学園祭5
「大切なイベントは、どうして家族と過ごしてはいけないの?」
シャルロッテはモモカの瞳を見つめて、静かに問いかけた。
まさか聞き返されるとは思っていなかったモモカは少したじろいでしまうも、ふるふると頭を振ってシャルロッテの紫色の瞳を見つめ返す。
「そのっ…だって、学園で過ごせるのは今だけなんです!家族とはいつでも会えるじゃないですか。青春は貴重!そう、大切な時間なんです!それにホラ、あんまりべったり親兄弟に構われると…年頃の男の子はうざったく感じるとか言いますし!」
モモカの言い分をきちんと聞いてから、シャルロッテはクリストフにクイクイと指一本で顔を寄せるよう指示をした。クリストフの黒髪が頬に当たるほどに近づき、耳がシャルロッテの唇に触れるほどの位置に来る。
近すぎる二人の距離にモモカが「ちょっ…!」と声を上げるが気にしない。
少し落ち着いた声のトーンで、でも、周囲にはきちんと聞こえるように。
シャルロッテは微笑みをたたえてクリストフに問う。
「ねえクリス、大切な時間は誰と過ごしたい?」
「お姉さまです」
「今日来たの、うざい?」
「まさか!」
間髪を容れず答えるクリストフの耳に「いい子ね」という小さなシャルロッテのささやきが響く。その声にうっとりとする彼は、顔を上げるがモモカへと視線を向けることはない。それどころかシャルロッテを見つめて「お姉さま、早く行きましょう」と急かして手を差し出す。
困ったように笑いながら、シャルロッテはその手をとった。
「ごめんなさいね、モモカ様。クリスは家族で過ごしたいタイプみたい。他の人と思い出を作ってくれるかしら?」
「わ、私べつに…っ!レンゲフェルト君と過ごしたいわけじゃないです!」
すん、とシャルロッテの顔が思わず無表情になった。
それならば、絡んでこなければよろしい。
なのにも関わらず、執拗にこちらに突撃してくるのは何故なのか。やはり怪しい気がすると、シャルロッテは内心でモモカを直接問い詰めたくてたまらない衝動を抑えていた。モモカが転生者であるという決定的な証拠はないし、シャルロッテが直接確かめるわけにもいかないのだから。ここは我慢するべきだ。
じっとモモカを見つめて、考える。
(『あなたこの世界がゲームだと思ってます?』なんて、頭のおかしい人間の言うことだわ)
こんな観客の多い所で何かを言えるはずもない。
シャルロッテは諦めて、笑顔を浮かべてモモカに背を向けた。
「じゃあ、クリスは貰っていくわ」
踵を返すシャルロッテの動きで、ふわっと翻った薄紫のレースが浮いた瞬間に光を透かし、裾がまるで光ったように見えた。ドレスと、動くシャルロッテの美しさに見惚れたモモカは目をしぱしぱとさせてから「あっ」と声を出す。なぜなら、もうその時にはレンゲフェルト姉弟は隣の教室へと吸い込まれた後だったから。消えゆく二人の残滓に、見惚れていた悔しさでモモカは唇を噛んだ。
「もうっ!全然思い通りにならない…っ!」
モモカは「やばい、どうしよう、やばい」と、つぶやいた。先ほどまで周囲を取り囲んでいた観客も、もうただの群衆と化している。それをかき分け通り過ぎる展示室の奥の方、輝く白金のウルリヒの頭をちらりと見て。
モモカは焦りの滲む顔を歪めていた。
「どうしよう…」
◇
「ねえ、クリス」
シャルロッテが声をかけるも、ぽぅっと頬を赤く上気させた顔のクリストフは歩きながら夢見心地だ。彼の脳内では、先ほどシャルロッテがモモカから自分を庇ってくれていた事実『いい子』『クリスは貰っていくわ』といった発言が何度も繰り返されている。
「お義母様とお義父様には、今の事言わないでくれる?」
「……はい」
「ほんとっ?!ありがと、クリスっ!」
ぎゅっと腕に抱き着くシャルロッテに、クリストフが「はっ!」と意識を取り戻すが時すでに遅し。
「お姉さま、だめですよ言わないと」
「今いいって言ったもん!」
べっ!と小さく舌を出すシャルロッテにごくりとつばを飲み、視線を逸らすクリストフ。「あーもう…」と小さくつぶやく。赤い舌が目にこびりついて、これ以上何も言えそうになかったのだ。
「あ!お義母様達あそこだわ!」
そんなクリストフの様子はおかまいなしのシャルロッテは、するりと抱き着いていた腕から離れ、エマ達の座るテーブルへと行ってしまう。それを追いかけながら『これで言ったら「嘘つき!」とか言って責められるのだろうな』と考えるクリストフ。とりあえず今言わなくてもいいだろうと、彼も一時的に口を閉ざすことにした。
二人が近づけば、エマの顔がぱぁっと明るく笑顔になる。
「クリス!シャル!よかったわ、会えて」
「ようこそおいでくださいました」
「すごいわクリス!こんな素敵な学園祭を運営してるだなんて、さすがよ!」
手放しで褒めてくれるエマに、クリストフは「ありがとうございます」と頭を下げる。エマは横にいるシラーのことを軽く肘でつついた。『ほら、あなたも褒めて!』という妻のアイコンタクトを正確に理解したシラー。彼は一瞬のうちに脳内で何十通りもの褒め言葉を検索するも、どうにも息子への上手いこと言葉が見つからず、しばらく口ごもった後。
「なんだ、その…立派にやってるようだな」
ふ、とクリストフは頬を緩めてもう一度「ありがとうございます」と言った。頭を下げたクリストフの目には、とある光景が目に入る。エマの足下にはなぜか黒い布がぐしゃりと載っけられているのだ。
不思議と光沢を放つその黒い布は、近寄れば上質な布だと一目でわかる…というか、シラーのジャケットだろうとクリストフには察しがついた。
頭を上げて、エマに問いかけた。
「…足、どうかしたんですか?」
「やっぱり目立つ?ちょっと靴擦れしただけなの、靴を脱いでおけってシラーが…それで、貸してやるって上着をこんな風にしてくれて」
どうやら、エマはヒールを脱いでいて、その白い足の甲を隠すためにジャケットをかけているらしい。母親を溺愛する父親の行動はいつものことなので、クリストフは「なるほど」と納得の言葉を漏らす。
シラーが立ったままの息子と義娘に「座ったらどうだ」と声をかけてくれたので、二人そろって対面に腰を掛けた。
「エマを治療させたい。医務室はあるのか?」
「ありますよ、一階の校舎端です」
「そうか。エマ、少しの間だけ我慢できるか?抱き上げて移動したいところではあるが…」
エマは小さく悲鳴を上げて「やめてちょうだい!歩けるわ!」と主張した。
シラーも不満げだが、対面に座すシャルロッテも心配げに声を上げる。
「お義母様。今日は治療をしていただいたら、もう家に帰りましょうね」
「えっ!でも、馬術部の乗馬体験もしていないし…」
「考えてみたら私達ドレスですし、ちょっと向かないかなと思いまして」
「そうだけど…でも、まだクリスの展示も見てないわ」
「あれ、つまんないので見なくていいです」と横からクリスが合いの手を入れ、シラーもうんうんと頷いている。「でも、でも…」というエマだったが、治療をしたってヒールを履いて歩くのは痛みを伴うはずである。
「それに私、ちょっと疲れちゃいました」
甘えたようにシャルロッテが小首をかしげて言えば、エマは渋々納得してくれた。
嘘は言っていない。モモカと会話して物凄く疲れたシャルロッテは、正直もう帰りたかった。
『よくやった』と顔にでかでかと書いてある義父が「シャルロッテが疲れたなら仕方ない、すぐ帰ろう」などと言うので「アリガトウ、オトウサマ」と、心のこもらない返事を返しておいた。
立ち上がって喫茶室を出るタイミングで、クリストフの袖をちょいちょいと引いたシャルロッテ。
「クリスは、まだお仕事があるのよね?」
「そうですね。学園祭の片付けが終われば、一度屋敷に帰ろうと思っています」
「そう。無理しないで。変な人が寄ってきたら逃げてね」
言外にモモカのことを匂わすシャルロッテに、クリストフは先ほどの事件を思い出す。
「…僕、学園祭でお姉さまと過ごせてよかったです。来てくれてありがとうございました」
はにかむようなクリストフの微笑みに、シャルロッテの頬が熱を持つ。思わず裾を持っていた手をパッと離して、クリストフから距離をとった。
「どうかしましたか?」
「なっ、なんでもない!」
慌ててエマの横に並べば、シラーに抱き込まれるようにしてちょっと浮いている状態の彼女が何かを見て眉をひそめている。視線の先を辿ると…ウルリヒの手をつかもうと奮闘しているモモカの姿があった。
「お願いです、ちょっとでいいんですっ」「やっ!」「ちょっと待って!」と、モモカはピンク色の髪を振り乱してウルリヒの手を追っている。手の持ち主はちょっと意地の悪い顔で、ひょいひょいと手をあっちへやったりこっちへやったり、けだるげに猫じゃらしで遊ぶ人のようだ。
「なに?アレ…」
エマの不愉快そうな声を聞いた瞬間に、シラーがクリストフへと「行け」と命令した。
妻の目に不愉快な光景を映しておくのは、シラーの矜持が許さない。しかし、今彼は愛しい妻を支える役割で手が離せないのだ。
それら全てを瞬時に理解したクリストフ。
あっという間に二人の間に割って入り、ウルリヒと連れ立って展示室の中へと戻って行った。モモカのことはその場に放置である。それを見て尚、何か言いたげなエマであったが、シラーが小さく耳元で何かをささやくと「ああ、アレが…」と呟いて口を閉じた。
どうやら興味は失われたらしく、シャルロッテ達一行は治療後は学園を後にした。
家に帰ってから三人でクッキーやドーナツを食べたが、どれも素朴な甘さで美味しく、シャルロッテの疲れは癒された。




