第65話:死の中の希望
鹿児島での日々は穏やかに過ぎて行った。
家と病院を行き来するだけの日々ではあったが、お祖母さんと過ごすのは楽しく、毎日後ろ髪を引かれる思いで病院を後にする。
お祖母さんの残り少ないと宣告されている余生をより多くの時間ともに分かち合いたいとそれぞれが思っていた。
「あんた達は若いんだからこんな所に入り浸ってないで、観光でもしてきなさい。由菜さんは鹿児島始めてだろ?」
お祖母さんはこうしきりに言うのだが、由菜も辰弥も観光したいという気持ちは皆無だった。どこかに観光したとしてもその時々で、お祖母さんの事を考えてしまうのは目に見えている。こんな気持ちのまま観光をしたところで楽しめる道理がないのである。
年末にかけての大掃除も病院から帰って来てから少しずつ皆で力を合わせて片付けてしまった。
「恵子さん、大掃除はしたのかい?年を越すんだからね奇麗にしないと駄目だよ」
そんな姑らしい小言を言っていたが、
「今年は二人が手伝ってくれたからすぐに終わってしまいました」
お祖母さんが伯母さんを見て不服そうにしていたが、伯母さんはそれを見て見ぬふりをした。お祖母さんは、三人が毎日朝から夕まで病院に付きっ切りなのを少し申し訳なく思っているようだ。由菜達は皆お祖母さんの傍にいたいからいるのだが、気を遣って来て貰ってるんじゃないかと気にしているようだ。
お祖母さんは由菜にも色々な話をしてくれた。
お祖父さんとの馴れ初めの話、戦時中の話、お祖父さんが亡くなった時の話、伯母さんが結婚の挨拶をしに初めて来た時の話、辰弥の幼い時の話などお祖母さんの話は尽きる事がなかった。
そして、お祖母さんは、由菜に辰弥の学校の事を聞くのも好きだった。
「由菜さん、辰弥は学校でどんな感じかね」
でも、そうして辰弥の話を聞きたがるのは、辰弥が席を外している時だった。お祖母さんは辰弥が自分の事を話されるのを気恥ずかしくて嫌だと思っている事を知っているので、決して辰弥の前では聞かないのだ。
「辰弥は、男子にも女子にも人気があるんですよ。成績も良くて、いつもテストの後には成績優秀者の順位がでるんですけど、辰弥はたいてい5位以内に入ってます。ただ、休みの時間ごとに私のクラスに遊びに来ちゃうんです。だから、たまにクラスに友達がいないのかって心配になりますけど、でも最近では友達も連れて来ちゃうんです」
お祖母さんは辰弥の話を聞く時いつも嬉しそうに眩しそうに眼を細めて聞いている。
「由菜さんは辰弥が好きかい?」
由菜はそのお祖母さんの優しげな笑顔がとても好きだった。由菜に話しかける時のお祖母さんもとても穏やかで、優しい声を出している。由菜と話す時のお祖母さんはあまり毒舌ではない。
「はい」
と、照れ臭いながらも何とか口に出すと、とても満足そうに微笑み何度も何度も頷いた。
「大体の事は恵子さんから聞いて知ってるよ。もし、私が死んでしまったら、あの子を由菜さんの胸の中で泣かせてやってくれるかい?私があの子に男は泣くんじゃないって教えちまったから、あの子はそう簡単に泣けなくなっちまったんだ。でも、由菜さんの前でなら泣けると思うんだ。私が主人を亡くした時、私も泣けなくってね、知らず知らずに自分を苦しめてたもんさ。でも、恵子さんが泣かせてくれたんだよ。ずっと傍にいてね。ただ黙って背中をさすってくれた。主人を亡くした悲しみは決して消えないけどね、でも泣くと少しは楽になるんだよ。傍にいてくれるだけでいい、あの子の泣き場所になってくれるかい?どうか泣かせてやって。お願いね、由菜さん」
由菜は今にも泣きそうだった。
自らの死期が近い事が分っているようにそう言ったお祖母さんは死を全く恐れていないような気丈な顔をしていた。
「私はね、もう死は怖くないんだよ。やっとじいさんに会える。きっと首を長くして私の事をまってるんだ。由菜さん、この世を去るのはちょっと寂しいけど、でも私はじいさんにずっとずっと会いたかったんだよ。だから、幸せなんだ」
聖母マリアの様な穏やかな笑顔でお祖母さんはゆっくりとそう言った。
由菜は、お祖母さんがこんな風に感じていたとは思ってもみなかったので素直に驚きを感じていた。
由菜は、どうにかお祖母さんが少しでも長く生きてくれたらと思っていたが、こんな事を言われてしまっては、こちらに引き留めようとしているのはいけない事なのではないかと思えてきてしまう。
「お祖母さんは本当にお祖父さんが大好きだったんですね?」
「あぁ、愛していたよ。今も愛してる。また生まれ変わっても添い遂げたいと思っているよ」
お祖母さんは、ちょっと照れくさそうに、それを隠す為にけたけたと笑った。
お祖母さんとお祖父さんの様な絆を由菜は心底美しいと思った。
お祖母さんは死を全く恐れず、逆に死を待っていると言う。お祖父さんに会いたいと……この時を待っていたと……。
気丈に語るお祖母さんの瞳は輝き、そこに嘘はないように思えた。
強がりでも、弱さを隠す為でもなく、紛れもなくそれはお祖母さんの真実。
こんな考え方もあるのかと由菜は衝撃を受けていた。
由菜はこれまで死に立ち会った事がない。でも、テレビを見ると皆死を恐れ、その恐怖と格闘していた。最後こそ自分の死に向き合い受入れ穏やかに死んで行く者もいる。
由菜は死は恐ろしいものだと、苦しいものだと、悲しいものだとそう思ってきた。それは、違うのだろうか…。間違いだったんだろうか……。
死が幸せだと言い切るお祖母さんの心には、希望が満ちている気がした。




