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認識対象  作者: 虹月映
第二章 伶奈
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伶奈の結論(中)

「電車、やっぱりすぐ来るんだね……」


 伶奈の呟き通り、二人がホームに着くと程なく電車が滑り込んできた。


「それがどうしたの?」

「ううん、なんでもない。ほら、乗ろうよ」


 線路と車輪が奏でる規則正しい振動に身を委ねていると、やはり二人に睡魔が忍び寄る。特に目立った抵抗もしないまま、意識は途切れた。


 一瞬で世界は切り替わる。

 行き届いた設備と広さを持つ高架駅。光る外壁だけを一見すれば、栄えた地域の動脈となる駅のように考えられるだろう。


 しかし、周囲に目をやるとその考えは一変する。このような形態の駅前に付き物であるロータリーがないのである。改札を出てすぐ目につくのは土手と高速道路。風景の一部となっているようなファーストフード店も見当たらない。あるのは住宅街ばかりである。


「なんだろう、ここ。未央わかる?」

「知らない。初めて来る場所だね」

「なんか、来たことあるような気がするんだけど……思い出せないし、気のせいかなあ」

「伶奈がそう言うなら、私も来たことあるはずだよね」

「とにかく歩いてみようよ。何かわかるかもしれない」


 未央の手を引き、伶奈は歩き出した。

 駅前に広がる中途半端な空き地を横目に、細い街路の中へと飛び込む。特に行く当てなどなかったのだが、伶奈の足は勝手に動いていた。

 まるで何度もこの道を歩いたことがあるかのように、その足取りには迷いがない。


 何分か歩いた二人は、至って平凡な一軒家の前に辿り着いていた。駐車場代わりに使えそうな小さい庭を備え、二階建ての外観は築数十年といった風情である。


「ここが、どうかしたの?」


 未央が訊ねるが、伶奈は答えない。無表情に、亀裂の走った壁を見つめている。その先に何か自分だけが見える映像を凝視しているようだ。


「伶奈……?」


 その声が合図となったのか、伶奈の目が徐々に大きく見開かれていった。しばらくそうして微動だにしなかったが、眉を震わせたかと思うと、逃げるように視線を逸らす。


「ごめん、行こう……」


 訝しがる未央の手を引き、伶奈は足早にその場を立ち去った。ここに至るまでとは違い、その足取りは不安定で目的を持っていない。闇雲に交差点を曲がっては路地裏を出入りする。

 やがて視界が開け、大きな道に出た。先程の外面だけ整備された駅舎から延びる線路が踏切となり、その道を横切っている。


 すぐ近くには歩道橋がある。そこから視線を移すと、少し先に大きなデパートが建っているのが見えた。どちらからともなく、二人の足はそこへ向かっていた。

 館内の一階に併設された喫茶店に入り、当然のように出現したコーヒーを飲みながら二人は向かい合う。


「──何も聞かないんだね」


 ぼそりと伶奈が呟いた。


「伶奈の考えがまとまるまで待とうかなって」

「未央は、あたしのことどう思ってるの?」

「どうって……大切だって思ってるよ」

「あたしのこと、受け入れてくれるよね?」

「当たり前じゃない」


 そう言って、未央は微笑んでくれる。いつだって伶奈が望むものをくれる。今の自分があげられるものは不確定な情報しかないが、もう一人で抱え込まないと決めていた。


「あのね、さっきの家だけど……あれも変だった」

「どこがおかしかったの?」

「ここは初めて来る場所のはずなのに、あの家は見覚えがあったの。間違いないよ。あたしは昔、あの家にいたことがある」

「だから伶奈の足には迷いがなかったんだね」


 あの古ぼけた家。初めて見るはずなのに、なぜか伶奈には懐かしく映っていた。そして、体がそこへと至る道を記憶していたかのように足が進んだ。

 脳裏に浮かび上がる、未央以外の人物との生活。それはどう考えてもありえないはずの光景。


 しかし、それらの情報を総合すれば一つの仮定的結論が導き出せる。伶奈もそこへ辿り着いていたようだ。


「きっと、あたしは何度もあの道を歩いていたんだよ。つまり、あの家は……あたしの実家、なんだと思う」

「……実家」


 繰り返す未央の言葉は、確認というよりも自己の中で意味を吟味しているような響きだった。過去の記憶がなければ、実家という言葉の意味を理解できなくても仕方ないことであろう。

 一方の伶奈は、それをきっかけにして様々な記憶が呼び起こされていた。未央と過ごし続けた永遠の、前段階となる消えたはずの過去。


「だんだん思い出してきた。この辺の景色だってあたしは覚えてる。だって、この町であたしは育ったんだから」


 伶奈の表情が変わる。見開かれた目は遠くへと向けられ、ある種の境地に達したように感じさせる。


「そうだ。なんでこんなに大切なこと忘れてたんだろう。ほら、未央は覚えてない? あたしたち、ここにある高校で出会ったんだよ?」


 伶奈の言葉は止まらない。未央の返事を待たずに続いていく。


「最初に話したきっかけは、席が隣だったからだよね。一人で化学の教科書を読んでたあたしに、未央が声をかけてくれたんだよ。『ねえ、理科が好きなの?』って……あたし、とっても嬉しかった。だって、それまでずっと一人だったから……」

「ちょっと待って!」


 遮るように飛び出した未央の叫びに、伶奈は体を強張らせた。途端に静まり返った空気が冷たく尖り、二人の体に突き刺さる。


「……私には、そんな記憶ないよ。なんなの、学校って」


 未央はどこか悲しげな、それでいて穏やかな表情を作っていた。


「ごめんね、大きな声出して。怒ってるわけじゃないの。ただ、伶奈がどんどん遠くに行っちゃいそうな気がして」


 伶奈は冷静さを欠いたことを悔やむ。未央と離れたくないと言っておきながら、置き去りにするなど言動不一致も甚だしい。


「ううん、あたしこそごめん。頭冷えたよ、ありがとう」


 向かい合う二人は微笑み、空気は穏やかさを取り戻す。話はそこで中断し、コーヒーを飲み干して駅へと向かうことにした。

 目指す先は、まだ見ぬ新天地。






 眠りから覚めると、再び見知らぬ景色が広がっていた。先ほどの町と似て非なる雰囲気に包まれている。例えるならば、それは下町情緒とでも言うべきか。


「ここは……」

「未央、心当たりあるの?」


 伶奈の問いかけには答えず、未央は電車から出て周囲に視線を巡らせていた。それは風景を確認するというよりも、ホームの内装を観察しているようだった。


 そのまま外へ向かって歩き出したので、伶奈も後に続いた。階段を下りるとすぐに改札があるという簡素な内装で、その先に見えるのは片側二車線の道路。向かいには住宅街が広がっている。

 車道を横切りながら未央に追いつき、その手を取ってついて行く。二人分の幅しかない歩道を進み、寂れた資材置き場のある角を曲がった。道の両端には周囲の風景に溶け込めない作業用の空間がある。今は使われていないそこは廃墟も同然の静けさで佇んでいた。


 それからすぐに、小学校の校舎が見えてきた。門は開放されており、自由に出入りができるらしい。見上げる先には体育館が待ち構えていた。ここからだと校舎は半分ほどしか確認できない。


「ここね、私が通ってた小学校なんだよ」

「えっ」


 初めて知る情報に、伶奈の目が驚きで見開かれる。


「未央も、昔の記憶が戻ったの?」

「うん。電車から降りたらビビッってきた。伶奈もこんな感じだったのかな」


 微笑む未央に、伶奈は心の中で頷いた。同時に、そんな記憶の奔流に負けない未央の強さを称賛する。そんな凛々しさも頼もしく、また愛おしい。


「ちょっと中を探検してみようか。何かわかるかもしれないし。私が案内するよ」


 校庭にはブランコや鉄棒、サッカーゴールなど一般的な設備が一通り置かれている。

 多少手狭にも思えるが、校舎の広さから考えれば妥当であろう。地域に根差した小規模な学校だったのだろうと推測できる。


「通ってる人もあまりいなくてね、六年間ずっと一組しかなかったの。たまに転校生が来たりすると、それはもう大騒ぎ。持ち上がりで代わり映えのしない顔触れだったからね」


 三階建ての校舎はL字型になっており、二階と三階の縦棒に相当する部分に学年用教室が集まっている。一階は玄関と職員室、そして保健室くらいが主な設備である。図書室や理科室などの特別教室は、すべて端の方へと追いやられている。


「私が卒業して四年くらいしてからかな。風の噂でここが廃校になるって聞いたんだ。その時は特に何も思わなかったけど、今になると少し寂しいな」


 未央の思い出話が終わる頃には、校内を巡り終えていた。足音が響くリノリウムの廊下から、石畳の通用口へ下りる。裏口に相当する部分のようで、数台の車が停まれそうな場所が確保されていた。

 手ごたえのない門を開け、学校の敷地から脱出する。未央は一度だけ左右を見回すと、迷いなく足を踏み出した。


「次に向かうのはね、私の実家だよ」

「そうなんだ」


 やはりそうか、と伶奈は思った。自分の深層を読み取った後は、未央にも同じことをしたらしい。学校という単語が何かを呼び起こしたのかもしれない。

 今まで知らなかった未央の一面を見ることができるのならば、と期待さえもしていた。


 しかし、今の状況は自分が心の奥底で願った結果だということには気付いていなかった。不可思議な現象を未央にも理解してほしいと、強く望んでいたのである。


「ここだよ」


 やがて未央が示したのは、伶奈の実家とは対称的な家屋だった。つい最近建てられたように頑丈な外壁には亀裂などない。

 見上げた先にある窓は光を反射し、広いベランダにはプランターがいくつも並んでいる。伶奈の実家と同じく二階建てではあるが、放つ雰囲気は明らかに異なっていた。


「わあ……未央の実家って、凄かったんだ」

「そんなことないって。お金持ちだったらこんな寂しい所に住んでないよ」


 言いながら未央は扉に手をかける。施錠という概念がないかのように、何一つ抵抗なくその家は二人を受け入れた。

 一歩踏み込んだ瞬間に、伶奈は不思議な感覚に陥った。それは未央も同じらしく、驚きに目を見開いている。


「これって……」

「ちょっと家の中を探索してみようか」


 念入りに調べるまでもなく、答えは見つかった。あっけなく突きつけられた奇妙な事実に首を傾げる。

 だが、そこは柔軟性の高い二人。勝手知ったるとばかりに内装を使いこなし、リビングのホットカーペットで暖まりながら話し始める。


「やっぱり、あたしたちの家とそっくりだよね」

「そっくりと言うより、そのものって感じじゃない? なんか、凄く落ち着くんだけど落ち着かない気分」


 今まで二人が永遠の住居としていたあの家と、未央の実家は内装が同じだったのだ。調度品の違いこそあるが、部屋割りから階段の段数に至るまで一致している。


「これも、なんか意味があるのかな?」

「うーん……偶然ではないってことは確かだろうけど」


 未央が考え込んで会話が止まる。不意に肌寒さを感じた伶奈は、そっと肩を寄せた。愛しい温もりに包まれたせいか、疲労と睡魔が顔を出し始める。


「ねえ、ちょっとここで休んでいかない?」


 伶奈の提案に、未央はしばし思案する。


「見た感じ、ここで生活できそうなくらいに物は揃ってるし、色々なこともあって疲れたから……それもいいかも」

「やった。なんか旅行みたいだね」

「ちょっと微妙な感じだけど」


 そんなことを言いながらも、未央はどこか乗り気である。冷蔵庫の中を覗き、何が作れるかを考えているようだ。予定調和と言うべきか、中にはそれなりの食材や調味料が揃っている。もちろん、ガスや水道などのライフラインも万全である。

 その背中に近付き、伶奈は音もなく抱き締めた。目前のうなじから放たれる、甘い酩酊を引き起こす香りを目一杯吸い込む。未央は慣れているのか驚いた様子もなく、ちらりと振り向いただけであった。


「どうしたの?」

「んー、なんとなく。ぎゅってしたくなったから」


 たったそれだけのやり取りで、未央の頬が緩む。振り返って頭を撫でられると、主導権は容易く未央へと移った。


「いつもの伶奈に戻ったね。甘えんぼさん」

「うん……未央、好き」


 二人はそのまま離れることなく、互いの温もりを分け合った。

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