二度目の新年の話
新年の朝。
シャルロッテはゆっくりと目を開けて、久しぶりに神へと祈っていた。
「どうかクリストフが、健康で元気で……」
寝台の中で小さな手を組み、目をぎゅっと瞑って真剣に願う。
「どうかどうか、まっとうに育ちますように……!」
これは、シャルロッテがレンゲフェルト邸で迎える二度目の新年のお話。
◇
シャルロッテ達の暮らす国では、新年はひっそりと家の中に籠って過ごす。
旧年の最後の夜には神へと感謝を捧げ、新年の朝には一年の平穏を静かに願うためである。
「ハイジは家に帰らなくてよかったの?」
シャルロッテが歩きながら声をかけるのは、ひょろりと背の高い糸目の男。彼はれっきとした貴族の出であるにも関わらず、実家に帰らず年末年始も護衛として屋敷に詰めていた。
「東の国の“おせち”って伝統料理が何日も出てくるんですけど、俺ソレあんま好きじゃなくってぇ。あと年末帰ると掃除手伝わされるんでヤなんですよ〜」
神へと声がよく届くようにと、年末には家中の埃を払って掃除を行うのもまた伝統である。母親に宝物庫の掃除をさせられるよりも、仕事をしている方が気楽なのだとハイジは主張した。
「なるほどね。確かに公爵邸も屋敷中ぴっかぴかになってるわ」
食堂を目指して廊下を進みつつ、シャルロッテが「さすがマリーね」と、メイド長の名前を出してうんうんと頷く。
その横には当然のようにクリストフが手を繋いで並んでいるのだが、特に発言するでもなく、無表情のまま二人の会話を聞いていた。
「年末の大掃除は、メイドたちの一大行事ですからねぇ。ここ数日、メイド長は休みナシで屋敷中駆け回ってるハズですよ~」
二人の後ろをのんびりと歩くハイジが「大変だァ~!」と、芝居がかった仕草で頭を叩いた。そこでクリストフがやっと「マリーが忙しいのはいつものことだろう」と、口を開く。
「いつもより、ってことですよぉ」
「ハイジは大げさすぎる」
「まったく、クリス様ってば『マリーに任せておけば安心だ』くらい言えばいいのにぃ」
「うるさい」
主従関係にありつつもポンポンと気安く交わされるやり取りに、シャルロッテは思わず笑みをこぼす。
「でも本当ね。ここ数日のマリーは瞬間移動でもしているみたいに、あっちこっちで働いていて大変そうだったわ。あとでなにか甘い物でも差し入れしようかしら」
思いつきでつぶやくシャルロッテの言葉に、ハイジがひとくくりにしてある黒髪をなびかせて、くるりと顔を向けた。
「あっ、俺も食べたいですぅ!」
「ハイジは年末、私たちと一緒に毎日おやつを食べてたじゃないの」
教師陣も年末年始の休暇で屋敷を去り、授業もなかったクリストフとシャルロッテ。
二人はこの余暇を、本を読んだりお茶をしたり、のんびりと過ごしていた。
あわただしい使用人たちの邪魔にならないようにとシャルロッテが気を遣った結果なのだが、ほぼ部屋に籠りきりの休暇。シャルロッテ付きのメイドたちも忙しそうだったので暇そうなハイジを指名して『護衛がいるから大丈夫!』と、周囲のご迷惑にならないようにひっそりと過ごしていたわけである。
「だってクリス様が珍しくご機嫌なんで、俺も嬉しくなっちゃってぇ。ついつい同席したくなっちゃうんですよね~。暇ですしィ」
お茶の時間になればシャルロッテはハイジにも同席を願い、三人であれこれおしゃべりしながらおやつを食べること数日。大好きな義姉とべったりと過ごす休暇にクリストフは大変満足して上機嫌。結果オーライというところであろう。
「あ、でもこの朝食は、いくらシャルロッテ様のお願いでもさすがに同席はしませんよぉ。後ろに控えてます〜」
「流石に言わないわ」
苦笑いのシャルロッテは鼻をスンと鳴らし、冷えた朝の空気を吸い込んだ。年が明けようが空気は変わらないはずなのに、どこかスッキリとした気分になるのはどうしてだろうか。
シャルロッテはぽかぽかと温かい、小さなクリストフの手をゆるく握り直す。紅い大きな瞳がこちらを見上げてくるのを、ただ純粋に『なんて可愛い弟なんだろう』と感じる反面、己の知る“クリストフ・レンゲフェルト”というキャラクターへの恐怖も未だ拭えない。
(でもでも、こんなに可愛くていい子なんだもの! このまま成長すればきっと大丈夫よね)
シャルロッテはただひたすらに『この平穏が、いつまでも続きますように』と、胸の内で再び神へと願うのだった。
◇
食堂には伝統的な朝食が整えられていた。
神へと捧げる麦とミルク、硬い黒パンと野菜のスープ、質素なそれらだけがテーブルに並ぶ。
食堂にやってきたシャルロッテは「お義母様も新年はご一緒できたらよかったのにね」と、唇をちょんと尖らせ拗ねた顔だ。しかしクリストフはふるふると小さなその頭を横にふって「仕方ないですよ」と、淡々と答える。
「領主代行ですから、この時期は領地から離れられないでしょう」
「クリスのほうがオトナね」
クリストフがクスクスと笑うシャルロッテの手を引いて、エスコートして椅子へと導いた。彼は自分も席につくと目の前に並んだ質素な食事を見て、珍しく口をへの字に曲げる。それはシャルロッテも同じことで『いつもの食事がよかったな』と、食卓を眺める顔にはガッカリした表情が現れていた。
「なんだ、お前たちもそんな顔をするんだな」
そんな小さな二人を見てフンと鼻を鳴らしたのは、遅れてやってきたシラーだった。後ろには家令であるグウェインが付き従っている。
「伝統だ、今日の朝食はこれで我慢しなさい。……部屋に戻ったら食後のお茶と、菓子でもつまむといい」
立ち上がって挨拶をしようとした子ども二人を手で制して座らせ「今年も一年、つつがなく過ごすように」と、短く新年のあいさつを済ませるシラー。そうして淡々と朝食が始まったのだが、量も少ないのであっという間に皆食べ終わってしまう。
シラーが食器を下げるように指示をして、机の上には神への供物のみが残った。それらをぼうっと眺めていたシャルロッテは「さて」というシラーの声に意識を引き戻される。
「何か欲しいものがあれば言うといい」
長い足を尊大な態度で組んだシラーが言った。
この日に並ぶ朝食は華やかではないのだが、新年には親から子どもへと贈り物をする習慣がある。
これは神様から家長が幸福を賜り、それを親が子へと分けるといった意味合いがあり、シラーは伝統に倣って子ども達へと声をかけたわけである。
シャルロッテとクリストフは顔を見合わせて「うん」「そうね」と、小さく頷き合い、代表するようにクリストフが口を開いた。
「特にないです」
スパッと言い切ったクリストフ。
シラーも「そうか」と頷くが、後ろに立っていたグウェインが少し慌てた口調で「でも、これも伝統ですからねぇ」と、口を挟んだ。
子ども二人に向かってにっこりと笑いかけ、グウェインは指をピンと立ててこう提案した。
「文化の勉強と思って、なにかを願われてはいかがでしょうか」
(え、去年はこれでよかったじゃない……! 欲しいものなんて何も……ああ、いや、あるけど……これは流石に無理じゃないかしら)
シャルロッテがシラーをちらりと見れば、好きにしろ、といったような顔で子どもたちの答えを待っていた。
「では、ぼくは新しい剣を」
答えをすぐに口にしたクリストフ。
しかしシャルロッテはモゴモゴと口を動かしはするものの、視線を泳がせて『本当に言っていいのかしら』と迷い顔だ。
「なんでもいい。言いなさい」
シラーの急かすような言葉に、シャルロッテは口を開いたり閉じたり「あのぅ」「えっと」と、口ごもる。
細い目をさらに細めたハイジが「でっかい宝石いきましょ、それか金塊」と背後からヒソヒソ声で囁いた。彼なりに場を和ませようとやったことなのだが、それに対してクリストフはゴミを見るような目線を向けた。シラーは真顔で「そんなものでいいならば、後で宝石商を呼んでやろう。金塊は何キロだ?」と、その案を受け入れる態勢だ。
「ち、違います! 待ってください、言いますから!」
焦るシャルロッテはハイジに「もうっ」と笑ってみせてから、そのまま勢いをつけてシラーへこう質問した。
「あのっ! 物じゃなくても、いいでしょうか……?」
眉をぴくりとさせたシラーは、ダメだと切り捨てることなく「言ってみろ」と一言。
シャルロッテは華奢な両手をぎゅっと胸の前で握り合わせて、真剣な顔でシラーの目を見つめた。
「お義母様も一緒に、旅行に……あの、日帰りでもいいんですけど、どこかに、みんなで行ってみたいなって」
虚を衝かれたような顔をしたシラーだったが「なるほど」と小さくつぶやくと、背後に控えるグウェインに向かって手を差し出した。すると以心伝心といったところだろう、予定がびっちりと書き込まれた手帳が即座に開かれてシラーの手に渡る。それをぱらりと確認した後に「金で買えないものをねだるとは、中々いい根性をしている」と、皮肉気に口角を持ち上げた。
「春頃であればエマも時間がとれるだろう」
言ってから確認するように視線を向けたシラーに、グウェインが「今から調整していけば、お二人ともなんとかなると思います」と言い添えた。
「ありがとうございます!」
シャルロッテは満面の笑みで「やったー!」と、握り合わせていた手を開いて喜んだ。シラーの皮肉気な言葉もなんのその、クリストフにも笑いかけて「楽しみね!」と言ってのける彼女のことを、ハイジは『やっぱお嬢って大物になるわ』と、口には出さず感心していた。
◇
つつがなく朝食が終わった後、シャルロッテの自室にて。
ハイジに取りに行ってもらったティーセットで、シャルロッテはゆっくりと丁寧に茶を淹れていた。クリストフは視線を落とし、自分の骨の浮き出た膝を撫でたりグリグリと指で押したりと、どこか落ち着かない様子でそれを待つ。
「クリスはストレートでいいかしら? 砂糖は無し?」
「……はい」
「私はお砂糖いれちゃおうっと」
手元に意識を取られているシャルロッテは気が付かないが、背後で立つハイジはクリストフの異変を敏感に察知した。
お茶を蒸らし終えたシャルロッテに「ハイジも一緒にどう?」と誘われたのをやんわりと辞退し「ドアの前で控えてますね〜」と、部屋を出る。
「ハイジったら、いきなりどうしたのかしら」
クリストフは答えなかった。
シャルロッテもようやくそれでクリストフの異変に気が付いて、紫色の瞳をぱちぱちと数回しばたかせて「クリス……?」と呼びかける。
クリストフの紅い瞳が、くるりと上目遣いにシャルロッテを見上げた。
「お姉さまは」
「うん」
「金塊か、宝石とか……お好きですか?」
真剣な顔をして、いきなり謎の質問をしてくるクリストフ。
きょとん、とした顔のシャルロッテは「宝石は今あるものだけで十分だし、金塊は……あんまり、その、使い道がないわね」と、脳内では金の延べ棒を積んで遊ぶ自分を想像して答えた。成金貴族みたいで嫌である。
しかしそれはクリストフの望む答えではなかったらしく、すこし間をおいて「では」と質問が続く。
「何か欲しいものはありませんか?」
戸惑うシャルロッテに「僕、今なら今年の予算もたくさんありますし、たぶん大抵のものは買って差し上げられると思います。なんでも言ってください」と、さらに言い募る。
クリストフの顔が少し思いつめたように見え、シャルロッテは茶器を扱う手を止めて、膝を彼へと向けて瞳を覗き込んだ。
「クリス、いきなりどうしたの?」
紅い瞳は逃げるように下を向いて、長い睫毛が影を落とす。クリストフはその細い膝をぎゅっと手で握りしめていた。
急かすことなくシャルロッテは返事を待った。数秒だろうか、数分だろうか。しばらく沈黙の時が流れて、その後。
「……僕も、おねえさまに何かをあげたいんです」
僕も、とは。先ほどのシラーとの朝食での一件のことだろうかと、シャルロッテは首をひねる。
「クリスにはいつも幸せを貰ってるわ」
にっこりと笑って見せるシャルロッテだが、小さく頭を横に振るクリストフ。それでは納得できないらしい。
ふるふると揺れる黒髪をそっと撫でて「クリスと一緒に居られれば、それだけで今年一年も幸せになれるのよ」とシャルロッテが重ねるも、クリストフの表情は晴れないままで。
「クリスと過ごす毎日が幸せなんだけどな」
なんて、そんなことを何度か言いながら柔らかい髪の感触を楽しむように撫で続けていれば、そのうちにクリストフの機嫌も少し上向いたらしい。
下を向いていた目線がやっと上がって、膝を握りしめていたその手が離された。白い肌に赤く手の跡が残り、痛々しい。
『どうしてこんなにクリストフは苦しそうなのだろう』と、シャルロッテは心を痛める。
「……おねえさまと僕が一緒にいるのは、当たり前……ですよね」
「もちろんよ」
「でも」と、少し言葉を溜めてからクリストフはシャルロッテとやっと視線を合わせた。
「僕がなにかあげたら、おねえさま、喜ぶかなって」
そのいじらしい言葉に、きゅーんと胸を押さえたシャルロッテ。
しかし頭のどこかで心配もよぎる。
いきなりどうしてこんなことを言うのだろう、と。
「その気持ちだけで嬉しいわ、ありがとうクリス」
頭を撫で続けるシャルロッテに、クリストフは「物では、やっぱりダメですか」とつぶやいた。そのクリストフの声に滲む、どこか悲し気な色に気が付いたシャルロッテが慌てる。
「ど、どうして、そんなことを言うの?」
「……おねえさまのお願い、僕じゃ、叶えてあげられないから」
(『おねえさまのお願い』って、さっきのお義父様に願ったことよね。どうしてそんなに気になるのかしら?)
ぐるぐると考え始めたシャルロッテは言葉がうまく出てこず、クリストフの視線はどんどん下を向いていってしまう。
「欲しい物をくれる父上の方が、おねえさまは……」
クリストフの小さな手は拳となって、ぎゅっと膝の上で握りしめられていた。
「僕よりも好きになって、しまうかもって……思って」
シャルロッテは胸がいっぱいになって「クリス!」と叫び、小さなその頭を胸に抱き込む。柔らかな黒髪に顔をうずめ、健気な義弟に愛おしさいっぱいの頬ずりをした。
「クリスがいちばんすき!」
ずいぶんとつたない愛の言葉だが、クリストフの胸にはそれが響いたらしい。シャルロッテに抱き締められながら、くぐもった声で「……ほんとうですか?」と、クリストフ。
「ほんとよ! 何をしてくれても、お義父様はクリスに勝てないわ! 月とスッポンよ!」
「……すっぽん?」
「カメさんよ! そのくらい差があるってこと!」
「かめさん」
繰り返すだけのクリストフの、その珍しく幼なげな様子にふたたび胸を打たれたシャルロッテ。脳内では『かわいいー! かわいいー!』と叫んでいる、が。
(でも今はダメ! こんなにクリスが真剣なんだもの、私もちゃんと答えなくっちゃ!)
どうにか真剣な顔を作り、そっと胸元からクリストフを解放すると、落ち着いた声のトーンを意識してシャルロッテは口を開く。
「クリスが一緒じゃなくちゃ、どんなお願いだって楽しくないってことよ」
「でも……お父様ができること、僕にはできないですし。おねえさまだって、あんなに喜んでた……」
「『でも』も『だって』もないの! クリスが居なくちゃ始まらないんだから、さっきお義父様にしたお願いだって、クリスがいてこそのお願いなのよ」
上手く伝わらないもどかしさに、シャルロッテは必死に言葉を選ぶ。視線を合わせて、伝われと願いながら話を続けた。
「クリスにしかできないことは沢山あるわ。私、他の誰でもなく、クリスのおねえちゃんで良かったっていつも思ってるの」
「どうしてですか?」
コテン、と小首をかしげるクリストフ。
脳内では『かわいい』『やさしい』『かしこい』など、いくつもの理由が駆け巡る。しかしそのどれもが弱い気がして、シャルロッテは「だって、クリスは居てくれるだけで最高なのよ!」と、言葉にありったけの気持ちを込めた。
「そうなんですか……?」
「そうよ!」
「そうですか……」
どうやら納得したらしいクリストフが「わかりました」と言うや否や、シャルロッテはたまらなくなって、ふたたびクリストフを抱きしめた。
そして「私の弟が世界一可愛いわ~!」と叫ぶその声を聞いて、ハイジはドアの前でこらえきれずに爆笑していた。
今年もレンゲフェルト邸は、(シャルロッテの周りは)平和な時間が流れそうであった。
エマとシラーの若かりし頃の話が、くろふねpixivさんにてコミカライズされました。わーい。
その名も
【悪役令嬢は溺愛エンドを回避できません!アンソロジー】
pixivコミックさんにて、公開されてしばらくの間……なんと無料で読めます!
リンク等詳しくは活動報告にあげますので、ご興味ある方はぜひ。




