第66話:年上キラー
開け放たれた病室のドアから辰弥が姿を現した。
辰弥は下の階にある休憩所で飲み物を買いに行っていたのだ。
「遅かったね」
由菜がそう言うと辰弥は由菜の顔をニタニタしながら覗き込み。
「心配した?」
「別に……してないけどぉ、遅いなって思っただけ」
由菜も辰弥がニタニタするから意地悪してそう言った。辰弥は少し不貞腐れた顔をした。
「なんだ。つまんないの」
「だって、下の階に行っただけでしょ?心配しないよ」
由菜は辰弥の態度と言葉に少々苦笑を浮かべた。
「病院内でナンパされたら〜とか考えない?」
「されたの?」
由菜が少し眉間に皺を寄せて聞いた。それは、聞き捨てならない状態である。病院内でナンパするなんて不届き者がいたのだろうか。
「う〜ん、ナンパというかおばさま方に捕まって放して貰えなかった」
それを聞いたと同時に由菜はお祖母さんと顔を見合せて笑った。
「辰弥、あんた年上キラーだったのかい」
「そんなんじゃないよ。ていうかばあちゃん何でキラーとか言う言葉知ってんだよ」
「ふははは、それ位知ってて当たり前だろうが、婆さんなめんなよ」
お祖母さんが愉快そうにそう言った。
「そういえば、看護婦さんもお孫さん恰好良いですねとか言ってたわ。モテモテだわな、辰弥」
お祖母さんはそう言って我慢しきれなくなったのか腹を抱えて笑いだした。
何故お祖母さんがこんなに笑っているのかと言うと、お祖母さんの担当の看護婦さんも大分年配の方だからだ。因みに恰幅が良く丸くて優しいイメージの看護婦さんだ。でも、怒ると怖い。
由菜もお祖母さんにつられて笑いが込み上げて来て、笑い出したら最後止められなくなってしまった。
ここ最近こんなに笑った事はないって位、他の患者さんの迷惑になるって分かっていてもどうにも止める事が出来なかった。これは、お祖母さんも同じ状態で、辰弥を見ては笑い、由菜が笑っているのを見ては笑いしていた。
最初は、自分が馬鹿にされていると脹れていた辰弥までもがその笑いの中に加わり、あっという間に笑いの大合唱へと発展していってしまった。
お腹が痛く、涙が目尻にたまるほど笑っていると、例の看護婦さんが現れ厳重注意を受けた。が、それさえも可笑しくて更に笑いが止まらなくなった。看護婦さんは、自分が笑われたものと思ったのか、むっとしてその場を去っていった。
ようやく笑いもおさまり落ち着いた頃になって伯母さんが戻って来た。
先生に呼ばれて席を外していたのだ。
「看護婦さん何か怒ってたみたいだけど、何かあったの?」
「「「何でもない、何でもない」」」
三人が一度に同じ事をいうものだから、一瞬伯母さんはびっくりしていたが、まあいいわとすぐに違う話題をふった。
「お義母さん、お正月に家に戻っても良いそうですよ」
お祖母さんは、ずっと家に帰る事を切望していて、先生に直談判していたのだ。
「最後にもう一度じいさんの仏壇にお線香あげたい」そう言って、主治医の先生にずっとお願いしていた。
今家に帰るのは非常に危険なのは百も承知で、残り僅かな余生をお祖父さんの仏壇の近くで過ごしたいというお祖母さんの想いの強さに最初反対していた伯母さんも心を打たれ、先生の説得に加わった。
そして、今日漸く許可が下りたのだ。
「ただし、三が日まで。4日には必ず病院に戻る事が条件ですって。それから、外出も禁止」
「初詣も行けないのかい?ケチだねぇ」
「お義母さん、帰れるだけいいと思って下さい」
分かってるけどさと、お祖母さんは不服そうに答えたが、その話を聞いてから嬉しくて堪らないという顔を隠す事も出来ないようだった。
暫くして、主治医の先生が回診に来た。
「先生。有難うございます。これで悔いも残さずいつでも行けますよ」
「村上さん。いいですか、くれぐれも無理はしないように。絶対に外出は禁止ですよ。それから、4日には病院に戻って来て下さい」
「はいはい、分かってますよ」
「では、良いお年を」
この先生、40代くらいでいつも厳しい顔をしているのだが、ふと見せる笑顔がとても優しい為案外患者からの人気が高い。
先生は、お祖母さんと伯母さん、ご丁寧に由菜と辰弥にまで一礼して出て行った。
由菜は、お祖母さんが家に帰ってくることをとても嬉しく思った。だが、それと同時にお祖母さんが無理をしたが為に死期を早めてしまうのではないかと不安も感じていた。お祖母さんが死を恐れず、それを待っていると知っていても、由菜としてはまだお祖母さんと別れたくないと思っていた。
こんな思いはただの由菜の我が侭でしかない。
どうして、もっと早くお祖母さんと出会えなかったんだろう……。
どうして、もっと色んな話をしなかったんだろう……。
足りない…全然、足りない……私も多分辰弥ももっと一緒にいたい、そう思ってる。
それぞれの想いをひた隠し、笑顔で繕い妙にはしゃいでいる。
明日、お祖母さんが帰って来る。




