第71話:夫婦
出来あがったお粥を持って行くと、辰弥はお祖母さんの顔を悲しそうに見ていた。
「辰弥」由菜が名前を呼ぶとお祖母さんの顔から目を離さず、こう言った。
「奇麗な顔してるよな。幸せそうだよ」
由菜は辰弥の隣に座って、お祖母さんの顔を覗き込んだ。確かにお祖母さんの顔は穏やかな微笑みを湛えていた。
「本当に奇麗……お祖母さんね、家に戻ってくる前の日に、私に言ったの。『死は怖くないんだよ。やっとじいさんに会える。きっと首を長くして私の事をまってるんだ。この世を去るのはちょっと寂しいけど、でも私はじいさんにずっとずっと会いたかったんだよ。だから、幸せなんだ』って」
「俺にはそんな事、一言も……」
「照れ臭かったんじゃないかな。会って間もない私だから気兼ねなくそう言えたんだと思うよ」
辰弥は、少し考え込むように難しい顔して、お祖母さんの顔を見ていた。
「そっか、幸せか」うんと、由菜は頷き辰弥に視線を向けた。
「本当に幸せなんだな……。じいちゃんが大好きだったんだな……」
「『愛していたよ。今も愛してる』ってそう言ってたよ。凄いよね、ずっとお互いに愛し合ってたんだろうなって思った。素敵だよね、お祖父さんもお祖母さんも」
「俺物心ついた頃にはもうじいちゃんいなかったけど、母さんが言ってたよ。あの二人は本当に仲の良い夫婦だったって」
辰弥はしんみりとそう言った。口元には少しの微笑みを浮かべ、愛おしそうにお祖母さんを見ていた。
「私ね、お祖母さんが亡くなる前に日の夜、厳密にはもう日付変わってたから亡くなった日なんだけど、夢にお祖母さんが出て来たんだ。『元気になったんだよ』って言うから喜んだのに、その後お別れの挨拶みたいな事を言うから、行かないでって言いたいのに声が全然出ないし、追いかけたくても足が動かないの。その間にもお祖母さんはどんどん遠ざかって行って、その先にはお祖父さんがいて、二人とも凄く嬉しそうだった。結局、二人で遠くの光の中に消えちゃったんだけどね。お祖母さんね、辰弥をよろしくねって言ってたんだよ」
辰弥は目に涙を溜めてお祖母さんを見つめている。だが、口元に浮かんでいた微笑みはそのまま健在だった。
「ばあちゃん、死ぬ前に俺の心配なんかしてたのか」
呟いて苦笑を浮かべた。
「あっ、辰弥。お粥冷めちゃったよ」
由菜が隣に置いていたお粥がすっかり冷めて、汁気がなくなっているのを見て、そう言った。
「平気だよ。ばあちゃんがあの世で心配するから食わないとな。折角じいちゃんと再開出来たのに安心してられないもんな」
辰弥はお祖母さんの顔をもう一度見て、薄く笑った。
「悲しいのを無理に押し込めなくてもいいと思うよ。お祖母さんだってあんまり悲しんでくれないのも何か気分悪いと思うし。でも、ご飯はちゃんと食べて。それから睡眠は十分に摂って。眠れなかったら私ついてるから、ね?」
分かったと、辰弥は頷き辰弥はお粥に手を付けた。由菜は隣でゆっくりとお粥を口にする辰弥を見ていた。美味しいと、たまに由菜にそう言って話しかける。辰弥はたっぷりと時間をかけてお粥を奇麗にたいらげた。良かったと、由菜はほっと胸を撫で下ろし微笑んだ。
「悲しみは直ぐには消えないけど、でも由菜の笑顔に救われる。いつも由菜には笑っていて欲しい」
由菜は辰弥の目を見つめ、強い気持ちを持って頷いた。
その日、告別式が執り行われ、沢山の人が訪れた。由菜が知っている人は一人もいない。辰弥は小さい頃に可愛がって貰った近所の人を多少知っているくらいだ。
親戚の人も由菜にとっては知らない人に過ぎない。といっても、お祖母さんの親戚は極めて少なく、殆どが他界しているか、遠くに住んでいる為面識がない人の方が多い。
喪主である伯父さんはひっきりなしに挨拶を交わしている。伯母さんもその後に挨拶を返していた。泣く事はないが、近所の方の優しい言葉に涙を堪えている時もあった。
辰弥は、その隣で凛とした姿勢を保ち、大人な対応をしていた。
告別式が終わり、棺が霊柩車に運び込まれ、大勢の人々にお祖母さんは見送られていた。
近しい親族だけが、車に乗り込み火葬場へと移動する。
由菜と辰弥は、外でお祖母さんの体が燃やされ、生じた煙を見ていた。この煙が天国へと繋がっているのだろうか。いや、お祖母さんはまだ天国には行かずに、お祖父さんと一緒にその辺で我々の様子を見ているような気がしてならない。由菜には霊感が全くないので定かではないが。
火葬されたお祖母さんのお骨は、伯父さん、伯母さん、辰弥によって骨壷に納められた。そして、悲壮感の漂う中骨壷を持って家に戻って来た。
家に戻ると家の中はがらんとしていた。
近所の方々が後片付けをしてくれたお陰で家の中は、すっかり元通りになっている。昨日からいろんな人が出入りしていたので、急に寂しくなってしまった気がする。
「今日は祖母さんの事を思い出して酒でも飲むか」
伯父さんがそう言って辰弥の両親とうちの両親は時にしんみりと、時に笑いながら酒を飲み始めた。




