答え合わせ2
言ってから、まるで夢見事のような話を真剣に伝えているのが恥ずかしくなったのだろう。アンネリアは耳を赤くして口元を両手で押さえた。
「笑いません?」
「絶対に笑ったり致しません!」
再度真剣にシャルロッテが乞えば、幾分か羞恥の薄れたのだろう。アンネリアは躊躇いながらも詳細を教えてくれた。
「古代、人類が使えたという…いわゆる『魅了魔法』と呼ばれる魔法を、モモカ様が使用していたのでは、と。絵本によく出てくるヤツですわね」
「魅了魔法とは?」
ご存じありませんか?と、きょとんとした顔をしたアンネリア。この国の女児であれば幼少期によく読まれているらしい。
そんな、とある童話の内容は。
「王子様とお姫様の間を切り裂く、悪い魔女が使うのです。王子様が真実の愛で『魅了魔法』を打ち破り、末永く二人は幸せに暮らす話…最後に愛は勝つ、といった筋書きです」
「それって、キスで悪い魔法が解けたりします?」
「あら、やっぱりご存知じゃないですか。それですわ」
超古典的恋愛物語である。
どこの世界にも、似たような話があるらしい。前世でも聞いたような話に、心得たように頷くシャルロッテ。
アンネリアが「あまりにモモカ様に対して、その…惚れ込んでいらっしゃいましたから。悪い魔法にでもかかったのでは?と、思った生徒がいたようです」と、ウワサの起点であろうところを教えてくれた。
「マッコロ様もデルパン様も、昔から傲慢でしたけれど、あんなのではありませんでしたもの」
貴族というのは、幼少期から多少の交流があるものだ。アンネリアは昔からあの二人を知っているが、貴族としての全てを捨てるような阿呆ではなかった、と言った。
(まさか、本当に魔法が存在するの?…原作の、強制力とか?)
シャルロッテの背筋がぞわりと震える。
盲目なまでのマッコロとデルパンのモモカへの思慕、イーエスの狂気の宿ったあの瞳。確かに、尋常ではなかった。
怖くなって、この理論の穴を指摘する。
「で、でも!あれだけアピールしていたウルリヒ様とクリスにはまったく効かない魔法でしたね」
「魅了魔法というのは、好意を増幅するものだそうですわ」
「つまりは」
「元の好意がゼロだと、効かないそうです。クリストフ様もウルリヒ様も、モモカ様のことを初めからあまりお好きではないようでしたから」
モモカとのファーストコンタクトは入学式、シャルロッテ達も居合わせた、あの日あの時だ。
アンネリアを無視して男の手を取るモモカに、冷ややかな視線を送っていたウルリヒとクリストフ。確かに、好意の生まれるポイントがなかった。「たしかに」とこぼしたシャルロッテに、アンネリアは笑う。
『ちょっと可愛い平民を見たところで、シャルロッテ様の美貌が横に在るのよ?心揺れるわけがないわ!』と、胸の中で哀れなモモカを嘲笑する。しかしシャルロッテはきっと否定するので、口にはしないでおく。
「モモカ様は特別枠で学園へと編入してきましたわ。にもかかわらず、魔力量の多い者に発現する“天才性”が一切見当たりませんでした」
「ああ、クリスも小さい頃から頭が良かったですわね」
「そうです。私の弟もまだ八歳ですけれど、馬と並んで走ってますの」
「それは…凄いですわね」
人間技ではない。
アンネリアの弟も魔力量が多いとは聞いていたが、それ程とは。感心するシャルロッテだったが、アンネリアはため息を吐いて首を振る。
「弟ったら猪突猛進、すぐ泣くし怒るし暴れるしで、まったく誰に似たの分かりませんわ。いくら魔力が多くたって、ああも乱暴者ではお嫁さんが来るか心配です」
小さな頃のアンネリアを思い出し、思わず笑みが溢れるシャルロッテ。弟はどうやら、アンネリアによく似た子どもらしい。
「アンネリア様の弟君ですから、絶対大丈夫です!」
「だといいのですけれど」
きっと弟は素敵な成長をすることだろう。
しかしモモカという女は身体能力も平凡、顔は少々見られるが、頭はすこぶる悪かったようだ。特に何かの才能があるわけでもなし。ならば本当にその魔力は、太古と同じく『魔法』として発現していたのだろうか?
「まあそれで、この年で童話を信じるようでお恥ずかしいのですけれど、もしかしたら…と思ってしまったのです。笑わず聞いてくださって、ありがとうございます」
デルパンもマッコロもイーエスも、ありえないほど彼女に好意的だった。ただの惚れた男の奇行と思っていたが、『魅了魔法』といわれればしっくりくるほどに、彼らは全てを投げ出してモモカに傾倒していたのだ。
「まあ、いなくなってしまった人たちのことですから、確かめようもありませんわね」
肩をすくめたアンネリアは、シャルロッテの手を離してティーカップを持ち上げた。一口飲んで、菓子もぽいと口に放り込む。この話は終わり、とでも言うように。
(ヒロインは退場、攻略対象者二名ドロップアウト、クリスとウルリヒは参戦拒否…もう、ゲームとしては成り立たなそうね)
だがしかし、あと一名残っている。
今現在のわからない攻略対象。
「あの、モモカ様にやたらくっついていた先生は?」
「ああ。イーエス先生は学園に残っていらっしゃいますわ」
忘れていました、と言わんばかりに付け足される情報。
チャラ教師はいつも通りに学園で勤務をし、授業に穴をあけることなく日常を過ごしているらしい。モモカの退学についても、特に抵抗を示さなかったとのこと。
「ただ、専門分野の研究に専念したいとかで。もうすぐ退職すると聞いております」
「専門って、なんですか?」
「なんでしたかしら…ああ、確か電気がご専門ですわね。ともあれ、これで万事解決です。はやくイーエス先生にも出て行っていただきたいわ。顔を見るとイヤなこと思い出しますもの」
この世界での電気とは、すなわち魔力から生産されるものである。
唇をへの字に引き結ぶアンネリアは、イーエスのことも嫌いなようだ。生徒間の揉め事、すなわちモモカに一番迷惑をかけられたのはアンネリアと言っても過言ではないので、それも理解はできるが。
(ん?なんか、引っかかるような…)
シャルロッテは何かが脳内で引っ掛かり、小さく首をひねる。しかしそのカタチにならない靄は、アンネリアの次の言葉で霧散してしまう。
「それで、シャルロッテ様は成人後、クリストフ様と結婚するのかしら?」
「しないわよ!」と思わず叫んだシャルロッテに、びっくりした顔をするアンネリア。どうしてそうなるの、と詰め寄るが「みんなそう思ってますわよ」と、呆れたように返されてしまう。
やはり、一連の行動は良くなかったようだ。このままでは、クリストフに嫁が来ないかもしれない。そんな現実に頭をかかえるシャルロッテに、アンネリアは少し迷いを滲ませて聞いた。
「ねえ、シャルロッテ様」
「なんですか…」
「貴方はどうしたいの?」
「どうって…お義父様が、言う通りにするつもりよ」
「本当に、それでいいの?」
横に座るアンネリアの顔は、いつの間にか大人びている。
昔よく泣き噛みついてきた頃の面影は残しつつも、美しい女性になった。しかも外見だけではなく、学園でも人に頼られる、素晴らしい成長をしているのだ。
そんなことを思い出しながら、シャルロッテは首を横に振った。
「……わからない」
それなのに、自分だけまるで子どものまま。
あの頃から、まるで成長していないみたいで。
「おせっかいだったらごめんなさい」
「ううん、お願い。誰も言ってくれないの」
まるで置いてけぼりにされた子どものような、そんな顔をするシャルロッテ。アンネリアはほんの少し、この美しい友人を哀れに思う。
「シャルロッテ様はきちんと考えるべきだわ。貴方の人生、あなたの物なのだから」
胸を思わず押さえたシャルロッテの肩に、アンネリアの温かい手が添えられた。柔らかく、そっと、細い腕に包まれる。ふわふわとしたアンネリアの髪の毛が頬に触れ「もしもね」と、耳元で小さく声がした。
「誰かに、望まない選択肢を選ぶように言われたら。それを選ぶしかなくなったら。私が逃がして差し上げる。だからお願い、一人で苦しまないで。ぜったいに教えてね」
「約束よ」と、囁き離れて行った体温に、じわり涙が滲む。
現状に大きな不満はない。シラーやクリストフの示す方向に行くのは、ひどく楽だ。全て整えられている、安寧な道。
それでも。
シャルロッテは自分で考えて、自分で選びたい。
そんな風にも思ってしまう。
隠され守られ、温かい部屋に仕舞われるのが、貴族の子どもの役割だと思っていた。現代を生きた心が自由を求めても、この世界の決まりに従おうと決めていた。だけれども。
(私、自分で決めてもいいのかな…)
原作は崩壊した。クリストフも、もう学園での猟奇的殺人をする理由がない。ぐすんと鼻をすすって、シャルロッテは上目遣いにアンネリアを見た。
「あ、アンネリア様は、卒業後はどうされるの?」
「私は自分で選んだ人と結婚するわ。お父様にも宣言してますし、学生の内に見つからなければ留学するつもりでいますの」
「留学?!」
「西の国にでも行こうと思ってますわ」
どこまでも自立心旺盛な彼女が、眩しかった。
留学についても具体的に考えているようで、そのプランを聞くのはとても楽しい。そうこうしているうちに時間は過ぎ去って、クリストフが戻ってくる頃合いになってしまう。
「ありがとうございました。また来てくださいませ」
「もちろんよ。お手紙も書きますわ!」
「私も書くわ!……じゃあ、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
メイドが音もなくドアを閉めた。
部屋でアンネリアを見送ったシャルロッテは、己の背後に佇むリリーとローズへと振り返る。
「今日、アンネリア様と話した事だけれど…誰にも報告しないでくれると嬉しいわ」
二人の傍仕えは、そのシャルロッテの悲し気な微笑みに胸を痛めた。命令ではないのは、二人の立場を考えての事。優しき主人の『お願い』に、即座に頷いたのはリリーだった。
「分かりました。私からは何も報告いたしません」
ローズはそれにぐぬぬ、と言葉を詰まらせた後「何も言わなかったら、怪しいでしょっ!」と言って唇を噛む。体を右に左に捻って大げさな葛藤の後、メイド服をぎゅっと握りしめた。
「私からは『アンネリア様と遠乗りの計画をされていた』こと、報告させていただきます。それと、先日のお茶会のことを謝っていたと」
「それだけ?」
「他のお話なんて、されてましたかしら?」
すっとぼけた返事をするローズに、ぱぁっとシャルロッテの表情が明るくなる。
リリーとローズは覚悟を決めていた。もしもクビになったとしても、この閉じ込められた主人の心に少しばかりの自由を与えたい、と。
そんな二人に駆け寄って、抱き着いて。
「ありがとう、二人とも!」と、シャルロッテの笑顔が輝いた。アンネリアが来る前よりずっと、シャルロッテは楽に息ができる気がしていた。




