専属メイドの結婚模様4
「あなたがオーランド様ね。……突然来てもらってごめんなさい」
「いえ、お招きありがとうございます! そしてオーランド、とお呼びつけください」
「ふふ。じゃあ遠慮なくそうさせてもらうわ」
オーランドが頭を下げるその横で、ローズは再び冷や汗を額に滲ませていた。
シャルロッテの腰にガッチリと腕を回して抱き込みながら、絶対零度の眼差しでオーランドを睨むクリストフのせいである。
上から下まで検分するようにオーランドを眺めた後、ふんと鼻を鳴らしたクリストフがぼそりとつぶやいた。
「……いきなり呼ばれても来られるとは。城の騎士とはずいぶん暇なんだな」
ローズは反射的に謝りそうになったが、オーランドは何も気にした様子もなく「ハイ! 今日は非番だったんで暇してました!」と元気よく返事をする。
「お休み、月に日数決まってまして、ちゃんと休まないと怒られるんですよ〜。俺、休みがあっても筋トレくらいしかすることないんですけど」
アハハと笑って余計な情報の付け足しをするほど、クリストフの嫌味が通じていない。
しかしシャルロッテは眉をひそめて「クリス?」と、静かに咎めるような声色だ。
「約束したわよね?」
「……ごめんなさい」
シャルロッテに言われた途端にしゅんとなるクリストフ。幼子にするかのように「しーっ」と、シャルロッテが細い指を立てて唇にくっつけてみせれば、クリストフは反省した顔でうなだれた。
しかしローズは知っている。
こんな愁傷な態度は、シャルロッテの前でだけである、と。
眉を下げているクリストフの顔は、可愛らしいと形容できるだろう。が、ローズは背筋を振るわせて、『後で呼び出されて、締められるかもしれませんわ』と半ば本気で己の身を心配をしていた。
シャルロッテはオーランドに対して「そちらにかけてくださいな。今日来てもらったのはね……」と、マイペースに話を始めようとしていたが、怯えるローズの様子が目に入ったのだろう。ぱちくり、目を瞬かせて動きを止めた。
そして何を思ったのか、苦笑いで自身の隣に陣取るクリストフをスッと手で示す。
「ご挨拶しなくてごめんなさいね、こちらは私の夫のクリストフよ。口を開くとちょっとややこしくなりそうで、喋らないように私がお願いしたの。……さっきはその、ひとりごと、みたいなものだったのよ。気を悪くしないでちょうだいね」
ぐい、と近すぎるクリストフの体を押しやって距離を取ろうとするシャルロッテ。それにむっとした顔はするが、何も言わないクリストフ。
ローズがチラリと隣のオーランドを見上げれば、彼は眩しいほどの笑顔で「ハイ!」と返事をした。
シャルロッテは元気の良いその返事にクスクスと笑い、その場は和やかな空気になる。
「良いお返事ね。まずはローズとのこと、おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
「私、ローズには昔からとってもお世話になっているの。それからリリーにもね。……だから本当に嬉しくって!」
花が咲くように笑うシャルロッテと、いまだにぶすっとした顔でオーランドを軽く睨むクリストフ。 しかし何も分からずに「ありがとうございます!」と良いお返事をするオーランドに、クリストフの眼光は鋭くなって、ローズの胃はじくじくと痛み出した。
そこへやれやれと言わんばかりの顔で、アンネリアが颯爽と割り込んでくる。
「シャルロッテ様、私も紹介しておいてくださいませっ」
「そうですね! こちらは私のお友達のアンネリア・マルカス侯爵令嬢です」
「お会いできて光栄です、マルカス侯爵令嬢」
オーランドが立ち上がって跪拝の礼を取ろうとするが、アンネリアは「私まだ普通の侯爵令嬢でしてよ」と、それを止めた。
「今はプライベートな場ですから、気軽にお話ししてくださってかまいませんわ」
「お優しきお気遣いに感謝申し上げます」
「様式美も大切ですけれど、もうよくってよ。この話はこれで最後にいたしましょう。……気軽にお話しできますわね?」
ツンとアゴを上げてアンネリアが命じるように尋ねれば、オーランドもニカッと歯を見せて「ではそのように」と軽く頭を下げるにとどめた。
このやり取りの間、シャルロッテはクリストフの手を握り「クリス、睨むのもだめなのよ」と小声で叱っていた。妻の興味関心視線をしばし独占して満足したのか、はたまた叱られて反省したのか、クリストフはようやくオーランドを睨むのをやめて、いつもの無表情に戻った。
「さて! それでオーランドに来てもらったのは、ローズの結婚式について相談があるからなの」
「結婚式?」
「うふふ。あのね……」
首をかしげるオーランドに、シャルロッテがこれまでの経緯を説明した。特に結婚式の具体的な構想については、アンネリアもあれやこれやと口を挟むものだから中々に長い話になったのだが、オーランドは常に「おお!」「いいですね!」「素晴らしい!」と、本当に楽しそうに相槌を打った。
全てを話し終え、シャルロッテはこう締めくくる。
「少しでも気になることがあれば聞かせてちょうだい。もちろん主役は二人だし、二人の意思が一番大切だから」
それを聞いて何かが胸に刺さったらしいクリストフ。
彼はシャルロッテを抱きしめようとしたが、シャルロッテはサッとかわすと、真剣な顔で頭を下げるオーランドに「なに?」と声をかける。
「ちょっとだけ、ローズと話をさせてもらってもいいですか?」
「もちろんよ」
シャルロッテが鷹揚に頷く。
オーランドはその大きな体をぐいと横に向けると「ローズ」と呼びかけた。
「こっち向いてくれ」
部屋に居る女性陣の視線がローズに集まる。
何を言われるのだろうと構えたローズは身を固くしながら、そろり、そろりと横を見上げた。
「な、なんですの」
「俺と結婚してくれるってホントか?」
ローズと視線が合ったオーランドはパッと笑みを浮かべ「今日するか⁈」と、今日一番の笑顔で目を輝かせている。まるで大型犬が尻尾を振っているかのように分かり易い喜びの表情に、女性陣一同がほっこりとした顔になった。
「い、今すぐは無理ですわ! こ、婚姻届けも指輪も、なにもないですし⁈」
「あればいいのか! じゃあ、俺、もうこっちに来てもいいな!」
オーランドの脳内に浮かぶのは、専属メイドの仕事に戻ってからというもの、朝は早く出て行き、夜は遅くに寝に帰るだけの疲れたローズの顔。オーランドのためにと通いに切り替えてはいるものの、一緒に居られる時間などごくわずか。通勤もローズの負担になっているのは明白で、オーランドは一刻もはやく公爵邸に自分も就職して、ローズの負担をなくしたいと考えていた。
そんなわけで、パッと顔をシャルロッテ達の方へと向けると「あの!」と、オーランドはひと際大きな声を出す。
あまりの素早さに、それはローズが止める暇もなかったほど。
「こちらのお屋敷、護衛の募集はありますでしょうか? 自分、力と体力には自信があります!」
「ちょっとオーランド⁈ い、いきなりやめてくださいませ!」
突然の就職希望に、ローズはオーランドに掴みかかって止めようとした。
リリーとアンネリアは背後で大笑いしているし、シャルロッテは「あらまあ」と可憐に口元を手で押さえて微笑んでくれているのだが、クリストフの眉間には皺が寄る。ローズはいっそう強くオーランドの腕を引くが、ガッチリとしたオーランドはそんなことではピクリとも動かない。
じっとこの屋敷の主であるクリストフを見つめるオーランドと、その視線を睨み返すように受け取るクリストフ。
「俺、ローズと一緒に過ごせるなら、生涯かけてお二人のお役に立ちます!」
沈黙がおりて、数秒。
先にふいと視線をそらしたのは、クリストフの方だった。
クリストフはシャルロッテの方を向いて許可を求める。「お願い、クリス」と彼女がねだるのを確認して、渋々といった様子で口を開いた。
「……家令と話をしてくれ。帰りに紹介しよう」
「ありがとうございますッ!」
バッと立ち上げり、勢いよく頭を下げるオーランド。腕を引いていたローズも大型犬に引きずられる飼い主のようにつられて立ち上がり、そして一緒に頭を下げたのだった。
それからのローズの日々は、目まぐるしく過ぎていった。
アンネリアの指揮のもと、会場設営の図面が作成されるところから始まり、装花、演奏、手土産や料理の決定、招待客のリストアップが済めば招待状の作成……と、多くの人間からローズの元には最終選択を迫る連絡が舞い込んでくるのだ。
「ドレスとメイクは私も選んでるところが見たいわ、邪魔しないから。ね?」
「私も一緒に見学させていただきますわ!」
と、ドレス選びの日にはまさかのシャルロッテとアンネリア、そして「私は参加でしょ」と当然といった顔でリリーがやってきて再びの大騒ぎをしたり。結果ドレスは中々決まらずに何日もの時間を要したが、それはそれで楽しく、ローズは忙しさと幸せでいっぱいの日々を過ごしていた。
もちろん、シャルロッテの専属メイドとしての仕事も毎日ある。
オーランドは式の後からは公爵邸に勤めることが決まり、そのためローズは使用人用の広い居室が新たに宛がわれた。「しばらくの間なら」と、オーランドとは別居状態であるが、結婚式の打ち合わせという口実を携えて、しばしば遊びに来る。通勤時間がなくなった恩恵は大きく、また住居も快適になり、結婚式の準備もどんどん進むこの状況。
「上手くいきすぎて怖いですわ……! この後何か悪いことが起きるのかしら……」
「なーに言ってんの。今まで頑張って来た分、みんなが見てたってことでしょ」
なぜかマイナス思考になってつぶやくローズに、横からリリーが苦笑いで返す。
結婚式から新居の準備まで何でも張り切って手伝ってくれるリリーとは、仕事もプライベートもずっと一緒だ。オーランドとの結婚も嬉しいことだが、同じくらい『リリーと義理の姉妹になれて嬉しい』というのは、口にはしないローズの本音であった。
ちなみに色々と骨を折ってくれる彼女のため、ローズは全てが終わったらお礼として巨大なステーキをごちそうする約束をしている。
そうこうしている内にあっという間に一ヶ月が過ぎた頃、紺色ベースに金縁で飾られた豪奢な招待状が完成した。
デザインをしたシャルロッテが、持ってきてそれをローズに差し出す。
「じゃーん! とっても素敵なのが仕上がったわよ!」
と、キラキラした可愛らしい顔で見せてくれたのだが、ローズは一応仕事中。お礼を言いつつ定位置に収まってシャルロッテの背後に立っておこうとしたのだが「だめだめ!」と腕を引かれてしまった。
そして机の前に連れて来られて、ぐいぐいと着席させられる。
「では、今日のローズのお仕事は、そちらに招待したい人の名前と住所を書くことです! ぱちぱち~!」
非常に楽し気なシャルロッテが、ペンとインク壺をいそいそと置いてから拍手をした。
口で「ぱちぱち~!」と言う主の愛らしさにグッと胸を押さえつつも、ローズは首を横に振る。
「お気遣いありがとうございますわ。でもそれは、プライベートでするべきかと」
「私が楽しくてローズの結婚式を計画させてもらっているんだもの。これは私の趣味に付き合っている結果と言えます。つまり、専属メイドのお仕事のうち!」
そんな詭弁を言って「はい、これリストね」と招待状を机に積むシャルロッテ。そして自身も近くに腰かけて「その間は、私もパーティーの招待状にお返事を書くから。一緒に頑張りましょう」と、書き物を始めてしまった。
主にここまで言われてしまえば、ローズもやぶさかではない。
ようやく「分かりましたわ」と言いつつペンを握ると、斜め前の椅子がゴトリと引かれてリリーも腰をかける。
「最初っから素直にやりなよ。どうせお嬢様には勝てないんだから」
どうやら彼女は書き終えられたものの誤字脱字をチェックして、蝋を垂らして封をする役割らしい。
「うるさいですわ」
「ローズちゃんはツンデレなんだから」
「う、る、さ、い、ですわ!」
「もう、二人とも始めるわよ」
シャルロッテに止められて、三人で黙々と作業を続けることしばらく。
カリカリとペンが紙をなぞる音、紙の擦れる音、蝋の焼ける匂いが部屋に満ちる。
そしてどれくらい経った頃だろうか、ぽつりとローズがこぼした。
「お嬢様は、どうしてそこまで良くしてくださるのですか」
「え?」
「その、私はメイドですわ。何もしてくださらなくても、誠心誠意お仕えしますし……お嬢様に色々していだけるのはとっても嬉しいんですけれど、貰いすぎといいますか、その……」
その声にシャルロッテが手を止めて顔を上げると、ローズだけでなくリリーも聞きたそうな顔をして主人を見ていた。「少し休憩しましょうか」と、シャルロッテはペンを置いて背筋を伸ばし、軽く肩を上げ下げする。
サラサラと白金の髪が肩を滑るのをパッと払って、シャルロッテはリリーとローズを交互に見た。
「始めに、ただのプレゼントだった私に優しくしてくれたのは、あなたたちよ」
「でも、それは仕事ですわ」
「他のメイドは全然何にもしてくれなかったじゃない。あなたたちとマリーだけよ、私の味方だったの。三人がいなかったら私、今みたいに幸せじゃいられなかったと思う」
ふふふ、とシャルロッテが笑う。
二人の脳裏には、楽しいばかりではなかった、シャルロッテが来たばかりの日々が思い起こされる。今でこそ屋敷の女主人として不動の地位を築いているシャルロッテだったが、養女として引き取られたばかりの頃は色々と問題も起きて、それこそローズはシャルロッテの待遇に泣いたことすらあったものだ。
「留学先にも連れてっちゃうくらい、二人が居ないと生きていけないのよ」
シャルロッテの言葉に胸を熱くするリリーとローズ。
「で、でもこれは、貰いすぎです! 恩返しができませんわ!」
「うふふ。ローズが私のメイドで良かった。……一生仕えてもらえばいいんだもの、それでチャラよ」
「お嬢様ったら、もう」
「冗談じゃないからね」
シャルロッテの唇がクイッと弧を描く。
来たばかりの頃にはできなかった、貴族女性らしいアルカイックスマイルである。
見せつけるようにゆっくりと、その細い指がリリーを差した。
「次はリリーに、どうやって返しきれない恩を売るか考え中よ」
「いいアイデアがあったら教えてちょうだい」と、シャルロッテに流し目でねだられたローズがポッと頬を染める。たまにこうして小悪魔のようになるのだからたまらないと、下唇を噛んで激しく頷くローズは、精いっぱい考えて、とりあえずの一つ案を出した。
「リリーを釣るならやっぱり食べ物が良いかと! 死ぬほど食べさせて、それを借金にすると良いと思いますわ!」
「ちょっとローズ? 私のことなんだと思ってるの?」
「ふふふ。さすがに食べる分くらいは、お給料で支払ってあげたいわ」
シャルロッテがパッと破顔して、いつものように無邪気に笑った。
「さ、あと少し頑張りましょう」
ご機嫌な様子で主がペンを手に取れば、もちろん二人も各々の作業にとりかかる姿勢に戻る。
こうして三人の日常に結婚式というエッセンスが加わりつつ、日々は過ぎて……。
サイコな黒幕の義姉ちゃん、楽曲化されました。
YouTubeにて、
書籍のPV
https://www.youtube.com/watch?v=4tsdCb0cjME
MV
https://youtu.be/qyTb6OaDESs
個人的に曲の入りが好きです。
聴いてみてください。
次話でこの中編が終わりますので、その更新の後に詳しいことは活動報告に上げさせていただきます。




