし。さすがのシャルロッテも、ぽやぽやと現状に流されていたのは最初だけ。
日が経つにつれて、ちょっとずつ、じわりじわりと焦りを感じていた。
(これちょっと、べったりしすぎなんじゃない…?)
ある時の授業終わり。
「お姉さま。僕が剣術の間、ちゃんとお父様のところに居て下さいましたか?」
「え?今日は庭を散歩して、それから図書室に居たけど」
「……次回からは、執務室に居てくださいね。授業の前に送りますので」
ある時の夕飯。
「お姉さま、食が進んでいないようですね…?体調が…?」
「元気よ、元気」
「それなら料理のせいですね。シェフを変えましょう」
「!やだわクリス、こんなにおいしいのに」
(過保護すぎ、姉に構いすぎ!なんだかこれじゃあ、監視されてるみたいで気が休まらないわ…)
あとは寝るだけ、といった部屋の中。リリーは未だ傍に控えているが、部屋のインテリアの一部のように気配を消していて、存在は気にならない。
ちらりと横を見れば当然のようにクリストフ…こちらの存在が、気になる。未だに毎日、一緒に寝る気でそこに居るのだ。
なんだか気が詰まるのは、どうしてだろうか。
「ねえ、クリス。そろそろ、寝るのは別々でいいんじゃないかしら?」
「え?……お姉さまは僕が嫌いなんですか…?」
「あ、いや、嫌いとかじゃなくて、あんまり普通じゃないんじゃないかなー?って」
「………普通のご令嬢は誘拐されたりしません…」
「ぐっ…。でも、ほら!もうリリーもいるし!寝ている間も、護衛の人たちが屋敷を守ってるわけだし。そんなに心配しなくても大丈夫よ!」
言い募るシャルロッテの必死の食い下がりに、クリストフは内心で舌打ちをする。しかし義姉を思い通りに動かすにはどうすればいいのか、彼はよくよく分かっていた。
クリストフはうつむいて、目を瞬かせて涙をにじませた。そうして、顔を上げる。
「どうしてダメなんですか…僕が悪い子だからですか…」
あからさまにしょんぼりとした、情けない、子犬のような震える声。潤んだ瞳で論点をずらし「僕…、僕…」と、なりふり構わず泣き落としにかかるクリストフ。
何の下準備もなく、思いつくままに説得しようと突っ込んでいったシャルロッテは、見事に撃沈した。
(泣かれると…ダメなのよ…!)
それならば!と、シャルロッテは気晴らしを求めて出かけようとした。
「ねえ、そういえば街に行って買い物したいわ」
「え、ああ。護衛の編成ができていないので、外出は未だ無理だそうですよ」
もう随分経ったけれど…と思いつつも『そうなのね…』と、とりあえずは引き下がったシャルロッテ。少し間を置いて、再びお伺いを立てる。
「そろそろ、お鍋の材料を買いたいのだけれど…護衛の話、どうなったのかしら」
「ああ、ハイジを呼びましょう。買い付けさせます」
「え、私、自分で見て選びたいわ」
「ちょっとずつサンプルを持ってこさせましょうね。貴族の買い物とは、そういうものですよ」
笑顔で黙殺されてしまう。ぐぬぬ、と歯がみするも、ローズ曰く『たしかに高位貴族相手なら、実家も商品持参で売り込みに行きますわ』とのこと。そういえばドレスなどは屋敷にデザイナーが来るし、シャルロッテもその買い物方法は経験済みだったので「お姉さま、それが我が家の普通です」と言われてしまえば、黙るしかなかった。
しかしシャルロッテは諦めない。またしばらく時間を置いて、違う角度からアタックを仕掛けてみる。
「どっかのお茶会に行きましょう!一緒に!ね!社交って貴族にとっては大切なお仕事だもの!行かなくちゃ!」
「不思議ですね、招待状が一通も来ていないんです」
「嘘よ!そんなことあるわけないわ!」
「財政難の貴族が多いのかもしれませんねぇ」
しれっと分かりやすい嘘をついて、まったく取り合ってもくれない。
事件からなんと半年以上!心配しすぎるクリストフにより、シャルロッテは邸内から出ることを許されず「お願いお願い」と外に出たがるも、「今はちょっとダメですね」「また今度にしましょう」と、言葉を濁されるといった攻防が続いた。
不機嫌になってみても、「全部、お姉さまのためですから」と、クリストフは微笑みを浮かべて傍に居るだけ。何も許してはくれない。
押しても引いてもダメ、ちょっとのお買い物すら行かせてもらえない、傍にはべったりクリストフ。そんな現状に日々フラストレーションを溜めたシャルロッテは、ある日爆発する。
「あーもう!クリスのばか!」
朝の身支度の、貴重なクリストフの居ない一人の時間。
そこでシャルロッテは、傍に立つリリーに愚痴をこぼしていた。
「どうして!ダメなの!私だってお出かけしたい!」
「お坊ちゃまは、お嬢様が心配でたまらないのですよ」
「護衛いっぱいつけるから!」
「それでもご心配なのでしょう」
ぶすくれた様子のシャルロッテを見て苦笑する。
リリーはシャルロッテの意識のない間、半狂乱だったクリストフの様子を見ていた。それゆえクリストフの気持ちも分かる。しかしちょっとやりすぎよね…と、リリーが思ったところで、コンコンとドアを叩く音がした。
「ほら、戻っていらっしゃいましたよ。少し待ってもらいましょうか?」
「んー…どうしていいか分からなくなっちゃった…」
へにょり、と眉を下げたシャルロッテの瞳が寂し気で。
リリーはなんだか胸が痛くなって、この華奢な少女のために、何ができるかを考えた。膝をつき、シャルロッテと視線を合わせる。
「お嬢様のお気持ちは、お外に出られたいだけですか?または、お坊ちゃまがちょっと…構いすぎでしょうか?―――それでしたら、シラー様に私が直接交渉して参ります。お坊ちゃまも、シラー様が言えば従うしかありません」
「んんん、んー…嬉しい。けど、お義父様から無理矢理っていうのは、なんか…違う、かも」
リリーの優しい言葉に、シャルロッテは今一度考えた。
自分はただ外に出たいだけなのだろうか?―――いや、違う。
クリストフがうざったいのだろうか?―――いや、違う。
では、何故こんなにもモヤモヤするのだろうか。
目をつぶって考える。しばらく考えている間に、コンコンと再びノックが響いた。
(そうだ、私は…)
シャルロッテは結論の出た脳を高速回転させ、うっすらと目を開いた。
「リリー、クリスを中へ」
ドアが開く音がして、「お姉さま…?」と、恐れるように呼びかける声がした。シャルロッテは鏡台に向かい座ったまま、視線も合わせずに「ねえ、クリス」と、問いかける。
「外に私を出さないのも、ずっと一緒に居るのも…私が大切で、心配だから?」
「ええ。お姉さまのことが、大切だからです」
「今の、私を閉じ込めているみたいな生活なら、安心なの?」
「……ええ」
クリストフはシャルロッテの表情を伺おうとするが、うつむく顔は白金の髪で隠されて表情が読めなかった。
「私は外に出たい。前みたいに、自由に生活がしたいのだけれど」
「それは…外は危険ですから、またいずれ」
「それって、いつ?」
どうやらシャルロッテは、いつになく本気なようだ。それを察知したクリストフは『面倒だな』と思った。何度もこの話題は繰り返し話し合い、そしていつもクリストフが押し切ってきた話題。今回も涙で押し切ろうと、彼はうつむいて目を瞬かせる。
「ねえ、私の気持ちはどうでもいいの…?」
バッと顔を上げたクリストフの顔を、鏡越し、紫色の瞳が射るように見つめていた。




