専属メイドの結婚模様5
その日、公爵邸の周辺ではやたらと騎士の姿が目撃された。
常に公爵邸の周辺には警護がいるものだが、それは周辺住民にとって馴染みの顔ではない、おそらく城の騎士たちで。
住民たちの間にはこんなウワサが駆け抜けた。
「新しい公爵夫妻の結婚式が、極秘で行われてるのでは?」
「なるほど。公爵家の結婚式ならば、王族の方々もいらっしゃるかもしれない」
皆が納得し、そしてこんな声が上がる。
「とくに知らせもなかったよなぁ」
「待て待て、公爵家の秘宝の花嫁姿は⁈」
「領主様と合わせて、我が領の誇るあの美貌……ぜひとも拝みたい」
養女時代のシャルロッテと、嫡男のクリストフの領地での視察姿は度々領民には目撃されていた。貴族でも見ることは珍しいという、美しいその姿を見ることができた領民たちはそれを誇り、実は領地内でのシャルロッテの人気は高い。
結果的にクリストフに嫁いだと知られた後は「なるほど、公爵家ともなると小さなころから花嫁を育てるモンなんだな」と納得され、「じゃあ結婚式とそのパレードはいつかな」と領民たちも期待していたところでの、このウワサ。
「ひょっとするとおふるまいで、うまいタダ酒が飲めるかもしれん。こうしちゃおられないぞ、行くしかない!」
「ちょっとアンタ、仕事は⁈」
「レンゲフェルト公爵領の民として、タダ酒……いや、結婚式の後に手を振ってくださるだろう、公爵夫妻を見ないわけにはいかない! 仕事はアレだ! あとでやる!!」
呆れ顔の奥さんに、その男は「それにお前だって、拝みてえだろ。一生の思い出になるよな? な?」と、揉み手で擦り寄った。
「そりゃ、見たいけどさ……。まったくもう仕方ないね、ちょっとだけ行ってみるかい」
「そうこなくっちゃ! さて、公爵家にいくぞ!」
というような会話が、街のいたるところで頻発したとかしないとか。そうして公爵家の周辺に人々が集まり出してしまった。
仕方がないので「使用人の結婚式に、お優しい公爵夫人が庭を開放しているだけ」と、集まってくる民衆に解散するように告げる役割を言い付けられた一人の使用人が、門扉の外に立たされることとなり。
「えー。みなさん、速やかに解散してくださいー」
丸めた紙を拡声器として「現在行われているのはー、使用人の結婚式ですー。庭を使用しているだけですー」と、繰り返し伝えていた。
やいのやいのと騒ぐ人々も「なんだ人騒がせな」などと言いつつ、素直に引き下がる者が大半であったが、中にはこんなことを言う者もいた。
「公爵様は奥様を誰にも見せたくないってんで、結婚式をしねぇってウワサもある。まさか俺たち領民に内緒でやったりしねぇよなぁ⁈」
立たされていた使用人は一瞬固まって、意外とウワサというのは馬鹿にならないものだな、と思った。しかしそれを口に出すようなことはしない。
「……今日は本当に、本当に、使用人の結婚式です。お帰りください」
「そうかい。またおふるまいは楽しみにしとくぜぇ」
人々は「仕事に戻るかぁ」「庭での結婚式ってどんなだろうな」と興味を示しつつ散ってゆき、公爵邸の周辺には静けさが戻った。使用人は『みんな見たがってるのに、クリストフ様がなぁ』と内心でひとりごちるも、賢明なのでこれも口には出さなかった。
「……そうだ! 領民たちから『公爵夫妻の結婚式が見たい』と希望があったということで、グウェイン様に後で報告しておこう。うん、嘘じゃないしな!」
彼は結婚式及びパーティーが終わるまでの数時間『グウェイン様にどうやって言おうかな』『シャルロッテ様の花嫁姿は絶対美しい』『クリストフ様も美しいだろうな』『お祝いで賞与出るかな』などと考えながら、ここに立ち続けるのであった。
そしてその頃、公爵邸では誓いの儀が行われていた。
◇
軽やかなバイオリンの音が、金管の唸るような低い支えによって空に舞う。結婚式でよく奏でられるその曲は、ゆったりとしたテンポで花嫁を新郎へと導いた。
教会でなくとも招待客を神聖な気持ちに誘うことはできるのねと、ローズは主役でありながら冷静に分析をする。
いや、冷静にならざるを得なかった、というのが正しいだろうか。
アンネリアがあれだけ騒いでいれば当然、その人にも話が伝わっているだろうことは察していた。昔から公爵邸に出入りもあったので、もちろんローズだってよく知っている人物だ。
知ってはいるが、まさか、結婚式にまでやってくるとは思っていなかった。
『ごめん、言ってなかった? ウルリヒも出たいって聞かなくて。……帰ってもらいましょうか』
シャルロッテに謝られたのは式の開始直前。まあそんなこともあるかとローズはすぐに承服したのだが、オーランドはカチンコチンに固まってしまって大変だった。
「え、ウルリヒ様って、あの、王子様……⁈」
「自分の結婚式に王子が出てくれるなんて、いい記念になりますわね」
ウルリヒは、すでにアンネリアと共に到着しているらしい。
来てしまった王子を追い返す方が恐れ多いし、もう仕方あるまいと、ローズはポンポンとオーランドの背中を叩いて「私達を見に来たのではなく、シャルロッテ様たちが楽しそうにしているところに参加したいだけですわ」と、慰めになるかは微妙な声かけをしておいた。
そんなことを思い出しつつ、しずしずと歩きながら、ローズはベール越しに招待客の顔を見ていた。
大半はメイドと騎士の友人たちで、目が合えば笑ってしまいそうなのでローズは伏し目がちに進む。
しかし、親戚や妹のミミの泣き顔は特に問題なかったのだが、シャルロッテの半泣きの顔を見てしまえば、ローズの目にも涙がにじんできて。
『……ローズ、きれいだわ』
シャルロッテの口がぱくぱくと動くのを読み取ってしまうのも、職業病とはいえ困りものだ。さらに盛り上がってしまう涙を、ローズはぐっとこらえた。
意識を散らそうと、シャルロッテから視線をずらす。
シャルロッテの横でがっちりと腰を抱くクリストフは無表情。同じ並びのアンネリアは目をキラキラとさせており、横には麗しい王子の姿も確認できた。
「この後の食事は、好きに食べていいって本当か⁈ 最高の結婚式だッぐふっ」
ちゃっかり挙式から出席しているウルリヒは、ローズが通り過ぎた後に小声でこのように騒いだせいで、アンネリアに肘打ちされていた。瞳と同じ上品な紫色のタイを締めたその姿は、黙っていれば人形のように美しいのだが……口を開くと相変わらず台無しな御仁である。
(しかしまあ、お嬢様とウルリヒ様は本当にお顔だけは似てますわね)
オーランドの招待客は職場の同僚も多く、当然王子の顔を知っているのだろう。ウルリヒかシャルロッテ(もしくは二人とも)の顔を見た男達はもれなく硬直していたらしい。ローズは式の開始前、誘導係をしていた同僚に『固まってる騎士様を押して動かしたわ! みんなかっこいいのに口開けてるンだもん、間抜け面ばっかでヤになっちゃう!』と言われて笑ってしまった。
(いつか合コンでも開催したら、どちらの職場にも喜ばれるかもしれませんわね)
にじむ涙から意識をそらすため、そんなことをつらつらと考えているうちに、ついにローズはオーランドの元へとたどり着く。
がっちりとした体躯に白い礼服が良く似合うオーランドは、金色の髪と碧眼も相まって、絵本で描かれる王子様のよう。そんな彼はローズを見て、場違いなほどにパッと表情を明るくして、いつものように屈託なく笑う。
笑顔に見惚れたローズに、コホン、と神官の咳払いが聞こえた。
「……それでは、誓いの儀を始めましょう」
こちらへ、と神官に促されるままに並べば、儀式は水のように流れだす。
大失態をするわけにはいかないと気を張りつつ、ベールを上げてもらったり、宣誓したり、指輪を交換したりと工程は進み、最後に誓いのキスを済ませれば、ようやく退場である。
くるりと振り返り、祝ってくれる人々の顔を眺めてホッと力が抜けるローズの腰を、オーランドの大きな手が掴んだ。
「ローズ! 本当にキレイだ」
「ちょっと、腕を組んで退出って……!」
「アハハ、儀式は終わった。もういいだろ!」
そして、まさかの浮遊感。
ぐわんと持ち上げられたローズの「きゃっ」という悲鳴は、オーランドの同僚たちの地響きのような「おおおおおおお!」というヤジにかき消された。
「俺のお嫁さんです!! 一生大切にします!!!!!」
ローズは狩人に狩られた獲物のように高く掲げられた。
「ちょっと……ッ!」と身をよじってやたらとキラキラしたその頭を叩こうとするも、そのままお姫様抱っこ抑え込まれ、オーランドは軽やかに歩き出す。
「今日は最高の日だッー!」
男たちの怒号のような歓声の中で大口を開けて笑うその顔に毒気を抜かれ、ローズは抵抗を止めた。ちらりと振り返れば、最前列から見守っていたローズの家族もオーランドの家族も大爆笑で、リリーに至っては腹を抱えてしゃがみ込んでいた。
その後ろに並ぶウルリヒは「いいぞ! もっとやれ!」と騎士達の真似をして手を叩いてヤジを飛ばしてご満悦な様子。アンネリアとシャルロッテも、淑女らしく手を添えてはいるものの、どうやらよく笑ってくれているようだ。
「まったくもう!」
でも、みんなが楽しそうならいいか、とローズも笑う。
ローズが笑えば、嬉しさが限界突破したオーランドがちゅっちゅとその頭にキスの雨を降らせた。
シャルロッテとアンネリアは手を握り合って「きゃー!」「ちょっとすごい!」と大はしゃぎ。ウルリヒもヒートアップし、しかしクリストフは呆れ顔だ。
ローズたちが祝福と笑い声に満ちた道を抜ければ、すぐにパーティー会場が広がっている。
オーランドは招待客の波を歩き切った後に振り返って声を張った。
「ここに居る皆様とは、これからもずっと縁が続くことと思っています! まだまだ未熟な二人ではありますが、皆様どうぞよろしくお願いします!」
「……お願いします」
オーランドに合わせて、抱えられたままローズもぺこりとお辞儀をする。
拍手の音がうねるように二人へと、招待客の祝福を伝えていた。
「それでは、ここからは披露宴です! どうぞ大いに食べて飲んでいってください!」
◇
「いい式だな!」
手が痛くなるほどに力いっぱい拍手をしていたウルリヒは頬を紅潮させて、視線の合ったシャルロッテに子どものように「楽しい!」と叫ぶ。
「人の結婚式というのはいいものだな! また出たい! ……そうだ、しゃるとくりすはやらないのか?」
「あら。……だって、クリス」
「くりす! 私を式には呼んでくれ!」
絶妙に嫌そうな顔をしたクリストフが何かを言う前に、シャルロッテがその袖を引く。
「……お姫様抱っこで退場するの、ちょっといいなぁって思っちゃった。どうかしら?」
「やりましょうね、式」
クリストフは即座に頷いた。
アンネリアは『これで結婚式問題は解決ね』と、シャルロッテのクリストフ操縦術に拍手を送った。 その意図を正確に読み取ったシャルロッテはにこやかに、ウルリヒとアンネリアへと誘いをかける。
「ふふふ、私たちの式には、もちろん二人とも招待させてね」
クリストフがぼそっと「……呼ぶんですか?」と漏らしたのを、アンネリアは聞き逃さなかった。
「当然でしょう⁈ 私、シャルロッテ様と義理の姉妹ですのよ⁈」
「呼ばれるのは当たり前のことですわよねェ」と、クリストフを睨みつけるアンネリアがシャルロッテの腕に抱き着けば、反対側からクリストフがシャルロッテの腰を引く。
両サイドからの圧にちょっと困り顔をしたシャルロッテは、そうだ、と二人の背中に手を回した。
「ねえ二人とも、ほら、お料理を食べに行きましょう」
「お! そうだ! いくぞっ」
小走りに動き出したウルリヒは、少し先で立ち止まって「はーやーくー! なくなったらどうするんだ!」と三人を呼んでいる。それにぎょっとしたオーランドの招待客の騎士たちの顔を見て、仕方なさそうにアンネリアがシャルロッテの腕を離した。
「んもう、仕方のない人ですわねぇ」
口元に手を当てて、アンネリアが「まってくださいましー」と呼びかければ、ウルリヒはそわそわした様子ながらその場に留まって三人を待ってくれている。その顔は変わらず子どものようで、偉い人にはまるで見えない。思わずシャルロッテはクスクスと笑い声を溢した。
「ウルリヒ様ってほんと、いつまでも変わらないわね」
「お二人の前だと特に、ですわ。甘えているのです。……公務ではもっとビシッとしているんですけれど」
「ふふ、想像つかない」
女子二人が喋りながら歩けば、クリストフも当然ついて来る。
「もっと早く歩け!」と急かすウルリヒに苦笑いしながらその後は四人でぞろぞろと移動すれば、人波は割れ、招待客は遠慮がちに四人から距離を取る。
「やっぱり大人になっても、この四人で居るのが楽ですわぁ」
「ふふふ。どうしてか、四人でいると人が近寄って来ないものね」
「あら。シャルロッテ様はご夫婦でいらしても、こわーい番犬が人を追い払ってるじゃありませんか」
こわーい番犬と呼ばれたクリストフはフンと鼻を鳴らすだけで、特に言い返したりはしなかった。事実、クリストフは普段から不必要な世間話をしに来るような貴族は、ひと睨みで追い払っているためだ。
そして社交にシャルロッテを連れて行く機会は夫婦となって多少増えたものの、それでも厳選に厳選を重ねて回数を減らし、そしてどの会も公爵夫妻はすぐに帰ることで有名だった。
「……そもそもあんまり他の貴族たちと交流していないこの現状、いいのかしらとも思うのだけれどね」
「いいのです! シャルロッテ様はたまーにいるだけで大丈夫ですわ!」
シャルロッテの困ったような、しかしまあ仕方ないといったような話ぶり。アンネリアがぴっと指を天に立てる。
「今に私が頂点を獲って、どうとでもいたしますわよ〜! オーホッホホ!」
高笑いしているアンネリアの言葉は、それが真実なだけになんとも頼もしいものである。ガヤガヤとした会場では、アンネリアの笑い声もそう目立つことはない。
ふふふ、と再度笑みをこぼしたシャルロッテは「頼りにしてます」と、アンネリアに甘えた。
みんながいて、笑っていて、晴れの日で。
シャルロッテは幸せだなあと噛みしめながら、ウルリヒの「あっちのケーキも食べるぞ!」という声に従って足を動かす。
「そうだわ! あまり動けないローズに、美味しい物をたくさん取っていってあげようかしら」
「いいですわね! わたくしたちが居る間は、他の招待客も寄ってこないでしょうし」
「ふふふ、ゆっくり食べてもらいましょうね」
王子と公爵夫妻、侯爵令嬢に囲まれて、一介のメイドが落ち着いて食事をできるのか? というツッコミを入れる者はおらず。
笑顔のシャルロッテに振り回されるローズの日常は、これからも続いていくのだった。




