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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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最終話:1cmの距離

加絵と隼人の二人に宥められ、何とか涙が止まり、その二人とも別れて由菜はまた歩き出した。

まだ少し汗ばむ陽気だが、吹く風が心なしか冷たい気がする。


あの事故からもう既に半年ほどの月日が流れた。


あの事故の原因は、目撃者の情報によると、猫が車道に飛び出し車に轢かれそうになったのを辰弥が助け、自分が犠牲になってしまったという事だ。

その時の猫は白猫だった。辰弥の日記から、みゅうが去年の秋に死んでしまった事を知った。辰弥と最後にデートした時の予感が、当たってしまったのだ。だから、その白猫がみゅうでないのは分かっている、ならばみゅうの子供だったのではないだろうか。ただの他猫の空似かもしれない、辰弥にはその猫がみゅうに見えたのかもしれない。


長い通路をいつもの様に歩き、あるドアを開けた。室内に入ると、窓際のベッドの横に腰かける。


「辰弥、今日も暑いね。気分はどう?」


由菜の視線の先には、辰弥が目を閉じて眠っている。あの日病院に運ばれた辰弥に外傷は殆どなかった。しかし、辰弥の意識が戻らぬまま今も病院のベッドで横たわっている。

今では外傷もすっかり治り奇麗な顔をしている。先生の「なるべく多く話しかけて下さい。彼が戻る手伝いになると思います」の言葉を受けて、由菜は暇さえあれば、ここに来て辰弥に話しかけている。

辰弥の病室は二人部屋だが、最近隣の患者が退院したので、ベッドは空いていた。

辰弥は眠り続けている。起きる見込みがあるのかも、いつ起きるのかも誰にも分らない。由菜はただ信じて待つだけ。辰弥が由菜にしてくれたように。

生きていてくれただけで感謝しなければならない。傍にいれるだけで幸せだとそう思っていた。でも、違う。由菜は隼人の言葉で、隼人のポンポンとしてくれた手の温もりで気付いたのだ。

笑顔を返してくれない、見つめてくれない、言葉を紡がない辰弥を見るのは苦しかった。


辰弥のあの手の温もりが欲しい……。

辰弥のあの声で私の耳元で私の名を呼んで欲しい……。

私の大好きなあの済んだ瞳で、私を見つめて欲しい……。

あの長い腕で、私をすっぽりと包んで欲しい……。

向日葵みたいな惜しげもない大きな笑顔を見せて欲しい……。

あの柔らかい唇で、由菜の唇を塞いで欲しい……。


これが、由菜の本音だ。みんなにはそれが分っていたのだ。だから、いつも由菜を見てあんなに悲しそうな表情を浮かべている。由菜の幸せは辰弥の傍にいる事。だけど、それだけじゃ足りない。

もっと辰弥を感じていたい。


「辰弥、今日も外は暑いよ。でも、少し風が涼しくなってきたかも知れない」


何の反応も示さない辰弥に語りかける。


「ジュディ、最近柏木君といい感じみたいなんだよ。早く付き合っちゃえばいいのにね。私の事ばっかり気にしてないで。そうだ、あの二人が付き合いだしたら、ダブルデートしようね」


ジュディのあの笑顔を思い出し、由菜は少し微笑んだ。


「そだ、今日辰弥の誕生日でしょ? 誕生日おめでとう。プレゼント持って来たんだよ。これね、腕時計なの。辰弥の体の中の時計も早く動き出せばいいのにな。それから、これ。クッキー焼いて来たんだよ。ケーキはさすがに持って来れないかなと思ってクッキーにした。辰弥が目覚めたら一緒に食べよ」


閉じたままの目、返ってくる事のない一方通行のキャッチボール。堪らずに涙が溢れ出て来た。


「私、我儘なのかな。足りないの。辰弥が……足りないの。傍にいるだけじゃ足りないの。感謝しなきゃいけないって分かってはいるんだよ。命が助かっただけでも感謝しなきゃ駄目だって。だけど、辰弥の声が聞きたいよ。笑顔が見たいよ。抱き締めて欲しいよ。辰弥の隣で、どんな他愛ない話だっていいおしゃべりがしたよ。ねぇ、辰弥キスしてよ。私の所に戻って来て、辰弥……お願い。……これは、罰なのかな。私がいつまでも辰弥に自分の気持ちを言わずに待たせた罰なのかな。辰弥……、好き。大好き。ずっと……ずっと言えなくてごめんね。待たせてごめんね。私、辰弥の為なら何だってするよ。だからお願い、戻って来て……」


涙が溢れ出て止まらなかった。辰弥は相変わらず眠り続けている。起きる気配は全くない。


私じゃ……、駄目なのかな。

私じゃ……、辰弥を引き戻す事は出来ないのかな。


「ごめんね、辰弥。泣いたりして。お花の水換えて来るね」


涙を拭うと立ち上がり、花瓶を手にし、辰弥を背に歩き始めた。


「ゆ……な」


空耳が聞こえたんだと思った。自分の思いが強すぎてそんな幻聴を聞いてしまったんだと。


「由……菜」


さっきよりも幾分はっきりとした声を耳にした。由菜はゆっくりと体を回転させ、ベッドの上の辰弥を見た。先程まで、頑固なまでに閉じていた辰弥の瞼が開かれていた。そして、こちらに顔を傾けて少し弱々しくはあるが、向日葵の様なあの笑顔を由菜に向けた。

するりと、由菜の手の中におさまっていた花瓶が落ちていく。ガシャンという音が着火剤になり、由菜の涙がまた溢れ出て来た。由菜は、辰弥の元に駆け寄り、大きな声を出して泣き叫んだ。

辰弥の顔をよく見たいのに、涙で霞んでよく見えない。


「見えないよぉ、辰弥の顔が全然見えないよ。ねぇ、嘘じゃないよね。私が泣きやんだら、辰弥また目を閉じてるってことないよね?」


辰弥の手が覚束ない動きでゆっくりと持ち上げられ、由菜の涙を拭っていく。


「辰弥…、好き……。大好き……。もう、離れたくない…。離れたくないよ……」


由菜は頬に添えられた辰弥の手を強く握りしめ、そう告げた。


「由…菜、俺…放さ…ないよ。もう…二度と。由菜…、おか…えり。そ…れから、ただ…い…ま」


辰弥の途切れ途切れに紡ぎ出されるかすれた声が静かに胸に沁み込んでくる。


ねぇ、辰弥……?

私達の1cmの距離はもうなくなったのかな?

これからは、ずっと一緒にいられるのかな?

繋いだ手の中にきっと幸せが一杯つまってるから、だからお願いこの手を放さないで…。

辰弥……、大好き。


嬉しい涙が、由菜の頬を僅かな線を描いて零れ落ちていく。


「由菜……、大好きだよ」





〜END〜


皆さんこんにちは。

今まで読んで頂いて有難うございました。

やっと最終話まで仕上げる事が出来ました。書き始めてから約4か月、試行錯誤でここまでやって来れました。

評価・感想等ございましたら、お願いします。

これから、『天使とラブソング…』の方をぼちぼち書いていこうかと思っています、宜しかったらそちらも読んでください。

有難うございました。

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