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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第76話:メール

「平日のこんな時間に買い物出来るなんて天国だよね」


加絵は嬉しそうにそう言うと、目の前にあった商品をひょいと取り上げ、じっくりと見ている。

今日は参考の為に、パレンタインのチョコレートを見に、デパートまで来ていた。平日午後のデパートは閑散としていて、照明だけがやけに明るく感じる。若い女の子がいない為か静かすぎる。いるのは、おばさんか、子供連れの若いお母さんなんかが殆んどだ。男の人の姿はまるっきり見えない。仕事をしているので、当り前と言ったら当り前なのだろうか。従業員も暇そうに、陳列された商品を揃えたり、並べたりしている。夕方や土日だと殺人的に込んでいるチョコレートのフロアも案外空いていた。


「これ、すんごい美味しそう。私が食べたいんですけど……」


先程持ち上げてじっくりと見ていたチョコレートを加絵はまだ物欲しそうに眺めていた。相当美味しそうに見えたようで、自分に買ってしまおうかと迷っているようだ。

加絵はチョコレートが大好きなのだ。加絵の家で飼っている犬にもチョコという名前がつけられているくらいだ。毛がチョコレート色だという事と加絵がチョコレートが大好きだという理由でつけられた。

もちろん命名は加絵がした。


「加絵はどんなの作るの?」


このままでは、手に持っているそのチョコレートを手にしたまま動きそうにないので、加絵に何とかこちらに気を引こうと話しかけた。


「う〜ん、まだ具体的には決めてない。本屋さん行ってみよっか」


「そだね。この時期そういうのたくさん売ってそうだもんね」


というわけで、本屋さんに行く事になり、加絵は手に持っていたチョコレートを泣く泣く戻し、二人は本屋さんへと向かった。本屋さんといってもこのデパートの中に入っているので、上の階に上がるだけだ。

本屋さんには、バレンタイン特集と銘打って手作りチョコのレシピ本が山の様に積んであった。

加絵と由菜はそれらの本を一つずつチェックしていき、納得した一冊をそれぞれ購入した。

その本を手に、二人は由菜の家に向かった。

昼間は辰弥が学校に行っているので、大っぴらにバレンタインの話をしていても、何の支障もないのだ。

辰弥が学校にいる間、辰弥は休み時間ごとに由菜にメールをする。例えばこんな感じ。


『由菜、大好きだよ(^_-)-☆ 早く由菜に会いたいよ〜』


嬉しいけれど、恥かしくて外では携帯開けない。誰かに見られたら恥ずかしすぎるのだ。でも、今日上のメールをしっかりと加絵に見られてしまった。そして、思いっきり冷やかされたのは言うまでもない。



家に着くと、母がソファでまったりとお茶を飲んでいた。

由菜と加絵もお茶に誘われ、一応上で飲むからいいと断りを入れたのだが、半ば強引に引っ張り込まれやむなくソファに腰をかける。

由菜と加絵が、手作りチョコの本を買って来たと知ると、母は待ってましたとばかりに目を輝かせ、自分もまぜて欲しいと言い出した。


「私もお父さんに何か作りたいじゃない。ふふふっ」


年甲斐もなく、娘と同じようにはしゃぐ母を見て、呆れた目線を投げかけたが、母がそんなものに動じるわけもなかった。


「なあにその目は? 何か文句でも? 私はね、お父さん大好きなんだから、チョコあげたっていいじゃない。ねぇ、加絵ちゃん?」


加絵は、突然そう投げかけられたが、驚く事も無く、そうですよねと、笑顔で返していた。由菜は、正直娘の友達の前で「お父さん大好き」などと惚気るのはやめて頂きたいと思うのだが、どうせああだこうだと適当にかわされるだけだと考えると、もうどうでもいい事のように思えてくる。

加絵は、惚気ている母を見て、ニコニコしながら、問いかけた。


「おばさんは、どんなの作ります?」


そして、自分の買って来たレシピ本を母の前で広げて見せた。


「そうねぇ。お父さんって案外甘いものイケる口なのよね、チョコレートケーキとか……トリュフも良いわね」


由菜を置き去りにして話は進められていこうとしている。加絵も楽しそうに本の写真を見ては、これも美味しそうですよねと、話している。


「作る時は、うちで作りましょうよ」と、母がそう提案する。


「いいんですか? うち、あんまりお菓子作りの道具とかなくて。そうさせて貰えると凄く助かります」


加絵もその提案に乗っかった。由菜を相変わらずの置き去りで、チョコレートはうちで作るという事に決まった。


「そう、加絵ちゃんの彼は甘いのが苦手なのね。これなんかいいんじゃない?」


母が本の中の一つの写真を指さすと、加絵も身を乗り出して覗き込む。


「あぁ、いいですね。沢山作って皆で食べたいですよね」


嬉しそうな加絵がそう言うと、母も嬉しそうにそうねぇと、言った。

加絵は、とても礼儀正しく、人当たりも良いので、母は加絵をとても気に入っている。加絵が遊びに来ると、今日の様に由菜そっちのけで、二人で話し始めるのは、よくある事だった。

何回か試作してみようという話も持ち上がり、ぽんぽんぽんと色んな事が二人によって決められた。由菜はもう二人で好きに決めてと投げやりな気持ちで見ていた。

ある程度の話が決まると、由菜は加絵を連れて部屋にいった。


辰弥は学校が終わると急いで帰ってくる。

今日も、下で辰弥の「ただいま」という声が聞こえ、階段を上がってくる音が聞こえて来たと思ったら、ノックをする事も忘れドアを勢い良く開け、「由菜、ただいま」と大きな声を出した。

由菜は、自宅学習に入ってから毎日こんな感じなので慣れてしまったが、加絵は流石にびっくりしている。


「あ、加絵さん、すいません驚かせて。こんにちは」


辰弥も加絵がいるとは思ってもみなかったので、動揺して焦ってそう言った。その姿がなんだかぎこちなかった為、由菜と加絵は顔を見合せて笑った。

辰弥は、着替えて来ますと、言って隣の部屋に入って行った。またこっちに来るんでしょ?と、加絵はくすくす笑って言った。


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