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認識対象  作者: 虹月映
第二章 伶奈
16/19

伶奈の結論(後)

 翌日、二人は正午過ぎに家を出た。目的地のない旅を終えるつもりはないらしい。


「それで、今日はこれからどこに行くの?」

「そんなの決まってるよ」


 そう言って前へ向き直った伶奈は「遠くへね」と呟いて歩き出した。手を引かれてついてくる未央には、その表情を窺い知ることはできない。

 電車に揺られ、暗転から目覚めた二人を迎えたのは森林だった。見慣れぬ自然の猛威に包まれている。


「未央はこの場所に覚えがある?」

「ないなあ。伶奈は?」

「あたしも。どこまでその記憶が正しいかもわからないけど」


 以前来た温泉宿の周囲にも似た風景が広がっていたが、ここはそれ以上に自然の姿が残されている。

 見渡す限りに大小様々な樹木が生い茂り、その中をくり抜いた空間に作られた単線型の駅舎に二人は立っていた。

 周囲を見回すが、遥か彼方へと伸びている線路以外、人の手が加えられた形跡は見当たらない。踏みならされた道のようなものはあるが、獣道と言っても差支えないほどに心細い。


「どうする、伶奈?」

「……行ってみよう。ここに来たってことは、きっと何か意味があるんだよ」

「そっか。なら、迷わないように気を付けないとね」


 手をしっかりと握り合い、二人は歩き出した。陽光もあまり差し込まない道の先は薄暗く、漂う冷気は一層厳しさを増す。冬の樹海は、剥き出しの牙を隠そうともしない。


「あたしね、電車に乗る時こんなこと考えてたの」


 足元に注意しながら、名もなき雑草を踏み締めて二人は進む。その道すがら、伶奈がそんなことを呟いた。


「どんな?」

「遠くに行きたいなあ、って。特にどこってわけじゃなくて、ただ遠くってことだけ考えてた」

「だからここに来たってこと?」

「多分。もし行き先を考えてなかったら、そのイメージに合うように、どこか適当な場所を探して目的地にしてるのかも」

「それって、頭の中を覗かれてるってこと、かな?」

「だろうね。なんか気持ち悪い」

「でも、もしそうだって言うなら、誰が覗いてるの?」

「それはわからないけど……」


 それ以上伶奈は言葉を続けられなかった。不定形の疑問はいくつもあるのだが、それらをどうやって未央に伝えれば良いのかがわからないようだ。


「あ、そこ足元気をつけて。木の根っこが飛び出してる」

「えっ? うわっ」


 忠告に救われて躓きはしなかったものの、踏み出した歩の行き場を見失って上体が大きくよろめく。


「伶奈、大丈夫?」


 揺らいだ体が未央に抱き止められる。自分をすっぽりと包んでしまう未央の腕が心強く、伶奈はその胸に顔を埋めた。浮かんでいた疑問は、その圧倒的な存在感を目にして引き潮のように消え去る。


「もう……伶奈ったら」


 唐突な甘えにもかかわらず、未央は寄せられる頭を撫でて受け入れた。生い茂る葉の隙間から差し込む光の筋が、二人の体を照らす。

 聞こえるのは時折吹く風と、互いの息遣い。そして、胸の奥から響く早鐘の音。

 伶奈の中で衝動が渦巻き始める。現状をすべて忘れ、このまま未央と消えてしまいたい。そうしたら、どれだけ素晴らしいことだろう。


 そこで気付く。ここへ来たのはそのためではないだろうかと。未央と共にあり続けるという願いを叶える答えを探すため、この辺鄙な場所へと導かれたのだろう。

 何度となく抱き合っているのに、今はどこか新鮮な気持ちを感じていた。余計な感情が混ざらない、澄みきった安心感が伶奈を満たす。


「未央……」


 くぐもったその声が聞こえたのか、再び頭が撫でられた。しばらくこのままでいたいと思ってしまうが、伶奈はあえて顔を上げる。


「未央、好きだよ」

「どうしたの、いきなり」

「言いたくなったから言っただけ」

「んー?」


 未央は何か言いたげであったが、伶奈は気付かない振りをして歩き出した。すぐに未央も我に返ったようで後を追ってくる。


 道は多少の蛇行をしているが、枝分かれすることはなかった。二人は一本道を迷うことなく進んでいる。どれだけの時間歩き続けたのか二人にはわからないが、木々に透ける太陽が赤く傾いてきたのは視線の端に捉えていた。

 そして、もう一つ。


「なんだろう、あれ」


 向かう先に、自然の姿ではない建造物が現れたのだった。

 見るからに冷たい金属で作られたそれは、近付いていくと鉄塔であることがわかった。長い年月風雨に晒されていたのだろう。所々に錆が目立っている。


「階段があるみたいだけど、危なくないよね?」

「えっ、伶奈、上る気なの?」

「だって、あそこから見たら景色キレイだよ。きっと」


 伶奈が指差す鉄塔の頂点は、地上からでも目視できた。それでも一般的な建物で言えば六階ほどの高さである。周囲の樹木に比べ、頭一つ分抜き出ている。


「ねえ、上ろうよ」


 伶奈は未央の腕を引く。未央は一瞬だけ視線を外したが、すぐ伶奈に従って踏み出した。

 冷たい階段に二人だけの足音が響く。塔の中心を貫くように伸びる階段は頼りない雰囲気を見せるが、設計は頑丈にできているようで妙な軋みなどはない。


「ついた! どこまでも木ばっかりだ」

「もう暗いから、ちょっと不気味だね」


 頂上は吹きさらしの回廊になっており、その一角には小さな物見部屋が設えられていた。寒さから逃れるように、二人はその中へと吸い寄せられる。

 内部は四畳程度の広さであるが、大部分が複雑な機器類で埋められているため、外観からの印象を裏切る狭さになっていた。これ幸いとばかりに、二人は室内で身を寄せ合う。


「この機械って、なんなんだろうね」


 言いながら伶奈は適当に操作をしてみるが、電気系統が通っていないのか全く反応がない。単純に錆付いているため動かない箇所もあった。


「電波塔とか、変電施設とか、そういうのじゃない?」


 何気なくといった風で答えた未央に、伶奈は首を傾げる。


「なら、なんでそういうのがあるのかな?」


 質問の意図を測りかねたのか、未央は何も返さない。


「つまりね、そういうのって与える側と受け取る側がいないと意味ないでしょ? 放送にしたって、電気にしたってそうだけど」

「ちょっと待って。伶奈の言ってることがよくわからないんだけど……」


 そう言った未央にとぼけている様子はない。ただ純粋に言葉の通り理解ができていないらしい。

 そこでようやく、伶奈は自身が抱える疑問の核とも呼べる部分を明かしていないことに気付いた。


「そっか……ごめん。大切なこと言ってなかった」


 未央の手を取り、その目と正面から向かい合う。言葉を続けようとするが、喉が詰まってうまく声が出せない。


「あの……えっと」


 伝えるべきことはたった一つなのに、それを言ってしまえば今までのすべてが消えてしまうような錯覚が心に満ちていく。

 伶奈はつい俯いてしまう。奮い立たせた勇気は姿を潜め、暗い気分に支配されていく感覚。自分ではどうすることもできず、未央に縋りつくことで精一杯だった。


「伶奈、また困った顔になってる」


 未央の腕が伶奈を抱いた。たったそれだけのことで喉の詰まりは消え失せ、代わりに顔を上げられなくなる。

 伶奈を胸に抱き、未央は根気よく待ち続けた。伶奈もそれを感じ取ったのか、頭の中で伝えるべきことを整理して構成する。


「──あのね、この世界にいるのは、あたしと未央の二人だけなんだよ」


 そして、ようやく核心を口にできた。


「うん……」


 未央にも思うところがあるのか、それだけ呟くと黙ってしまう。以前なら、世界に二人だけということなど当然の事実と一蹴していただろう。

 それがこの世界における、疑いようもない大前提のはずだから。


「だから、ここは変なんだよ」


 続けて告げられた言葉で、未央も伶奈の言いたいことを理解したらしい。


「そっか。私たちだけしかいないなら必要ないはずだもんね。そもそも、こんなのがここにあるってこと自体がおかしいんだ」

「そう。ここはあるはずのない場所」


 見渡す限りの機械たちは黒く静まり返ったまま、二人の前に横たわっている。それらが何に使われていたのかは知る術もない。


「だけど、あたしたちはあの家で普通に電気やガスを使ってた。それはどこから来てるのか、全然わからない。何もかも、変なことばかりだよ……」


 再び未央の体に身を寄せた。慣れ親しんだ安心感に包まれて、捨てたはずの柔らかな絶望が顔を出す。それは投げやりな気分にも似ており、それでいて軽い気持ちにもなれるものだった。

 すべてをなかったことにしてしまえば、それで何もかも楽になって終われる。


「そうだ、景色でも見に行かない? きっと夜空がキレイだよ」


 部屋を出た二人を迎えたのは、無数の星と唯一の月光だった。

 周囲は木々しかない殺風景だが、満天の夜空に彩られてある種の風情すら感じさせる。吐息が白く染まる中で、二人の姿だけが影となって浮かび上がっていた。


「ねえ、伶奈」

「なあに?」

「伶奈が遠くに行きたいって言った理由って……」


 言葉は途切れたが、その続きを伶奈は受け取ったようだ。


「うん。そうだよ。こんな意味分からなくて気持ち悪い世界にいたくないなーって思ったの。おかしいよね。逃げられるはずないのに」


 返事はない。未央は真意が読み取れない表情で、ぼんやりと遠くを眺めていた。その横顔に、伶奈は構わず続ける。


「未央はさ、変な記憶ってない?」

「……変な?」


 未央の視線だけが向けられる。細められたその目は、何かを考えているようでもある。


「初めてのはずなのに、前にもこんなことがあったはずだ、ってこと」

「それって、よくあることじゃない?」

「違うの。あたしたちの場合は、それが本当にあったことなんだよ」

「どういうこと?」

「あたしと未央は、前にもこんな話をしてたことがあるんだよ。うっすらだけど、思い出してきた」

「前、にも……」


 未央の目が開かれ、上方へと投げられる。


「覚えてない? あの時は未央が最初に気付いたんだよ。この世界がおかしいって」


 未央の視線が泳ぐ。そうすることで記憶の欠片を拾い集めているかのように。知らず開いていた口は、告げるべき言葉を探して形を変える。


「それで、今回みたいに色んな場所を巡ったんだよ。それで最後に未央は──」

「──二人だけの世界を、受け入れたんだっけ」


 ぽつり、と未央はそう呟いた。


「未央! 思い出したの?」

「なんとなく、だけどね。確か山奥の旅館にも行ったっけ」

「そうそう!」

「伶奈と一緒に、温泉にも入ったよね。洗いっこもしてさ、伶奈が真っ赤になってた」

「……思い出し過ぎ」


 伶奈が頬を膨らませて睨むと、未央は苦笑して言葉を止めた。


「でも、未央が思い出してくれてよかった」

「全部じゃないけどね。ただ、そんなこともあったかなーってくらいだし」

「それだけでもいいの。だって、この世界が変だって思ってるのがあたしだけじゃないってわかったから」


 未央の肩に頭を預ける。身を刺す寒さの中、ただ一つ頼れる温もりがそこにあった。


「でもね……やっぱり不安は消えないみたい」


 それなのに、伶奈の体は震えていた。


「伶奈?」

「あたし、もうどうしたらいいのかわからないんだ」

「なんで、そんなこと……」

「だってさ、考えてみなよ。なんで突然こんな考えが浮かんだわけ? 今まではそんなことなかったのにさ。未央だって前の時はそうだったんでしょ?」


 未央の言葉が詰まる。それを肯定と受け取って伶奈は続ける。


「こんなの変だよ。まるで、あたしが自分じゃないみたい。誰かに都合良く使われてるんじゃないかって思う」

「そんなわけ、ないよ……」

「未央も言ってて自信ないんでしょ? 声が小さくなってるよ」


 煽るような言葉を投げられても、未央は返さなかった。抑止力を失った伶奈の語気は、荒く早口になっていく。


「何をしても、結局最初に戻ってなかったことになるんだよ。大切なことは全部忘れて、同じことを繰り返すだけ。これが一番いいんだって強引に押し付けてくる。そんなの、どう考えたっておかしいよ」


 伶奈の腕が未央の体に絡み付く。決して離さないという強い意志が感じられるほどに固く、二人のどちらにも外すことはできないだろう。


「……伶奈は、どうしたいの?」

「わからない。だけど、何か一つ凄いことやってやりたいって気持ちはある。誰か操っている奴がいるのなら、そいつが面食らっちゃうくらいのことをさ」


 言いながら、伶奈は鉄柵の向こうを見下ろす。

 下に広がるのは深い闇。自分たちが今どれほど高い所にいるのかもわからない。ここまで歩いた時には、地面の土が多少ぬかるんでいた。


 もし、ここから落ちたらどうなるのだろう。


 死という概念は理解しているが、この世界ではどうなるか想像できない。通常なら絶対的な無として存在する死という概念も、伶奈には確かな事象として映らない。

 仮に死ねたとしても、やはり何事もなかったかのように同じ日々を繰り返しているかもしれない。この世界から抜け出せる保証など存在しない。


 伶奈にできることは、未央にしがみ付いて震え続けることだけ。


「こんな世界、もう嫌だな……」


 ふと、伶奈はそう呟いていた。その頼りない声は、自身を縛りつける鎖にしかならない。

 そのはずだった。


「私は、どこまでも伶奈と一緒だよ」


 ふと見上げれば、未央の慈しむような瞳と目が合った。射抜かれたように目線が外せなくなり、伶奈の瞼が細められていく。


「未央……」

「伶奈がどんな結論を出したって、私はそれについていく。やれることはなんでもする。伶奈が望むなら、この命だって預けるよ」


 破滅的な献身の言葉を告げる未央は、夜闇に似つかわしくない爽やかさで微笑んでいた。


「なんで、そんな」


 震える声に、未央は一言一句を読み聞かせるように答える。


「なんでって、伶奈のことが好きだからだよ」


 伶奈は息を飲んだ。肩が震え、視界が歪む。数秒忘れていた呼吸は、喜びと共に涙となって溢れ出た。


「もう、伶奈ったらすっかり泣き虫さんだね」


 伶奈は応じることができず、ただ首を振るだけだった。頬を伝う涙は顎へ達し、雫となって落下する。

 泣き顔を晒し続ける伶奈が鎮まるまで、未央は視線を外さずに待ち続けていた。

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