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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第67話:初夢

翌日、大晦日。

お祖母さんは何のトラブルもなく無事に家に戻ってくることが出来た。

お祖母さんは口こそ達者だが、体は確実に弱っている。まともに歩く事が出来ないので車椅子を使用した。

お祖母さんは、家に着くと真っ先に仏壇のお祖父さんにお線香をあげ何やらぶつぶつと呟いていた。お祖父さんと話をしていたのかもしれない。

仏壇のある部屋に布団を敷きお祖母さんは横たわった。片時もお祖父さんから離れたくないようで、横になった後も仏壇のお祖父さんの写真を一生懸命に見ていた。


「もうじいさんが迎えに来てるんだよ、そろそろ私も死に時だね」


その言葉を聞いた辰弥は何とも言いようのない酷く悲しい表情を浮かべていた。

お祖母さんは最近ではまともに食事を口に運ぶ事も出来ない。2、3口お粥を口にしただけで、早々に横になってしまった。


由菜、辰弥、伯母さんの三人は、居間で炬燵に入り、のんびりとしていた。

仏壇のある部屋は、居間の隣にあり襖一枚でしきられているだけなので、三人はあまり騒がないように気を付けながら紅白歌合戦を見ながら食事をした。

普段の由菜なら、知っている曲になれば家族の迷惑を完全に無視し、大音声で歌いだすのだが、隣にお祖母さんが寝ているとなればどうしても大人しくなってしまう。

お祖母さんは、「テレビや声を普通に出して構わないよ。私は隣に誰かいると思うと安心するからね」と言ってはいたが、病気で寝ている人が隣にいるので、大音量の音痴な歌は聞きたくないだろうと思う。

紅白歌合戦を見ながら、ミカンの皮をむき、由菜はぼんやり去年の今頃は何をしていただろうかと考えていた。

確か、大晦日に加絵と一緒に除夜の鐘をつきに行ったんじゃなかっただろうか。あの頃は、まだ辰弥は中学生で、辰弥の家庭教師をしていた。辰弥は事あるごとに由菜に好きだって言ってきて(これは今も変わらないが)、あの頃はこの子は何を言ってるんだろうって思ってたかな。かなり警戒してたような気がする。もしかしたら、あの位から辰弥の事を憎からず思っていたけど、留学とかを考えて自分の気持ちに気付かないふりをしていた頃かな。とにかく、今の様に親密な関係ではなかったと思う。もう、辰弥が来てから一年以上たってるんだ……。


11時くらいになった頃、三人は年越し蕎麦を食べた。

蕎麦の上に天麩羅をドンと大きいのを一つ乗せた見るからに美味しそうなお蕎麦だ。伯母さんは本当はかき揚げを自分で揚げたかったようだが、お祖母さんの引っ越しなんかで疲れてしまって作る気力がなくなってしまったと諦めたようだ。

天麩羅はスーパーで買ってきた出来合いの物だったが、今年最後に食べる蕎麦はなかなかの美味だった。

何処からか微かに除夜の鐘が聞こえてくる。ボーンボーンというその音を聞くとああ今年も終わるんだなって言う感傷にも似た感情が湧いてくるから不思議だ。なんともあの鐘の音は情緒がある。

お祖母さんも寝ながらこの音を聞いているのだろうか。

由菜は明日になったら、家に電話をして両親に新年の挨拶をしようと考えていた。

娘のいない正月を迎えた我が両親は、その事をいたく残念がっていたので、電話をすると長電話になってしまうかもしれない。

実は、由菜はこちらから両親に年賀状を出していた。長年同じ家に住んでいると両親に年賀状を出すなんて事は有り得なかったが、こうして離れた所にいるのだから、折角なので送ってみたのだ。


ふと気付けばテレビではカウントダウンが始まっていた。


『皆さん、残りあと僅かで新年を迎えようとしております。それでは、皆さん宜しいですか。15秒前……10、9、8、7、6、5、4、3、2、1。皆様、新年明けましておめでとうございます!!!』


テレビの興奮気味のリポーターがカウントダウンをし、とうとう新年を迎えた。テレビの中では、騒ぐ若者の映像が映し出されている。


「「「明けましておめでとうございます」」」


三人が口を揃えて新年の挨拶をした。お祖母さんを気遣って声を潜めて。隣の部屋を覗いてみたが、お祖母さんは穏やかな顔で目を瞑って、寝ているようだった。

穏やかな寝顔を見て、三人はそっと襖を閉めた。

由菜も何だか眠くなって来てしまったので、もう部屋に戻る事にした。伯母さんは、お祖母さんの事が心配なので、今日は居間で寝るらしい。辰弥と伯母さんにおやすみなさいと、言い居間を出た。

初夢はどんな夢を見るだろうか。そんな事を考えながら、由菜はゆっくりと眠りの世界に引き込まれていった。



「お祖母さん、元気になったんですか?」


「家に戻ってきたら、元気になっちゃったんだよ。ほらこの通り、すごいだろう」


そこにいたお祖母さんは、元気に自分の足で立っている。ほら見てごらんと、足をジタバタとさせている。

良かった〜、お祖母さん、元気になったんだ。そう由菜は思った。


「由菜さん。私はね今とっても幸せなんだよ。最後にあんたと会えたのも嬉しかったよ。私との約束忘れないどくれよ。辰弥をよろしくね」


え?お祖母さん?どうしてお別れみたいな事言うの?だって、元気になったんでしょ?そう口に出したいのに由菜は言葉が喋れないのか口からは何の音も漏れなかった。

どうしよう。お祖母さんが行っちゃう。止めなきゃ。そう思っているのに、中々声は出て来てくれない。

お祖母さんは、由菜に背中を向けてどんどん遠くへ行ってしまう。お祖母さんの行く先にはお祖父さんが手を振って待っている。

お願い、お祖母さん。まだ、まだ行かないで!!!言葉が出せないので、心の中で由菜はそう叫んでいた。

お祖母さんとお祖父さんは、二人手を繋いで遠くへ遠くへと行ってしまった。もう追いつけない。走り出したいのに足がコンクリートになってしまったように固く動かない。

言葉を紡ぐ事も出来ない。お祖母さんが行ってしまうのに、何も出来ない自分に腹立ちを覚える。悔しくて、悲しくて由菜の瞳から大量の涙が噴水のように湧き出ていた。

お祖父さんとお祖母さんは、米粒の様になり、一点の光の中に吸い込まれるようにして消えた。お祖父さんとお祖母さんが消えた途端に、その一点の光も消え、辺りは真っ暗になった。

 

「いやだ、いやだ……、嫌だよ。いやぁーーー!!!」


やっと呪縛から覚めたように声が出た。暗闇の中で一人佇み、大きな声を上げ叫ぶように泣いた……。



がばっと起き上がると、そこは鹿児島のお祖母さんの家だった。

由菜の頬にはいく筋もの涙と涙の跡が残っていた。


夢だった……。

本当に……夢?


由菜は、急いで着替えて、走って居間に向かった。


「伯母さん!!!」


「あら、おはよう」


伯母さんは、台所でお雑煮の汁を作っていたようで、包丁で人参と大根を刻んでいる。伯母さんは勢いよく走り込んで来た由菜を不思議そうに見ていた。伯母さんの右手には包丁が握られており、それを持ち上げていたので若干怖い。


「お祖母さんは?」


「お義母さん?まだ、寝てるんじゃないかしら?」


伯母さんは、由菜の迫力に少々気圧されていたが、何とかそう答えた。由菜の迫力があまりに鬼気迫るものがあったので、伯母さんもお祖母さんの事が心配になったようで、表情が段々強張って来た。

その由菜の大きな声を聞いて、辰弥ものっそりと起きて来た。

由菜と伯母さんの表情がどこかおかしい事に気づき、辰弥ははっとなって襖の向こうを見た。

伯母さんが、包丁を置き、エプロンを外し、居間を通って隣の部屋の襖を開けた。

一見、お祖母さんの表情は穏やかで、まるで寝ているかのように見えた。だが、何となくいつもと違う気がした。それは、辰弥も伯母さんも同じように感じたようだ。

伯母さんが、お祖母さんの枕元に近づきながら、名前を呼んだ。


「お義母さん、お義母さん。朝ですよ。そろそろ起きて下さい。お義母さん……お義母さん!!!」


お祖母さんは、一向に起きる気配はなかった。


「ばあちゃん?冗談きついよ。起きてるんだろ?目、開けてくれよ。なぁ、ばあちゃん……」


辰弥は、呟くようにお祖母さんに話し続けた。

しかし、お祖母さんが目を開く事は…、口を開く事は……二度となかった。


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