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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第84話:はじめて

「さ、ピアノ、ピアノ」


ご機嫌で、辰弥がピアノに向かう。遅れて由菜も辰弥の後をついて行く。胸のドキドキは、未だ収まらず自分ばかりがこんなに意識しているのかと思うと、恥ずかしく下を向いて俯いていた。

辰弥がピアノの蓋を開け、椅子に座ると由菜を由菜を見上げ、微笑んだ。


「何を弾きましょうか?」


由菜は、どんな曲を弾いてもらおうか、昨日一晩考えていた。


「辰弥、レ・フレール弾ける?」


「『On y va!(オニヴァ)』でしょ?」


由菜は、こくんと頷いた。


「俺一人だから、ちょっと物足んないかもしれないよ、いいの?」


由菜は、もう一度大きく頷いた。

レ・フレールとは、兄弟ピアノデュオで、一つのピアノで二人並んで演奏する、いわゆる連弾スタイルで演奏をする。二人はブギウギピアノをこよなく愛し、そのブギのリズムと彼ら特有の和の要素を兼ね備えた全く新しい独自の音楽を生み出している。弟が奏でるブギのリズムと兄の繊細なメロディが聞く人をいやがおうにも惹きつけてしまう。

由菜は、レ・フレールの音楽をたまたまテレビで見て、瞬く間に虜になってしまった。連弾のピアノは、由菜にはとても新鮮だった。ピアノというと、ソロや協奏曲などがCDで多く出ているが、連弾はあまり見かけない。

由菜は、テレビを見てすぐに彼らのCDを購入した。由菜は、毎日のように彼らの音楽に聴き入った。辰弥も彼らの音楽に惹きつけられ、由菜ほどではないが彼らの音楽にはまっていた。

そして、由菜がその中でも一番好きな曲が『On y va!』なのである。フランス語で「行こう!」という意味を持つその曲は、明るく、一度聞いたら耳に残る覚えやすいメロディと途中で入る手拍子、弾いている方も聞いている方も楽しい一曲だ。


辰弥は足でリズムを刻み始めた。

最初から最後までアップテンポの気持ちの良いリズム。勿論途中の手拍子は二人とも入れる。

自然と体が左右に揺れ、楽しい気分で踊りたくなってくる。3分くらいの短い曲のためすぐに終わってしまった。


「もう1回!」


由菜は、曲が終わるとすぐにそう言った。仕方ないなという顔で辰弥は、また初めから弾き始めた。

楽しかった。凄く。由菜は、辰弥の奏でるピアノがとても好きだった。辰弥のピアノには、辰弥の性格が鮮明に出ていた。優しく、力強く、時にやんちゃで、辰弥のピアノを聞けば辰弥がどんな人なのかが一発で分かってしまう。

『On y va!』は、あっという間に終わってしまった。由菜としては何回でも聞きたいところだが、他にも聞きたい曲があるので、仕方なく諦める事にした。

次に由菜がリクエストした曲は、ジョージ・ウィンストンの『Longing/Love(あこがれ/愛)』という曲。由菜が新星堂に立ち寄った時に店頭で偶然流れていた曲だ。「あ、これ知ってる。すごく綺麗な曲」そう思った。

この曲がいつ由菜の耳に届いたのかは分からない。CMか、それともドラマの挿入曲だったのか。

由菜は、そのCDを衝動買いした。そのCDも由菜は大好きでよく聴いていた。

辰弥は、だいたい聴いたことのある曲は、弾きこなせる。この曲も問題なく弾けるようだった。


辰弥の演奏に目を閉じた。先ほどの演奏とは正反対の優しく、切なげなメロディに心が共鳴したように震えている。

由菜は、そっと目を開け辰弥を眺めた。ピアノを弾く辰弥は綺麗だ。何か神のようなそんな光が放たれているような、浮世の者とは思えない。

曲は、静かにそしてゆっくりと終わった。

辰弥は弾き終わると、ゆっくりとこちらを見て、そして微笑む。由菜はその笑顔にしばし見惚れた。きっと間抜けな顔をしてしまっていたのだろう、辰弥がぷはっと笑った。


「由菜、なんか歌いたい曲ある?」


「うん、一青窈の『はじめて』がいいな」


この歌は、『行列ができる法律相談所』というテレビ番組で、皆で絵を描いて、それをオークションにかけ、得たお金でカンボジアに学校を設立しようという企画のテーマ曲として歌われていた。その企画に由菜は、とても感動した。

学校に行きたいと願うカンボジアの子供達の姿を見ると、日本がいかに恵まれ、そしてそれに気付かず、いかに我が儘にそして無駄に学校に行っているのかが分かる。純粋に学びたいと思っている姿に心打たれた。

そしてその子供達の前で歌う一青窈の美しい歌声は由菜の心を一瞬で捉えた。


由菜が何を歌いたがるのかを分かっていたとでも言いたげに、辰弥はピアノを奏で始める。

由菜は大きく息を吸って、歌い始めた。


〜〜♪〜〜


にじんだ道も僕の手を引いてゆく

君が思う「大丈夫」と一緒に

singin' singin' by the way

ずっと放さず 風を待って

蜃気楼抜け出した 青い二人

君の笑顔が嬉しくて僕は 何度もまた何度も

はじめてを覚えて 君とはしゃいだ ありがとう

最後に言えるのはそれだけで


ああ 君と握り締める想い出が特別ないちいちだよ 


君の笑顔が嬉しくて僕は 何度もまた何度も

はじめてを覚えて 君とはしゃいだ

ただ今日また君に会いに来た僕は 明日も明後日も

はじめてを覚えて 二人はしゃいだ

また会える 君と夢のしっぽつかまえて 卒業しよう


〜〜♪〜〜



辰弥のピアノに合わせて歌うのはとても楽しい。カラオケで歌うのとは全く違い、安心して歌う事ができる。心が一つになったように感じる。

由菜は、自分でも気付かないうちに涙が零れていた。

悲しくなんてない、心を動かされた。見えない、何かに…。この曲は、どこかしら自分の気持ちに似通った所があるような気がして……。

辰弥が最後の音を弾き終わると由菜を見た。涙を流す由菜を見て、驚いた顔をしてる。


「おいで」


由菜は涙を流したまま、磁石にひきつけられるように辰弥に近づいた。


「どうして泣いてるの?」


由菜は自分の感情を上手く口に出す事が出来ず、ただ首を横に振った。辰弥は、立ち上がり由菜を抱きしめ頭を撫でた。二人とも口を閉ざし、互いの温もりだけを感じていた。部屋の中には、僅かな秒針の音と由菜が鼻を啜る音、外ではパンザマストが鳴り、それに合わせて犬が吠えていた。


「帰ろうか?」


辰弥の声が耳元で聞こえ、由菜はこくんと頷いた。


作中に出てきた3曲は、全て私が大好きな曲です。

興味のある方は、是非聞いてみて下さい。

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