Phase.9 希望へ羽ばたいて
まず、結果から言おう。
ビルは爆発しなかった。
「なんか両方とも、違うボタンでしたね…」
私とソフィアは、顔を見合わせた。あとで調べたらやっぱり片一方はウォシュレットで、もう片方がそれを停めるボタンだった。
「恥ずかしいな」
あれだけ言っておいて、私たちはそれぞれ違うボタンを押したのだ。しかし、それが功を奏した。二つのトイレボタンを押すと、隠し戸の扉が開き、その下にもう一個特別なボタンがあったのだった。
かくてエドヴァルドは、今や立派な国際政治犯である。
『ホーの夜党』を率いて内外でテロ活動していたのも、ライネス・ホーホロの供述からバレてしまったし、軍や警察を不正に操り、サウルの父親をはじめ無実の人に罪を着せていたのも続々明らかになっている。もはや総裁どころじゃない。生きているうちに裁判が終わるか、どうか。
「はは、よくやった後輩ども。今回は助かったわい」
じーさんは、のんきにシャンパンを飲んでいる。またヴェルデ親分にたかって手に入れて来たな。
「アーロン・アルファの撮影も元の通りですね」
映画を楽しみにしているクレアは、インスタをチェックしながらほくほくだ。
なんと今回のアーロン・アルファシリーズでシーンが足され、うちの事務所が撮影に使われることになったのである。
「スクワーロウくん、サウルは君に恩に着ておったぞ。スパイ顔負けの活躍じゃったなあ」
「私はベガスの探偵として、仕事をしただけですよ」
さすがに最後は盛り上がって変なテンションになり恥ずかしかったが、いつになくスケールの大きい事件を解決して、感無量ではある。
「さて、これでわしの本業にも、たっぷり印税が入ってくると言うわけじゃ」
「本業?」
と訝る私に、じーさんは一冊のハードカバーを手渡した。なんだこれは、アーロン・アルファシリーズの原作じゃないか。イーアン・フライミングのサインが入っている。
「あ、それわしのペンネームね」
「ええっ!じゃあ、じーさんがあのイーアン・フライミングか!?」
私は驚いて、声がかれた。今話最大の驚きである。私が長年愛し続けていたシリーズの原作が、まさかこんな道楽じーさんが書いてたとは。
「アルファはわしの自慢話じゃよ。現役やってると、告白本なんか書けんかったからな。フィクションてことにして、憂さを晴らしておったのよ」
エドヴァルドのスキャンダルは、そのとき発見されたものらしい。秘密を知られたエドヴァルドはサウルもろとも、アルファシリーズとじーさんを葬ろうとしたようだ。私の知らないとこでこのシリーズ、最大のピンチを迎えていたらしい。
「しかしエドヴァルドのスキャンダルも、面白かったぞい。あの音声データ、何が入っておったか、確認したか?」
「えっ、何が入ってたんですか?」
私とソフィアは知っている。が、ちょっと今は口にしたくない。クレアは興味津々である。
「…パーティジョークだよ」
私は渋々答えた。
中には、前代未聞、空前絶後のエドヴァルドによる最悪のパーティジョークネタが五分間も詰め込まれてたのだ。しかも恐ろしいまでのダダ滑り。まばらな拍手すら湧かないあまりのドン引きに、いたたまれなくなって私たちは最後まで聞いていられなかったのだ。
「あんなもののために、ビルに爆破装置か…」
一緒に吹っ飛ばされそうになった私たちは、それ以上の言葉もない。
「じゃが、プライドの高いエドヴァルドには致命傷じゃて。内輪でもみ消すつもりが、たまたま参加していたサウルの父親にこれを聞かれちまってたんじゃなあ」
すべては、エドヴァルドのジョークセンスがないために招かれた悲劇だったわけだ。
いやまじでもう、ええ加減にしてほしい。
かくてソフィア・クーラは、目覚ましい成果をもってトメテバ公国へ引き上げていった。
「トメテバは変わります」
と、ソフィアは誇らしげに私に言った。
空港のロビーにある大型テレビではすでにエドヴァルド拘束を受け、対立候補である白の党、イェレミアス・クーラによる緊急記者会見が行われている。
もはや現政権は、イェレミアス候補に政権を委譲することに同意したと言う。かくて、白の党から初の総裁が出たことになる。ソフィアの父、イェレミアスが語るトメテバの「これから」に注目だ。
「フクロウたちも、そうでない鳥の方たちも、そして鳥以外の方たちも!」
結束してトメテバを支えて行こうと言う、イェレミアスの言葉は、力強かった。
「エドヴァルドの件は、わたしたち『白の党』にも教訓として語り継ぎたいです。独裁的な力を持てば、誰でも豹変してしまう、そんな戒めとして」
去り際、自分の信念を語るソフィアは紛れもなく、大きな仕事を終えた一人のプロだった。
「そしてスクワーロウさん、あなたが教えてくれたことも忘れません」
感慨無量だった。ソフィアから差し出された手を、私は堅く握った。
「…最後はもう、ノリで行くしかないですよね」
「そこじゃないだろ。…いや、そうだったけども!」
大事なのは、どんなときも信念を貫くことだ。
「さて、今度こそ映画でも観てゆっくりしよう」
空港から帰る道すがら、私は言った。飛行機雲が消えて、もはやそこにあるのは、いつもの見慣れたリス・ベガスの昼下がりだ。
「もうスパイアクションは、お腹いっぱいですよね…?」
遠慮がちに言うクレアに、私は、優しく答えた。
「そんなことないさ」
フィクションは、別腹だ。いや、フィクションだからいいのだ。
やっぱり、スパイアクションは、フィクションがいい。
スクリーンの中にはいつも、私たちが愛したスパイがいるのだから。




