第61話:クリスマスイブ
お祖母さんの家までは、病院から約30分位車で行ったところにある。
お祖父さんはもう大分前に病気で亡くなっている。築30年以上になる二階建ての日本家屋はがらんとして時計の音だけがいやにはっきりと聞こえる。
お祖母さんはこの家で、長い間一人で暮らしていた事になる。そして、恵子伯母さんもまた、毎日この静か過ぎる家と病院をただ行き来するだけの日々を過ごしているのだ。
いくらお祖母さんが良い人だろうと(お祖母さんを見る伯母さんの穏やかな表情を見れば伯母さんがお祖母さんを好きな事は一目瞭然だ)誰もいない部屋に戻るのは辛いに違いない。
しかも、伯母さんはここで育ったわけでもないので、近所に知り合いもいない。普段も日中は病院にいるので、ご近所と井戸端会議をする余裕すらない。
伯母さんの事も由菜は心底心配だった。看病疲れでまいってしまわないとも限らないのだ。
由菜と辰弥が来たことで、伯母さんの寂しさが軽減されたのか、先ほどからお喋りする口が塞がる事はない。
由菜は何時間でも付き合うつもりでいた。辰弥もまた同じ心持ちなのだろう、相槌を打っては伯母さんの話を熱心に聞いている。
だが、お祖母さんの話は誰もしない。先程知らされた事実を由菜も辰弥も受け止めきれずにいる。今すぐに処理出来るようなそんな大人では二人ともなかった。三者三様、悲しみ、苦しみを隠してただ今はお喋りをする事で気持ちを紛らわせている。
親子水入らずで話したい事もあるのではないかと思った由菜はこう言った。
「私、この辺散歩して来ようかな」
立ち上がろうとした由菜の手を辰弥に瞬時に掴まれ、
「もう、暗くなって来たから一人じゃ駄目だ。明日にしてよ、散歩するなら」
由菜が外を窺い見ると、辰弥の言うとおり辺りはほのかに暗くなっていた。伯母さんとの話しに夢中になっていて外が暗くなっていた事に全く気付いていなかった。
「夕飯の買い物に行こうか」
伯母さんがそう言って立ち上がり、それに習って辰弥も立ち上がった。由菜の手は辰弥に掴まれたままであったので、解くべきなのか迷っていたが、玄関で靴を履く時になって自然と放れた。
ホッとする気持ちと寂しい気持ちが奇妙に混在する。
伯母さんが見ている手前恥ずかしさの方が勝っていたのだが。
伯母さんがそんな由菜達を嬉しそうに見ているものだから恥ずかしさもひとしおだった。
買い物に行き食材をたらふく買って、辰弥は荷物係として当然大活躍した。
夕飯は、伯母さんの手料理。久しぶりの伯母さんの料理に嬉しそうに、おいしそうに食べている辰弥を見て、由菜も無条件で嬉しくなって無意味にニコニコしていた。
そんな二人を見て、また嬉しそうに笑ってる伯母さんがいる。
「それで、あなた達はどうなってるの?」
「俺は由菜が好きなんだ」
「そんなのは昔から知ってるわよ。そうじゃなくて……」
「分かってるって。黙って聞いててくれよ。由菜も俺の事思ってくれてる。でも、由菜が留学して帰国するまで、付き合ったりとかはしない」
「どうして?」
「二人で決めた事だよ。留学中は勉強に集中して欲しいからね。だから、由菜が日本に帰るまではお預けなんだ」
由菜は驚いて辰弥を見た。本当は辰弥と付き合っていないのは、由菜の我が侭にすぎないのに……。辰弥がその我が侭を受け容れてくれているにすぎないのに……。
辰弥はアイコンタクトで、俺の話に合わせておいてと言っている。
辰弥に申し訳なくて、自分がひどく情けなくて顔を上げていることが出来ずに俯いた。伯母さんにも何だか、申し訳なく感じていた。
「二人はそれでいいのね?」
うんと、辰弥が言うので、由菜も内心複雑な思いはあったが取り敢えずは頷いていた。
伯母さんを騙している様で由菜の中にもやもやした物が残ってしまった。
翌日のクリスマスイブ。
三人は朝からお祖母さんの病院へ向かった。
由菜はクリスマスプレゼントとしてお祖母さんに膝掛けを編んでいた。
「私はね、誰かの為に編み物をしたことはあったけど、誰かに手編みの物を貰ったのは生まれて初めてなんだよ。ありがとね、由菜さん。とても嬉しいよ。でも、あんたさては編み物初めてかい?」
はいと、由菜が頷くと、
「目が揃ってないね。まあ、でもこれも味があっていいさね」
由菜は何だか、褒められたんだか、駄目だしされたんだかよく分からなかった。
「由菜。今のばあちゃんの超褒め言葉なんだぜ。心の中は嬉しくて嬉しくて仕方ないのに恥ずかしくて素直に喜べないんだ」
由菜がぱっとお祖母さんを見ると、照れてるのか辰弥に怒っているのかよく分からない表情をしていた。
「全くあんたはばあさんからかうんじゃないよ」
そう言って辰弥をどついた。
お祖母さんとのクリスマスイブのひと時は、とても穏やかで、楽しい時間を過ごした。ただ、昨日お祖母さんの死期が近づいていると聞かされていた事からお祖母さんに無理をさせたくは
なかった。それと同時になるべく多くの時間を共に過ごしたいと願っている為、お祖母さんが疲れてしまうからもう帰らなければならないのに、いつまでたってもそこを去ることが出来なかった。




