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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第85話:出発

それからの1週間は、特急のように目の前を通り過ぎていった。

辰弥は、学校に行き、由菜はその間留学の準備などに追われていた。その間に二度ほど加絵が手伝いという名の遊びに来てくれた。

加絵には、一生を通していつまでも友達でいて欲しいと思っていた。由菜は、アメリカでの住所等を教え、いつでも連絡して、遊びに来てくれたら案内もするよと伝えた。加絵は、いつも少しだけ涙を浮かべて微笑んでいた。

隼人は、第一志望の大学に合格した。二人は、やっとほっとする事が出来、今は色んな所に出かけたいのではないかと思うのだが、加絵は由菜を最優先にしてくれていた。

出発の日には、隼人と一緒に空港に見送りに行くと言った。由菜は、空港で涙を出してしまっては堪らないので、「悪いからいいよ」と言ったのだが、頑として聞かなかった。仕方なく、由菜はそれを承諾した。ただし、空港では泣かずにお別れしようと持ちかけ、加絵もそれに応じた。


出発前夜。

由菜は辰弥の部屋をノックした。

いつもの辰弥の声に一人感傷に浸っていると、辰弥がドアを開き由菜を招き入れた。

辰弥はすでに寝る準備にかかっていた。ドアの前でいつまでも動かない由菜を不思議に思ったのか辰弥が口を開いた。


「由菜? どうした? 眠れない?」


由菜は辰弥の顔を見据えると、恥かしさと戸惑いの混じった表情をしてこう言った。


「一緒に……寝てもいいかな?」


その言葉に辰弥は目を大きく見開き、口をあんぐりと開けていた。


「え……っと、あの違うの。一緒のベッドにじゃなくて、こっちに布団持って来るから」


由菜は自分が言った事が、とても大胆だった事に気付き、真っ赤な顔で慌ててそう付け加えた。


「由菜…、おいで……」


辰弥は自分の布団を軽く持ち上げ中に入るようにそくした。


「本当に、いいいい一緒のベッドじゃなくて……」


うまく言葉が出せずに困っていた由菜を、辰弥は余裕の笑みで窺っている。


「いいからおいで」


「あの…何もしない?」


「努力するよ」


相変わらず、由菜をからかう時のにやりとした顔でそう言った。


「努力するって、もしかしたら何かしてしまうかもって事だよね?」


由菜の問いに、辰弥は微笑んでいる。由菜は自分が試されているんだと気付いた。


「どうする?」


そう言って由菜を見つめる辰弥の真意を見抜こうと頑張るが、ふっと力を抜いて観念したように辰弥のベッドに潜り込んだ。


「辰弥は変な事絶対しないよ。信じてるから……」


辰弥が何かを言う前に、自ら予防線を引いた。

ベッドに入っても、恥かしさのあまり顔を合わせる事が出来ず、辰弥に背中を向けていた。背後で辰弥がくくっと笑っている。


「由菜、手を繋いで寝よう」


辰弥がそう言った。由菜は辰弥の方に体を向けた。辰弥は由菜を見て、とろけるような笑顔を作った。


「それなら怖くないでしょ? はい」


辰弥は、自分の手を由菜の前に出した。

由菜は布団の中から自らの手を出すと、辰弥の手をとった。二人見合せて微笑み合うと、繋いだ手と手を布団の中に隠した。


「「おやすみ」」


二人同時に言葉が重なり、顔を見合せて笑った。辰弥が、部屋の電気を消し、二人は沈黙に包まれた。

繋いだ手から伝わる温もりに安心し、由菜はすぐに眠りに落ちていった。夢のない深い眠りに……。


3月14日。

出発の日が、とうとう来てしまった。

朝から家の中は別れを前にして、ピリピリしたものを感じていた。由菜は、家の中をぐるりと見回った。由菜が18年間暮らした家には、思い出がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。二度と戻らないわけじゃない。たった1年家を空けるだけだ。それでも、ここに戻って来た時の由菜にはそれなりの変化があるだろうから、今の由菜がみるこの家とはまた違って見えるのかもしれない。だから、今の由菜が見るこの家を胸に焼き付けておきたいとそう思ったのだ。


昼少し前に由菜達は、車に乗り込んだ。

後部座席に辰弥と並んで座る。辰弥は少し緊張しているのか、朝から無口だった。気持ちのやり場に困っているのかもしれない。手を繋ぎたいが、運転している父に見られるのは、避けたかった。

空港に着くと、4人で軽く食事をとった。出発の時は、刻一刻と迫っていたが、皆いつもと同じように振舞おうとしているのが分った。

由菜は不思議な気分だった。緊張しているのか、悲しんでいるのか、希望に満ちているのか。それら全部なのだろうが、どんな表情をしていいのか、どの感情を優先して感じるべきなのかが分らなかった。

食事もあまり喉を通ってくれなかった。

食事を終え、レストランを出ると出発ロビーで暫く椅子に座って休んだ。


「ちょっと私達店でも見て来るわ」


そう言って、母は父の腕を強引に引っ張って行った。

辰弥と二人きりで話が出来るように気を利かしてくれたのだろう。母のわざとらしい演技に少し笑った。

気を利かして貰ったのはいいが、こんな時に限って話す事がみつからない。


「由菜。これ…」


そう言って、辰弥は可愛い小さな紙袋を差し出した。


「なあに?」


「ホワイトデーのお返し。後で、開けて」


「今開けちゃダメなの?」


そう聞くと、うんと頷いたので、分かったと言い、由菜はそれを大切そうに膝の上に置いた。由菜は、今日がホワイトデーだという事をすっかり忘れていた。嬉しいサプライズだった。

それから、二人は口を閉ざした。言いたい事も言わなければならない事も沢山あったはずなのに言葉が何一つ出て来なかった。


「由菜、俺待ってるから…。1年なんてあっという間だよ。俺達は離れただけじゃ終わらないよ。俺の気持ちは離れただけじゃ変わらない…」


「辰弥、ありがとう。好きになってくれて……私、1年後胸張って帰って来るからね」


辰弥は頷き、由菜を見つめると素早くキスをした。世界で一番短いキスを……。


12月27日〜翌年1月4日までお休みすると思います。

ひょっこり更新する事もあるかもしれませんが、基本はお休みです。

また来年お会いしましょう。

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