第51話:文化祭 4
辰弥が倒れて行く…。
その姿は、スローモーションの様にゆっくりで、美しくさえあった。
だが、一瞬の出来事に動揺している場合ではなく、由菜は手を伸ばせば届く距離にいる辰弥を支えるべく手を差し伸べた。咄嗟の判断で、受け止める事が出来たのだが、いかんせんデカイ図体に意識が朦朧としている為、普段よりも重く感じる。と言っても、普段体を支えた事(軽く寄っかかられた事はあるが、辰弥も完全に力を抜くことなどしなかったので重いとは感じなかった)もおぶった事も無いのだが。
とうてい一人で支える事など出来るわけもなく、ずりずりと下に落ちて行く。だが、一緒にいた隼人がすかさず右腕を掴み支えてくれた。そして、受付のテーブルで一部始終を見ていた柏木君もすぐに飛んで来て左腕を掴んで支えてくれた。両側から支えられた辰弥は、そのまま引き摺られるように保健室へと向かった。辰弥の意識は薄く、自ら歩く事は不可能だったし、言葉を発する事も辛いように思う。由菜は、心配そうに後ろからついて行く。加絵もまた由菜の隣を、辰弥と由菜の両方の心配をしてついて行く。
保健室へ着くと、保健の先生である佐々木先生の指示に従い、ベッドに辰弥を横にする。熱を計ると、辰弥の体温は39度近くも上がっていた。
ベッドに横になると、少し気が抜けたのか辰弥は眠り始めた。
佐々木先生が、そこにいた全員を見まわし、
「太田さんだけ残って、あとは皆文化祭に戻りなさい」
柏木くんは、その意見に大いに反対の様だった。実は、当番が面倒臭くてやっと抜け出せたと思っていたようだ。それでも、渋々外に出て行く。加絵は、由菜を心配そうに眺めたが、
「私は大丈夫だから。隼人と文化祭楽しんで来て」
と微笑むと、加絵も笑顔を返し、でも何かあったら電話するんだよと、言って保健室を後にした。隼人も一言お大事にと、言って保健室を出て行った。
皆がいなくなった保健室には、佐々木先生と由菜、それから寝込んでいる辰弥だけとなった。遠くからは、何やら騒いでいる声や歌声などが聞こえてくるが、保健室の中には辰弥のかすかな寝息と先生がペンを動かしているその音が聞こえ、とても静かだ。隣にある職員室も殆どの教職員が文化祭に参加している為、物音がしない。まるで、別世界に来ているような気さえしてくる。
「そんなとこに立ってないで、座れば?」
佐々木先生が由菜に椅子を進めた。佐々木先生は、30代後半から40代前半くらいと思われ、口を豪快に開け笑う思い切りの良い明るい性格で、生徒からも慕われている。確か独身で、男子生徒から女っぽさがないからモテないんだと、言われているのを聞いた事があるが、当の本人は全く気にしていないようだった。恋愛にも結婚にも興味がないように見える。先生のプライベートなど全く知らないのだが。
先生は、由菜の名前も辰弥の名前も知っているようだった。由菜は、そんなに保健室を利用する事がなく、来ても友達の付添いくらいなものだ。何で知っているのかな?と考えていると、
「あんた達は有名人だからねぇ」
と、大きな口を豪快に開けてガハハハと笑った。自分の顔がそう言っていたのだろうかと不審に思っていると、
「私には人の心が読めるんだよ。あんたの考えてる事なんてすぐ分かるよ。村上は、ただの風邪だから、寝てりゃ治るよ」
「えぇぇぇ、本当に人の心が読めるんですか?!」
驚いて素っ頓狂な声を上げると、またガハハハと大きく笑った。
「あんたは、騙されやすいから少し気を付けた方がいいかもしれないね」
え、嘘?と、キョトンとしている由菜を見て、またまたガハハハと笑う。その豪快な笑い方を、由菜は悪くないと思った。
「先生。私、迎えに来てくれるように親に電話してきます」
はいよと、威勢の良い返事が返ってきたので、由菜は少し笑って、それから立ち上がり、保健室の外に出た。
家に電話をかけたが、出たのは留守番電話の応答だった。一度電話を切り、今度は母の携帯にかけてみると、もしもしと、異様に明るい声が耳に飛び込んできた。辰弥が熱を出したので迎えに来て欲しいと伝えると、
「あら、まあ大変。今、あんた達の学校にいるの。お父さんと学園祭デートをしてる所なんだけど、そうねぇあと30分くらいしたら行けると思うわ」
大変とも思っていなそうな、変に明るい声にイラッとくるものがあるが、ここで文句を言い、迎えに来ないなんて事になるといやなので何とか気を静めて、
「なるべく早く来てよ」
と言って、携帯を切るとどこからともなく強烈な視線を感じる。後ろを振り向くと、ジュディがそこに立っていた。ジュディは、黙ったままその場を微動だにせず、いつもの覇気が全くと言っていいほど感じない。
「ジュディ?辰弥なら保健室で寝てるよ。行こう」
いつまでも黙って動かないジュディに、優しく由菜から話しかけた。
「…」
ジュディが、何かを言ったのだが、由菜の耳には届かなかった。え?と、由菜が聞き返すと、
「私が…、私の……せいだ。今日、ずっと一緒にいたのに、全然気付かなかった。由菜に辰弥は元気だとか、私がいるんだから大丈夫だとか大きな事言ったのに、気付かなかった。気付けなかった…」
いつの間にかジュディの目からは大粒の涙が次から次へと溢れ出していた。
「ジュディ、お願いだから自分を責めないで。あなたは悪くない…。どんなに近くにいても気付く事が出来ない時だってあるよ。それに、私だってあの時あなたになんて言われようと、辰弥のおでこに触って熱があるのか確認でもしていたら、ここまで無理はさせずに済んだのに。ジュディは悪くないの。もしあなたが悪いって言うなら、私も悪いのよ」
そう言う由菜の顔をジュディは、穴が開くほど凝視した。
「あなたって…」
その先は、いくら待っても聞く事が出来なかった。そして、辰弥をよろしくと、小さく呟くと走り去ってしまった。
この時、嵐が去ろうとしている事に由菜は全く気付かなかった。




