第53話:朝のひと時
由菜が目を覚ました時には、もう朝だった。
肩には毛布がかけてあり、顔をゆっくりと持ち上げると辰弥がじっっとこちらを眺めていた。
「あれ?朝?毛布…、辰弥がかけてくれたの?それより、風邪は?」
寝ぼけ気味の由菜を辰弥は楽しそうに見ていた。一見して、昨日の様な辛そうな表情はしておらず、顔色も青白さがなくなっているように思う。
「由菜、よ〜だ〜れ」
うえ?と、素っ頓狂な声をあげ、由菜は口元を右腕で乱暴に拭う。
「はははっ。嘘だよ。もう朝だよ、由菜。それから、その毛布は多分叔母さんがかけてくれたんだと思う、俺が起きた時にはかけてあったから。風邪は、熱は多分もう下がってるんじゃないかな、まだ計ってないからわかんないけど。結構気分良いよ。ただ、体の節々が痛いかも」
辰弥は、未だ寝ぼけ気味の由菜が理解できるようにゆっくりと話してくれた。由菜もその間に目覚めて来て、寝癖がついていないかが気になって頭を触ってみる。
「大丈夫だよ。寝癖ないから」
由菜が何を考えているのかお見通しといった感じでにやにや笑っている。やっといつもの辰弥に由菜はほっと胸を撫で下ろした。寝起きの由菜は、朝の寒さにぶるっと震え、大きなくしゃみが出た。
慌てて毛布を体に巻きつけた。寒くて寒くて体が震えている。
「大丈夫?俺の風邪移っちゃったかな。由菜、何ならここに来る?」
辰弥はそう言って、にやにやと笑いながら掛け布団を軽く持ち上げた。たちまち由菜の顔は、真っ赤に染め上り、体まで熱くなってしまった。
「いいいい行かないよ。いいい行くわけないじゃん、馬鹿!!!」
辰弥は不貞腐れて何やらぶつぶつ言っている。どんな事を言っていたかというとまあ、こんな感じである。
「ちぇっ、一緒に横になるだけなのに…。別に変なこと考えてるわけじゃないのにな。俺って全然信用ないんだな。あんなに全力で拒否されたら傷つくよ」
ぶつぶつぶつぶつ未だに何か言っている。そして、辰弥は壁側に体を回し、背中を向けてしまった。
「辰弥?ごめん。嫌だとか、信用してないとかじゃなくて。ただ、私が恥ずかしいだけなの…。それに、お母さんとか来たら困るし…」
由菜は、慌ててそう言った。由菜は、恥かしさの余り言った言葉に辰弥が気分を悪くしてしまった事の誤解を解きたくて自分の気持ちを素直に伝えた。
「じゃあ、5分だけだよ」
くるっと再度こちらを向き、嬉しそうに辰弥がまたしても布団を持ち上げた。別に、拒否する事も出来なくはなかった。だけど、最近ずっとジュディがいて、二人でいる事が少なかった事も有り由菜は、辰弥欠乏症になっていた。傍にいたいのは、由菜も同じだったのだ。
「本当に、変なことしない?」
恐る恐るそう言うと辰弥はにこやかに微笑み、約束するよと、言った。由菜はその笑顔と言葉に少し安心し、意を決して辰弥の布団にお邪魔した。
辰弥の布団に潜り込んだのはいいものの、辰弥の顔をまともに見る事が出来ず、背中を向けてしまった。
「え〜、そっち向いちゃうの?」
「だって…、恥かしいんだもん」
由菜が、辰弥の方を向く事が出来ずにいると、辰弥の腕が伸びてきて後ろから抱き締められてしまった。
「へへへへ変な事しないって言ったじゃん」
由菜が体を固く緊張させて、どもってそう言うと、
「これは変な事じゃないでしょ?それに、これなら後ろ向いてるからそこまで恥かしくないでしょ?それとも、こっち向く?」
「けけけけ結構です!!!」
にわとりが鳴いているみたいになってしまい、由菜は恥ずかしさに耐えていると、辰弥が由菜の背後で、くつくつと笑っている気配がする。こちとら一杯一杯だというのに小癪なぁなどと心の中で文句を言う。到底現実ではそれを言う余裕はないのだが。
「あ〜、由菜の体冷たくて気持ち良い。すごく冷えてたんだね。ごめんね。俺のせいでこんなに冷たくなっちゃって。それとも、まだ俺熱あるのかな」
辰弥の体の熱が、由菜の冷えた体に心地良かった。それから、二人とも何も話す事無くずっとそうしていた。5分なんて恐らくとっくに過ぎているのだろう。だけど、布団の暖かさと、辰弥の温もりから抜け出したいとは思わなかった。辰弥が黙ったままで、寝息が聞こえて来るわけでもない、由菜は辰弥の様子を見たいのだが、もし辰弥が起きていて至近距離で見つめられたらと思うと怖くて出来なかった。
次第に由菜は安心し、眠気を感じ始めた。寝てはいけないと思えば思うほど、うとうとと眠りの世界の誘いを断る事が出来ない。
「由菜〜、辰弥君〜。起きた〜?」
突然の母の大声に驚いた由菜は、びくっと体を緊張させ、勢い良く飛び起きた。母はずんずんと階段を上がってくる足音がする。こんな時、どうしたことか、体と頭は冷静に動いてくれない。どうしたら良いのと、気だけが急いて、なかなか行動を起こす事が出来ない。どんどんと母の足音は近付いて来ている。なすべき事は簡単である、布団から出て、自分がうたた寝をしていた場所に戻って、肩に毛布をかけて、寝たふりでもしておけば良いのだ。人間、焦った時にはそんな簡単な事が出来ないのだ。
「由菜、とにかくベッドから降りた方がいい」
辰弥の言葉に、やっと自分がなすべき事を理解し、動き始めた。母はもうすぐそこまで来ている。
5…、4…、3…、2…、1……。




