*ごきげんようの、次の日に
「おや、レンゲフェルト君」
足下から冷えた空気のあがってくる渡り廊下。ひゅぅと吹く風と共に呼び止められたのは、偶然居合わせたからなのか、はたまた待ち伏せか。クリストフは毎日放課後には生徒会室へ向かうため、同じルートで校舎を移動している。行動を読まれていたとしても不思議はない。
二人の視線が絡まった。
クリストフの足が止まり、金色の髪をなびかせる教師と対峙をする。
「何か御用ですか」
教師のさらけ出された首筋から鎖骨、胸板が少し見えそうな襟ぐりの開いたシャツは上質な絹。下級貴族には身に着けられないだろう高価な品だ。首元のネックレスに光が反射して、クリストフの目を細めさせた。
シャルロッテも巻き込んでのひと悶着が昨日の今日だというのに、イーエスは軽やかに「こんにちは」と、悪びれるそぶりもなく近寄ってくる。
「昨日はレンゲフェルト君のお姉さんにも、お見苦しいところを見せちゃったなと思ってね」
「はい。教師としてどうかと思います」
「ははは、お恥ずかしい限りです」
決して友好的ではないクリストフの返しにも、穏やかな反応だ。
片目を隠すほどに長い前髪をかき上げ、少し照れたような顔を作ってみせるのも、顔が整っているから様になってはいるがどうも胡散臭い男だ。クリストフは警戒しながら繰り返す。
「何の御用ですか」
イーエスはまるでその言葉は違う言葉であったかのように、うんうんと頷いて「分かる、分かるよ」と、しみじみと同意をしてくる。頭のおかしい反応に、クリストフは完全に警戒を隠すことなく一歩後ずさるも、さらに笑顔で一歩近づいてくるイーエス。
「レンゲフェルト君は、お姉さんが大切なんだねぇ。私にも姉がいるんだよ、ああいや、だからというわけではないんだ。僕達の本質的な部分に関わる問題だけれどね…『君の気持ちも分かるよ』と、言いたくなってね」
「は?」
二ィッと細められたイーエスの目の奥は、けっして笑ってはいない。
彼が一歩また足を踏み出すと、ふわりと薔薇の香水が匂った。クリストフはその匂いに不愉快な何かを刺激されて、思わず飛びのくように距離を取る。
「ホラ、僕達よく似てるでしょう?」
もしかして、遠い親戚なのだろうか。
レンゲフェルトの縁者はかなり多い。遠い親戚筋まで含めば膨大であるし、貴族など辿り辿れば皆血がつながっているような社会である。近しい親族の集まりで見かけたこともないが、可能性としてはありえなくはない。
しかし黒髪ならまだしも、金髪のこの男にそう言われるのは違和感しかないのだが。
「似ていると思ったことはありません」
「またまたぁ」
軽い調子で言う彼は、やっとその足を止めてパタパタと手を振った。こてん、と傾げられた小首に、前髪が落ちて彼の顔を露わにする。左右対称の整った相貌の口元に、長い指を添えた。
まるで秘密の話をする少女のように、イーエスは甘い声で囁く。
「愛する人以外、ホントはどうでもいいんですよね?」
僅かに目を見開くクリストフ。その顔を見て「あはは、いいカオするねぇ!」と、男にしてはやけに色っぽい細い腰に両手をまわし、腹を抱えるようにして笑う。「分かる、分かるよぉ」と繰り返す声が廊下に響いた。
ひとしきり笑った彼は気が済んだのだろう。目じりの涙をぬぐってから、くるりとクリストフに背を向けた。そして一瞬振り返って捨て台詞のように、こう言った。
「好きな人には死ぬより執着しちゃうよね。だって、その人しか要らないんだからさ。だからさぁ、お互い邪魔しないで行こうよ、ね?」
そしてまるで何事もなかったかのように、イーエスは去っていく。
クリストフはしばらくその場に留まって考えをまとめていたが、とりあえず自宅に手紙を送りイーエスの身辺調査をすることに決めた。縁戚というのが分かれば探りやすい。
「あの顔どこかで…」
頭をひねるも回答は出ず、立ち尽くすクリストフは足下から冷えていった。
◇
「学園長にアポを取れ」
「私が話を聞いて参ります」
「任せたぞ」
公爵家でクリストフからの手紙を受け取ったシラーは、頭を垂れるグウェインに調査を任せた。以前からクリストフの周辺のゴタゴタについては報告を受けており、名前の出た人間の簡単な身辺調査はしていたが…教師がレンゲフェルト縁戚とは、報告には上がっていなかった。
「私も、イーエスという名に心当たりはない」
「私もでございます。似ているという言葉が、果たしてどのような意味か…」
二人してレンゲフェルトの血筋として生まれ、長らくそうして生きていたが、そのような名前の男は知らなかった。シラーは少し考えてから、グウェインからは言いにくいだろうと察してあることを口に出す。
「レンゲフェルト公爵家の血の性質についてを示している可能性もある」
「それは…」
「愛する者への異常な執着心、それらは古い貴族であれば周知の事実だ。かつての当主が奇行を繰り返しているおかげでな」
フン、と鼻を鳴らすシラー。しかしその声はどこか影を落としている。
本人も色濃く受け継いでいるものではあるが、決してそれを誇らしいとは微塵も思っていない。どちらかというと、よく言われる『呪い』という表現がよく似合うとシラーは感じていた。
「エマが愛を返してくれている私は幸せ者だ。それだけで世界は満ち足りるが…『もしも』を考えるとゾッとする」
顔を手で覆って、まるで乙女が虫を見たかのような顔をするシラー。青ざめる主人に温かい紅茶でも淹れようかとグウェインは思案しながら「今、お二人は仲睦まじくていらっしゃいます」と合いの手を入れた。
「僥倖だ。それだけで生きていける。エマがあのクソみたいな元婚約者と添い遂げるなんてことがもしも起きていたら…私は鬼にでも悪魔にでもなっただろうよ」
「そんなことは起こり得ませんでした」
「ああそうだとも。不幸な事故なんてすぐに起こせるからな。ちょっと死んで、その座を退いてもらうまでだった」
「今も生きてはいますが、実際奴隷落ちですしねぇ」
ボソッとグウェインの口にした事実は、エマの知らぬところで起こされた過去の惨劇の一部。かつてエマの婚約者だった男は、哀れシラーに追いやられてしまった。その男は同情の余地のないクズであったのだが、彼がいくら善良な人間であったとしても結末はそう変わらなかっただろう。
だって、シラーがエマを愛していたから。
他の誰かとエマが結ばれる未来など、ありはしなかったのだ。
「こうした愛し方は、一般的ではないだろう」
シラーはコツコツと机を指で叩き、苛立ったように早口になった。
「既婚者であれば相手を殺し、だれよりも傍に侍る。想い叶わぬ相手ならば閉じ込めるか、眺めるか、共に死ぬか…そんなレンゲフェルトの性質を示しているとしたら」
かつてシャルロッテに公爵夫人達の手記を読ませたのは、もちろん貴族社会の勉強をさせる意味合いだ。ただ、ほんの少しだけ、公爵家の血の性質についてを悟らせようという僅かながらの親心を込めてもいた。
「クリストフは…間違いなくレンゲフェルトの血が濃い」
「幼少の頃から、クリストフ様は聡明でいらっしゃいましたからねぇ」
今は失われてしまった魔法。かつてはそのために使われていた魔力は、人の脳を活性化させている。魔力の多い子どもは能力が高くなるというのは一般常識で、レンゲフェルトにおいては血の濃さを示す指標ともなっていた。
「そしてあいつは…シャルロッテを慕っているだろう」
「坊ちゃまのお気持ちがどのように変化するかは分かりませんが、お嬢様のことは大切に思われてます」
「おかげでエマとも安心して会わせることができて良い。あいつはシャルロッテの方が好きそうだからな」
「息子にまで嫉妬するのは流石に如何なものかと思います」
気安い二人のポンポンと交わされる会話。真顔で冗談ともつかぬ言葉を言うシラーに、ちょっと呆れたようでありながらも敬愛の念は崩れぬグウェインの温かな眼差し。しばらくグダグダと下らぬ話を続けた二人だが、シラーはふいに話を本筋に引き戻した。
「その教師とやらは、誰に執着しているのだろう」
「その平民であれば良いですが」
「そんな血筋は、レンゲフェルト以外に聞いたことはないがな…」
「まだ、純粋に親戚だという可能性もあります」
「どうだかな…ただ、厄介そうな気配がする」
コツ、コツ、コツと、シラーの机を叩く音だけが響いていた。




