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1cmの距離  作者: 海堂莉子
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第64話:リング

天井からポチャンと水滴が滴り落ちて来る。

伯母さんに辰弥の支えになって欲しいと言われてから、辰弥が風呂から上がって来た事でその話は途絶え、伯母さんは由菜に風呂に入るように促した。

少し熱い湯船に肩まで浸かり、伯母さんの言葉を反芻していた。

お祖母さんの死が由菜が思っていたよりも遙かに早く訪れようとしている事。

もしもお祖母さんが亡くなった時には辰弥の支えになって欲しいという事。

会って間もないといえども、お祖母さんがもし亡くなってしまうとなれば由菜でさえ深い悲しみに暮れるだろう。それが、今まで深い関わり合いを持ってきた伯母さんや辰弥がその死という事実を目の当たりにした時の悲しみ、苦しみ、喪失感、虚脱感は想像も絶するほどの重いものになるだろう。

大切な人を亡くした経験のない由菜にとってそれは大きな恐怖でしかなかった。

こんな未熟な由菜が辰弥を果して支える事が出来るのか……。

いや、支えるだろう。誠心誠意を込めて……。由菜が傍にいる事で辰弥の深い悲しみを癒す事が出来るのかは分からない、でもやるしかないのだ。

考える事が多すぎて、待ち構えているものが大きすぎて由菜は脳内パニックになり、湯船に頭ごと潜った。


風呂から上がると今度は伯母さんがお風呂へと入って行った。

辰弥は炬燵に入り、お茶を飲みながらミカンを咀嚼し、テレビのお笑い番組を見て笑っていた。

それをちらっと見てから、部屋に辰弥にあげる為に持ってきたマフラーを手に取り居間に戻る。

辰弥は、由菜のお茶を用意してくれていて、湯呑からは湯気がゆらりゆらりと上がっていた。

由菜が炬燵に入ると、辰弥は由菜に微笑みかけた。その笑顔がとても穏やかだったので由菜はどぎまぎしてしまった。


「由菜、メリークリスマス!はい、これ由菜にプレゼント」


手渡されたのは赤いリボンのついた小さな箱。由菜は、自分が辰弥にプレゼントする事ばかりを考えていて、まさか自分が貰えるなんて考えてもいなかった。

突然の事に驚く由菜をニコニコ笑って辰弥は見守っている。


「辰弥ずっとお祖母さんの事で、色々悩んでたし、まさか自分が貰えるなんて……。びっくりした」


「ばあちゃんの事は凄く心配だったけど、ばあちゃんの事ばっかり考えていたわけじゃないよ。俺が由菜の事考えない日はないし、来年は多分プレゼント手渡し出来ないから、今年は絶対あげたかったんだ。開けてみて」


由菜は頷くとリボンをほどき、箱を開けるとその中にはまた小さな箱が入っていた。その箱を見てはっとして辰弥を見た。

この箱を見れば中に何が入っているかなんて容易に想像がつく。中身は指輪だ。

辰弥の視線を一身に受け、由菜は箱をパカッと開ける。

シンプルなシルバーのリング。真ん中に小さなダイヤがあしらってある。


「辰弥、これ……」


「俺と由菜はまだ正式に付き合ってるわけじゃないし、こういう物を贈るのはすごくおかしいのかもしれない。だから、深く考えないで」


由菜はただ、辰弥を見つめた。


「俺があげた指輪を由菜にしてて貰いたいんだ。留学しても俺を忘れてしまわないように。お守りみたいな…感じで」


そっと辰弥が由菜の手からその箱を取ると、指輪を取り、由菜の左手の薬指にはめた。


「辰弥。有難う…凄く……嬉しい。なんかこうやって辰弥に指輪はめて貰うとプロポーズされたみたいね」


由菜は、小さい時から大好きな人に指輪をプレゼントして貰うのが夢だった。そして、今みたいに相手にそっと薬指にはめて貰う事を夢見ていた。それが現実になって、嬉しくて恥ずかしくて涙がはらりと頬を伝った。しかし、由菜は笑顔で辰弥を見ていた。

辰弥はそんな由菜の顔を両手で挟んで、そっとキスをした。そして、そのままおでこをくっ付けて放さなかった。


「本当は……、今すぐにでもプロポーズしたい。でも、俺達まだ子供だし、由菜は留学するし、だから遠くない将来いつか由菜に正式にプロポーズするよ。その時は、もっと雰囲気のある場所で、ちゃんとした恰好をして、これよりももっと良い指輪を由菜にあげる。プロポーズの言葉はどんなのがいい?」


辰弥の表情も声もとても軽いものだった、でも、この全てを本心から言っているものだと由菜は分かっていた。


「そうだな……、『俺について来い』は何か乱暴な感じで嫌だし、『一生一緒にいて欲しい』とかなんか恥ずかしいし、やっぱり普通に『結婚して下さい』って言われるのが嬉しいかな」


由菜も辰弥に合わせて多少軽い感じで言ったが、これも全て本心だ。

辰弥はおでこを離すと、再度キスをした。


「いつか必ず……」


今度の辰弥の声はうって変わって真剣なものだった。由菜が大きく縦に首を振ると、辰弥は由菜の顔から手を放した。そして、大きな向日葵みたいな笑顔を由菜に向けた。


「そうだ、私も辰弥にプレゼント」


由菜の後ろに隠しておいた紙袋を辰弥に手渡した。辰弥は開けていい?と聞くと、紙袋を開け、中の物を取り出した。それを見て辰弥の表情はまた向日葵になった。


「これ由菜の手編み?」


由菜がこくりと頷くと、勢いよく抱きしめられていた。


「由菜。有難う。すっごく嬉しい。今日ばあちゃんとこ行った時、由菜が手編みのひざ掛けばあちゃんにあげてるの見て、ちょっとばあちゃんに嫉妬しちゃったんだ。ばあちゃんだけずりぃって。俺だって由菜の手編みの物欲しかったのにって考えてたんだ。俺にも編んでくれてたんだ?ばあちゃんに嫉妬して損しちゃったな」


辰弥の言葉に由菜は可笑しくてすっぽりと暖かい腕に包まれながら、安心して笑っていた。


「手編みとかって重いって聞くけど大丈夫だった?」


「由菜の気持ちなら全然重くないよ。もっと重くても大丈夫なくらい。ずっとこれ使うから」


辰弥は由菜があげたマフラーを巻いて、「どう?」と言う、「似合うよ」と由菜が答えると嬉しそうに微笑んだ。


「あぁ、でもマフラーって冬しか使えないのが残念。こうやって巻いてると由菜が近くにいるみたいに感じるのにな。流石に真夏にマフラーしてたら変態だよな」


辰弥が残念そうにそう言った。由菜はそんな事はちっとも考えていなかったので、違う物をあげれば良かったと後悔した。

辰弥は、そのマフラーを室内にいるのにいつまでたってもはずさなかった。大切に大切に思ってくれているのが分って、素直に嬉しかった。


春になったら、また何かプレゼントしよう。

夏になったら、また別の物を。

秋になったら、また違う物を。

フォーシーズンいつでも私を感じる事が出来るように季節ごとに何かプレゼントしよう。


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