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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第87話:不吉な予感

明けましておめでとうございます。皆様今年もよろしくお願いします。

*** 一年後 ***


由菜はこの一年間、辰弥に連絡する事をなるべく避けてきた。日本が、そして辰弥が恋しくなってしまって勉強に身が入らなくなってしまうのが怖かったのだ。

この一年間に辛い事も山のようにあったが、それと同じ数だけの事を学び吸収してきた。

ジュディとは親友になれた。ジュディは、4月から辰弥の通う高校に編入する事が決まっており、由菜の家に居候する事になっている。柏木君の事が今でも好きらしいが、今回の日本への留学は、純粋に日本の文化に興味を持ち、学びたいと思ったからだと言っている。

今日、由菜は帰国する。

両親には何便に乗るのかは知らせてある。だが、辰弥には伝えそびれてしまった。

帰国したらすぐに辰弥に会いに行こうと決めている。由菜の気持ちはあの頃とまるで変わっていない、いやそれよりも遥かに大きく揺るぎないものへと変わっていた。

正直、会うのは怖かった。

今も変わらずあの笑顔を向けてくれるか、優しい言葉をかけてくれるか、あの澄んだ目で見つめてくれるか…。だが、いまここで逃げるわけにはいかない。

由菜とて、それだけの強さを身につけた筈だから。もう、逃げない。何からも……。


由菜が日本に降り立った時、懐かしくて涙が零れそうになった。

懐かしい両親に再会して思わず飛び付きそうになったが、さすがにそこは人の目が気になってやめにした。


「由菜、おかえり」


母は、優しくそう言った後、きょろきょろと辺りを見回している。


「どうかした?」


「辰弥君、来てないわね。あんた、辰弥君に帰国する事伝えてなかったでしょ? 私が教えたのよ、まったく。辰弥君迎えに来るって言ってたんだけど、おかしいわね」


痛いところを突かれてギクッとなったのと同時に、言い知れぬ不安もまた感じていた。


『由菜……』


その時、由菜の名を呼ぶ辰弥の声を聞いた気がした。そして、辰弥が由菜の誕生日プレゼントとしてくれたブレスレットが切れてその場に落ちた。由菜はそのブレスレットを拾おうと腰を屈めた。


『由菜……』


さっきよりも近くで、辰弥の切羽詰ったような声が聞こえた。


「辰弥? どこなの? 辰弥?」


由菜は辰弥の姿を必死に捜した。何度も右を、左を、後ろを、前を、また右をと幾ら首を動かしても幾ら目を凝らしても辰弥の姿を見ることはなかった。

大きな不安が由菜の肩に圧し掛かり、涙が溢れ出そうだった。涙が溢れると視界が悪くなり、急いで袖で拭い取り、辰弥を捜し続けた。


「由菜? どうしたの?」


母が娘の異様な様子に緊張した面持ちでそう聞いた。


「辰弥の声がしたの。それから、辰弥から貰ったブレスレットが突然切れて落ちたの。…辰弥に何かあったのかもしれない。お母さん、どうしよう……。辰弥に……、辰弥に何かあったら私……」


由菜は涙の歯止めがきかなくなり、子供のように泣きじゃくった。


「落ち着きなさい。今、姉さんに電話してみるから」


そう言って、母が携帯を取り出したとき、それを待っていたかのように着信音が鳴り響いた。


「もしもし?」


母の表情が難しいものになっている。その電話を出た時から、いや娘の様子がおかしいのを見たときからいい知らせでない事は分かっていたのだろう。


「姉さん? 辰弥君は? 今日、空港に由菜の出迎えに来るって言ってたんだけど、まだ来ないのよ。何か急用でも出来たのかしら? えっ? ……そう、うん。分かった。今からそっちに向かうわ」


母の硬い表情に不吉な予感を感じた。何も聞きたくない……。そう思っているのに、母の言葉は無遠慮に由菜の耳に入ってくる。


「由菜、落ち着いて聞いて欲しいの。辰弥君が、交通事故にあって救急車で運ばれたらしいの。すぐに向かいましょ」


その言葉に由菜の頭の中は真っ白になり、力無く足から崩れ落ち由菜は意識を失った。

意識の隅っこで、父と母が懸命に由菜の名を呼ぶのが聞こえた。



由菜が目を覚ました時、最初に目に入った天井は、由菜の部屋のものではなかった。不思議に思って見ていると、薬品のつんとした臭いが鼻についた。

ここは……病院?

そう思った時、遠慮がちにドアが開いた。


「由菜?」


由菜はがばっと起き上がり、辰弥の名を呼んだ。しかし、そこには辰弥の姿は無く、母と伯母さんがこちらを見下ろしていた。


「辰弥は……? ねぇ、辰弥は? 辰弥はどこなの?」


由菜は搾り出すようにそう尋ねた。母と伯母さんはひどく疲れた顔をしていた。そして、ひどく悲しい顔を。

由菜は一番考えたくない事態が起きたのだと悟った。それでも、それを信じる事は到底出来なかった。


「ねぇ、辰弥いるんでしょ? 何かの冗談だよね!」


由菜は二人に笑って見せた。嘘だよって笑って欲しかった。辰弥、元気ですぐ退院出来るよって言って欲しかった。それなのに、二人の表情がどんどん暗く硬いものになっていく。


やめてよ……、お母さんも、伯母さんも。冗談きついよ。

そんな顔、しないでよ。辰弥元気なんでしょ?

また、辰弥に会えるんでしょ?まだ、私辰弥に会ってないよ。

会って話したいこと沢山あるんだよ。会って伝えたい事沢山あるんだよ。

やっと、好きだって言えるんだよ。

どうして……? どうして、そんな顔してるの?

おかしいよ……。そんな筈ないもん。そんな筈……ない。


「由菜ちゃん、落ち着いて聞いてくれる? 辰弥は……」


「い……や、いや……、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


何も聞きたくない……。由菜は両手で耳を塞ぎ壊れたアラームのように泣き叫んだ。

フロア中に由菜の泣き声が響き渡っていた。悲痛な叫び声が、いつまでも止む事はなかった。


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