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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第72話:本音

由菜は辰弥の部屋にいた。今日の朝までは、割と大丈夫だったが、火葬場から帰って来てからまた苦しそうに顔を歪めていた。


「辰弥?疲れた?」


由菜がそう問うと、辰弥は由菜の顔を見る事もなくこう言った。


「うん、正直今日はしんどかった。ばあちゃんの骨を壷に入れる時が一番辛かった……。あぁこんなに小さくなっちゃったんだ…もう会えないだなって思ったらたまらなくなった」


辰弥は苦しそうに拳を強く握りしめ、う〜っと苦しそうに呻いた。


「私ずっといるから。辰弥の傍にいるから……。お祖母さんの代わりにはなれないかもだけど……」


「……」


辰弥の俯いて下を向いている口から何かが発せられたが由菜には聞き取れず、え?と、聞き返した。


「嘘吐くなよ……、由菜は留学するんだろ?俺の傍になんかずっといれるわけないじゃんか!それとも、俺が傍にいてくれって言ったら、留学やめて俺のとこにいてくれんのかよ!!出来もしないのに……、嘘吐くな!!!」


辰弥が由菜を睨みつけた。その瞳は真っ赤に充血していた。由菜はそんな辰弥に何も返す言葉が見つけられず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

辰弥は、ぱっと由菜から目を反らすと、その場を後にした。いつもよりも乱暴な足音は、部屋を出て風呂場に消えたようだ。

由菜は一人部屋に取り残され、ずるずると座り込んだ。足に力が入らず、立っている事が出来なかったのだ。辰弥の声が頭の中でぐわんぐわんと何度も繰り返し響いていた。

由菜には、辰弥が「遠くに行かないで、俺の傍にいて」と言っているんだと思った。あれが、辰弥の本音……。普段なら行っておいで、俺ならいくらでも待っているからとそう言ってくれる。だが、精神的に弱りきっている辰弥から絞り出された本音。

由菜は、辰弥のその言葉に甘えきっていた。辰弥なら待ってくれる、留学する事を快く見送ってくれる。それは由菜の都合のいい解釈に過ぎなかったのだ。由菜がもし辰弥の立場だったなら、やはり行って欲しくないと思うだろう。なんて身勝手な要求を押し付けて来たのだろう。


私はこのまま弱った辰弥を置いて行っていいのだろうか……。

辰弥は私がいなくなったら、どうなるんだろう。どう感じるんだろう。

私に捨てられたの思うのだろうか……。

私は留学してもいいんだろうか……。私はどうすればいい……?


由菜は、自分が何を第一に考えなければならないのか頭が混乱して分からなくなってきていた。

頭の中で繰り返される辰弥の言葉を聞きながら、その答えを模索していた。

いつまでもいつまでも同じ事を考えていた、由菜はぼ〜っとしていた。その為、辰弥が風呂から出て、部屋に戻って来た事に全然気付いていなかった。


「由菜」


辰弥の声が突然聞こえて、由菜はびくっと肩を強張らせた。


「ごめん、由菜。さっきの全部忘れて。あんなひどい事言うつもりじゃなかったんだ」


由菜は辰弥が俯いてしょぼくれた顔をしているのを見た。自分が言ってしまった事に自分自身一番傷付いてしまっているようだ。


「分かってる…、大丈夫分かってるから。辰弥……自分を責めないで……」


そう言って、由菜は辰弥を安心させる為に優しく微笑んだ。辰弥は、その笑顔に応えるように弱々しい笑顔を由菜に向けた。



由菜の両親は、翌日に東京へと戻って行った。

父の仕事は、既に始まっており早々に戻らなければならなかったのだ。

辰弥は、初七日の納骨を見届けてから戻る事になり、辰弥の希望で由菜もそれにつきあう形となった。

辰弥の父も仕事が抜け出せぬ為、翌日に戻った。伯母さんは、この後の事務的な手続きやら何やらで、当分は東京には戻って来れそうにない。

そして、由菜と辰弥は初七日を無事に終え、慣れ親しんだ我が家へ帰って来たのである。


朝。

しんみりと沁みるように寒い空気が体を包んでいた。土の所には霜柱がはっていた。吐く息は白く、頬が冷たくて赤くなっているだろう。寒くて時折鼻を啜らなければ鼻水が垂れて来そうだ。

由菜は、久しぶりに教室に足を踏み入れた。加絵と隼人がもう既に登校しており、由菜に気付くとさわやかな笑顔で迎えてくれた。


「由菜〜、久しぶり。大丈夫?大変だったね。何なら私の胸を貸したげるからいつでもどうぞ」


「え?いいの?」そう言って隼人をみると、


「俺に聞くなっ!!!」


と怒鳴られてしまった。しかし、隼人はらしくもなく頬を赤らめていた。それを見て、由菜と加絵が目を見合せて笑いだした。笑いで誤魔化してはいるが、実は加絵も顔が赤いのを由菜は知っている。それは、敢えて言わない事にしよう。笑いが一段落ついたところで、加絵が再び口を開いた。


「辰弥君の様子はどうなの?」


「こっち来てからは大分笑うようになったけど、何か無理してる感じ」


「仕方ないよね。大好きなお祖母ちゃんを亡くしたばかりなんだもんね」


「辰弥が無理してるのはお祖母さんの事だけじゃないかも……」


由菜が言いづらそうにそう言うと、深い溜息をついた。とそこに担任の先生が来たので、話は一先ず中断となった。



あの日、辰弥が本音をこぼしてから、辰弥は由菜に心配をかけまいと無理に明るく振る舞っているのがよく分かった。それは、ああ言ってしまった手前、由菜が留学を止めると言い出さないように、自分が大丈夫な所を見せる為にやっている事なんじゃないかと由菜は考えていた。由菜がいなくてもやっていけるよ、心配せずに留学しておいでと言っているように……。

由菜は正直迷っていた。

このまま留学していいのだろうかと。辰弥は、自分の為に由菜が留学を止めたと決めたらそれを良しとはしないだろう。だが、こんな気持ちのままで、留学したところで、由菜ははたしてきちんと勉強が出来るのだろうか。辰弥が気になって、勉強が手につかなくなってしまうのではないか。そんなんで良いのだろうか。留学なら今すぐじゃなくても、時期をずらす事は可能ではないか。

自分の為にも、辰弥の為にも留学を今するべきなのかずっと考えていた。


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