第69話:一輪の桜
「伯母さん?大丈夫ですか?」
居間に戻ると伯母さんが炬燵の上に突っ伏していた。むくりと頭を上げ、こちらを見る。
伯母さんは泣いていたようで、顔がぐしゃぐしゃになっていた。それでも大人としての振る舞いだろうか、由菜に軽く微笑んで見せた。
「大丈夫…ではないか。色んな事思い出しちゃってね」
そう言ったそばから涙がボロボロと零れ落ちていた。由菜はどうしたらいいのか分らずあたふたしてしまった。
「ごめんね。でも、今は泣かせてね」
はいと、由菜は言って黙って伯母さんの隣に座った。
伯母さんのお茶が冷めていたので、新しく淹れなおし自分にも用意した。お茶を飲んで一息つき、相変わらず泣いている伯母さんの泣き声を聞きながら、何にもしてあげる事が出来ない自分を呪った。
「由菜ちゃん、少し昔話聞いてくれる?誰かに話したいの」
「はい、私で良ければいくらでも聞きます」
伯母さんはティッシュで涙を拭き、ついでに鼻をかんでからお茶でのどを潤し話し始めた。
「私ね、最初はお義母さんの事が苦手だったの。あんな感じの人でしょ?私も言いたい事言っちゃうタイプだから摩擦が酷くてね。嫁姑争い? 私達の場合ははっきり意見を言い合うから陰険さはなくて、だから主人もお義父さんもあんまり深く考えてなくってまた始まったかなんて思ってたみたい。今みたいに関係が変わったのはね、お義父さんが亡くなった時なの。お義母さん私の前で大泣きしたわ。溜まっていた物を全て吐き出すみたいに。あんな気丈な人がまるで赤ん坊が癇癪起こしたみたいに泣くのよ。驚いたけど、お義母さんがお義父さんを本当に愛していたって近くで見ていていつも感じていたから、ずっと抱きしめて、背中を摩っていたの。それから何かお互いに妙な絆みたいのが生まれちゃってね。同じ悲しみを共有した同志みたいな。良き理解者みたいな関係になれたの」
辰弥が産まれる前までは伯父さんも伯母さんもここで一緒に暮らしていたらしい。辰弥が産まれて間もなく、伯父さんの転勤で今の家に越して来たそうだ。
伯母さんは、懐かしそうに昔の話をし続けた。
今の由菜に出来る事はただひたすら聞き役に回る事。そう由菜は思った。
明日になれば伯父さんが来る、うちの母も来る。そうすれば伯母さんの心も少しは癒えるんじゃないだろうか。
4日に通夜が、その翌日に告別式が執り行われる事になった。
お祖母さんが亡くなった翌日、伯父さんもうちの両親も次々に到着した。
その日は朝から冷え込みが強く、予報では午後から鹿児島でも雪になるでしょうと言っていた。どんよりとした厚い雲が空一面を覆いつくしていた。寒さの為もあってか、外を歩く人は殆ど見受けられない。
午後くらいになると、近所の方々が通夜の準備の為に駆けつけてくれた。葬儀場ではなく、この家で全て執り行う事になっている。これは、お祖父さんの時もそうだったようで、お祖母さんのたっての希望だった。
近所のおばさん達が台所で料理を作っている。その他のおばさん達は葬儀を行う場所を確保するため、部屋を片付けたり、足の低いテーブルを用意したりと忙しく立ち働いている。その輪の中にうちの母も加わっていた。
「私も何か手伝おうか?」
そう母に聞いたが、「あんたは辰弥君と一緒に待っててくれればいいから」と、忙しいのかさらっとそう言ってそそくさと台所に消えて行った。
由菜のうんという返事も恐らく母は、聞こえなかったんじゃないかと思われる。
由菜は辰弥の部屋をノックしたが、辰弥の返事はなかった。寝ているのかなっと思い部屋を覗き込むと辰弥の姿はどこにもなかった。辰弥がいた気配がないので、長いことこの部屋にいなかったのではないだろうか。
由菜は心配になり急いで家中を探した。トイレにも洗面所にも台所にも居間にも廊下にも玄関にもどこにもいなかった。家の中をいくら捜しても辰弥の姿を見つける事は出来なかった。
由菜は徐々に焦りを感じ始めた。家の中にいないのならば、外に出たのだろうか。由菜はこの辺の地理には全く詳しくない。伯母さんに辰弥の行きそうな場所を聞いてみようかと思ったが、今は余計な心配を増やしたくなかった。
由菜は誰にも見つからないように(といっても皆忙しいので他人に構っている暇はないのである)こっそり玄関から外に出た。
外は、由菜が思っていた以上に寒かった。北風が強く、太陽が出ていない為どんよりと薄暗かった。
辰弥がどこかで事故にあったり、苦しさから自ら命をたったりと嫌な想像が由菜を取り巻いていた。
絶対にない…。辰弥が私を置いて死ぬわけがない……。辰弥……どこにいるの?
玄関を出て、左に歩を進める。
何の気なしにお祖母さんの家の庭を眺めると辰弥が庭でしゃがんでいるのが見えた。
由菜は腰が抜けるかと思うくらいにほっとした。力が抜けそうだった。こんな所にいたなんて、そういえば庭は見ていなかった。ふぅっと一息ついて来た道をもどり、玄関横から庭に入って行った。
「辰弥?捜しちゃったよ。ずっとここにいたの?」
由菜がそう聞くと、「由菜、うん。……ごめん」と答えた。
辰弥はここで何をしていたのだろうか。辰弥はそこから一歩も動こうとはしなかった。
由菜は辰弥の横にちょこんとしゃがみ込み、辰弥の視線の先を目で追った。
辰弥がしゃがんでいたのは桜の木の下だった。その根元には、この季節では考えられない事ではあるが、桜の花が一輪だけ咲いていた。
「冬なのに……」
「この桜はばあちゃんが俺が産まれた日に植えてくれたものなんだ。こんな時期にたった一つだけ咲くなんてな。ばあちゃんが咲かせたのかな」
「うん、そうだよ」
由菜と辰弥はそのたった一輪だけ花を咲かせた桜をいつまでも眺めていた。
すると、桜の花びらに白い物がふんわりと舞い降りた。由菜は、空を仰ぎ見た。どんよりとした重い雲から、一つ一つと小さな綿の様な白い雪が舞い降りて来ていた。
「……雪」
由菜は手を受け皿にして雪を受け止めたが、雪が手に落ちたと同時にあっという間に溶けてしまった。
辰弥も空を見上げ、手の平を空に向けた。落ちて来る雪をただ受け止め、溶けて行く様を見ていた。辰弥の表情からは何を考えているのか窺い知る事は出来なかった。
暗いですね。お話がとってもどんよりしています。




